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6.夕刻のブオナパルテ <男> シャルル=イグナス・サンソン

古書店の薄い硝子が、陽光を反射する。


「ガラスが、光を閉じ込めているようですね。」


彼女が、柔らかく微笑んで言った。


そうして、視線が交わった瞬間、周囲の喧騒が遠のき、彼の耳には自分の鼓動だけが響いた。


笑みと視線が、胸の小さな火を強くする。


「美しい・・・」


その光を受ける彼女の顔に心を奪われ、思わずつぶやいた。


「日が落ちる前のブオナパルテ3世橋は、このガラスよりもっと美しく光りますわ。」


「夕刻の・・・ブオナパルテ3世橋?」


夕刻にブオナパルテ3世橋の付近を通りがかったことはあるが、それを気にしたことはなかった。


「あら、ご覧になったことはございませんの?それならば、今から参りませんこと?」


今の時刻、ブオナパルテ3世橋まで歩いて向かえば、ちょうど夕刻である。


彼は、一瞬の逡巡を隠すようにうなずいた。


何か言わなければならないとは思ったが、声は出なかった。


彼女も、何も言わなかった。


「もし、ご迷惑でなければ・・・」


彼は、ようやく口にした。


「迷惑だなんて。夕暮れの橋もそうですし、市場の裏通り、鐘楼の影が長く伸びる広場も、とてもきれいですよ。」


彼女は嬉しそうに頷き、彼の左隣にすぅっと移動する。


外套の留め紐を無意味にいじりながら、どう立てばよいのかも分からず、ただ彼女の横に立ち尽くす。


剣の握り方も、知っている。


馬の扱いも、下手ではない。


しかし、女の隣に立つ作法を、学んだことはない。


次の瞬間、彼女が自ら一歩、歩み寄った。


衣擦れの音が、静かな通りにやけに大きく響く。


淡い匂いが、ほのかに漂う。


逃げ場がなくなる。


逃げたいわけではない。


ただ、どうしてよいか分からないのだ。


彼女の指先が、腕に触れた。


その温もりは、驚くほど大きく、確かだった。


思わず息を止める。


腕の温もりは、剣よりも、槍よりも、はるかに鋭く胸を突く。


彼女は、何事もないような顔で、そっと腕を絡ませた。


柔らかな重み。


外套越しに感じる体温。


歩き出す気配。


ほんの一瞬ではあるが、自分の足の動かし方さえ忘れたかのように感じた。


彼女は、私の沈黙を咎めない。


穏やかに、隣に並び、ゆっくりと歩く。


それが、当然であるかのように。


ぎこちなく一歩を踏み出す。


絡められた腕が、離れないようにと、わずかに力を込めた。


それは、生まれて初めて聞くリズム。


2人分の石畳を踏む音が、ムーン=チャック通りに並んで響いた。


恐れと戸惑いの奥に、名も知らぬ感情が灯る。


感じたことのない熱が、胸の内で静かに広がっていく。


吹き付ける風は、冷たいはずなのに、腕が・・・胸が・・・どうしようもなく熱かった。


1歩1歩と並んでゆっくり歩くごとに、空は、ゆっくりと橙に染まり、鐘楼の影が石畳を長く横切る。


「ほら、あの橋っ。」


彼女が、指さす。


川面は赤く染まり、光が揺れていた。


ふっと息を呑んだ。


これほど美しい景色が、この町にあったのか。


彼女は、彼の表情を見て、満足そうに微笑む。


「やはり、ご覧になったことがなかったのですね。」


素直に小さく頷いた。


「ええ、知りませんでした。」


その言葉には、この夕暮れの光景だけでなく、自分の胸に芽生えた感情への驚きも含まれていた。


彼女と並んで、セーニゥ川の流れを雄大にまたぐ、ブオナパルテ3世橋の中央に立った。


橋の中央に立つ。


不思議な沈黙が流れるが、不思議と心地よい。


ナポレオゥネ・ディ・ブオナパルテの黄金の彫像が、陽の最後の炎をまとい、天上から舞い降りた王のように光り輝く。


光は、橋の欄干を伝い、私たちの足元へと流れ落ちた。


遠くルッフェレ塔の長い影が、淡い空の赤色の残照に溶け込むようにそびえ、夕暮れを背景に静かな威厳をたたえている。


ひんやりと冷たい石の橋上で、私の胸は、熱を帯びていた。


景色ではなく、彼女の横顔を盗み見るたび、心臓が、鐘楼の鐘のように重く鳴り響く。


節制と沈黙・・・神への誓いが、天から舞い降りたこの天使の吐息に触れるだけで、脆く崩れそうになる。


空の赤さが、胸の中を燃やしつくそうとしているようであった。


外套の裾を握り締め、祈るように胸の内で暴れる葛藤を鎮める。


ふと気が付くと彼女は、私の腕から離れ、橋の欄干に手を置き、静かに流れる水面を見つめていた。


夕陽は、栗色の髪に赤い縁取りを与え、その一房一房が風に揺れるたび、手を伸ばし、それに触れたい衝動を必死に抑える。


遠くから、市井の人々の笑い声や馬車の軋む音が耳に届いた。


しかし、この場所だけは、時が止まっている。


自分が歩んできた道と、今、ここで芽生える想いのあいだに、引き裂かれそうになった。


彼女の微笑みは・・・その光は・・・彫像が放つ黄金のそれよりも眩しく、目を伏せるしかない。


私の信仰は、私の誓いは、夜の祈りのように静かであるはずだった。


しかし、今、彼女の存在が、祈りを燃え立たせる炎となる。


やがて、夕刻のリーパの町は、静かに色を失い、青と紫の境界へと沈もうとしたが、胸の奥では、沈むことのないまばゆい光が揺れていた。


頬をなでる風が、冷たかった。


橋の欄干から離れ、彼女が、再び私の横へと立った時、水面の色は、鮮やかな赤から濃い紫へと変わっていた。


そうして彼女の指先が、手の甲に触れた瞬間、黄金の彫像が最後の閃光を放ち、まるで私たちを祝福するかのように輝いた。


温もりに抗えず、胸の奥で、神ではなく彼女の名を呼んだ。


その魂の叫びに、神が微笑むことはなかったが、再び隣に舞い降りてきた美しい天使は、腕を抱くように絡ませ、何事もないような顔でこちらにそっと微笑んだ。

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