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メテオールとおばあちゃん

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

クルトは母親似です。


201メテオールとおばあちゃん


 黒森之國くろもりのくにでの移動手段として、速さを選ぶのであれば各地の魔法使いギルドを結ぶ〈転移陣〉だが、時間を問わないのであれば乗合馬車がある。

 乗合馬車は各領を結ぶものと、領内を回るものがある。リグハーヴスでも日に数本、領内を幾つかのルートで回る乗合馬車があり、領民に利用されている。

「アンネマリー、停留所に行ってくるよ」

「はい、気を付けて」

「クルト、どこ行くの?」

 クルトがアンネマリーに声を掛けて出掛けて行こうとするのに気付き、メテオールは読んでいた若草色の表紙の本を閉じてソファーから下りた。膝元に来たメテオールの頭を、クルトが撫でる。

「俺の母親が帰って来るから乗合馬車の停留所に迎えにいくんだよ。うちの近所のアパートに住んでいるんだけど、春から実家の手伝いに行ってたんだ」

 クルトの実家は街の囲壁いへきの外にある村の農家である。実家の農家はクルトの長兄と次兄が継いだ。父親はもう亡くなっていて、兄に代替わりする時に母親も実家を出てクルトの家の近くに引っ越して来たのだ。

 その母親がなぜ実家に行っていたかと言うと、長兄が種まきの時期に腰を悪くしたので、手伝いに行ったのだ。兄の腰が中々良くならず、夏のこの時期までずるずると引き止められていたのだった。

「漸く兄の腰が治ったらしくてね、昨日の夜に精霊便が来たんだよ」

 メテオールが寝室に上がった後で精霊便が来たらしい。

「母さんは荷物を持っている筈だから、メテオールも散歩がてら一緒に行くかい?」

「うん」

 メテオールは珍しい〈時空庫〉持ちのコボルトなので、荷物持ちは得意である。そして先日靴屋のオイゲンに柔らかい革靴を作って貰ったので、散歩も楽しいのだ。

 元々メテオールは裸足で歩いていたのだが、土の地面だったハイエルンの村と違い、リグハーヴスの街の中は石畳だ。夏の日差しで焼けた石畳の上では、肉球が火傷してしまう。

 オイゲンは今までにケットシーやコボルトの靴を既に作った経験があったので、メテオールの靴も二つ返事で作ってくれた。

 とはいえ、家の中やエンデュミオンの温室の中では裸足で過ごすメテオールだった。

 リグハーヴスの街を囲む囲壁には、騎士団の門衛が守り、朝に開き夜に閉まる門が東西南北にあるが、目的地の方角によって、停留所は南北に一つずつある。他領や南側の村に行くなら南門、南側以外の村に行くなら北門だ。クルトとメテオールは北門に向かって歩いた。

 クルトはほぼ毎日メテオールやグラッフェンを連れて散歩をしているので、街の住人は二人に軽く挨拶をして擦れ違っていく。

(リグハーヴスも随分妖精(フェアリー)に慣れたなあ)

 孝宏たかひろがエンデュミオンを連れてリグハーヴスに降りてから、次第に妖精が集まって来た。特に彼らが招いた訳ではないらしいのだが。

(ついにはうちにも二人居るしなあ)

「んっんー」と鼻歌を歌いながら目の前を歩いている小麦色の後頭部を見ながら、クルトは笑みを浮かべてしまう。

 途中の路地から市場マルクト広場に出て、北門へ向かう。〈地下迷宮ダンジョン〉が北部の〈黒き森〉にあるにもかかわらず、領内の北側に村が散在しているのは、遥か昔〈地下迷宮〉以外にも魔物が居て、それらを討伐していた冒険者たちの拠点の名残である。

 今では魔物は〈地下迷宮〉の中でのみ繁殖をしているが、いざとなればリグハーヴスは他領へ魔物を進行させない為の剣とならねばならない。現在も各村を拠点にしている冒険者は多いし、リグハーヴスの街も、冒険者の拠点となるべく作られた街である。

