3章 無々篠甘瓜より
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「えっと、その、なんて言うか…………………………ごめんなさいでした」
表通りからは大分奥まったところにあり、夜ということも相まって人など誰一人いない路地裏で。
殺人鬼・無々篠甘瓜ちゃんは、深々と頭を下げていました。
ちなみに、今のあたしはあの殺人鬼の卵である彼女から貸してもらった羽織を一枚、素肌の上から羽織った姿。長着姿の彼女と比べると、まるでエロゲか何かの特殊なシチュエーションのようだ。嬉しくはない。
ただまあ……これだけは言っておこう。
フルヌードのまま話が続くと思った奴ら、世の中はそんなに甘くはないっ!
「まあ、いいよ。なんとか逃げ切れたし、そもそも服を破いちまったのはオレなんだしな」
そう言って、横に座っている殺人鬼の卵は、気恥ずかしそうに頬を掻いた。自分だって女の子なんだから、別に恥ずかしがることもないと思うのだけど…………いや、すっぽんぽんの姿を晒してしまったあたし本人は勿論恥じるよ? これで恥じらいを持たなきゃ、あたしは《人》とか《鬼》とか以前に、女性として色々失格だからね。別段、露出狂の人権を否定するような腹積もりはないけど。
閑話休題。
「んで、あんたは……あれだ、無々篠、とか名乗ってたな。念の為に訊いておくが、偽名、なんて興醒めな展開ではないよな? その冗談みたいに穿った名前になら、心当たりがない訳じゃないんだが」
「お生憎さま。あたしは正真正銘、本物にして真正の《無々篠》よ。……人を殺して街を練り歩くようなあなたなら、聞いたことがあるんじゃない?」
「言ったろ? 心当たりがあるって」彼女はくすくすと、可笑しそうに笑った。背丈は高いのに、座るとこうも頭が近くにあるという事実が、ちょっと悔しい。「《無々篠》……確か、生粋にして純血。遺伝によって、殺戮に特化した異能を強化し継承してきたっていう、代々続く殺人鬼の一族だよな? 生まれながらにして御し切れない殺意を内包した、人殺の鬼だって聞いたけど…………」
「けど?」
「いや、あんたを見ていると、どうにもイメージと違うなぁ、って思って」
「放っとけ!」
大きなお世話だよ、まったくっ!
ああそうだね確かにあたしは背が低いよ胸だってぺったんこだよ魅力なんて何一つないですよ女らしくだってないですよとてもじゃないけど殺人鬼なんて言葉から連想されるような淫靡で背徳的な雰囲気を持った大人の女性には見えませんね思えませんねだからどうしたあたしだって必死に生きてんだよコンプレックスをバネにしてさぁ!
そこのところを汲んでちょうだいよ!
「で、そういうあなたは何者なのよ。ナイフで肝臓刺しても死なないなんて、ある意味あたし以上の化物じゃない。さぞかし名のある無法者とお見受けしたけど?」
「そんな立派なものじゃねーよ。名前だって、あんたが一度も聞いたことがないような、ドマイナーな奴だ。っていうか、そもそもそういう世界に縁がないところの生まれだからな、オレは」
「? どういうこと?」
一応、さっき返してもらったナイフは、あたしの兄お手製の『その気になれば地球だって真っ二つにできるナイフ』なんだけど…………あれで刺されて死なないなんて、不死どころの話じゃないんだよね。試してみたけど、鉄くらいならチーズケーキを切るように、すぅ、と刃が通るくらいだし。
この娘、内臓がないのか?
「まずは名前からだ。オレは季師走睦月という。季節の季に、陰暦12月の異名で師走、それに同じく陰暦1月の異名で睦月――――季師走睦月だ」
「季師走、季師走…………季師走かぁ。確かに聞いたことがないなぁ」
「当たり前だ。言っただろうが、オレの生まれはあんたらの住む《裏の世界》じゃない、元々はれっきとした《表の世界》の住人なんだよ」
「ふぅん、そうなんだ」
彼女――――睦月の言う《裏の世界》とは、あたしの生家である《無々篠》などの、人間離れした魑魅魍魎が支配する、文字通りの《裏社会》だ。表には決して出てこない、しかし歴然として存在する、暴力と禁忌の楽園にして地獄。平穏な《表の世界》と対をなす、世界の暗部とも言うべき闇の巣窟。
そこの生まれでもないのに、純正殺人鬼であるあたしをああも簡単に殺してみせた?
いくらあたしがナイフ捌きを苦手としているといっても、やっぱりそれは異常だ。異常に過ぎる。本来ならあり得ない――――いや、あり得てはいけないことだ。
「あんたがそれを言うかよ」
呆れたように、睦月は呟いた。
そして、なにを思ったのか、おもむろに身に纏っている純白の長着を脱ぎ始めた。
って――――脱ぎ始めたっ!?
