邂逅と懸念
本日4話目です。
残酷な描写・グロテスクが苦手な方は、こちらからお読み下さい。
東京都港区白金台某所・白金台駅
8月16日 日曜日 午後2時48分
お盆明けとなるこの日、沙希と紫苑は忙しなく人が行き来する白金台駅に来ていた。
と言うのも、珍しく久世家に集っている全員が揃った今朝の朝食時に、何の前触れも無く賢斗から出た提案に端を発する。
「突然だが明日から1週間、全員で那須の別荘に行こうと思うんだがどうだろう?」
「!!!!!」
沙希を含め全員が唖然とした表情になったのは言うまでもない。驚かなかったのは、賢斗本人を除けばセリーヌと紫苑そしてお手伝いの康子、つまり久世家の面子だけである。
ちなみに、久世家の面子が驚かないのは、賢斗が旅行などの予定を突然言い出すタイプの人間で、今までに何度も同じことがあったためである。
「どうだろうって言われましても…… ねえ?」
最初に口を開いた涼子が、隣に座る宏也に苦笑いしながら話を振る。
「おっ、おう。まあ、那須っていえば温泉もあるし、ここよりも涼しくて良い骨休めになるとは思うけど…… なぁ、聡子?」
振られた宏也も、在り来たりな事を言って最後は聡子に話を振った。
「えっ!! わ、私も魅力的な提案だとは思いますけど…… 今、沙希ちゃんの特訓がとても良い感じに進んでますし、昨日の話で今日から全員で連携した場合の特訓を始める事になっているんです。沙希ちゃんの受けている案件もいつ状況が変わるか解りませんし、明日から特訓をお休みして別荘へ行くというのは……」
焦った様子ではあるものの、現状を見据えた話を出してやんわりと那須行きに苦言を呈する辺りは、さすが支部長秘書の聡子といったところである。
メンバーからあまり良い返事が返ってこなかった賢斗はというと、どうやらその状況を想定していたらしく、手元に置いてあったA4用紙数枚に目を通しながら話を続ける。
「確かに、聡子君の話にも一理あるんだが…… 8月13日、入場時間午前9時10分…… 退場時間午後22時45分…… 14日の入場時間は午前8時35分、退場は21時50分…… 15日に至っては、入場が8時丁度で退場は22時10分だ」
手にした用紙の内容を読み上げた賢斗は、書類から目を上げる。
「これは、巣鴨プリズンに入退場する際に記入する施設使用管理台帳のコピーなんだが、これを確認すると先日の2連休を挟んではいるが、沙希ちゃんが覚醒してからの特訓は1日平均13時間以上になる。途中休憩をしているといっても、恐らくだが1時間前後だろう? 流れの良い時に出来るだけレベルアップを図りたいのは理解できるが、流石にオーバーペースではないかね?」
普段協会関連の話をする時の賢斗と違い、今の口調は穏やかなものであった。
自然と食事を進めていた全員の手が止まり、重苦しい空気が漂い始める。
「でも、それは私が皆にお願いした事なんです。色々な事がどんどん出来るようになっていくのが嬉しくて……」
メンバーをフォローする様に、沙希が声を上げる。
「もちろん、それは解っている。しかし、沙希のその想いを理解したうえで、特訓が過剰にならないよう促していくのが、彼らの役目である事は間違いない。沙希だって、今の状態が自分の身体にとって大きな負担になっている事に気が付いているだろう?」
賢斗の言葉に、思い当たる節があるらしい素振りを見せた沙希が、バツが悪そうに小さく頷く事で答える。
「確かに異常なペースだったかも知れねぇな……」
「そうね。成長していく沙希を見るのが楽しくて、特訓が過剰になっていたのは間違いないわね」
宏也と涼子が気落ちした声を上げると、紫苑と聡子も無言で頷き返した。
「本来は、私が口を挟む事ではないんだがね。元々、特訓は紫苑に任せた事だから。お前たちの気持ちも十分理解できるし、幸い大事には至っていないのだからこれから気を付ければ良いだろう。第一、特訓に付き合っているお前たちにも、相当疲れが溜まっているはずだ。リフレッシュするには、丁度いい機会ではないかな?」
微笑を浮かべてそう促した賢斗に、反論する者は無く全員が頷いた。
「久しぶりだな、温泉。最後に行ったのいつだったかなぁ……」
食事が再開され、和気藹々とした雰囲気がダイニングに戻ると、沙希が思い返すように呟いた。
「そういやぁ俺も暫く温泉になんか行ってねえな」