 街を作る時には、時の聖女を聖都シルヴィアナから招き念入りに聖別して貰ったと聞くが、クルトは今の方がこの街の防衛能力は高いのでないかと思っている。それぞれのあるじ憑きの妖精達が張り切って街を守るだろうからだ。

 はっきり言って、エンデュミオンとギルベルトだけで過剰防衛だろう。しかもエンデュミオンの木竜グリューネヴァルトは成龍だ。恐らく現在の黒森之國における、主持ちの竜の中では、最高齢の筈だ。竜は歳経るごとに強くなるらしい。つまり、最強だ。

 普段はエンデュミオンの頭の上であくびをしていようが、可愛らしく孝宏に木の実を貰って齧っていようが、エンデュミオンとグリューネヴァルトだけで王都は簡単に落とせるだろう。

 孝宏が〈異界渡り〉だと皆が薄々気付いていても、そしてそれを聖都が認定しても、王都も聖都も手を出してこないのは、触らぬ神に祟りなしを地で行くからである。

「まだ来ていないみたいだな」

 北門の内側には左右に小屋があり、片方が騎士団の門衛小屋で、片方が乗合馬車の待合小屋と馬房だ。待合小屋の前の停留場には、まだ馬車の姿がなかった。

 日中は暑くなるから朝一番の便に乗ると精霊便に書いてあったが、リグハーヴスの街を出た馬車があちらこちらの村を経由して戻ってくるので、街に到着するのは昼近くになる事が多い。

「馬車が来たぞー」

 門衛の騎士が馬車が来た事を教えてくれた。クルトとメテオールは小屋の日陰に入って馬車を待つ。

 暫くしてガラガラと車輪の音を立てて、幌付きの乗合馬車がやって来て停留所に止まった。御者台から馭者が一人下りて、客の乗った荷台の出入り口である後部に踏み台を置き、客に手を貸しながら下ろして行く。

 荷台から痩せて背の高い婦人が下りたのを見て、クルトは日陰から出た。

「母さん」

 声を掛けられ顔を向けたのは、クルトの母親のエーリカだ。クリーム色を帯びた柔らかい栗色の髪を、木工細工の簪一本で後頭部にまとめ上げていて、とても薄く澄んだ灰色の瞳をしている。

「あら、迎えに来てくれたの?」

「荷物多そうだと思って」

「うふふ、野菜貰ってきちゃった」

 一般的な黒森之國の平原族の女性よりは高めの身長のエーリカは、旅行鞄の他に、大きな麻袋を持っていた。中から夏野菜が覗いている。農家の嫁だったエーリカはすらりとした見かけによらず、結構な力持ちだった。

「メテオール、しまえる?」

「うん」

 メテオールは〈時空庫〉を開き、旅行鞄と麻袋をしまった。

有難う(ダンケ)。この子がクルトのコボルト?」

「メテオール!」

 しゅっとメテオールが右前肢を挙げる。エーリカはくるぶしまであるスカートが石畳に付くのも構わずしゃがみ、右手を挙げてメテオールの前肢と掌を合わせた。

「エーリカよ。クルトの母親で、エッダとデニスのおばあちゃんよ。息子を宜しくね」

うん(ヤー)

 ふるふるとメテオールの尻尾が左右に揺れる。

「抱っこしてもいいかしら」

「メテオールが良いならね」

「いいよ」

 メテオールが了承したので、エーリカは小麦色のコボルトを抱きあげた。

「柔らかいけど確りしてるのね」

「そうだね、ケットシーのグラッフェンに比べると骨格がね」

 ケットシーにしろコボルトにしろ、抱き心地も温もりも人間の赤ん坊の様だ。安定した抱き方をされているので、メテオールも嫌がらずに大人しくエーリカの腕の中に納まっている。

「大兄さんの腰、どうなったの?」

「あの子の医者ドクトル嫌いにも困ったものよ。とっとと治して貰えばいいのに。駆り出されるこっちの身にもなってほしいわ。いい加減腹が立ったから、この間村に配達に来てくれたテオとルッツに〈治癒〉頼んじゃったわよ。あんたが治して貰わなくても、あたし街へ帰るわよって脅して」

