53_決裂と暗黒
舞踏会の日から、アシュレイは人気になった。
それはそうだろう。
優しく、美しく、素性を隠していた魔法救皇だ。誰もが興味を持って彼に話しかける。そしてアシュレイもそれに柔和に応えていた。
彼の周りにはいつも人がいた。
(……良い傾向だわ)
エリスのそばにいると、どんどん記憶を思い出してしまいかねない。
黒猫について覚えていたのが心配で、エリスはより一層、アシュレイの思考がエリスに向かないよう気をつけた。
アシュレイが周りへの対応に気を取られているうちに、敵をどうにかしてしまえばいいのだ。
「エリス、エリスさん、さっきの僕、変じゃなかった?」
「とてもよかったわよ。皇子様っぽかったわ」
中庭に面した外廊下を歩きながら、エリスがそう言うと、アシュレイは安堵の感情を出した。
ここ一週間ほど、エリスは積極的に社交の場にアシュレイを送り込んだ。
そして彼はいつもエリスに同席するよう頼んできた。別にエリスが助け舟を出さねばならないような場面など一度も無く、アシュレイの振る舞いも完璧なので、「むしろ私はお邪魔でしょ」と思って、時々こっそり抜け出しては、「どうしてどこかに行っちゃうの!?」とアシュレイに泣かれそうになっている。
(だって、私がいない方が、女の子と話せるはずだし……)
アシュレイが孤独じゃなくなるのは良いことだ。
(この調子で、アシュレイが私や両親のことを考えないようにしていれば――)
敵を倒せるまでの時間稼ぎだ。第一皇子の手配で兵士たちが捜索してくれているようだが、中々足取りがつかめていない。
(でも、生身の人間なんだから、どこかで綻びがみつかるはずよ)
そう目論見ながら歩いていると、中庭に辿り着き、アシュレイをまた別の茶会に送り出した。一緒にいてほしそうなのを気づかないふりをして、「いってらっしゃい」と手を振った。彼は歩き出せばしっかりと貴公子らしい所作で交流を始める。
(いつも不安そうにはしてるけど、やっぱり完璧なのよね……)
エリスがそれを廊下の柱の陰から見守っていると――頭の中で声がした。
“――早くあの子を殺すんだ。”
「っ」
また魂を引っ張られるような感覚がした。
あの男の声だ。以前よりも、支配が強くなっているのを感じる。
(なにこれ……)
“――呪具として馴染んできたからな。”
見透かされたように言われた。
(最悪だわ……)
エリスの足輪が、あの男の手に渡ってから一週間以上経つ。時間が経てば経つほど、あの男の物にでもなるというのか。呪いの強さは掛けた時間に比例するとあの男も言っていた気がする。
これでは、すぐにでも何かを命じられかねない。
エリスはアシュレイに声すら届かない距離に行こうと、急いでその場から走り出した。だが――
「どうしたの、エリス!?」
振り向けば、アシュレイがすぐ後ろに来ていた。離れていたのにエリスの様子が尋常でないと気付いて追ってきたのだろう。
(だめ、来ないで――)
エリスは口を必死に押さえて、後ずさる。
「来ないで」
漏れ出たのは、自分で思うよりも悲痛な声だった。
口に出した途端、ぴたりとアシュレイが止まる。
運命の乙女の強制力が働いているのだ。――アシュレイに命令してしまった。その後悔と罪悪感で胸が痛くなる。
だが、今はむしろ都合がいいと思うべきだ。
これで彼から距離を取れるのだから。
「……来ないで」
もう一度震える声で言うと、「わかった。動かないから」と彼が言う。
「近づかないから……エリス、お願い。僕に相談して。何が起きてるの?」
「なんでもないわ」
「僕が必ず助けるから。何をすればいいのか教えて。エリスは何に困っているの?」
彼のまっすぐな瞳に、心が動きそうになる。
頼りたいと思う。これ以上彼を突き放したくないと思ってしまう。
「私は――」
だが、頭の中でまた声がする。
“――民衆がどうなってもいいのか?”