「私も、温泉って行く機会が少なくて、5年以上行ってないですね」
話しに乗った宏也に続いて、聡子も感慨深げに声を上げた。
「折角のお誘いなんだし、ゆっくり温泉を楽しんできましょ」
「はい! 何だか、楽しくなってきました!!」
涼子の言葉に元気よく返事をした沙希であったが、
「ちなみに、特訓はお休みでも朝のジョギングは続けますからね」
「えーーーーーーーっ!」
そう付け加えた涼子に、ガックリと肩を落とし非難めいた声を上げる沙希。
一瞬の間を置いて、ダイニングには大きな笑い声が上がった。
「紫苑。この間、家に来た啓太君。もし都合が付くなら、彼も誘ってあげなさい」
「えっ! でも啓太は協会の事、知らないんだけど……」
食事の後、賢斗から啓太を誘うように促された紫苑は、流石に驚きと戸惑いを隠せなかった。
今まで、一般人の友人を別荘に連れて行くなんて事は無かった(そこまで仲良くなる友人がいなかった)し、そもそも許される事では無いと紫苑は思っていた。
加えて、休みとはいえ軽めの特訓くらいは最低限必要だと考えていたからだ。
「だからだよ。一般人の彼が居れば、沙希達も協会関連の事を口に出来ないし、その方がしっかり休めるからな」
紫苑の思考を見透かしたように笑顔でそう答えた賢斗に、流石の紫苑も脱帽したようで、
「分かった。電話してみるよ」
してやられたといった様子でスマホを取り出すと、啓太に電話を掛け始めた。
当然ではあるが、超暇人の啓太から『絶対に行く!!』と気持ちの良い返事が返ってきた事により、白金台駅まで2人で彼を迎えに来たというわけである。
「啓太、遅いねぇ……」
スマホの時計を見ながら、沙希がぼやく。
電車の到着時刻に合わせて迎えに来たのだが、すでに5分以上経過しているのにも関わらず、今だ彼は姿を見せていない。
「まさか、乗り遅れたとかじゃねえよな?」
同じ様にスマホでLIGNEを確認する紫苑だが、啓太から遅れるといった連絡は来ていない。
「しょうがねえから、近くの喫茶店でも入って……」
紫苑が近くの喫茶店を見ながらそう言いかけると、
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉい!!! しおーーーん、さきぃーーー!!!!!!」
改札の向こうから、これでもかという大声で呼びかけながら、ブンブンと千切れんばかりに手を振る啓太の姿が2人の目に映った。しかも、〈夜逃げでもしてきたのか?〉と疑いたくなるような大荷物を抱えて……
否が応にも、目立ちまくる事間違いなしである。
それを証拠に、行き交う人々が「何事か?」と足を止め、彼の方へ視線を向けている。
「し、紫苑、他人の振りしよ。他人の振り」
「そ、そうだな。他人の振り、他人の振り」
顔を引きつらせながら2人は慌てて目を逸らすと、足早に喫茶店の方へ向かおうとする。
「ちょっ、待てよ! 紫苑!! 沙希!!」
焦った様子で追いかけてくる啓太。残念なことに、声のホリュームは変わらない。
所詮、逃げる事が叶わない2人は、仲良く溜息を付きながら目立ちまくった友人を迎え入れるとこになった。
「ひっでーな、2人とも。逃げる事ねぇだろ?」
迷惑を掛けたなどと露にも思っていない啓太は、2人に不満をぶつける。
「あの状況なら、普通逃げるだろっ!!」
「啓太、声が大きすぎ!! みんなこっち見てるよ…… 恥ずかしい……」
逆にややキレ気味の2人に文句を言われた啓太が周囲に意識を向けると、今だ数人がこっちを見ているのが分かった。
「わっ、わりい。浮かれて我を忘れちまった……」
素直に謝る啓太。
2人も、これ以上は文句を言うつもりが無かったのか、別の話題に移る。
「それにしても、荷物多くねぇ?」
「ああ、これか? これは……」
どう考えても多すぎる荷物の量を紫苑が尋ねると、啓太が訳を説明しようとしたところで、
「佐々木君! 急に走らないで……」
息を切らしながら駆け寄って来たのは、3人の担任である工藤千佳子であった。
「あれ? 先生、こんにちは。どうしたんですか?」
突然現れた千佳子に驚きながらも、沙希は挨拶をしながら尋ねる。
「ああ、月ヶ瀬さんと久世くん。こんにちは。今の電車でばったり佐々木君と会って、降りる駅が一緒だって言ったら荷物持ってくれるって。そこまでは良かったんだけど、佐々木君急に走り出したから……」
「ゴメン、先生。先生の事、すっかり忘れてた」