「ちょ、なにやってんのっ!? 破廉恥だよいきなり――――!」
「少し黙ってなよ、甘瓜。…………安心しろ、オレには他人に恥部を晒して喜ぶ趣味はないし――――晒して相手が欲情するような恥部も、持ち合わせちゃいない」
「…………?」
あたしは最初、その言葉を、単なる貧乳に対する謙遜だと思った。『そんなことを言われたらAAAカップのあたしなんてどうすりゃいいのよっ!』とか言い返そうとしたくらいだ。ちなみに同性から見た、ちょっと僻み混じりな意見…………あんまりさぁ、胸って大き過ぎると、不便だし痛いし、何よりちょっと気持ち悪く見えないか? あたし的には、Cカップ辺りが丁度よく思えるんだけど。
とかなんとか、そんな巫山戯た思考も、睦月の身体を見た瞬間に、全て吹き飛んだ。
長着を脱ぎ捨て、襦袢まで肌から引き剥がして、肌を晒した、その上半身。
その大半が、人間のものではなかった。
「え…………?」
首から右の乳房にかけて、人間の肌のように着色されたなにかが埋め込まれている。
左腕の肩から手首までは、肌色のなにかで代替されている。
あたしが刺した右の脇腹は、根こそぎそのなにかと入れ替えられている。
その他、語り尽くそうと思えばそれだけで夜が明けそうなほどに、彼女の全身は、なにかとしか言いようのない人工物で構成されていた。
本来の彼女の身体など、肉体など、3分の1も残ってはいない。
まるで、人造人間。
「な? 別に興奮なんかしなかったろ? おっぱいなんざ左半分しかねーんだぜ? なんなら股座も見てみるか?」
「い、いいよ、遠慮する…………」
「あっははは、真っ赤になっちまって。可愛いなぁ、甘瓜は」
けらけらと笑いながら、睦月は襦袢を着込んでいく。だが、あたしの方は笑えるような心理状態じゃなかった。
なんて言うか、その…………酷い。
この有様で、この状態で、尚彼女が生きているというその事実が、痛々しいほどに酷い。
死んでいて然るべき状態なのに、平然と、寧ろ可笑しそうに生きているのが、酷薄に思えた。
「ど、どうしたの……? それ……」
長着を羽織り、帯を矢張り左前にした状態で巻いている最中に、あたしは睦月に問いかけた。若干腰が引けていたのを見てか、睦月は悪戯小僧が浮かべるような無邪気な笑みを返して言う。
「今から、大体二年前のことかな。普通に街を歩いていたオレは、突然誰かに殺された」
「…………殺、された?」
「ああ。全身をこう、さっきのあんたみたいにバラバラにされて、殺された。まあ、あれほどじゃなかったけどな。でも、オレはどこでどう間違えたのか、奇跡的に生きていたんだよ、その殺人犯がどこかに行っちまった後でもな。で、そこにたまたま通りがかった変な医者に、助けてもらった」
「変な、医者?」
「ああ、発音がとにかくムカつく医者でさぁ。手術中、っていうか改造中に何度殺しちまおうって思ったことか。しかも、メスを握ったらそれを眺めてずっと笑っているし…………今思い出しても気持ちが悪いぜ」
「……そ、そう。大変、だね……」
そんな思い出話を持ち出されても、あたしは笑えない。
寧ろ、彼女をこんな身体にしたのがそんな剽軽な人物だったのだと知ってしまうと、ギャップでより気持ち悪くなってきてしまう。
「っと、話が逸れたな。そうそう、オレが殺されて、それから治されて、ってところだったっけ? いや、正確には直されて、なのかも知れねーけど」
「うん。もしかして睦月、それからずっと殺人旅行?」
「どれだけ物騒な旅行だよ…………。まあ、似たようなものではあるけどな」
睦月はそこで言葉を切り、まるで獣のような凶悪な笑みを浮かべた。
「オレの目的は、自分を殺した殺人野郎を殺すことだ」
「…………復讐、ってことかな?」
「ああ、顔もなにも覚えちゃいねーし、野郎だなんて銘打ってはいるものの、性別もはっきりしないんだけどな。文字通り当てもない旅だ。かれこれ一年半は経ったか」