「相変わらずなんだ……」

 クルトの長兄は子供の頃から病気や怪我で大騒ぎするのだ。エーリカいわく、後継ぎだったので父親や祖父母が甘やかしたせいらしい。次兄もそこそこ甘やかされたらしいが、三男のクルトは初めから後継ぎ候補から外れていたせいか、エーリカ以外に構って貰った覚えはない。何しろ、読み書きが出来るようになったらすぐに家具大工の徒弟に出されたのだし。

 エーリカは祖父母やクルトの父親が亡くなると、既に所帯も持った兄達のお守は御免だと財産を分与して、独立して開業したばかりのクルトの工房の近くへと越してきたのだった。

「そんな訳だから、途中で〈Langue(ラング) de() chat(シャ)〉寄って野菜少し置いて行くわね」

「はいはい」

 医師ドクトル魔女ウィッチ薬草魔女ヘクセの免許がないと、医療行為に治療代金は貰えない。〈治癒〉が出来る一般人や、妖精に治して貰った場合は対価となる物でお礼をするのが一般的だ。

 市場広場の一本内側の路地にある〈Langue de chat〉に寄って、カウンターに居た孝宏とエンデュミオンに理由を説明して、カボチャやトウモロコシ、玉葱に馬鈴薯を籠一つ分押し付け、おやつにクッキー(プレッツヒェン)を買って漸くクルト達は帰宅した。


「ただいま」

「お帰りなさい」

 居間に入ると、アンネマリーはデニスを抱っこしてあやしていた。エーリカはメテオールを抱いたまま、デニスの顔を覗き込む。

 デニスはエーリカをヘイゼルの瞳で見上げ、ふにゃりと笑った。

「まあ、可愛い事! お産で大変な時に手伝えなくてごめんなさいね、アンネマリー。身体はもう大丈夫なの?」

「ええ、薬草魔女のフラウ・ドロテーアとフラウ・ブリギッテが良くしてくれて。ヴァルブルガもお産の時に来てくれたんです。家事はクルトもエッダも手伝ってくれるので、助かります」

 養育を祖父母が主にしていた兄達と違い、クルトはエーリカが育てたので、家事を教え込まれたのである。

「エッダとグラウは〈ヴァイツェン(スフィアーツ)〉かい?」

「はい。そろそろ帰って来ますよ」

「母さん、今日はうちに泊まって行くだろう? 時々換気や掃除をしに、母さんのアパートの部屋に行ってたけど、明日ちゃんと掃除手伝いに行くよ」

 流石に昨日の夜の精霊便で帰宅を知らされても、満足に掃除を出来ない。

「そうだね、お世話になろうかね」

「お義母さん、いつもの客間を用意してありますから」

「有難うね。メテオールは部屋であたしの鞄を出してくれるかい?」

「うん」

 エーリカはメテオールを抱いたまま、居間の奥にある階段を上がり、二階にある客間に入った。落ち着いた小鹿色のベッドカバーが掛かったベッドの上に、革靴を脱がせたメテオールを乗せる。

