第27話:今後の方針
穏やかな朝食も終わり、舞とノーフ、そしてホタルはダンジョンへと戻ってきていた。今までより格段に美味しくなった食事にノーフとホタルも満足げである。
本当は司もついてくる予定だったのだが「髪を元に戻さない限りダンジョンには入れてあげません!」という舞の宣言により入れず、朝早くからやっている近所の理容院に髪を黒く染めなおしに行っていた。もちろんそのお金は司のお小遣いからなのでちょっと涙目になりながら、でもどこか嬉しそうに司は家を出ていった。
「うーん、やっぱり使い慣れたキッチンは良いね。身長が足りないからホタルに掴んで飛んでもらわないとダメなことが難点だけど。私用の背の高い椅子買おうかな」
「別に私は問題ありませんが」
「でも、毎回って言うのもね。確か絵麻さんがダンジョン用の予算がどうたらって言ってたからお願いしてみよっか? どう思う、ノーフ?」
「さすがにそれは無理なんじゃないか。そんなことより、奴が言っていた特別な賞品の確認が先だ」
「えー、食事の準備に必要なんだから結構重要だと思うけどなー」
舞がダンジョンコアを取り出し、特別な賞品と願いながらそれを触る。するといつも通りの半透明なディスプレイが浮かび上がりそこには3行の文字列が簡潔に並んでいた。
表示されていたのは「お願い叶えます券(舞用)、お願い叶えます券(ホタル用)、お願い叶えます券(農夫用)」と言う文字だ。自分の場所にだけ悪意を感じる表記をされているノーフのこめかみに血管が浮き上がる。舞はそんなノーフの様子に気づかずにその項目の隣に書かれた数値を目で追っていた。
「十、百、千、万、十万、百万、千万、一億、十億……五十億ポイント!?」
「舞、私は百億ポイントです。ノーフは……」
自分のポイントよりも2桁多いノーフのポイントを見た舞が恐る恐るノーフの方を振り返る。ノーフは笑っていた。うすら寒い笑みを浮かべ背後に幻の炎をたぎらせながら。
「千億ポイントだと。良い度胸だ。貯めてやろうじゃないか。俺をあざ笑う気だろうがそうはいかんぞ。手段を選ばずお前を引きずり出してやる」
「手段を選ばずってなんか嫌な予感がするんだけど」
プルプルと体を震わせる舞へホタルの手が置かれる。
「頑張って下さい、舞」
「ええー!」
ホタルに完全に他人事のように言われた舞が非難の声を上げる。しかしその声にホタルが反応することはなく、逆に大きな手が舞の体を掴み舞がびくっと体を震わせることになった。絹ごし豆腐の滑らかボディであるはずなのにさびついた機械のようにぎこちなくゆっくりと舞が振り返る。
そこには正に悪魔がいた。
「さあ食後の運動に行くぞ。今日のノルマは2階層と3階層だ」
「えっ、嘘だよね。ちょっとホタル止めてよ」
「頑張ってください、舞」
「そんな励ましいらないから止めてよ」
ぷらんぷらんと体を揺らして抵抗する舞が抵抗を諦めるまで1時間もかからなかった。家族との温かい思い出の味のはずの豆腐が少しだけしょっぱく感じたのは舞の気のせいだったのかもしれない。
朝、いつも通りの時間にダンジョンへとやってきた絵麻は誰もいないことを不思議に思いながらもせっせと自分の畑の世話に精を出していた。基本的に絵麻は真面目なのだ。しっかりしているように見えて抜けていることが多いが。
そろそろ昼休憩にしようかと絵麻が曲がった腰を伸ばしていたその時、視線の先に3人が近づいてくるのが見えた。
「おーい」
絵麻が手を振るとそれに気づいたホタルが舞を抱えたままふよふよと飛んでくる。
「今日はどうし……えっと、舞ちゃん大丈夫?」
「舞はノーフの欲望のままにその身を汚されてしまったのです」
「えっ、そんなまさか。えっ、そんなアブノーマルな……。えっ、本当に!?」
ぐてっとしたままホタルの手に抱えられ液体を垂らしている舞の姿は絵麻の頭の中でノーフとの情事を想像させるのに十分なものだった。ホタルのいつも通りの口調がさらにそれに拍車をかける。絵麻の顔がどんどんと赤くなっていった。
「最後は舞も喜んで食べていました」
「ええっ! 舞ちゃんも喜んで食べちゃったの!? えっと、その……アレを?」
真っ赤な顔を手で隠しながら絵麻が小声で尋ねる。それにホタルはいつも通りの顔で返した。
「はい、たまに液体の出るアレです」
「えええー!!!」
「おい、お前ら何を話している?」
いつの間にか近づいていたノーフに声を掛けられ絵麻がビクリと全身を震わせる。そしてノーフを、次は舞を、と交互に眺めノーフの服がうっすらと汗に濡れていることに気づいて茹でダコのように全身を真っ赤にさせた。