「うわぁ…………大変だね」
「そういう甘瓜はどうなんだよ。あんたの方こそ、なんでふらふら歩き回ってんだ? なにか特別な目的でもあるのか? 生き別れた兄弟探しとか」
「わざわざ探してまで会いたいような兄弟はいないよ。あたしは7人兄弟の5番目なんだけど、兄も姉も妹も変人揃いで、会いたいだなんてこれっぽっちも思わないわ。両親が死んだ時だって、奇特にも顔を見せたのはあたしだけだったしね。うん、あたしってばいい娘」
「さり気無さの欠片もなく大っぴらに自分を褒めたな…………」
「兄弟全員が殺人鬼だからね、そういうのはしょうがないんだけど…………まあ、目的らしい目的なんかないかな、普段は」
「普段は?」
あたしが何気なく用いた一言に、睦月は目聡く反応した。
むむ、鋭いなこの娘。今のはあたしも口を滑らしたっていう責任はあるけれど。尤も、口は顔の中央より若干下の部分に固定されているので、滑りようもないどころかそもそも動かすこともできないのだけど。はい、屁理屈です。
昔から、無駄に口が達者な奴だと言われていたっけ……。
「普段は、っつーことは、今は何か目的があったのか? もしかして、このオレを殺すこととか?」
「なんでそんなことを思いついて、嬉しそうに舌なめずりして笑うのよ……。違うよ、あなたを殺そうとしたのは、なんて言うか、殺人鬼としての本能よ。端的に言っちゃえば、つい」
「つい、で人を殺そうとするなよ……って、殺人鬼に言うのも無闇な話か」
「それについては、さっきも言った通り謝るわよ。まあ、結果的に死ななかったんだし、オールオッケーってことで」
「世の中には結果オーライで済ませちゃいけねーこともあると思うんだけどなぁ……。しかし、オレを殺すことが目的じゃなかったなら、一体何を目論んでいやがったんだ? 国会議事堂にテロを仕掛けるにしては、いるところが田舎過ぎねーか?」
「いやいや、そこまでドでかいことは企んでいないから。……ちょっとした、つまらない小規模な復讐よ。睦月の事情とは比べ物にならないくらいに小さな、ちょっとした恨み辛みを晴らしに行こうと――――あたしなりの正義を、実行しに行こうかと、思っていただけ」
正義。
そう、正義だ。
殺人鬼のあたしが言うのも烏滸がましいかも知れないが、でも。
あたしの殺人は――――常に正義の、殺人だ。
「正義、ね。格好いい言葉だな、オレはなかなかに好きだぜ」
「ありがとう。……でも、準備してきた凶器も、あの時にバラバラだろうから、ちょっと今日中に実行っていうのは不可能かな」
「凶器?」
睦月が繰り返した言葉に、あたしはこくりと頷いた。
すると、睦月はなにやら、もぞもぞと身体をくねらせて、着物の中からなにかを取り出し始めた。あたしは着物の構造には疎いので、彼女がどこにどうそれらを隠し持っていたのか、全く理解できなかったのだが――――しかし、睦月が取り出したものは、永久にあたしから失われてしまったと思っていた物体たちだった。
「あ……それ……」
「あー、やっぱりあんたのか。バラバラになっちまった服は置いてきたけど、なんだかこれとかは大事なものみたいな気がしてな、持ってきてたんだ。あんたを運ぶついでにな」
睦月の手に握られているのは、いくつもの水風船だ。中にはなみなみと液体が詰まっていて、可愛らしく膨らんでいる。
だが、カラフルなその外見に似合わず、中に入っているのは、水なんて優しいものじゃない。
「なあ、これって何が入っているんだ? 変な臭いがするんだけど」
「……気をつけた方がいいよ。それ、中に入っているのはガソリンだから」
はいぃ!?
頓狂な悲鳴を上げて、睦月はガソリン入りの水風船を危うく落としそうになった。なんとか両手でキャッチしたからいいものを…………本当、気をつけてよ?
ガソリンって、高いんだからね?