また王都に魔物を出没させる気だろう。
そうなれば、アシュレイがすぐに向かったとしても、少なからず犠牲が出る。
「……」
「エリス?」
「……なんでもないわ」
エリスは必死に動揺を抑える。
彼に何か恐ろしいことを言ってしまわないうちに、足早に立ち去ろうとした。
「エリス――」
腕を掴まれそうになる。
彼がもう動いている。……エリスが心のどこかで彼を求めてしまったからだろうか。『来ないで』という命令が弱まってしまったらしい。
だから、今度こそ心を殺して、エリスは言った。
「追ってこないで」
ぴたり、とアシュレイが止まる。彼はその場から動けなくなった。苦しそうにエリスを見ている。
「どうして、そんな――」
「本気で願っているから、効くでしょう?」
エリスが強く命じたことに動揺しているようだ。
だが、エリスは肩口に彼を振り返るだけにして、冷たく一瞥する。
「しばらく会わないことにするわ」
彼と距離を取ろうと思う。
いまや彼の周りにはたくさんの人がいる。好意的に受け入れられている。アシュレイが絶望しないとわかれば――人の輪の中で、孤独で苦しまないとわかれば、いずれあの鬱屈とした彼の父も、『アシュレイを殺さなければ可哀想』などという考えを変えてくれるかもしれない。
(そうよ、これからよ)
アシュレイは毎日、交流会や勉強会で忙しそうだ。
立派に皇族として振る舞っていて評判もいい。どうにか彼の弱みを見つけて派閥に取り込もうとしたがる者たちもいるが、それでも彼が魔法救皇だという恐れの方が大きいのか、真正面から彼の不興を買おうとする者もいない。
第三の皇子として、彼はエリスの想定よりも上手くやれている。
(何も心配いらなかったわね)
森で初めて会った時の、おどおどと緊張した様子などまったく見受けられない。
もともと素質があったのだ。
怯えていたのも、自分が魔法救皇であることがバレないように、そして誰かを傷つけないようにと心配していただけであって、もともと彼は強くて立派なのだ。
(ねえ、孤独になんか、なりそうもないでしょう?)
心の中で敵に語り掛けてみる。きちんと届いているのか、わからないが。返事はなかった。
「――待って」
また背後からアシュレイの声がして、どきりとした。
(どうして追ってこれてるのよ!)
少しでも気を抜くと駄目なのだろうか。これでは万が一の時に魔法救皇の暴走を止めるための唯一の力、などと言っても高が知れている。
わざと溜息をつきながら、エリスは振り返った。
「何度言わせるの。もう追ってこないで」
「どうして駄目なの?」
「……私、もうあなたのこと好きじゃないから」
――激しく雷が落ちる音がした。
びくりとエリスは肩を跳ねさせる。
もう好きじゃないから他の子と仲良く、と言おうとしたのだが――もはやそれどころではない。中庭から見える景色は綺麗な青空だったはずなのに、外は真っ暗になっている。
「……え……今なんて言ったの?」
アシュレイは天候の変化に気づいていないほど、動揺しているようだった。
完全に無意識らしい。彼の心の乱れが、明らかに周囲に影響を及ぼしている。
感情が見えるエリスでなくとも、雷鳴と暗闇で異常事態に気付くほどだ。
「……ええと、もう一回言うわね。あなたのこと、もう飽きたの」
「……」
言ってしまったからには、最後まで言わねばならない。エリスは続行することにした。彼の周囲をバチバチと走る雷の閃光は怖かったが。
「私たち、運命の相手ってことになっているけれど……だからってそのまま結婚するっていうのも納得いかないっていうか……なんていうのかしら、お互いに、他の人にも目を向けてもみても、いいんじゃない? って思ったの。私だって、色々と遊んでみたい年頃というか……」
彼はうつむきがちになり、真っ黒な感情の暗雲がますます増えていく。もうエリスはそれが何なのか知っている。嫉妬の感情だ。
「……他の人っていうか、兄さんでしょう?」
彼は仄暗い瞳でエリスを見た。相変わらず、エリスが第一皇子へ何かしらの感情を抱いていると思っているらしい。
もう否定するのも状況に合わないだろう、とエリスは判断した。
「駄目かしら?」
「…………駄目じゃないよ」
それでも彼は優しかった。
エリスを否定したりしなかった。ただ彼が苦しそうに我慢するだけだ。
(傷つけたいわけじゃないのに……)
自分でも自分が嫌になる。
「まぁ、こんな女に振り回されていないで……あなただって皇子様でしょう? 優しい女の子にちゃんと大切にしてもらえるわよ。そういうわけで、しばらくお互いに違う相手と仲良くしてみるってのはどうかしら? 悪くないでしょう?」
「……」
アシュレイは返事をしなかった。
空は黒く、夜よりも深かった。
(あまりにも黒すぎじゃない……?)
大雨だとか雷雲だとかの域を超えているように思える。
まるで天変地異の前触れだ。
そう思っていると、兵士たちが騒然とした様子で走ってきた。
アシュレイも連絡用の耳飾りから何かを伝達され始めたようで、動揺した感情を出している。
兵士たちはエリスたちの前まで来ると、緊迫した表情で言った。
「――魔神が復活しました」