「わ、わ、私ちょっとお昼に行ってきましゅ」
「あっ、おい!」
「わ、わたしゅは初めての時は好きな人が良いと思いましゅー!!」
ノーフの声にぴょんと跳ね上がった絵麻が脱兎のごとくとは正にこのことと言わんばかりの勢いでぴゅーっと走り去っていった。あまりの速さに声がドップラー効果で低く聞こえるほどの速さだ。ノーフが呆気にとられながらそれを見送る。
「何だったんだ、あいつは?」
「さあ、ノーフが無理やり舞に壁豆腐を食べさせたと伝えただけだったのですが。……しかしそろそろお昼ですね。お腹がすきました。舞、舞、そろそろ起きてください」
「俺も俺だが、お前はお前で大概だよな」
「う、うーん。豆腐が、豆腐が襲ってくるよー」
「襲ってきたら料理すれば良いのです。だからお昼を作ってください、舞」
悪夢にうなされる舞をゆさゆさと揺すりながらホタルがダンジョンから出ていく。そんな様子を眺めながらノーフは1つため息を吐き、そして自身も昼食をとるために梯子を上りはじめるのだった。
ダンジョンから飛び出していった絵麻はとぼとぼと町をさまよい歩いていた。慌てて飛び出してきたものの弁当や財布の入ったかばんはダンジョンの中に置きっばなしだ。つまり今の絵麻は食べるものもなければそれを買うお金さえなかったのだ。とは言えダンジョンに取りに戻る勇気は絵麻には無かった。
見つけた公園の水道の蛇口からゴクゴクと水を飲み、ついでに頭から水をかぶって絵麻が頭を冷やす。昼前の公園には誰もおらず絵麻の行動を奇異の目で見る者はいなかった。ハンカチで軽く髪をぬぐいそしてベンチへと崩れるように腰を下ろした。春風がさわさわと濡れた髪をないでいく。
(舞ちゃんって見た目は豆腐だけど話した感じ私より若い女の子だよね。だけどノーフさんとそんなことを……)
再び妄想にとらわれそうになった絵麻がぶんぶんと頭を振ってそれを振り払う。しかし実際絵麻はショックだった。年下の女の子が自分よりも先に大人の階段を上ってしまった事後の様子を目撃してしまったからだ。
「私もそろそろ新しい恋見つけようかな……」
ベンチにぐでっともたれかかり絵麻が空を見上げる。絵麻は数年前付き合っていた彼氏の酷い裏切りにより失恋していた。それがトラウマとなり隙のない女性を演じるようになったのだ。女性としてはちょっと凛々しめの顔と相まってその効果はてきめんで、逆に年下の女性から告白されたりと言ったことまであった。もちろん絵麻はノーマルなので丁重にお断りしたわけだが。
しかしこの町というよりダンジョンに来て今までの常識がいろいろとぶち壊されていったことや、豆腐や天使の舞やホタルと仲良くすることが多くなり少しずつ絵麻の心境も変わっていっていた。演技が剥がれ本当の絵麻が姿を現す時間が長くなってきたのだ。
「あれっ、確か立花さん?」
「えっ!」
瞬時にスイッチを切り替えた絵麻がベンチから立ち上がる。そこには高校生くらいの運動部らしき少年が野菜の飛び出たエコバッグを持って絵麻の方を見ていた。絵麻は少年に見覚えがあったがなかなか名前が出てこず必死に頭を働かせる。
「君は?」
「あっ、そっか。東風豆腐店の司です」
「あー、司君だね。髪黒くしたんだ。うん、そっちの方が似合ってるよ」
名乗られてすぐに絵麻は司の事を思い出した。豆腐ダンジョンへ行くために東風豆腐店を通るし、最初の時に挨拶に伺った時にも会っていたからだ。とは言え金髪の印象が強かったためとっさには思いつかなかったのだが。
絵麻に褒められた司が少し恥ずかしそうにしながらはにかむ。その少年らしい笑顔に何というか心が癒されていくのを絵麻は感じていた。
「ありがとうございます。ちょっとありまして髪を戻したんです。それで絵麻さんはどうしたんですか?」
「私はえっと……」
その時タイミングよくというかタイミング悪くというか絵麻のお腹がキュルルルーと大きな音を立てて鳴った。絵麻の顔がポッと赤くなる。大きな音だったので司も聞かない振りは出来ず苦笑いしていた。
「えっとお昼がまだだったら家に来ます? 俺ちょうど昼の買い出し頼まれたところなんです」
「えっ、それはさすがに……」
キュルルルーと絵麻のお腹が正直に返事をした。絵麻が更に顔を赤くし顔をうつむかせる。そんな絵麻の手を司が握った。
「行きましょう。大人数の方が食事も美味しいですし」
「えっ、あっ、その。うん」
手を引く司を見ながら絵麻は心が高鳴っていることに気づいた。この胸の高鳴りがどういう意味なのか考えないようにしながら絵麻は東風豆腐店へと手を引かれて歩いていくのだった。
春ですよー。




