14_アシュレイ
第一皇子の列に並ぶ、と言った途端、アシュレイからはぶわっと感情が溢れ出た。
最近、老爺たちでも見た――悲しみと嘆きである。
「……だ、だめかしら?」
「い、いや、いいよ。僕に構わず、行ってきて……」
こちらに気を遣わせまいと儚げに微笑んでくれるが、結構つらそうだとエリスにはわかる。
(一人になるのが寂しいのかしら……?)
置いていかれた気になるのだろうか。けれど、彼は今日は元々一人で会場にいた。
「……そういえば、アシュレイ。あなた結構モテると思うんだけど、どうしてみんなあなたを放っておくの?」
「え!?」
急にそんなことを言われるとは思っていなかったのか、アシュレイはものすごく驚いた顔をした。
(そんなに意外なことかしら?)
いくら令嬢たちにとって運命の乙女になることが一番の目標だといっても、舞踏会で他の男性をまったく見ないで帰るわけでもないだろう。
アシュレイのこの美貌であれば、顔立ちだけでも寄ってくる人は多いだろうし、少しでも彼と話せば、彼の優しさや繊細さに気づき、「放っておいたらどこかの気の強い令嬢にそのまま食べられそう! 私が守らねば!」と決意する令嬢の一人や二人、現れそうなものなのだが――
「貴族の間では、アシュレイみたいな美青年は逆に避けられるのかしら?」
エリスが不思議がっていれば、「ええとね……」とアシュレイが言いにくそうにする。
「実は、その、僕は今夜、認識阻害の魔法をかけていて……あんまり、印象に残らないようになっているんだ。……元々の素顔を知っている人には、あまり効かない弱いやつにしたけどね」
「あらそうなの」
目立つのが苦手な彼らしい魔法だ。
「舞踏会では強い魔法は使えないように結界が張られているから……本当は認識をいじる魔法なんて、しちゃいけないことなんだ……侵入者とかが他人のふりをして入れてしまうってことだからね」
「ああ、確かにまずいわね」
「うん、だから今日は事前に兄さんに――ええと、根回しをしておいたんだ。警報に引っかからないように細工をしてもいいですかって」
「ふふ、なんだか悪い人みたい」
言い方が面白くて笑ってしまうと、彼が気恥ずかしそうにする。
「う、うん、実際に悪いことだよ。安全のためのルールだから……ごめんね、エリスさんは――エリスはきっと、悪いことは嫌いだよね」
「え、別に、気にならないわ」
さほど正義が大好きというわけではないし、アシュレイが悪事に利用するとも思っていない。アシュレイほどの美貌であれば――それこそ、人間を超えた神々しい存在かと思うほどの美貌であれば、少し魔法で隠すくらいでないと、毎回大騒ぎにもなるだろう。
(むしろ、実利のためにルールを破れる人だってことが、ちょっと意外だわ)
気弱そうに見えて大胆だ。
しかし思い出してみれば、アシュレイは老爺とエリスたちのために「報告書を誤魔化しておくよ」とも言っていた。誰かが心配し続けなくていいように、そしていずれ別の特殊審問官が辿り着いたらまずいことになるからと。アシュレイは自分以外の誰かを案じて、ルールを破ってくれたのだ。
そう、だからエリスは、自分のために悪いことをしてくれる人の方が、多分好きだ。
「うん、むしろ、きっと好きよ」
「!?」
声に出てしまっていたようで、ぶわっと彼が照れていた。
「でもそっか、アシュレイは目立つのは苦手よね。……じゃあ踊ったりはしない方がいいかしら」
「!?」
彼が飛び跳ねそうな勢いで驚いている。
「え、あの、まさか、僕と踊ってくれるの!?」
ものすごく、ぶわっと焦りと期待が出てきている。
そこまで真剣に見つめられると、エリスとしても驚いてしまう。
「あ、その……軽率に言ってしまったんだけど……そんなに重大なことなのかしら……? 私、踊るってことの意味をちゃんとわかってなくて……いえ、社交のためにっていうのはわかっているわ。他の貴族の目とか、家同士の関係も気にするべきなんでしょうけれど……」
「エリス……」
彼は静かに、エリスの次の言葉を待っている。
「私、こういうところは初めてで……さ、さっさと用事だけを済ませて帰るつもりだったけど、いざ来てみたらアシュレイもいて、なんだか楽しくなってきちゃって……その、自分でも欲張りかなって思うんだけど……きっと、アシュレイと踊れたら楽しいだろうな、って……ただそれだけのために踊るのって、だめかしら?」
なんとか言い終わると、彼の顔に、ぱあっと喜色が浮かんだ。
「嬉しい。僕も同じ気持ちだよ」
「本当?」
「僕と踊ってくれますか? ――ううん、一曲お相手願えますか、レディ」
彼は優雅に、身を屈めて手を差し伸べてくれる。
流れるようでいて、それでも期待と不安が見えている。
胸が高鳴って、彼に応える手が震えた。
「……よろしく、お願いします」
手が重なると、彼は幸せそうに微笑んだ。
手を繋ぎ、二人で階段を下りて一階のダンスホールの中央へと向かって行けば、ちょうど曲が変わり、新しく入るには良いタイミングだった。
「行こう」
二人でそこへ飛び込んでいくのは、まるで冒険のようだった。
わくわくと心臓が速くなって、息が上がりそうになる。
(ど、どうやって踊るんだっけ)
この一週間、朝から晩までみっちりとダンスを教わった。付け焼刃で身体に覚え込ませたはずの動きを必死で思い返す。慌てると余計に混乱しそうだった。
「大丈夫だよ」
すぐそばで、彼が微笑む。
「祝福を分けてあげる。僕に任せて――僕だけを見ていて」
曲が始まり、彼に手を引かれると、ふわりと体が軽くなるような心地がした。
彼の周囲は、きらきらと光が満ちていて、まるで二人を祝福するように包んでいた。――だからエリスは、もう何も焦らずに彼を見つめているだけで良かった。他のすべてから切り離されて、夢の中にいるような、幸福と楽しさだけで満たされたような空間だった。彼と微笑みあっているだけで幸せで、心地良いまま、ずっと踊っていた。
ダンスを踊り終わると、一気に自分の熱を感じた。高揚で息が上がっている。心臓がずっと上の方で飛び跳ねていて落ち着かない。
「楽しかったね」
目の前でアシュレイが微笑みをこぼしただけで、もう幸せだと思ってしまった。
(ど、どうしよう)
溢れる気持ちが止まらない。大切な人と踊るダンスが、ここまで楽しいものだとは知らなかった。このままではアシュレイに「好きです」と言ってしまいそうなほど、心がいっぱいになっている。
(私、もう、だめかもしれない……)
今まで人付き合いがなかったせいで、ついさっきまでアシュレイに思うままに喋り続けてきたが――本来はそんなに溢れるままに感情を言ってはいけないのだ。言われる側の気持ちを考えなければならない。
一曲踊っただけで好きとか言われたら、彼だって困るだろう。エリスだって付き合ってとか返事が欲しいわけでもない。ただあなたが好きですと言いたくなってしまっただけなのだ。
(困る。困るわ。言ってはいけない抑えきれない気持ちって、どうしたらいいの!?)
