カティンカとクヌート、王宮へ行く
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アルフォンス、緊急対策を考えます。
209カティンカとクヌート、王宮へ行く
仕事終わりでカティンカを迎えに行ったエルゼは、クラウスに布包みを渡された。
「カティンカのお仕着せが入っています。明日からエルゼが出勤する日には着させてください」
「カティンカの、ですか?」
「ええ。正式に執事補佐に決まりましたから。カティンカには随分助けられていますよ」
主にアルフォンスの目覚ましや、面倒な書類を読む時の膝の錘代わり、休憩時間の癒しなどに。アルフォンスの執務速度が上がって、クラウスとしてはカティンカが来てからはかなり楽をさせて貰っている。
「お仕着せですから、御前からの支給品になります。執事補佐という事でたまに領主館の外に連れて行く時もありますが、エルゼに事前に了解を取りますよ」
「私はカティンカが良いのなら構いません」
カティンカは嫌な事は嫌だと態度で示すので、クラウスも無理強いしないだろう。
「カティンカ、ヘア・クラウスのお手伝いするお仕事やりたい?」
「ああい」
カティンカが右前肢を挙げる。幼児のカティンカなので、遊んでいるようなものなのだろう。
「それでフラウ・エルゼ、早速なのですが明日カティンカと出掛けたいのですが構いませんか?」
「ええ。お買い物ですか?」
カティンカは〈時空鞄〉が使えるので、エルゼはクラウスが荷物を持ってもらうのかと思ったのだ。
しかし、クラウスは穏やかに微笑んだ。
「いえ、王宮です」
「王宮ですか!?」
通常黒森之國での移動手段は馬や馬車、魔法使いギルドの〈転移陣〉である。魔法使いギルドの〈転移陣〉を使わないで〈転移〉出来るのは大魔法使いだけである。
但し、妖精に関しては〈転移〉出来る種族であれば、何処へでも〈転移〉出来る。コボルトであれば魔法使いコボルトであり、ケットシーであれば全てのケットシーだ。ケットシーでも安全に〈転移〉するのであれば、一度行った場所の方がいい、と言うのがアルフォンス・リグハーヴス公爵がエンデュミオンから聞いた話である。
アルフォンスとていつもは魔法使いギルドの〈転移陣〉を使い、公爵権限で王宮に一番近い魔法使いの塔にある〈転移陣〉に移動している。だが秘密裏に王に謁見したい時などは、王の側近であるツヴァイクの元へと一気に移動したいのだ。
そこでケットシーのカティンカである。ビーネは幼過ぎるし、ヴォルフラムの守りとして動かす訳にはいかない。その点カティンカだと、今でも日中はアルフォンスと一緒に居るのである。夜には寝てしまうので、日中限定だが、緊急時には〈転移〉に協力して貰う事にしたのだ。
ケットシーは相手が誰であろうが媚びないので、王ですら態度云々は問わない。そもそもマクシミリアン王はエンデュミオンに竜の卵の一件で会っているので、今更アルフォンスがカティンカを王宮に連れて行っても何も言わないだろう。
こうして、翌日カティンカはアルフォンスと護衛の騎士ディルクとリーンハルト、一緒に付いてきたクヌートと共に、王宮へと出掛けたのだった。
魔法使いギルドの〈転移陣〉から、小麦色の髪と耳と尻尾を持つ人狼の魔法使いジークヴァルトの待つ魔法使いの塔へと〈転移〉する。
「お疲れ様でした」
肩に紅玉色の鱗を持つ火竜アルタウスを乗せたジークヴァルトは、エンデュミオンの孫弟子で大魔法使いフィリーネの一番弟子だ。
魔法使いの塔は元々エンデュミオンが長年暮らしていた塔で、空間魔法が織り込まれた建物である。うっかり入り込むと出られなくなる等との噂が、アルフォンスが子供の頃からあったものだ。
妖精と竜が挨拶を交わすのを待ってから、アルフォンスはカティンカを抱いて塔を出た。クヌートはリーンハルトが抱いている。クヌートは杖を前肢に持っているので、何かあっても魔法を放ってくれるだろう。