「が、ガソリンってあんた、なにをするつもりだったんだよこれで!」
「? ガソリンなんだから、そりゃ放火に決まっているでしょう」
「決まってねぇよっ! っつーか決まっていて堪るかっ! ガソリンっていったらあれだろう! こう、車を走らせる燃料とかさぁ!」
「あたしは車を持ってないからね。妹は葬式にも来なかった癖に、ちゃっかりバイクだけ掻っ攫っていったけど」
「いやしかしあんた放火って……小さいとか言ってたけど、もしかしなくても相当腹に据えかねているよなぁ? その恨み辛みとやらを」
「まあね。小さいのは本当だけど」
言いながら、あたしは今日の昼頃に起きた、あの呪うべき忌まわしい出来事を思い出していた。本当なら未来永劫思い出したくなかったのだが、しかしことここまで至れば仕方あるまい。引っ張りに引っ張っておいて、なにも種明かしをせずにシリーズ終了など、読者を裏切る行為以外の何物でもない。これが小説ではなく現実である以上、そんな気遣いは無用かも知れないが。
きっかけは、本当に些細なことだった。
あたしは、特に目的もなく、ただテキトーに『お腹が空いたなぁ、マックにでも行こうかなぁ』などと考えて、ふらふらと街を彷徨っていた。今は睦月に切り裂かれて、跡形もなくなってしまったあの服装のまま、ガソリン入りの水風船などという物騒な代物も所持してはいない状態で、通行人の波に紛れていた。兄からの贈り物(という名の押し付け)であるナイフだけは隠し持っていたが、使うつもりなど毛頭なかった。
そんな人ゴミの中。
あたしの肩と、青年の腕とが、軽く触れ合った。
幼児体型とまでは言わないけれど、それでもあまり背の高くないあたしのこと、他人があたしの存在に気付かずにぶつかってくることは最早日常茶飯事だった。
だから、その時も気にせずに通り過ぎようとした。
ところが――
『おいこらぁっ! 待てやそこのクソガキィ!』
――ぶつかってきた青年の方が、時代錯誤な感を否めない巻き舌で、あたしのことを呼び止めたのだ。
別にここで素直に立ち止まる理由もなかったし、わざわざ振り返るような義理もなかったのだが、大声で呼びかけられてびっくりしたのか、あたしは不覚にも、彼のいる方向へ振り返ってしまったのだ。
そして、その瞬間。
『――――っ!?』
腹部に、強い衝撃を覚えた。
蹴られた――――その事実に気付いたのは、アスファルトの地面に強か打ちつけられてから、五秒ほど経ってからだったと思う。あまりに突然の出来事に、脳が付いていけなかったのだ。
『人にぶつかっといてごめんなさいの一言もねーのかよっ! けっ! 躾のなってねぇガキだな、屑がっ!』
そんな台詞を吐き捨てて。
男は、あたしの元から去っていった。
残されたあたしが味わったのは、内臓が全て反転したかのような嘔吐感と、骨が砕けて肉と混じり合ったのではないかというくらいの激痛。
そして、激しい憎悪の念。
あの時、あたしは復讐を誓ったのだ。
あのような存在は、この上なく分かりやすい『悪』だ。きっとあの男は、あたしが殺人鬼であろうとなかろうと、いやそれ以前にあたしであろうとなかろうと、誰にでも分け隔てなく平等に――――不平等極まりない暴力を振るうだろう。
そんな害虫を、生かしておくなどできる筈がない。
毒を食らわば皿まで、雑草を引き抜くなら根まで。
彼には、正義の鉄槌が相応しい。
「――――成程ねぇ、そういう訳か」
あたしの話を聞き終えて、睦月は納得したように何回も頷いた。それから、あたしの剥き出しのお腹に手を当てて、優しく撫でてくれた。
「もう、痛くはないのか? 大丈夫か?」
「へ、平気だよ…………っ、む、睦月、ダメっ、ちょ、擽ったいってば!」
「ん、ああ、悪い悪い」
へらへらと笑いながら、手を離す睦月。
だが、ただ笑っているだけではない。その笑顔の下には、ギラギラとした殺意の炎が燃え盛っているのが見て取れた。
怒って、いるのか?
それとも、興奮しているのか?
「その男っつーのは、あれか、女の子の腹を思いっ切り蹴飛ばしたんだよなぁ?」
「え? あ、う、うん、そうだけど……」
声の調子が、変わった。
肉食獣の醸し出すような獰猛な、凶暴な雰囲気を纏って、睦月は立ち上がる。
「そいつは許せねーなぁ。女っつーのは子供産むんだぜ? そのやや子を宿す大事な腹をぶち蹴るたぁ、鬼畜の仕業に違いねぇ。ズタズタに切り刻むだけじゃ飽き足りねぇなぁ」
「む、睦月……?」
「よし、決めた」
腰のホルスターからナイフを引き抜き、獲物を見つけた捕食者の目をした睦月が、あたしの手を取った。
「その復讐、手伝ってやるよ。甘瓜」
「て、手伝うって…………」
「放火なんて物騒なことを考えているくらいだ、どうせその男の家族だったり何だったりも根絶やしにする気だったんだろ? だったら、オレにも丁度いい。好都合過ぎて泣けてくる。最近はあんまり人を殺してなかったんでな、腕が落ちてやしないか不安で不安でしょうがないんだよ。確認するには、やっぱり生きている人間を切り刻むのが最良だ。それに、万が一腕が落ちていたとしたって、それで練習ができるからな」
「…………さっきの許せない云々って、もしかして建前?」
「半分はな。半分は本音」
「半分…………」
「あんたはオレのことを面白いって思ってんだろ? オレも同じさ。あんたと一緒にいるのは、面白い」
だから。
ゆっくりとあたしのことを立ち上がらせながら、睦月は口調に似合わない、女の子らしい大きな目でぱちりとウィンクした。
「オレと一緒に、面白い事やらかそーぜ」