第5話 患者をみろ
「救命するぞ。」
病室の空気が変わった。
神官たちは顔を見合わせる。
だが誰も動かない。
神崎は額を押さえた。
「……。」
嫌な予感しかしない。
「水を持ってこい。」
神官たちは固まったままだ。
フィリウスが恐る恐る尋ねた。
「神崎殿。」
「あ?」
「水で治るのですか?」
神崎はゆっくり顔を上げた。
「治らん。」
「ではなぜ。」
「死ぬからだ。」
病室が静まり返った。
神崎はリナを見る。
乾いた唇。
肌の張りの低下。
速い脈。
荒い呼吸。
痩せた身体。
典型的な脱水だった。
「人間はな。」
神崎は立ち上がる。
「水がなきゃ死ぬ。」
「……。」
「魔法とか神とか関係ない。」
「まずは、生きるための材料を入れる。」
「話はそれからだ。」
神崎にとっては当たり前の話だった。
だが神官たちにとっては違う。
病を治すのは神聖魔法。
そう信じてきたからだ。
「いいから持ってこい。」
神官たちは慌てて走り出した。
数分後。
桶いっぱいの水が運ばれてくる。
神崎は確認する。
濁ってはいない。
最低限飲めそうだ。
「スプーンは。」
「あります。」
「持ってこい。」
神官が再び走る。
フィリウスが不思議そうに見ていた。
「神崎殿。」
「何だ。」
「神聖魔法は使わないのですか?」
神崎は即答した。
「使えない。」
「……。」
「俺は看護師だ。」
「勇者じゃない。」
そう言ってリナの身体を少し起こす。
呼吸を観察する。
まだ苦しい。
だが意識はある。
「リナ。」
少女の瞼が僅かに動く。
「……。」
「聞こえるか。」
弱いが反応は帰ってくる。
神崎は少しだけ安堵した。
「飲めるなら飲め。」
スプーンで少量の水を口元へ運ぶ。
神官たちが息を呑む。
リナの喉が動いた。
ごくり。
飲んだ。
神崎の目が細くなる。
「よし。」
フィリウスが目を見開いた。
「飲みました……!」
「当たり前だろ。」
神崎は淡々と答える。
「喉が渇いてたんだよ。」
そして再び脈を取る。
速い。
だが先ほどより少しだけ落ち着いている。
神崎は小さく頷いた。
「反応は悪くない。」
エルドが驚いた顔をする。
「それだけで分かるのですか?」
その時だった。
後ろにいた神官の一人が口を開く。
「やはり神聖魔法のおかげで――」
「患者をみろよ。」
病室が静まり返った。
神官たちが目を見開く。
神崎はリナから視線を離さない。
「え?」
「空見て祈ってる暇があるなら、患者をみろ。」
神官たちは言葉を失った。
病室の空気が重くなる。
フィリウスは言葉を失っていた。
神崎は続ける。
「病気を治すんじゃない。」
「患者を助けるんだ。」
誰も反論できなかった。
神崎は再びリナへ視線を落とす。
乾いた唇。
痩せた頬。
苦しそうな呼吸。
今も少女は戦っている。
神崎が見ているのは病名じゃない。
神でもない。
奇跡でもない。
目の前で苦しむ患者だった。
その時。
神崎の視界に青白い文字が浮かぶ。
【経口補水成功】
【脱水状態:改善傾向】
【推定死亡率:72%→68%】
神崎の眉が僅かに動いた。
下がった。
だが。
まだ高い。
安心できる数字じゃない。
「……。」
問題は別にある。
神崎はリナの胸へ視線を向けた。
呼吸が浅い。
時折苦しそうに咳き込む。
嫌な予感がした。
神崎はゆっくり身を屈める。
胸へ耳を近づけた。
神官たちがざわつく。
「な、何を……」
神崎は無視した。
呼吸音を聞く。
正確には分からない。
当たり前だ。
聴診器がない。
だが――。
「……。」
かすかに。
本当にかすかにだが。
湿った音が混じった気がした。
ぶつぶつと泡が弾けるような音。
水泡音。あるいは捻髪音か。
聴診器があれば確信できた。
だが今はない。
それでも。
神崎の経験が警鐘を鳴らしていた。
神崎の顔が険しくなる。
「最悪だな。」
フィリウスが息を呑む。
「神崎殿?」
神崎は立ち上がった。
そしてエルドを見る。
「聞きたいことがある。」
「何でしょう。」
「薬はあるか。」
エルドは首を傾げた。
「……薬?」
神崎は嫌な予感を覚えた。
「まさかとは思うが。」
「病は神聖魔法で治療します。」
「薬は?」
「ありません。」
神崎は天井を見上げた。
頭が痛い。
ものすごく痛い。
「終わってるな……。」
その瞬間だった。
視界に新しい文字が浮かぶ。
【固有スキル:《医療記録》】
【推奨処置を更新】
・経口補水
・安静
・抗菌薬投与
神崎の眉が動く。
「抗菌薬……?」
次の瞬間。
青白い文字が揺らいだ。
今まで見たことのない表示。
【固有スキル:《薬理魔術》】
【初回起動条件を満たしました】
神崎は目を見開く。
そして表示は続く。
【推奨薬剤候補】
・アモキシシリン
・セフトリアキソン
「……は?」
その表示を見ていたのは。
神崎だけだった。




