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銀河アンドロメダの猫の夢  作者: 久里山不識
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珠玉の価値観

23 珠玉の価値観


 吾輩が最初にレイト夫人を見た時の印象を書き留めておかねばなるまい。

カチさんがレイト夫人を親念のもとに連れていって、彼女が感激した話はしたと思うが、こういうことはそのあと、しばしばあったわけではない。

立場上、彼女は忙しかったということだろう。

その忙しい合間に、我々は彼女と出会うという幸運を得た。

そこはホテルの大広間だった。

彼女は吾輩を見た時に、にやりと笑った。吾輩が猫族だったせいかもしれないという直感が頭にひらめいた。

しかし、その彼女の微笑がなんともいえないものだった。微笑と言えば普通相手に心地よい感じを与えるものと相場が決まっていると吾輩は思っていたのだが、この人の微笑には魔性が潜んでいると思えるような感じが悪いものだった。さすが、独裁者ヒットリーラ大統領を陰で操るというご婦人だけのことはあると吾輩は思った。しかし、彼女がカチの方を見ると、彼女からその魔性は消え、普通の母親に変身してしまうのだから、不思議といえば不思議、当たり前と言えば当たり前というべきか。

しかし、このレイト夫人にカチが学んだ親念の教えが徐々に吹き込まれていくことによって、レイト夫人は良い方向に変わっていく。人間というのはこんなに価値観によって、変わりうるものなのか、肌身で知ったのは驚きだった。


吾輩とハルリラと吟遊詩人はトラカーム一家にしばらく滞在していた。我々はカチさんとトラーカムさんと一緒になって、親念の教えを勉強した。そしてカチさんは自分の母親である大統領夫人のレイトの所に足しげく通い、レイト夫人の変貌ぶりを我々に話してくれた。

それ以外の普段の時の我々は、広いバルコニーの長椅子に座り、読書したり、遠くの丘陵の見えるひろびろした緑の景色を楽しんでいたが、時々、丘陵の向こうの海岸にまで散歩することがあった。

そして、岩の上に乗っかり、ぼんやり海の響きを聞いているのが三人とも好きだった。時々、それぞれの立場で三人はつぶやくことがあった。

ある時、ハルリラは消費税というパンフレットを持っていて、しばらく読んでいると、急に大声で言った。

「消費税は廃止してもらいたいものだ。不公平税制ではないか。同じように国民に八パーセンかければ、富者には、負担率が小さくなり、貧しい人には負担率が大きくなるなんて、計算しなくても分かること。」



吟遊詩人はある時、こんなことを言った。

「戦争は人を愚かにする。やることも残虐になる。沢山の市民が犠牲になる。人間の理性は科学を発達させたが、同時に兵器も発達させた。ヒトが生き延びるためには軍縮しかないのだ。ヒトが生き延びるためには、日本国憲法の第九条をモデルにしたカント九条を宇宙に広めていくしかないのだ。昔のように、向こうが拳固をふりあげたから、こちらも拳固を振り上げるという子供の喧嘩みたいな発想は捨てるべきなのだ」

「そうだよね。戦車や軍艦を見て、恰好いいという感覚を捨てるべきだよね。聖書にあるように、野の百合の花の方がずっと美しくかっこいいのさ」とハルリラが言って、高笑いをした。「俺のような武人がこんなことを言うとは俺も変わったものだ」

「そうだよ。軍縮が人類を救う。軍拡を続ければ、必ず戦争になる。そして、近代戦は勝っても負けても破滅的な危害を市民に加える。それに軍縮はハルリラの言う消費税廃止を可能にする」と吟遊詩人が言った。


「ここのトラカームさんとこで見た、映画「戦場のピアニスト」を見ると、つくづくそう思いますね」とハルリラが言った。

「あれはいい反戦映画ですね」と吾輩は言った。

「建物の中から、沢山のユダヤ人を引きずり出し、男も女も後頭部からピストルで残虐に殺していくナチスのドイツ軍人を見たあと、別の善良なドイツ人もいたということは救いでした。主人公であるユダヤ人の名ピアニストが逃げ惑い、腹もへり、衣服もぼろぼろというみじめな姿で、ある廃墟の群れの一角にある、焼け残ったビルの中の屋根裏で、食糧をあさっていると、かなり、階級の高そうなドイツ軍人が『そこで何をしている』と静かに問う。ピアノがこのビルの中にあったので、それを弾いていたのだろう。主人公がピアニストであることを告げると、将校は弾いて欲しいと言う。主人公の演奏に将校は感動して、食糧を与え、寒さにたえるためのオーバーを与え、もう少し、我慢すれば、君を解放してくれる軍が来るという意味の情報まで知らせてくれた。沢山の残虐なことをしたナチスの中にそういう良い軍人がいたというのは救いですね」と吾輩は言った。