「よいしょ」

 メテオールは〈時空庫〉を開いて、エーリカの艶やかに磨かれた赤茶色の四角い旅行鞄を引っ張りだした。ぽすんと旅行鞄がベッドカバーの掛かった上掛けを沈ませる。

「有難う、メテオール」

「うん」

「ふう」

 エーリカは旅行鞄の隣に腰を下ろした。朝から乗合馬車に揺られ続けるのは、やはり疲れる。

「エーリカ」

 メテオールがベッドカバーの上を歩いて、エーリカの隣に立つ。エーリカが座っているので、視線の高さが近い。くりくりとした鮮やかに青い瞳が、じっとエーリカを見ている。

「なあに?」

「エーリカは〈水晶眼すいしょうがん〉?」

「あら、気付いちゃった?」

「妖精なら、気付く」

「じゃあエンデュミオンも知っているのね」

「多分。でも知らないふりしてる」

 〈水晶眼〉は生まれつき〈先見さきみ〉の出来る瞳で、透き通った灰色の瞳をしている事が多い。

 〈水晶眼〉の持ち主は教会キァヒェに入り神職に就く者が殆どだ。聖都か大聖堂ドムに〈保護〉されるのだ。

 エーリカの場合は近い未来しか視えない事と、働き手である子供を取られるのを恐れた両親が、教会に報告しなかったので、野放しになっている。

 それに教会の務めは未婚者が行うので、既に結婚してしまったエーリカは、これからもお呼びはないだろう。

「あたしは近い事しか視えないんだよ」

 それに大抵は目の前の人の未来が視えるだけだ。臨月が近いアンネマリーを置いて、畑仕事を手伝いに行ったのも、彼女が無事に出産出来ると視えていたからだ。

「あたしの〈水晶眼〉は秘密だよ」

「秘密?」

「そう。でももしあたしの力が必要になった時は、遠慮なく言うんだよ」

「うん。普段は内緒?」

「内緒だねえ」

「解った」

 二人で口元に人差し指を当て、「しー」とやる。

「母さん、メテオール」

 トントンと階段を上がる音の後、開いたままの戸口にクルトが現れた。

「お茶にしないか?」

「クッキーも?」

「ああ、おやつにしよう」

「やった!」

 メテオールはベッドから腹這いで下り、床にあった自分の靴を〈時空庫〉にしまってから、クルトの脚に抱き着いた。

「ふふ、仲良しだねえ」

「なんて言えばいいのかな、傍に居て落ち着くんだよね」

 メテオールを脚にくっ付けたままで歩くクルトに、エーリカは吹き出してしまった。

「アンネマリーと恋人になった時にも同じこと言っていなかったかい? クルト」

「アンネマリーとは違う安心感なんだけどね。並んでソファーに座っていると、何故かアンネマリーに笑われる」

 それは同じ空気を二人が纏っているからなのだが、面白いのでエーリカは指摘しなかった。

「ただいまー」

「たらいまー」

 階下からエッダとグラッフェンの声が聞こえて来た。〈麦と剣〉の手伝いから帰って来たようだ。間も無く、グラッフェンのお誘いの声が二階まで届く。

「おとしゃーん、おばあちゃーん、めておー、おやちゅたべよー」

「早く下りないと、グラウが登って来そうだな。今行くよ!」

 クルトが苦笑して、グラッフェンに返事をする。

 グラッフェンが階段を一人で上り下りするのは、まだまだ危なっかしいのだ。

 エーリカがくくっと喉の奥で笑う。

「このうちも賑やかになったもんだねえ」

「そうだね。多分、妖精が憑いた人は皆そう言っているかも」

 妖精が憑いた者は、妖精を家族と認識する。大抵の妖精はグラッフェンのように無邪気でお喋りだ。北方コボルトの場合は寡黙だったりもするが、メテオールはそれなりに会話をする北方コボルトだった。

 流石にメテオールを脚に付けたまま階段を下りるのは危ないので抱き上げる。片腕で抱えられるほど、妖精は見かけよりは軽い。

「んっんー」

 鼻歌を歌うメテオールの巻き尻尾がパタパタとクルトの腕に当たる。シャツを掴む小さなメテオールの手は、大工仕事をするとは思えない大きさだ。これでも立派な職人なのだが。ネーポムクも彫刻を教えるのを楽しみにしている。

「妖精が増えると、楽しみも増えるねえ」

 先に立って階段を下りるクルトの耳に、エーリカの楽し気な呟きが聞こえた。


近所に住んでいるクルトのお母さんエーリカです。意外と若いです。

基本的には街暮らしなのですが、時々実家に手伝いに駆り出されています。優しくて力持ち。

クルトの実家は長男相続だったので、早いうちから徒弟に出されたクルトは母親以外とは疎遠です。


エンデュミオンはエーリカが〈水晶眼〉だと気付いていますが、街中にいるのだからと理由を察して黙っています。ちなみにギルベルトの眼も〈先見〉が出来ます。

灰色が多いけど、他の色の人でも〈水晶眼〉持ちは居ます。先天性のスキルの一つと言う感じ。

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