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44_両親の夢



 記憶を失う前夜のこと。

 アシュレイは宝物庫から帰ると、古城のベッドに寝転がって、一人で今日のことを思い返していた。


(エリスさんが欲しかったものって、亡くなった人に会える魔道具だったんだ……)


 今までどうして思い至らなかったのだろう。彼女は両親を早くに亡くしており、老爺たちも家族に先立たれている。無欲な彼女が欲しがるものとして、とても納得できるものだった。


(そうだよね、恋しいよね……)


 アシュレイも両親を亡くしていた。

 母が亡くなったのは三歳だという。顔も声も覚えていない。

 ……本当に、三歳の頃のことを、ひとつも覚えていられないものなんだろうか、と思ったこともある。だが、周りの大人からは「思い出そうとしてはいけない」と強く言い含められていた。


 遺されたのは、母の日記帳だけだ。

  

(……どんな気持ちで、書いていたんだろう)


 机にしまっていたそれを手に取って、表紙をそっと撫でてみる。


「君は母様に撫でてもらってたのかな」


 三歳の自分だって、きっと撫でてもらっただろうに、その記憶はない。

 生前の母のことを知れたらいいのに、と思わずにはいられない。


 死者に会う方法はないことはアシュレイ自身がよく知っている。幽霊になることだって、先代の魔法救皇ほどの魔力と素質があってこそだ。魔力が弱い者でも幽霊になることはあるが、物体への強烈な残滓(ざんし)――魂の欠片を残したともいえるほどの、強い思念が残されていなければならない。


(この日記帳にも、何か残ってたりすればいいのにな)


 そう願いながら、日記帳を抱いて眠ったからか、その晩アシュレイは夢を見た。

 ――きっと、見てはいけない夢を。



       ◇◇◇



 薄暗い部屋に、誰かがいた。若い女性だ。王城の一室だろうと思える、見覚えのある内装の寝室だった。


 夜でもわかる淡い金髪の女性は、寝台に腰を掛けて、日記帳を開いていた。ページはまだ真っ白で、彼女は内容を書きあぐねているようだった。――この人は母だ、とアシュレイは思った。肖像画で見たことがある、皇女の横顔だ。


 そこへ、一瞬の風が吹いて――次の瞬間には、男が立っていた。


 彼女は顔を上げて、嬉しそうな顔をする。


「あら、怖そうな顔をしてどうしたの」


 母らしき皇女は、フードを深く被った不審な男を歓迎しているようだった。


 だが、一方の男は、ひどく深刻そうな声を出した。


「私は時折、予知を見る。断片的で、内容は選べない。……私とあなたの子の未来を見た」


 男の突然の言葉に、「まあ」と皇女は嬉しそうにする。


「昨日妊娠に気づいたばかりなのに、生まれた後のことを見てしまったの? 男の子? 女の子?」


 皇女の弾むような声に、男は苦しそうに、フードの下の顔を歪めた。


「……私によく似た、臆病さに苦しむ青年だった。顔はあなたによく似ていた」

「あら、男の子なのね」


 皇女は、まだ何のふくらみもない腹部に手を当てて、優しく撫でる。

 その動作を見て、「……宮廷医には診せたのか?」と男は訊いた。


「まだよ。バレたら『父親は誰だ』なんて騒ぎになって、きっと結界も強化されて、あなたはここへ来れなくなるでしょう? いくらあなたでも、国家魔導士が総出で結界を張ったら勝てないはずだわ」


