呪いという魔術3
「どうしてそう思われたのですか」
イグナーツ先生が聞いた。すると王妃様は、
「前から少しおかしいとは思っていたんだ。だいたいこの王宮に野良犬が入ることも難しいのにわざわざこの奥にある離宮まで来て居着いている、そして最初から私にだけ懐いた。でも私はこの犬に見覚えがなかったから、この犬側に理由があるんだろうとは思っていたんだ。で、今よく考えてみた結果、もしクラウスがこんな風に困った状況になったとしたら、真っ先に頼ろうと向かうのは王妃である私しかいないだろうと思ったんだ」
「ワオン!」
まるで我が意を得たり、という顔をしてクロが吠えたということは、本当にクラウス様ということ……?
その場の王妃様以外の誰もが動揺を隠せなかった。
王妃様だけが腕組みをして、そしてあきれたように言った。
「しかしなんでこんな犬になっちまったかねえ」
「ワウン……」
悲しげに鳴いた後、クロはしょんぼりと耳を垂れて下を向いてしまった。ごめんなさい、そんな声が聞こえるような気がしたマルガレーテだった。
「どうせならもうちょっとわかりやすいオオカミの姿だったらよかったのにな」
「ワッフウ……」
「王妃様!?」
マルガレーテは驚いて思わず呼びかけてしまった。
訓練の行き届いた侍女たちは誰も口をきかなかったが、それでもぽかんと口を開けている。
「ん? ああマルガレーテ。悪いねえ。あなたの婚約者は、今は犬になっているようだ。見よこの間抜けな姿。わが息子ながら情けない」
「ワオーン……」
クロが悲しげに鳴いてマルガレーテの方をじっと見る。
その瞳は縋るような、悲しげな気配を漂わせていた。
その姿はどこからどう見ても犬にしか見えないのだが。
「あの……本当にクラウス様なのですか」
マルガレーテがクロにそう聞くと。
「ワオン」
そう返事をしてから、上目遣いにマルガレーテを見るのだった。
これは完全に人の言葉をわかっている。
その場の誰もがそう確信するクロの反応だった。
「ワオン、バウ……ワウ」
なにやらクロが、言い訳めいた雰囲気で鳴いた。最初は大きな声で、でも次第に声は小さくなって、口の中でもぐもぐと何やらワウワウ言っている。
すると王妃様が、
「言い訳するでない。何があったにせよ、結果的にお前は嵌められたんだ。あれほど注意しろと言ったのに」
と呆れたようにぴしゃりと言った。
その瞬間クロが「キュウン」と伏せをして完全降伏の態度を取る。耳がぴったりと後頭部に張り付いていた。クラウス様は、きっと犬になる前から王妃様には弱かったのだろうと容易に察せられる姿だった。
なんだか、マルガレーテはちょっとだけ面白かった。
最近はこの王妃様に逆らえる人なんてこの世にはいないような気がしていたので、クラウス様もか、と妙に納得をしたというのもある。仲間意識? そうかも?
そしてちょっと、自分の婚約者の人が、怖そうな人ではないようだと安心もしたマルガレーテだった。なんだかいい人そうな気がする。気弱そうなのはさておいて。
「ま、ある意味クラウスがどこにいるのかがわかったのは良かった。イグナーツ先生のおかげだ、ありがとう。しかし私もこいつをすっかり犬だと思い込んで犬として可愛がってしまったな。これからはちゃんと我が息子として可愛がらなきゃな! あっはっは」
「ワッフ……」
「そうかそうか嬉しいか、良かったなクラウス。あっはっはっはっは」
って、王妃様、とても面白そうに笑っているけれど、ちょっと笑い事ではないと思うのですが……。
この驚きしかない事態に余裕な顔をして大笑いできる王妃様を素直に尊敬してしまったマルガレーテなのだった。
しかしクロがクラウス様だとわかったとはいえ、会話が出来るわけではない。
ということで、その場でただちに、いちいちこちらが質問をしてクロいやクラウス様がハイ(ワオン)とイイエ(ウウ……)で答えるというもどかしい会話がその後繰り広げられたのだった。
しかしイグナー先生が最初に言ったように恐ろしく犬化の魔術が馴染んでいるようで、完全にクラウスとしての意識を取り戻したわけでもないようだということがわかった。
自分がクラウスだという意識はあるようだが、気がついたらこの状態だったようで、どうしてそうなったとか、今の王宮の政治的な話のように複雑な話になるととたんに考え込んでしまうのだ。
今のクロの状況は、単に自分が元はクラウスだったという意識のある、普通の犬とあまり変わらないようだった。
しかし自分が誰かを知っているだけでもよかったと王妃様は言って、その後はひたすらクラウス様をからかって遊ぶようになってしまった。
「お前は本当にクラウスなんだよね?」
「ワン!」
「だから私のところに来たんだね?」
「ワン!」
「なのになんで今はマルガレーテにべったりなんだい?」
「ワ、ワオン?」
「目をそらすんじゃないよ。気まずくなると目をそらす癖は変わらないんだねえ、面白い。バレバレなんだよ。で、なんでだい?」
「ワ……ワン!」
「突然犬らしく無邪気になってもダメだよ。どうせマルガレーテが好きなんだろ?」
「……ワオーン……?」
「とぼけてもダメだよ。尻尾が嬉しげに振られているじゃないか。そうかそうか、マルガレーテが好きか。よかったな、大好きな人が婚約者で。ならお前も早く人間に戻りたかろう。犬ではいちゃいちゃ出来んよなあ?」
「ワオ……」
マルガレーテは犬が照れるところを初めて見たような気がした。




