46_敵と呪い
一方、その少し前、エリスは城に残っていたが、ふいに頭の中で声を聞いた。
――こちらへ来い。
そう誰かが呼んでいる。
途端に身体が動き出して、エリスは困惑した。まるでその声に誘われるように、どこかへ向かわねばいけない気がしているのだ。
(何が起きているの!?)
侍女に「どちらへ?」と言われても、口が勝手に「すぐ戻るわ」と答えてしまう。第一皇子は兵に指示を出しに行ってしまったのでもういない。
エリスは城の廊下を走っていた。身体が勝手に動くのだ。
そして辿り着いたのは裏門を出て、さらに外。
城の敷地外へ出て、少し逸れたところへ向かう。その木陰に、フードを目深に被った男がいた。
(あの人は……!)
見覚えのある敵だった。エリスに毒を盛って屋敷に忍び込んだ男――呪歌でアシュレイを狙う、あの男だ。
エリスが止まると、男は静かに言った。
「先程、一時間ほど城の結界が弱っていたな。いつもは警戒心の表れとばかりに強固なのだが」
思わぬ言葉に緊張する。
エリスが『何も心配せずに』と眠らせたから、アシュレイの警戒心が弱まっていたとでも言うのだろうか。彼も城の結界に関与しているのだろう。
だが、ここは城の外れ、わずかに敷地から出た場所だ。アシュレイの警戒心が弱まっていたとしても、城の結界が破られたわけではない。エリスが勝手に城の外に出てきて、この男と会っているだけだ。侵入されたわけではない。
(でも、どうしてこんなところまで来てしまったのかしら……私、すでに、何か魔法を掛けられているの……?)
屋敷で毒を盛られて高熱で寝込んでいた時、この男に服従の魔法の足輪を掛けられそうになっていたが、あれはアシュレイが解いてくれたはずだ。ではなぜ、この男に従ってしまうのだろう。
(どうしたらいいの?)
ここでこの男を倒せばすべてが解決する。アシュレイが呪歌で殺される恐れはなくなる。
だがエリスが突進したところで勝てないだろう。
兵を呼ぼうにも手段がない。叫んでも駆け付ける前に逃げられるだろうし、アシュレイを呼ぶ方法としては耳飾りがあるが――アシュレイならば一瞬で倒せるだろうが、しかし敵と会わせる危険性の方が高い。
(なにより、アシュレイに傷ついてほしくない)
今はアシュレイは呪歌を忘れているから、一瞬で呪い殺されることはないはずだが――もしこの男が父親だと名乗ったら、アシュレイの動きは止まるだろう。
そして両親に思いを馳せれば、呪歌も思い出しかねない。その隙に殺されてしまう。
(その一瞬すら、躊躇させないのなら――)
方法としてはある。
エリスが彼に『命令』をすればいい。呼び出して一瞬で『あの男を眠らせて』とアシュレイに命じればいい。
だが、そんなふうに、彼を使うような真似をしてはいけない。
(冷静になりましょう……会わせないのが一番のはずよ)
アシュレイを呼び出すなんて、敵の思う壺だろう。
この男の目的は、呪歌でアシュレイを殺すこと。そのためにエリスを利用したいのだろう。だから先日も服従の足輪を掛けようとした。
それに今まさに、男の声に導かれてこんなところへ歩いてきてしまった。自分自身が望むとおりに行動できるかわからない。
(すでに私は操られている……)
だとしたらアシュレイを呼び出してしまえば、まんまとエリスは男に操られて、何かをアシュレイに命じてしまうかもしれない。
「私に何の用事? 王都の魔物、まさかあなたの陽動?」
「ほう。思ったほどの馬鹿ではないようだ」
ということは、エリスに会うために、魔物を出したということになる。
「お生憎様。私は『魔法救皇様』を殺すのには使えないわよ」
「そうだろうか」
男は、とあるものを取り出した。
「これが何かわかるか?」
エリスは目を見開く。
それは――見覚えのある足輪だった。エリスが五歳から叔母に着けられていた魔道具だ。
(どうして……)
一瞬で身体が硬直した。
錆びた足輪。あの冷たい感触を今も覚えている。
見間違えるはずもなく、かつてエリスに嵌められていた物で、今は持ち運びやすいようにか、鎖まで新たにつけられていた。
「どうして……どうしてあなたが持っているの?」
ようやく喉から絞り出した声は震えていた。
「お前の故郷で回収してきただけだ。お前にはもう不要だったのだろう?」
男は平坦な声で言う。
エリスの身体は震え始めていた。先ほどからずっと嫌な予感がしているからだ。
(この男が持っていると、どうしてこんなに不安になるの……?)