「んっんー」
リーンハルトの腕の中から王宮のきらびやかな設えを眺め、クヌートが鼻歌を歌う。いつもの事なのでアルフォンスは気にしないが、天井の高い回廊に良く響いた。
「ににゃ……」
執事服を小さくしたお仕着せを着たカティンカは、ぎゅうっとアルフォンスの上着を掴んでいた。皺になっているかもしれないが大した事ではない。渦巻き尻尾もいつもより太いので緊張しているようだ。
通りすがりの文官や女官達が二度見している気がする。歌うコボルトは一寸目立つ。
アルフォンスは王の執務室の手前で止まり、護衛騎士に到着を告げた。護衛騎士は王の執務室と続きになっているツヴァイクの部屋へ知らせに行く。
「はい、カティンカ」
「ににゃ」
その間にクヌートが前肢を伸ばして、カティンカの口にピンク色の菓子を入れていた。もぐもぐとカティンカの口が動く。
「何だい? それは」
「マカロン。ヒロがくれた。卵白のお菓子だって。アルフォンスも食べる?」
「一つ貰おうか」
アルフォンスはクヌートから銀貨程の大きさの菓子を貰った。掌に乗せられたのは水色の菓子で、さくりとしていながら挟まれたクリームの水分を吸ってしっとりもしていた。アルフォンスが食べた物はミントクリームだった。中に細かく刻んだチョコレートが入っている。
「美味いな」
「ねー」
クヌートのこれは通常運転なのでアルフォンスも慣れている。クーデルカと一緒に執務室に遊びに来て、お菓子を振る舞って帰って行く事も多いのだ。妖精は自由な生き物である。
「クヌート」
リーンハルトがクヌートの後頭部を撫でて前を向かせる。伝令に行っていた護衛騎士が戻って来たのだ。
「リグハーヴス公爵閣下、こちらへ」
「有難う」
アルフォンスの護衛のディルクとリーンハルトもツヴァイクの部屋までは入れる。
「相変わらずお早いお着きですね、リグハーヴス公」
王の牙であるツヴァイクが、王の執務室の扉前に立っていた。肩には白い鱗の光竜ゼクレスを乗せている。
アルフォンスは困り顔で肩を竦めた。
「お知らせする事がありすぎてね。ケットシーとコボルトを連れて入っても?」
「そちらも〈お知らせする事〉なんでしょう? どうぞ」
「ディルク、リーンハルト、では少し待っていてくれるかい」
自分の護衛騎士二人に声を掛け、アルフォンスはカティンカとクヌートを連れて、ツヴァイクと王の執務室に入った。
「こんにちはー」
「ちはー」
「おや、可愛いのが来たな」
クヌートとカティンカの挨拶に、執務机に向かっていたマクシミリアンが笑う。
「どうしたんだ? アルフォンス、その子達は」
歳が近く、アルフォンスの妹をマクシミリアンが正妃に娶った事もあり、ツヴァイクと三人で居る時には気安い会話をする。
「コボルトのクヌートは一緒に来た護衛騎士に憑いているんです。カティンカはうちのメイドに憑いている子でクラウスの執事補佐です。どちらも〈転移〉が使えるので、何かあった時の為に場所を覚えさせておこうと思いまして」
「私の寝首でも掻くつもりか?」
「そんな面倒な事はしませんよ」
王の首を獲る事を面倒と言い放ち、アルフォンスは応接用のソファーに、カティンカとクヌートを座らせた。アルフォンスもその隣に腰を下ろす。
「んっんー」
クヌートがソファーの前のテーブルに〈時空鞄〉からお菓子を取り出し始める。
「……何を始めたんだ?」
「クヌートと双子のクーデルカはお菓子を振る舞うのが好きなんですよ」
それが王であろうとも関係ないのだ。
「じゃあお茶淹れますね」
ツヴァイクがお茶を淹れに簡易台所へと向かう。
「もしかしてリグハーヴスではこれが日常なのか?」
「カティンカが朝起こしてくれますし、休憩時間には絵本を読んでくれますし、お茶も一緒に摂りますね。中庭に行くとクヌート達が遊んでいます。街中にも妖精が増えましたね」
「それは自慢か」