千佳子の説明に頭を掻きながら苦笑いを浮かべ謝る啓太。
「大丈夫よ。佐々木君、ありがとう。重かったでしょ?」
「いや、見た目ほど重くなかったっすよ」
千恵子は啓太にお礼を言いながら、ボストンバックと大型のスーツケースを受け取る。
「先生、これから海外旅行にでも行くんですか?」
荷物を渡した啓太の手に残ったのは、やや大きめのスポーツバック2つと長い筒状のケースであった。
それに対して、現在千恵子が持っている荷物は、啓太から受け取った2つに加え、本人が持っていた中型のスーツケースが1つである。
女性の荷物は多くなりがちとはいえ、尋常ではない量の荷物に、沙希は海外旅行にでもという聴き方をしたのである。
「いいえ。行くんじゃなくて、帰って来たところなのよ。私、学生の時にカリフォルニアに留学してたんだけど、その時ホームステイしていたお家の娘さんが結婚式を挙げるから来て欲しいって連絡があってね。折角だから3週間ほどのんびりしてきたのよ。向こうの家族とあちこち観光してたら、いつの間にか荷物が増えちゃって」
「そうなんですね。いいなぁ、海外旅行かぁ~」
千恵子の説明を聴いて、沙希が羨ましげな声を上げる。
「そう言えば、真樹もアメリカに行ってるんすよ」
「あら、榎本さんも? どの辺に行ってるの?」
「確か、ニューヨークに住んでるお婆ちゃんの所って言ってたかな?」
千恵子の問いに、やや上を向いて考えながら啓太が答えた。
「じゃあ、会わなくて当たり前ね。私が行ったサクラメントとニューヨークじゃ、大陸の西側と東側だもの。榎本さんはいつ帰って来る予定なの?」
「元々の予定より、1週間くらい遅れてるんすよ。多分来週には帰って来ると思うんっすけどね」
「そう、でも学校が始まるまでには帰って来るわよね。榎本さん真面目だし、優等生だもの」
クラスでも真面目な優等生で通っている真樹は、担任の千恵子から見てもそう言う印象が強いようだ。
「先生、この辺に住んでるんですか?」
今まで口を出さなかった紫苑が、不意に千恵子に尋ねる。
「今住んでるアパートは学校の近くよ。実家がね、この近くなの。アパートに帰ってからお土産届けに来るの面倒だし、このまま泊まっちゃえばお昼も夕飯も心配いらないからね」
「なるほど……」
旅行帰りによくある行動に、紫苑は頷きながら納得の声を上げる。
普段キリッとした印象で人柄も良く男女問わず生徒に人気な千佳子の、意外な一面を見た気がした沙希は苦笑いを浮かべた。
「ところで、あなた達はこれからどこかへ出かけるの?」
「ええ、明日から1週間、那須にある家の別荘に行きます。明日、朝早いみたいなんで、2人は今日から家に泊まりなんです」
こちらが尋ねれば、相手にも尋ねられて当然。
紫苑は話しても特に問題も無い為、ありのままを素直に説明する。
「那須の別荘かぁ、良いわねぇ。温泉もあるし、遊べるところも多いしね。もちろん、保護者の方も一緒よね?」
保護者の有無を確認する辺り、千佳子もやはり教師である。
「はい。俺の両親と、父の仕事仲間の人達が一緒です」
「そう。なら安心ね。折角だから、目一杯楽しんできなさい。あっ、でも休み明けに実力テストがあるから、1学期の復讐も忘れずやる事」
「マジかよぉぉぉぉ」
笑顔で楽しんで来いと言いながら、最後に爆弾を落とした千佳子に、啓太がうんざりした表情を浮かべ項垂れる。
「うふふふふふっ」
「「あははははははっ」」
予想に難くない啓太の行動に、千佳子が思わず声を出して笑い始めると、釣られて沙希と紫苑も笑い始める。
程なく笑いが治まると、
「じゃあ、私はタクシーに乗るから。気を付けて行ってらっしゃい。また、新学期に元気な顔を見せてちょうだい」
そう千佳子は言い残すと、多すぎる荷物を抱えタクシー乗り場の方へ向かって行った。
「よしっ! 俺達も紫苑の家に帰るか!!」
気合一発、啓太は掛け声と共に久世家とは逆の方へ歩き始める。
「啓太! そっちじゃないよ!! こっち、こっち」
慌てて手招きする沙希を見ながら、紫苑は訝しげな表情を浮かべる。
(先生がカリフォルニアに行ってたのが3週間…… 黒い影の活動が止まったのとほぼ同時期だ…… でもまさか先生が……)
自ら導き出した考えを払拭する様に、紫苑は千佳子の向かった方を振り返る。
しかし彼の瞳は、すでに人混みに紛れてしまった千佳子の姿を、捉える事が出来なかった。