こんな感情、初めてだった。
もしもエリスの感情が他の人に見えていたら、ぶわっ、ぶわっ、と溢れっぱなしに違いない。
「エリス、疲れた? 少し休もうか」
「あ、ありがとう……」
急に黙って視線を彷徨わせているエリスを気遣ってか、アシュレイは優しく手を引いて壁際の椅子へとエスコートしてくれるが――
刺さるような視線を背中に感じた。人々のざわめきが大きくなってくる。
振り返れば、第一皇子がまっすぐにこちらに向かって歩いてきているではないか。
(え……?)
その威厳ある青年の歩みに、周囲は息を呑んで道を空けて見守っている。まさに帝国の皇位継承権第一位の風格だ。
誰もが従う、本物の皇子だ。
――目の前まで来ると、赤い瞳が、エリスを見た。
「名前は?」
「……エイベル伯爵家、エリスと申します」
淑女の礼をとりながら、静かに名乗った。
「最近養子に入った者だな」
瞬時に一致するとは、記憶力が良いのだろう。
目の前に立たれると、ますます第一皇子は威圧感があった。
他の貴族とは別格の存在だ。
(そう、まさに別格ね)
最初に着飾ったアシュレイを見たときは、まるで別種の生き物だと思ったが、この第一皇子は人の数段上、いや、限りなく高い階段の上にいるような、手の届かない存在でいて、そしてまぎれもなく人間だという印象を受ける。
(いえ、アシュレイを引き合いに出してどうするのよ……)
ちゃんと関わったことのある青年がアシュレイだけなせいか、全部アシュレイを基準にしてしまうところだった。
「舞踏会は今夜が初めてだろう。俺に何か命じたいとは思わないか?」
「あら……よろしいのですか」
意外なことを第一皇子が言ってきて、エリスは一瞬面食らった。
冗談かと思ったが、かなり真剣な顔で第一皇子はエリスを見ている。……むしろ、冗談が通じなさそうな雰囲気だ。
アシュレイと踊っている間に、第一皇子に命令する令嬢の列が全員終わっていたのだろう。
新顔のエリスにわざわざ声を掛けてくれるとは親切なことだ。皇族側としても本気で運命の乙女を見つけるためには、しらみつぶしに全員を確認していきたいのだろうか。
エリスは少し考えた。
ここで、本当に命令をしてもいいのだろうか、と。
もし『運命の乙女ではない』と判断されれば、養女のエリスは二度と呼ばれないかもしれず、皇子と話す機会を失うかもしれないが――本当に運命の乙女だったとしても、こんな大勢の前で、確定させても大丈夫なのだろうか。
もし本物であると証明してしまえば、これから先のことが一気に決まってしまう。
息の詰まるような漠然とした恐ろしさがある。
だが――悩んだ末に、エリスは言った。
「わたくしと踊ってください。そして踊り終わったら、わたくしにひざまずいて求婚なさってください」
第一皇子が息を呑む。
ざわり、と周囲が騒然とした。
「な、なんたる無礼な!」
と、側近らしい青年騎士が大声を出した。
隣のアシュレイも驚愕しているようだが、そちらを向いている余裕はない。
……この第一皇子から目を逸らしてはいけない。そう本能が感じていた。隙を見せたら、きっと負ける。
「……なかなか、大胆な命令をするものだ」
赤い瞳が、すっと細められる。
(だって、踊るくらい、演技でもできるじゃない)
運命の乙女の、魔法救皇への強制力を証明するなら、『絶対に断りたくなるような要求』であるべきだ。
そしてエリスはなるべく早く、この皇子が運命の相手なのか確かめたかった。
もし違うなら――
この皇子が魔法救皇ではないのか。
それとも、エリスが運命の乙女ではないのか。
どちらであっても、答えが欲しかった。
だが、意外にも、皇子は言った。
「――いいだろう」
「え」
彼はまっすぐに、赤い目でエリスを見下ろしていた。
射抜かれる心地に、ぞくりと鳥肌が立つ。獲物を見つけた肉食獣のように、彼は口の端を上げて笑った。
「俺と、踊ってもらおうか」
逃がさない、と言われたようだった。




