2章 季師走睦月より
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「はぁ~あ…………まあ、こんなものか」
特別な意図の絡まない、謂わば惰性で行っているナイフの血振るいを済ませて、オレはその短い刃を、腰のホルスターに仕舞い込んだ。
剣閃は全部で38、所要時間は0.7秒、血振るいまで含めれば、殺人にかかった時間は2.58秒といったところか。腕が鈍っている、というほどでもないが、しかし若干スピードと精度が落ちているのは事実だ。
少なくとも今の殺人においては、標的にナイフが掠りもしなかった攻撃が3回もあったし、狙いを外した攻撃は全体の半分近くにもなる17回にも上る。本当なら口も真一文字に切り裂く筈だったのに、上唇を半分ほど切り裂いただけで終わってしまっている。それに、何回か骨に当たったような硬い感触もあった。あのような無様な殺人を繰り返していたら、その内ナイフがダメになってしまう。替えが利かない訳ではないけれど、手にしっくりと馴染む得物になるまでは大分時間がかかる。その間に、今以上に腕が落ちてしまってもいやだ。
最近はあまり、人を殺していなかったからなぁ。
腕が落ちるのも、道理ということか。
「……にしても、こいつ、何者だ? いきなり刺してきやがって、驚いたぞ」
言いながら、脇腹に刺さったナイフを片手で引き抜いてみる。
しげしげと、注意深く観察してみるが、特に変わった様子はない。オレの持っているものと何も変わることのない、普通の、一般的なナイフだ。特異点を述べるとしたら、まあ少し大振りではあるということと、あとは――――。
「オレの身体を、ああも易々と貫いたっていう事実、か。おっかしいなぁ、一体全体どうなっていやがんだ?」
あと数センチ左にずれていたのなら話は別だったが、しかしこと今回刺された箇所に限っては、絶対に刺し貫かれることなどあり得ない場所なのだが…………。
機能が落ちたのか?
半永久的に、メンテナンス不要で大丈夫だって触れ込みだったと思うんだが……この部品は。
「……まあ、なんにしても、後で着物の穴だけは繕っとかねーとな。ただでさえ、白い着流しの左前ってだけで変な目で見られるんだ。腕を上げる為の殺人ならウェルカムだが、ウザったい衆目を潰す為の、無意味な殺人ならごめんだぜ。刃が錆び切っちまう」
溜め息を吐きながら、その場から離れようと足を踏み出した、刹那。
――――…………ぴちゃり……
「…………?」
音が、聞こえた。
まるで、水溜りの中から泥かなにかが意思を持って這い出ようとしているかのような、気持ちの悪い音が。
「…………なんだ?」
振り返ってみても、そこには誰もいない。今し方殺した少女の死体が転がっているだけだ。
少女の、死体が。
死体、が…………?
「…………あれ?」
違和感。
あるべきものがないような、欠落感。
死体と隣り合わせで存在していて然るべきものが欠如している、そんな不安感がオレに襲いかかってきた。
バラッバラにばらした死体は、夜の闇で真っ黒に染まっていた。
真っ黒に。
そう――――黒一色に。
「…………おい、いくらなんでもおかし過ぎねーか? これは、ちょっとあり得ないだろ」
そうだ、あり得ない。
こんなことは起こり得ない。
あれだけ、全身をバラバラに切り刻まれといて。
皮膚も肉も血管も神経も骨も切り裂かれといて。
血が一滴も出ていないなんて、あり得る筈がない。
「どういうことだ? 一体…………」
人体を切り裂いたところで、必ずしも血が出るとは限らない。血管のないところを縫うように切れば血は出ないし、例えそうでなくても、達人に切られたものは、切られたというその事実にすら気付かないことさえあるという。だが、オレは血管の有無などいちいち気にはしないし、達人などと呼べるほどに腕が立つ訳でもない。今も確認した通り、腕が鈍って困っていたところだ。
なのに、何故この死体からは一滴も血が出ていない?
