海の街からの移住者達(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
こんな移住もあります。
208海の街からの移住者達(後)
リグハーヴス公爵領への移住は、冒険者ギルドを通しての申し込みが基本である。
病人は直接領主館へ精霊便を送り、魔女の診察治療の後に移住となる。
これは街や村に住む住人の記録の為でもある。
黒森之國の民は必ず税金を払わねばならない。働いていなくても、人頭税だけは払わなくてはならないのだ。
そして、災害が起きた時の身元確認にも必要なので、必ず住人は移住した時に教会やギルドへ届け出を出すのだ。
但し、例外もある。
「どこだここ」
「多分、北かな。随分と涼しい」
ガタガタと揺れる粗悪な幌つき馬車に押し込まれて運ばれ、まだ暗い森の中に放り出された。手足を縛られていた縄を切る為の小さなナイフを置いて行ってくれたのだけマシと言える。
フュルは自分とヨアヒムの縄を切って立ち上がった。
フュルとヨアヒムは青黒毛の人狼の双子だ。どうしてフィッツェンドルフの教会孤児院に預けられたのか解らないが、赤ん坊の頃から七つになるまでそこで育った。
先日の嵐の後、教会の司祭が聖堂へ状況報告に出掛けていった。その間に偉そうな男達が来て、フュル達や他の孤児達を孤児院から連れ出したのだ。数人ずつバラバラに馬車に乗せられ、荷物も持てずさよならも言えずに別れた。
フュルとヨアヒムは別々にされなかっただけ良かった。
「少し明るくなってきたな」
「囲壁かな、あれ」
薄靄の掛かる森を通る街道の先に、赤灰色の高い塀が見えた。辺りには他の建造物はない。
「行こうか」
「行こうか」
フュルとヨアヒムは、ひんやりとした空気の中、囲壁に向かって歩き出した。
街を囲む囲壁には開門時間が決まっている。夜の間は門が閉まっているのだ。
「リグ、ハーヴス?」
まだ閉まっている頑丈そうな門の上にあるアーチ部分に、そう書いてあった。ここはリグハーヴスの街だった。
細かく分けると黒森之國には、王領・ハイエルン公爵領・リグハーヴス公爵領・ヴァイツェア公爵領・フィッツェンドルフ公爵領・聖都・<暁の旅団>自治区がある。リグハーヴス公爵領は黒森之國の北東にある〈黒き森〉と地下迷宮を有する土地である。
それはフュルとヨアヒムも読み書きを習った教会司祭に教わって知っていた。
暫く二人が門の前に立っていると「開門ー!」と声が聞こえて、大きな門が開き始めた。門は荷馬車も通れる大きさなのだ。
馬車の場合は停止させて御者台まで門衛が確認に行くが、徒歩の者は門の脇にある門衛小屋に身分証を出して街の中に入る。ギルド証などの身分証がないと、門衛に止められる。
フュルとヨアヒムは門衛小屋で直ぐに留め置かれてしまった。身分証を持っていなかったからだ。
「君達だけで来たのかい?」
軽鎧の胸当てを着け、槍を持った門衛の騎士に怪訝そうに問われ、二人は頷いた。
「フィッツェンドルフから馬車で、門を少し先に行った所に置いていかれた」
「フィッツェンドルフの教会孤児院に居たんだけど」
「何だって!?」
大きな声を出され、フュルとヨアヒムの青黒色の毛で覆われた狼耳がぺたんと伏せる。
「ああ、ごめんよ、驚かせたね。小屋の中に入ってくれるかい? 今、騎士団の者を呼ぶから待っていてくれ。おい、この子達を休ませて、温かい物を出してあげろ。それから、騎士団から応援を呼んでくれ」
「解った」
小屋の中に居たのは外に居たのより若い騎士で、にこにこしながら二人を椅子に座らせ、魔法瓶から甘い紅茶を木のコップに注いで渡してくれた。
「腹減ってるなら遠慮なく食べな」と、蝋紙に包まれたパンも渡される。黒パンにベーコンとトマト、葉野菜にチーズを挟んだ物だった。
「いいの?」
「俺はまた後で買ってくりゃあいいんだから。今朝は冷えたろう? 腹を膨らませれば暖かくなる」
「有難う。……今日の恵みに」
「月の女神シルヴァーナに感謝を」
食前の祈りを唱え齧り付いたパンは物凄く美味しかった。
フュルとヨアヒムがパンを食べ、紅茶をお代わりし、更にサクサクとした焼き菓子まで貰って食べていた頃、漸く門衛小屋にやって来たのは、雪のように白い髪の青年と、フュル達より幾つか年上の白灰色の毛色をした人狼の少年だった。