 皇女の揶揄するような言葉に、「ああ、そうだな。数には勝てない」と男は素直に頷く。


「でしょう? だから、しばらくはあなただけに診てもらうわ。あなたは医術の心得があるもの」

「独学だ。それに、妊婦を診たことはない」


 静かに否定し、それから、男は言いづらそうに、「よく聞いてくれ」と言った。


「私たちの子は不幸になる。私は孤独を知っている。その子はきっと魔法救皇になる」


 皇女は目を丸くした。


「……魔法救皇? ……ああ、なるほど、私が隣国に嫁がず、降嫁もせず、皇室に属したまま生んだら、そうなる可能性も確かにあるわね」


 皇女は我が子を「すごいわね」と愛おしむ様子だったが、男の顔は浮かなかった。


「私とは比べ物にならない孤独を味わうことになる。人と違う性質は――すべての人類から逸脱し、ただ一人の存在に生まれつくことは、この世で最大の不幸だ」

「そうかしら」


 男の、痛ましそうな声に、皇女は優しく声をかける。


「あなただって……今は孤独でもないし、不幸でもないでしょう? だって……私がいるし、子どもも生まれるのよ?」


 気恥ずかしそうに言う皇女に、男は首を横に振った。


「あなたに出会えたことは、私の最大の幸福だ。だが、我が子が最大の不幸を味わうとわかっていて、看過することなどできない」

「つまり――支えてあげようって、ことよね?」

「違う。今殺すべきだ」

「……今、なんて言ったの?」


 男の言葉に、皇女は目を見開く。

 聞き間違いだと信じたくて男を見つめ続ける皇女に、男ははっきりと言葉を重ねた。


「不幸な人生を与えないことこそ、私が親として与えられる、最大の愛だ」

「……何を言っているのよ」


 怒り、そして泣き笑うような声で、皇女が否定した。


「馬鹿なことを言わないで。たとえどんなに周りの子と違っても、寂しい思いはさせないわ。私もあなたもこの子を愛すし、魔法救皇だっていうなら運命の相手だっているはずよ。きっと幸せになれるのに」

「幸福がいくらあっても、私は生まれたくなかった」


 男の強い言葉に、皇女は絶句した。

 言葉が出ずに――何度も苦悩し、それからやがて、ぽつりと言った。


「……私では、あなたの生きる理由にならなかったの?」


 暗く静かな部屋に、その言葉はやけに残った。

 苦しそうな言葉に、「あなたのせいではない」と男は平然と言う。


「私は死ぬ覚悟がないから、まだ生きているだけだ。あなたのことは――道端で倒れ、誰も見向きもしなかった私に、一杯の水を与えてくれた、その恩を返すためだけに来た。……私ならあなたの病を治せると、傲慢にもあなたの目の前に現れた。……だが、やはり関わるべきではなかった。夢を見てしまった。あなたとの未来が私にもあるのだと」


 その、情が込められた言葉に、皇女は立ち上がり、男に寄ろうとした。――だが、男はそれを手で制する。


「だが、もう理解した。予知が私の目を覚まさせてくれた。我が子は親に似る。そんな当たり前のことを失念していた。……そのお腹の子はあなたに似ず、私のような臆病で孤独に(さいな)まれる男になり、その上、もしも魔法救皇であるなら――私と同じ性格だったら、生まれたくなかったと願うはずだ。私よりも、さらなる苦しみが我が子に用意されているとわかっていて、見過ごすことなどできない。あまりにも、その子が哀れだ」


 悲痛な、しかし感情をわざと欠落したように、淡々と述べた男の主張をなんとか飲み込もうと、皇女は深い息を何度も吐いた。


「あなたの意見はわかったわ。……でも、未来のことなら、防げばいいじゃない」

「生まれながらの孤独は、他者では埋めることはできない。私でさえ、この左半身の醜い痣を、生涯好むことはない。美醜も愛も関係なく、『普通の人間に生まれることができなかった』という苦しみは死ぬまで残る」


 男は、長い前髪を手でかきあげ、額の左側の痣を皇女に見せる。魔術の文様のように濃く、不吉にねじ曲がっていた。


「左半身の痣と、そして少しばかり魔力が逸脱していただけの私ですら迫害を受けたのに、この子は魔法救皇になってしまう。崇める者ばかりではない。畏怖と嫉妬と、異物を見る目を向けられ続けて、大衆の前から消えることもできずに世界を背負わされて、生涯を終える。百年に一度、一人しか生まれない。その孤独を分かち合う相手はいない。我が子が私と似た心を持つのなら、到底耐えられる重責ではない」