「自慢です。流石に街中に妖精が出歩いているのは、ここ最近ですよ。〈異界渡り〉が降臨してからです。〈黒き森〉には居たんですけどね」
そろそろとカティンカが淡い黄緑色のマカロンを持ったまま、アルフォンスの膝の上に乗って来た。慣れない場所なので、くっついていたいのだろう。
「それは何味だ?」
「あ、あおりんご」
気に入ったのか、カティンカは味の違うマカロンを攻略しているらしい。
「はい、お茶ですよ。へえ、凄いお菓子ですね」
盆にお茶道具を乗せて戻って来たツヴァイクが、テーブルにティーカップを置いて、慣れた手付きで紅茶を注いでいく。ケットシーとコボルト用には初めからカップにたっぷりとミルクが入っていた。
マクシミリアンとツヴァイクも向かいのソファーに落ち着く。
「頂いてもいいのかな?」
「どうぞー」
ツヴァイクにクヌートがお菓子を勧める。
テーブルの上にはクーデルカが焼いたジンジャーブレッドや、孝宏のクッキーやマカロン、カミルとエッダが焼いたチーズケーキなどが並んでいた。
「これ王宮だと出て来ないんだよねー」
嬉しそうにツヴァイクと光竜のゼクレスがジンジャーブレッドを食べる。
マクシミリアンもマカロンに手を伸ばし、一口齧って目を瞠る。
「何だ、この菓子は」
「マカロンだよー」
「孝宏が作ったそうですよ、陛下」
「ああ、〈異界渡り〉の……。以前食べた菓子も美味かったな」
孝宏がマカロンを作るのは大魔法使いフィリーネが遊びに来る時だったのだが、マカロンは一度に沢山出来る。そこに居合わせたクヌートがおやつにと貰っていたので、おこぼれに預かった面々だった。
「これはクーデルカが焼いたの。こっちのチーズケーキはカミルとエッダが焼いたやつだよ」
「カミルとエッダは孝宏の弟子ですね。──あげませんよ、うちのパン屋の後継ぎですから」
じとりとした眼差しになったマクシミリアンにアルフォンスが釘を刺す。
「せめて王宮の料理人に食べさせてみても良いか?」
「それ位ならいいですよ。秘匿するつもりはないようなので」
菓子を食べれば本職の料理人なら研究するだろうと孝宏が考えているのは、アルフォンスも知っていた。
お菓子の甘さをお茶で流し、マクシミリアンは手触りの良いクヌートの頭を撫でながらアルフォンスに問う。
「で、本件はなんだ? 美味い菓子を食べさせてくれに来ただけではあるまい?」
「フィッツェンドルフの話は聞いておられますか?」
「治める領に特色を持たせるのは良しとするが──領主の子たる領民を守らぬとはな。リグハーヴス領で病人や妊婦は引き受けたと聞いているが」
「リグハーヴスには医師も魔女も薬草魔女もいますし、いざとなればケットシーにも頼めますから」
寿命以外であれば、回復出来るのだ。
「早くリグハーヴスに来れば死ななくて良かった者達が沢山居たと聞いています。しかもフィッツェンドルフは診察費や薬代が高く、支払えない者は診察すら受けられない」
リグハーヴスでは先に診察をして、ある時払いで支払ってもらう。踏み倒そうとしても、春の税金納付の時に未納分を請求されるので逃げられない仕様となっている。
「先日は親権が無効になった子供達を領外に置き去りにしました。街の近くに置いていったからまだしも、下手をすれば娼館へ連れていかれたかもしれません。幸い全員無事に各地の教会に保護されたそうですが」
黒森之國にも娼館はある。基本的には職業娼婦や男娼だが、売られる子供も居ない訳ではない。勿論、リグハーヴスには成人の職業娼婦と男娼しか居ない。
「それにフィッツェンドルフは湾に棲みついている水竜を怒らせたとか」
ツヴァイクがマクシミリアンとアルフォンスにさりげなくお茶のお代わりを注ぐ。
「あれは誰が宥めに行くのだろうな? 暫く魚も取れまいに」
「輸入船だけは湾から出し入れしてくれるらしいですがね」
マクシミリアンとアルフォンスが遠い眼差しになる。