「リグハーヴス騎士団長マインラートだ。こっちは小姓のエリアス」
「フュル」
「ヨアヒム」
自己紹介の後、マインラートが「先程フィッツェンドルフの騎士団に問い合わせたのだが」と切り出した。
「フィッツェンドルフの教会孤児院は閉鎖されていたそうだ。何も知らずに王都から戻ってきた司祭が、半狂乱で騎士団に駆け込んできたらしい。孤児の名簿も無くなっていたそうだが、それは司祭が手帳に写しを持っていたから、各領に所在確認をしている最中だ。こちらに青黒毛の人狼の子が二人居ると伝えた所、君達の名前を教えて貰ったよ」
「僕達どうなるの」
「悪いがフィッツェンドルフには戻せないよ。君達にとって安全ではないから。リグハーヴスの教会孤児院に入るか、街の住人に引き取って貰うかになる」
マインラートは訊ねたフュルに答えた。確かにそうなるだろう。
「それとも何処かに知り合いは居るかい?」
「解らない」
ヨアヒムが首を横に振る。孤児院に居た時、二人を訪ねて来た者は居なかった。
「マインラート」
「ん? 何だい、エリアス」
騎士服の裾を引っ張ってきたエリアスに、マインラートが顔を向ける。
「毛色がヘア・ゲルトに似てるかなって」
「そう言えば……」
領主館の騎士隊に所属するゲルトの毛色も青黒毛だった。人狼は同じ毛色や近い色合いの場合、同族や同じ集落といった近い血族の可能性がある。
「紙と書く物をくれ。ヘア・ゲルトに問い合わせる」
直ぐ様マインラートはゲルト宛に精霊便を送った。
騎士団と騎士隊は同じ組織ではなく、騎士団はリグハーヴス公爵領で、騎士隊はリグハーヴス公爵家で雇用されている。
騎士団は街を守り、騎士隊は領主館を守るのだ。ちなみにリグハーヴスにある各村には、定住した引退冒険者達が自警団を作っている。自警団とはいえ冒険者ギルドに加入しているのが条件となっており、領主の委託として村の警備をしている。
ゲルトには騎士団に来てくれるように頼み、マインラート達は騎士団に移動した。門衛小屋だと手狭だったからだ。
騎士団の応接室で待っていたのだが、それほど経たずにゲルトが現れた。番のイグナーツも一緒で、二人は南方コボルトのクヌートとクーデルカを抱いていた。藍色の鱗を持つ極東竜のピゼンデルは、イグナーツの襟元から幼い顔を出している。
「〈転移〉で来たのか?」
「ああ。クヌートとクーデルカが遊びに来ていたから頼んだ」
「おはよー」
「おはよー」
南方コボルト兄弟が右前肢を挙げた。この二人は「知り合いの居る場所なら良い」と主に言われているのか、リグハーヴスの街の中なら何処でも一緒に遊びに行く。
「手紙にも書いたが、青黒毛の人狼の子供に心当たりはないか?」
「ある」
短く答え、ゲルトはフュルとヨアヒムをじっと見詰めた。コボルト兄弟に目を奪われていた二人が、ソファーの上でピシリと固まる。
ゲルトは基本的に余り表情が変わらない。尻尾のある人狼だけに、機嫌が良いと尻尾が揺れるのだが。
「俺の従姉の子だろう。双子を産んだと聞いている。だが従姉が産後に流行り病で亡くなった後、平原族の夫が双子を連れて何処かに行ったまま連絡が途絶えた。まさか孤児院に預けっぱなしにしているとはな」
不機嫌そうにゲルトの太く立派な尻尾が勢い良くピシリと空を打つ。
「父親の名前は解るのか? 職業は?」
「職業は騎士だ。名前はこれだ」
ゲルトは二つ折りにした紙切れを、マインラートに渡す。名前を口に出すのも嫌だったらしい。人狼は同族同士の繋がりが深い種族だ。子供を放置した男が気にいらないのだろう。
しかし、騎士であるならば騎士として就職しただろう。準貴族と言う地位を捨てるとは思えない。
「フィッツェンドルフで職を得たのなら、マティアスが知っているかもしれないな。エリアス、聞いてきてくれないか」
「はい」
エリアスは紙を持って、応接室を出ていった。
マティアスはフィッツェンドルフの騎士だったが、先日リグハーヴス騎士団に移籍している。まだ研修中なので、今は建物内にいるのだ。
「下りるか?」
エリアスを待つ間、ゲルトとイグナーツはクヌートとクーデルカを床に下ろしてやった。とてててと、双子のコボルトがフュルとヨアヒムの前に走っていく。
「そっくり」
「そっくり」
自分達もそっくりな癖に、フュルとヨアヒムを見て二人は裏側が白い黒褐色の巻き尻尾を振った。