「そんなこと、まだわからないじゃない……」


 皇女は泣きそうになっていた。

 だが、男は、もう揺るがないようだった。


「私は決めた。その子を殺す。生まれた瞬間に」

「……」


 皇女は腹を守るように両腕を重ね、男を睨んだ。


「させないわよ」


 男は静かに皇女を見る。


「あなたの身体を傷付けることはしたくない。その子だって、世界を知る前の赤子ならば、母の愛をなるべく受けてほしい。そうして物心つく前に殺せば――いや、駄目だ。情が移ると判断が鈍る。長く愛した分、あなたが傷つく。だから、やはり、生まれた瞬間に殺すことにする」

「……どうしてそんなひどいことを言うの。本心じゃないでしょう?」

「いいや、本心だ。あなたは私に幸福を与えてくれたが、私は最初から化け物だ。根本が変わることはない」


 皇女は泣きだしそうに顔を歪め、しかし、泣かずに、手で強引に涙をぬぐった。


「……じゃあもう会わせないわ。この子は私が守ります。大切に育ててみせるわ。孤独なんか感じないように、どれだけ周りの子と違っても、傷つかないようにたくさん愛すの。あなたもこの子のために努力する気がないのなら、もうここへは来ないでください」

「……これが、最後になりそうだな」


 男は、手をかざそうとした。皇女はすかさず叫ぶ。


「この子を殺すなら、まず私から殺しなさい」

「……」


 男は止まり、苦しげに皇女を見下ろしている。


「できないの? ……どうして私を殺せないのに、この子のことは殺せるのよ」

「あなたとこの子は違う人生を歩む。あなたのことも、この子のことも、愛している」


 皇女は息を呑み、「そんなのって無いわ」と呟いた。

 やがて、皇女は静かに言った。


「もう、さよならにしましょう。……あなたが前向きにこの子の人生を考えられるようになったら会いに来て。私はきっとどこかへ隠れることになるでしょうね。あなたにこの子を殺されないように。そして未婚の皇女の出産が誰にも知られないように。……だけど、あなたはきっと私たちを見つけるでしょう? だから、心が変わったら、迎えに来て」

「……私が変わることはない」

「私は信じているわ、ルデル」

「……愛している、シルビア」


 男が去ると、皇女は寝台の上で、膝を抱えて泣いた。

 お腹の子に、ちいさな声で謝るような言葉をこぼす。


「ごめんなさい。あの人があなたの未来を信じられずに苦しんでいるのは、私が生きる希望になれなかったからよ……私の愛が足りないからだわ」


 涙が何度もこぼれて、拭うたびに袖を濡らす。


「抱きしめればよかったの? でもあなたに何かあったらと思うと怖かった……ううん、そんな人じゃないわ。本当に殺せるような人じゃないもの。……でも念のため、離れて暮らしましょう」


 そして腹の上から、そっと撫でる。


「もしもあの人の心が変わらなかったら……あなたがお留守番ができる(とし)になったら、少しだけ私に冒険をさせてね。あの人に会いに行って、説得してみせるわ。……そして家族三人で暮らしましょう」


 それから皇女は、歌を歌った。

 途中、何度も泣きそうになりながら、そしてその涙を笑い飛ばすように我が子に向かって話し続ける。


「ふふ、私が音痴だからじゃないのよ。あの人がきっと音痴なの。あの人のご先祖から伝わる歌なんですって。唯一、あの人が親から授けてもらった大事な歌なのよ」


 奇妙な旋律だった。

 不安定で、上下に揺れ、どこか痕を残していくような、それゆえに耳に残る歌だった。


「あなた、男の子なのね。……あの人と話していたのよ。男の子だったら、アシュレイと名付けたいって……」


 生まれてきて、一緒に幸せになりましょうね、アシュレイ。

 そう母は囁いていた。



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