竜と対等に話せる者など簡単には居ない──のだが。
二人は顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「エンデュミオンか」
「エンデュミオンでしょうね。それと木竜グリューネヴァルト」
「また借りが増える……」
「貴方が呪われる事はないと思いますよ。直接害を与えていませんから。文句は言われるかもしれませんが」
「わう!」
ポンとクヌートがマクシミリアンの腕を慰めるように叩く。
コボルトに励まされ、マクシミリアンは思わず笑ってしまった。
「解っているさ、フィッツェンドルフを滅ぼす訳にはいくまい」
「影響の大きい所からやるしかありませんね。フィッツェンドルフ公には王宮会議を覚悟頂きましょう」
「フィッツェンドルフの水竜と同じ位の主持ち成竜と言うと、グリューネヴァルトしかいませんからねえ」
ツヴァイクが指先でゼクレスの頭を撫でる。ゼクレスはカティンカに差し出されたオレンジ色のマカロンを齧っていた。カティンカは少しこの場に慣れてきたようだ。相変わらずアルフォンスの膝に乗ったままだったが。
「エンデュミオンに全権を任せると言うのであれば、私が依頼してみます」
「頼む、アルフォンス。エンデュミオンが欲しい物があるなら、教えてもらって来てくれると有難い」
もし水竜が暴れたとして、抑えられるのはエンデュミオンしかいないのだ。
「魔女や薬草魔女については、王都からフィッツェンドルフの教会に派遣する。これは大聖堂と聖都に了解を得た」
本来は領主であろうとも、教会が管理している孤児院に手出しは出来ない。司祭不在の間の狼藉に、大聖堂も聖都も抗議の声を上げている。
暫くは教会を臨時の診療所にし、貧しい領民の健康管理をする。もしこれで流行り病でも広がれば、暴動が起きかねない。今現在でも、潜在的な病人が多数いるのは〈木葉〉から伝わってきている。リグハーヴスに移住出来たのは一握りに過ぎない。フィッツェンドルフから動きたくない領民も居るのだから。
「では動きます」
アルフォンスはソファーから立ち上がった。当然、膝にいたカティンカは抱いている。
クヌートは杖を背中に背負って、ソファーから腹這いに下りた。
「お菓子を有難う、クヌート。たまには遊びに来るといい」
「うん、今度はクーデルカと来るね。お茶美味しかった」
巻き尻尾を振って、クヌートが答える。
「ディルク! リーンハルト!」
そしてツヴァイクの部屋に控えていた二人の騎士にクヌートが飛び付いていく。
マクシミリアンとツヴァイクは、クヌートが珍しい二人の主を持つコボルトだとその時初めて知るのだった。
──ところで。
妖精に社交辞令は通じない。いや、マクシミリアンも決して社交辞令のつもりではなかったのだが。
それから時々、お菓子を持参してお茶を楽しんでいくコボルト達が、王の執務室に現れるようになり、ツヴァイクは美味しいお茶の葉とミルクを切らさぬよう努めるのだった。
だいぶアルフォンスにも慣れたカティンカです。
膝に乗せておやつあげたりして慣れて貰ったんだろうな、と思います。
アルフォンスとマクシミリアンとツヴァイクとクラウスは友人同士です。
クヌートは安定のおやつ配りです。コボルトは常に食べ物を保存して持っていようとします。
種族的に備えよ常に精神なのは、長年いつ他種族に襲われるか解らない生活をしていた名残です。
現在ハイエルンのコボルトは、人狼と一緒の集落で暮らしています。人狼の集落からコボルトを攫おうとするのは命懸けになるので、漸く穏やかな生活になり、生産活動も活発になっています。
コボルト織、細工物、保存食作りで、今のほうがコボルト作品が領内に回るようになってきた、ハイエルンです。
ハイエルンの〈黒き森〉の管理も、人狼とコボルトがしています。
ハイエルン公爵はコボルト解放宣言を出したので、最悪の事態は回避しました。