切り裂いた感触なら、確かに残っているのに。
「…………お前、一体何者だよ」
答えなんてある筈がないのに、オレはそう問いかけた。
死体に向かって。
少女の、バラバラ死体に向かって。
「…………うーん、やっぱり面白いや、あんたは」
「――――っ!?」
果たして、少女からの返事は、あった。
三分割された頭部の、唇が艶めかしく動いたのだ。喉とも綺麗に寸断されているというのに、声帯を稼働させて声まで発した。
死んでいない。
ここまでバラバラに、無惨に破壊されていながら、欠片も死んではいない。
血液すら、流してはいない。
「……お前」
「ちょっとちょっとストップ。いきなりそう殺気立たないでよ、出会ってもいない時分に刺し殺そうとしたのは謝るからさ」
ナイフの柄に手をかけたオレに、少女の死体は――いや、バラバラになった生体は――巫山戯たようにそう声をかけてきた。目許の部位と口許の部位だけで判断するなら、どうやら彼女は笑っているようだ。なにが可笑しいのか、へらへらと笑っている。
殺された癖に、笑っている。
バラバラにされたのに、笑っている。
背筋が凍るどころの話じゃ、なかった。
「うふ、うふふふふふふ、なかなかいないんだよね…………ここまで面白い奴っていうのはさ。自分の兄弟以外でこんな面白い人間を、あたしは今日、生まれて初めて見たよ。殺人鬼というにはまだ真っ当だけど、殺人狂にしてはいやに冷静…………殺人中毒とか殺人依存症っていうのとも違いそうだし……う~ん、分類が難しいよ。だからこそ面白いんだけどさ」
面白い。
その言葉を何回も繰り返しながら、少しずつ少しずつ、少女のバラバラになった体は蠢いていた。
ぐちゅりぐちゅり、と。
ぶちゅりぶちゅり、と。
肉塊が虫のように這い動いて、互いの切断面に吸い付いていく。
まるで、再生でも行うかのように。
バラバラになった身体を、組み直しているかのように。
「…………っ!」
「逃げないでよ。大丈夫、そんなにえげつなくて気持ちの悪いものじゃないよ。あたしは生まれつきこうなんだ。切られようが殴られようがこうやってバラバラにされようが死なないし、こんな風に自動的に治っていく――――まあ、俗に言うところの不死身の身体だよ」
台詞の合間にも、少女の身体は次々にくっ付いて、元通りになっていく。
切断面は綺麗に重なり合い、まるであの斬撃がなかったかのように、白い肌からは傷跡が消えていく。
手も、足も、胸も、腹も、首も、顔も、頭も。
切り裂かれた筈の血管も、切り刻まれた筈の肉も、傷だらけになった筈の骨も、所々から食み出ていた筈の臓器も。
残さず、元通りになっていく。
まるで、オレの殺人を逆再生で見ているみたいだ。
はっきり言って――――気持ち悪い。
だが、それ以上に、蠱惑的だった。
内から沸き起こる、ゾクゾクとした興奮を抑えるように身震いをしながら、オレは、彼女が直っていくのを、黙ってじっと見ていた。
ナイフを構えることさえ忘れて。
ただただ、魅入っていた。
やがて、再生が終了する。
「…………うふふ、自己紹介がまだだったよね、殺人鬼の卵さん」
彼女は、不敵な笑みを浮かべたまま、仁王立ちをしていた。
完全に直ったその身体を誇らしげに見せつけるように、胸の前で腕組みをして。
ニヤニヤと笑いながら、彼女は言う。
「あたしの名前は無々篠甘瓜|。生粋にして純血の殺人鬼よ――――よろしくね」
「……………………」
少女――――甘瓜が名乗りを上げた後も、オレは少しの間、何も言えなかった。さっきまでオレを蝕むように支配していた興奮とは全く違う理由で、茫然と立ち尽くすことしかできなかったのだ。
「…………? どうしたのよ? そんな変な目ぇしちゃって」
「いや…………その、目のやり場に困るっつーか……」
「? 目の、やり場? …………――――っ!?」
オレの言葉で、甘瓜はようやく異変に気付いたらしく、慌てて自分の身体を見回し始めた。というか、撫で回し始めたというか、とにかく己の矮躯がどのような状態にあるのか、まるで現実を否定しようとでもしているかのように、執拗に何度も入念にチェックをしていた。
そして、ようやく現状を自覚した甘瓜は――――
「きっ、きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
叫んだ。
ここが住宅街だというのも忘れて、大声で叫びを上げた。
無理もないだろう、ズタズタに切り裂かれた肉片から再構成された彼女は――――一糸纏わぬ裸体、要するに素っ裸だったのだから。
誇らしげに組まれていた両手が一気に胸や足の付け根を覆い、甘瓜は慌ててしゃがみ込んだ。
「な、なんで? なんであたし、裸な訳? おかしいよっ! こんなの絶対におかしいって!」
「と、取り敢えず静かにしろよ、えっと、甘瓜、さん? いくら夜っつったって、ここは住宅街だぜ? 警察でも呼ばれたら厄介――――」
「え? やだ、なんで、ちょ、いやいやいやいや、いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「っ、だーっもう面倒くせぇなこいつっ! いきなりなんなんだっつーんだよ一体全体っ!」
オレは取り敢えず、半狂乱になって叫ぶ甘瓜を抱えて、その場から一目散に逃げ去った。
数秒後、遠くから聞こえてきたパトカーのサイレンが、何を目的に集まったものかなんて、考えるまでもなかった。