「そっちもそっくり」
「一人耳の先白いけど」
言い返したフュルとヨアヒムに、南方コボルト兄弟は笑顔を見せた。
「耳の先が白いのがクーデルカだよ」
「黒いのはクヌートだよ」
フュルとヨアヒムにお互いを説明して、クヌートとクーデルカは二人の座るソファーによじ登った。フュルとヨアヒムを挟むように両側に座る。
「クヌートとクーデルカは魔法使いだよ。クヌートの主が騎士隊のディルクとリーンハルト」
「クーデルカの主が魔法使いのヨルンだよ。飴食べる?」
クーデルカが〈時空鞄〉から、水色に白い粒々の入った棒つき飴を取り出す。
「ラムネ味。ヒロとラルスが作ったやつ」
「美味しいよ」
フュルとヨアヒムに一本ずつ渡し、自分達も飴を口に入れる。
「相変わらずおやつを持っているんですね」
笑いながらイグナーツが言うと「コボルトは森の中に住んでるから、迷った時の為に持ってる」とクヌートが答えた。しかし、コボルトはほぼ森に迷わないので、常に食料を持ち歩くのは、種族的習性なのかもしれない。
「ピゼンデルは離乳食だよね。琥珀糖あげる」
〈時空鞄〉から蝋紙の小袋を取り出し、クーデルカがイグナーツに差し出す。
「有難うございます」
イグナーツが受け取った小袋の中には、水色の菓子が入っていた。一センチ程の厚さで、正方形に整えてある。
「ヒロに作り方教えて貰ったの。それもラムネ味。甘くて少し酸っぱいよ」
「今日の恵みに」
試しに一つを齧ってみたイグナーツだが、爽やかな味がした。表面は乾いているが、内側は透明で固いゼリーのようだ。これならピゼンデルでも食べられる。
「はい、ゲルト。ピィも」
イグナーツはゲルトに一つ渡し、襟元に居るピゼンデルにも差し出す。ピゼンデルはイグナーツやゲルトの襟元に居る事が多いのだ。他の竜種と違い極東竜は翼が無いからだろう。
─今日の恵みにっ。
ピゼンデルは前肢で琥珀糖を持って齧りついた。まだ短い髭がピピピッと震える。
─かかさま、美味しい。
「……美味い」
ぼそりとゲルトも呟く。ゲルトとピゼンデルは嗜好が似ている。今度孝宏に作り方を聞こうとイグナーツは決めた。
「マインラートとエリアスにもあげる」
クーデルカはマインラートにも琥珀糖の紙袋を渡してソファーに戻る。お菓子を配るのは、クーデルカの習性のようなものである。
「ただいま」とエリアスがドアを開けて戻って来た。
「ヘア・マティアスに教えて貰って来た」と紙をマインラートに渡す。マインラートは返事が書いてあるらしき紙面を見て、僅かに身体から冷気を漏らした。
不機嫌になる事が書いてあったらしい。
「知っていたのか?」
ゲルトに促され、マインラートが渋々と言った風に口を開いた。
「マティアスが知っているその男は、ハイエルンから移籍した後に現領主の妹と結婚したそうだ。子供がいたとは知られていないらしい」
「孤児院に預けられた子供の親権が無効になるのは何年だ?」
「一度も連絡がなく五年が経てば、実の親の許可がなくとも養子縁組が出来る」
「フュル、ヨアヒム。一度でも父親から連絡はあったか?」
ゲルトに問われ、二人は慌てて口から棒付き飴を出した。
「な、ないよ」
「あったら司祭様が教えてくれた筈だから」
舌打ちしたゲルトにフュルとヨアヒムがびくつく。だが、ゲルトの苛立ちは二人に向けた物では無かった。
「孤児院に預けるのなら、何故血族に知らせなかったのだ、あの男は。まあいい、既にあちらに親権がないのであればこちらで貰う。良いか? イグナーツ」
「僕が育てて良いのか解りませんが……」
イグナーツは領主の虜囚であり、リグハーヴスからは出られない。ゲルトは番であるが監視者でもあるのだ。
「問題ない」
「そうだな。リグハーヴスで一番近い血族がゲルトである以上、問題にはならない筈だ。却ってゲルトの養子にしない方が面倒な事になるだろう」
素っ気無く答えたゲルトにマインラートも同意する。
人狼は平原族に比べると身体能力が高い。集団の中に人狼が居ると居ないとでは、戦闘力に大きな開きが出ると言われるのだ。リグハーヴスに来た人狼を合法的に移住させられるのに、リグハーヴス公爵が否を唱えるとは到底思えない。フュルとヨアヒムの価値にフィッツェンドルフが気付く前に、ゲルトと養子縁組をするべきだろう。イグナーツの番であるゲルトは、リグハーヴスから出ないのだから。