置いてきたのは間違いだったのだろうか。老爺たちに出会った直後に外してもらって、叔母の村に捨ててきた。もう見たくないと思っていた品だった。持っていきたいなどと思わなかった。
それに、叔母に『外してやったぞ』と見せつけてやりたかった。そうして置いてきたそれを、この男は手にしたのか。
じゃらり、と鎖を手繰り寄せて男がそれを掲げてみせる。
「お前が五歳の時から……十一年か?」
「……だったら何よ」
「不幸を願われながら、叔母という血縁に束縛され、肌身離さず身に着けていたのならば、これは立派な呪具になる。もはや臍の緒ほどの、お前にとって唯一無二の半身だ」
嫌な予感がする。
それでも負けたくなくて、エリスは叫ぶ。
「それを、あなたが持っているからって、何になるのよ」
男は怪訝そうにし、
「わざと言っているのか? それとも今の説明でわからなかったのか? ……これだから魔法に疎い者は」
と溜息を吐く。
「原始の時代から、呪文の型や魔術式があったと思うか? はじまりは純然たる感情だ。掛けた時間こそ、そして、よりそばにあるものこそ呪いの根源となる。十一年。十一年だぞ。呪いの強さは掛けた時間に比例する。命が宿るほどの時間だ。――つまり、ここにはお前の魂が染みついて、取り残されているというわけだ」
目を見張るエリスに、男は言う。
「つまりお前の半身ともいうべき魂の一部は、まだここにあり、今は私の手の中だ」
信じたくなくて、エリスはその足輪を睨むしかない。
「……信じないわ」
「お前自身を見ても、呪いが掛けられているようには見えないから、あの子は気づかないだろう。だが、ここには確かにお前の魂の欠片がある。お前は私に逆らうことはできない」
(それなら――)
エリスは走って逃げようとした。だが、「待て」という言葉に逆らえずに、ぴたりと止まる。
「私はあの子にまだ会えていない。……どうにも、一定以上の魔力のある魔導士が近づこうとすると、避けて接近を阻害しろと教育されているな。魔法救皇としての活動中に近づこうにも、声を届かせられない距離で逃げられる。……だがお前は知っているだろう? 魔法救皇の――あの子の名前は?」
「っ」
バレてはいけない。関わらせてはいけない。
「……第一皇子様の名前をご存知ないの?」
鼻で笑うように振り返ってエリスは男を見つめた。だが、男は揺るがない。
「魔法救皇は、私の子だ。あの子の名前を言え」
(駄目……絶対に教えるわけにはいかない)
アシュレイはこの男と関わるべきではないのだ。彼が、彼の家族が、今まで必死に素性を隠してきた。この男に殺されないために。
だから必死に、唇を食いしばる。血が出ても、エリスは耐えようとした。必死に両手で口を覆って、息を押し殺す。
「なるほど、意思が固いようだ。……まあいい、これは実験に過ぎない。やはり型通りの呪いほどには強く従わないか。原初の呪いは粗があるな。だが、名前くらい自力で当ててみせよう。……アシュレイだろう?」
「!」
目を見開いたエリスに男は淡々と述べた。
「舞踏会でお前を庇った魔導士がいると聞いた」
(アシュレイ……!)