「それにイグナーツはピゼンデルを育てているのだから、今更だと思うぞ」
「あ」
マインラートに指摘され、イグナーツが呆気にとられた顔になった。そこは自覚していなかったらしい。
ゲルトはフュルとヨアヒムの前に立つと、屈んで二人の頭を両手で撫でた。
「今日から俺とイグナーツがお前達の親だ」
「……」
「……」
飴を咥えたまま固まる二人に、両脇に居るクヌートとクーデルカが明るい声を上げる。
「じゃあ一緒に遊べるねー」
「イグナーツ、料理上手だよー」
数秒後、きゃっきゃとはしゃぐコボルト二人の声に重なって、フュルとヨアヒムの驚きの叫びが応接室に響いたのだった。
養子縁組の手続きは教会で行う。騎士団から教会に行き、ゲルトとイグナーツはフュルとヨアヒムとの養子縁組手続きを行った。
書類での届け出の後、司祭ベネディクトの〈祝福〉の祈りを受けると、宙からきらきらと銀色の光が降り注いだ。月の女神シルヴァーナの〈祝福〉だ。つまり、この養子縁組は女神シルヴァーナの認定の下行われたのであり、当人達の希望以外では解消出来なくなる。
手続きをしてくれたベネディクトに礼を告げ、布施箱に心付けを入れて教会を出る。
「あの……」
フュルは手を繋いだゲルトを見上げた。精悍なゲルトだが、子供と手を繋ぐ優しさがあるようでほっとする。自分とよく似た毛色の人狼は、ヨアヒム以外では初めて見たのでドキドキする。ヨアヒムはイグナーツと手を繋いでいた。コボルト兄弟はフュル達の数歩前で手を繋いで歩いている。仲良しだ。
「どうした?」
「二人の事なんて呼べば良いの?」
「ピゼンデルは俺をととさま、イグナーツをかかさまと呼ぶな。ピゼンデルは俺達が孵したから、お前達の兄弟だな」
フュルとヨアヒムは竜が兄弟になるなんて思ってもみなかった。それをゲルトが真顔で言うのも意外だった。
人狼は番とそれに連なる子供をとても大切にする種族なのだが、大人の人狼と暮らしていなかった二人はその習性を知識として知らなかったのだ。
少なからず血の繋がっている従姉の子であるフュルとヨアヒムを、ゲルトが可愛がらない理由はなかった。イグナーツが彼らを受け入れたのなら尚更だ。
良くも悪くも、人狼は番が中心で物事が回っているのである。
人狼親子がのんびりと歩いて領主館への帰路についた頃、アルフォンス・リグハーヴスは一足先に騎士団長マインラートと司祭ベネディクトから精霊便を受け取っていた。
「クラウス、予想外の移住者が来た。しかも人狼だ」
「合法的に手に入れられそうですか? 御前」
「ああ、リグハーヴスが手に入れた。ゲルトの血縁で養子縁組をしたそうだ。フィッツェンドルフめ、孤児を捨てやがったか」
いつになく荒い言葉遣いでアルフォンスが吐き捨てた。
親権が無効となった孤児達を他の領へと放置した気配があるとのマインラートの報告に、奥歯を噛み締める。身寄りのない孤児は成年までは孤児院で保護するべきだ。教会の資金が足りなければ、子供達が三食食べられる程度の金は、最低限領主が寄付するものだとアルフォンスは考えている。
リグハーヴスの住人は、信仰に篤い方だ。なにしろ女神様の思し召しである〈異界渡り〉や妖精達が暮らし、司祭が祈れば〈祝福〉の光が降り注ぐ。女神シルヴァーナの存在を感じられる環境なのも大きいだろう。
その為、教会孤児院への寄付も金銭だけではなく、食料といった形でも行われている。街の子供達も教会孤児院の子供達と仲良く遊んでいる姿を見掛ける。
リグハーヴスの孤児は冒険者の遺児が殆どだ。だから冒険者達は彼らにそっと手を差し伸べる。そういう土台がある。
(リグハーヴスは恵まれているのかもしれないが──)
領主が罪の無い領民を遺棄するとは何事だ。
次の王宮会議は荒れるだろう。フィッツェンドルフが他領に〈木葉〉を入れているように、王もまた各領に〈木葉〉を入れているのだから。
ゲルトとイグナーツに家族が増えました。
フュルとヨアヒムはゲルトに結構似ています。クヌートとクーデルカと同じくらいの歳なので仲良くなります。
人狼は身体能力がとても高いです。隠密性や機動力なら暁の民も凄いのですが、筋力は人狼の方が上です。つまり、人狼と暁の民がつるむと最強……。
現在同盟関係にあるのは、リグハーヴスとヴァイツェア、<暁の旅団>です。