舞踏会で、エリスが彼を巻き込んでしまった。やはり表舞台の彼を、『運命の乙女』のエリスと関与させてはいけなかったのだ。
「それに、男児だったらアシュレイと名付けようと……あの人と、懐妊がわかった日に話していた……ああ、姫は覚えていてくれたのだ」
男は歓喜と苦しみに苛まれるように、両手で顔を覆っていた。手を動かしたことによって、じゃらり、と持っていた足輪の鎖が鳴った。
その音にどきりとする。
男も、その音でやるべきことを思い出したのか、「さあ次は従ってもらうぞ」と言う。
「あの子を――アシュレイをここに呼ぶんだ」
「……嫌です」
エリスは男を睨みつけた。抗うことは、ひどく胸が軋むような苦しさがあった。魂が、半身が握られているという感覚はまさにこれなのだろう。全身がなぶられるようで、すぐに男の望む方向へと引っ張られてしまいそうになる。
だが、絶対に負けるものかと自分の手の甲を噛んで、衝動と苦しみに耐え抜いた。
「随分と抗うのだな」
「……そちらこそ、どうして自分の子を殺そうとするんですか。……そんなに、魔法救皇の死体が欲しいんですか?」
「……死体?」
男は怪訝そうにした。
「だって、魔力の強い死体を……優秀な兵士となる死体が欲しいんでしょう?」
エリスの言葉に、男は醜悪なものを見たように身構えた。
「……ネクロマンサーだと思われているのか? 違う。あの子の死体を操るというのか? なんとおぞましいことを」
そして男は言った。
「亡骸はあの子の母親の元に埋める。私もその場で死ぬ。これで家族三人、一緒になれる」
その言葉には嘘を感じなかった。仄暗い感情を纏いながら、静かに『終わり』だけを望んでいる。魔法救皇の死体で世界を掌握しようなどと思っているようには確かに見えなかった。
「……皇女様と一緒に暮らせなかったから? だから心中をしようっていうんですか?」
「違う」
男は強く否定した。
「あの子は死ぬべきだから殺すだけだ。……自分が異端だと気づかずに生きていける凡庸なお前にはわかるまい」
その言葉にはエリスへの憎しみすらこもっていた。
「今は人類総魔導士時代などと言われているが、どいつもこいつも凡庸に均されている。かつては僅かな魔導士たちだけが魔法を扱っていた。今はその子孫たちに魔力がばら撒かれた。……世界の魔力の総量は変わっていないという。かつては十人でそれぞれ一万の魔力を持っていたというのに、今は十万人で一ずつ分け与えられたような状態だ。いや、それよりもひどい。十分の一以下だ。その意味がわかるか?」
男は恨むような顔をしていた。
「有象無象がどれほどいても意味がない。誰も魔神に勝てなくなる。だからそれを見越した十聖は、自分たちの魔力だけは、死後も自然界に放出されることなく、『魔法救皇』に必ず与えられるようにした。……他の人類に分配されているのは、十聖に満たなかった魔導士たちの分け前だ。人口が増え続け、もはやその差は縮まることはない。古代魔道具に魔力を込める魔法救皇の一秒を再現するならば、十万人、百万人の一秒を掻き集めなければならない。……とても現実的ではない」
「……」
途方もない数字に、エリスは目を見開いた。
魔法救皇は常人の万倍以上の魔力を持つとは聞いていた。だが、この男の話では、魔法救皇が一秒に込める魔力は、十万人や百万人の一秒を集めてようやく再現できる量だということだ。
宝物庫で見た古代魔道具は――魔法救皇がいなくても魔神が倒せるようにと作られた品も、やはり魔法救皇なしには扱えないのだ。
「もはや代わりがいない。生まれながら重責を押し付けられる者の苦しみがわかるか? 世界の命運を任され、役割を押し付けられ、一生その役を降りることを許されない意味がわかるか? 人間として扱われていない。膨大な力を与えられ、当然のようにそれを悪用しない善良さを期待される。生まれながらに、一切の心を考慮されず、誰とも分かち合えない孤独を押し付けられる。ただの凡庸な人間に降りることは許されない。僅かにでも逸れたら化け物として見られるような力を与えられた。使命など持たず、心は弱く、危険から逃げ、責任を押し付けて生きるのが人間だというのに、あの子だけは別の生き物となるよう生み出された。先人たちのおぞましい驕りだ。こんな世界など滅べばいい」
そう男は吐き捨てた。
(……でも)
この人は確かに、アシュレイの孤独と重責を誰よりも案じているようでいて、それでも、肝心なところを見ていない。
「……アシュレイには、訊いたんですか?」
ぽつりと呟いたエリスに「何?」と男は訊き返す。
「つらいのかって、訊いたんですか?」
「話したこともない。ずっと接近を妨害されてきたからな」
「だからって……魔法救皇に生まれたことがつらいだろうからって、だから死なせようなんて……ちゃんとアシュレイに訊いてからじゃなきゃ、だめですよ」
絶対にアシュレイが頷くはずがない。そう思いながら訊ねれば、男は「訊ねるまでもない」と言う。
「私は予知を見た。孤独に苦しみ、臆病さに心を掻き乱されて、哀れだった。――さあ、殺しに行くぞ」
男がエリスに手をかざした。何か魔法を掛けられるのだ、とエリスはとっさに身構えたが――すぐにばちんと弾くような音がした。
「!」
「……あの子の加護か。まあ、対策はしているだろうとは思っていた。お前への魔法は弾くらしい」
男は舌打ちし、「では馬で移動する」と言った。手には、あの鎖付きの足輪を持ち、「魔法をかけることはできないが、魂を握った上での命令は別だ。私についてこい」と男は歩き出した。
エリスはついていくしかなかった。