「そのドイツ人をそういう気持ちにさせたのはショパンの音楽でしょう。文化こそ人の価値観を良い方向に変える。親鸞聖人の価値観がまるでショパンの音楽のように、大統領の心の中に入り込んだのだ」と吟遊詩人が言った。

「彼が心を入れ替えてくれるということもあるのかな」とハルリラが言った。

「近いうちに大統領演説があるそうだ。」

「大統領演説」

「そう」

「猫族の人達に対する迫害もこれで終わる。そうすれば、我々は銀河鉄道に戻り、次の旅に出ることになるな」

「次はどんな所かな」とハルリラが言った。

「宇宙は広大だ。わが銀河系の天の川は二千億の星の集まり。つまり、二千億の太陽があるというが、アンドロメダ銀河は一兆個の太陽があり、生物が住める惑星もそれは無数にある。いい惑星もあれば悪い所も」

「気が遠くなるほどあるんだね」とハルリラが言った。

「地球よりももっと住みやすい惑星があるんだそうだ。ここも気候はいい。空気もいい。悪かったのはヒットリーラの政治だけだった。しかし、それも親鸞の教えによって、価値観が引っくり返され、今度の大統領演説が楽しみだ」

「良くなるんですか」

「良くなる。もうすぐ平和が来ると思うよ」と吟遊詩人は微笑した。

「ハルリラさん。この国が良くなるならば、士官の道はどうですか。トラカームさんあたりに口をきいてもらうとか」

「確かに、士官もいいがあなた方と一緒に旅することに興味を持つようになったのですよ。ラーラさんはコリラ君という良い伴侶が見つかった。ここにいて、恋人を探すのもいいが、あなた方の旅にも魅力がある。その中で自然に伴侶が見つかったら、その土地で士官をするということにしました」


「ドミーさんはどうなったの ? 」

「ドミーさんは解放されて、永遠平和を願うカント商店街で書店兼カフェーで働いているそうだ」

「ああ、そう言えば、カント九条と永遠平和を宇宙の惑星にという標語のもとに、最近カント商店街と改名した所が話題になっている。あそこは道路の突き当りが高い階段になっているから、馬車が通れないために、道路がまるで細長い公園のようになっている。ヒトだけが道を歩き、カフェーでは戸外の椅子に座り、静寂と美しい太陽の光を楽しめるというわけだ。以前から人気のあった所だ」


それから、我々は沈黙して、海の波の音を聞いた。夕方までぼんやりしていた。

日が海に沈む姿は荘厳だった。真紅の太陽が水平線に近くになるにつれて、青かった空はあかね色に変わり、そして、徐々にその淡い色から濃い色に変化していく、それを見ていたハルリラは腰から真剣を抜き放ち、「こんな武器のいらない惑星が見つかったら、俺のような武人でも海と溶け合う太陽に永遠を感じることがあるかもしれない」と叫んだ。



帰り、緑の丘陵の上を歩き、ちょっとした買い物のために市街地に寄ったら、猫族のデモに出会った。

茶色のジャケットを着た猫族の男が先頭に立って、声をあげている。猫族としては、虎族なみの体格を持った男である。目は丸く、黒い口ひげがピンと左右に伸び、黄色い温和な顔をきわだたせている。

「スピノザの神をたたえよ。たたえよ。スピノザ。大自然の中に見る神。 

かぐわしい草花があたりに緑のじゅうたんとなる頃、タンポポの花が咲く。そして、樹木の上には梅の花から、桜の花へと、満開を楽しむと、それはやがてひらひらと地上に降り、土色の大地は雪が降ったように、白くなる。その白さの中に春のいのちのピンクが見えるのは何という美しさだ。スピノザの神はこのピンクのようなものだ」

「やがて、吹く風。降る雨。それらと一緒に散っていく春よ。

そして、美しい恒星の光がわが惑星にこの世ならぬ光の束をもたらす。

おお、この光の中に、スピノザの神を見る」と、若い女が男の後ろから大きな声をあげた。ジーンズと緑のカーディガン、それに赤いベレー帽をかぶった女だった。

「どこからか響く、ヴイオロンの響き。その旋律の中にスピノザの神を見る。

雷がなり、ざっと降る夕立のあとに、天空にかかる虹の橋。そこにスピノザの神を見る。

自然は神そのものだ。

自然は神が姿を現わしたものだ。

五月になると、草や木が成長しあたりが新緑に覆われる

その緑の木陰に身を寄せて 小鳥たちは楽しげに鳴いている、この小鳥たちの生きる喜びに、スピノザの神の声を聞く者は、新しいわが惑星の門出を信じるだろう。歌えよ。奏でよ。生きることだ。我らもその神の一部なのだから、この喜びを共にわかちあおうではないか」と先頭の男が言ってから、プラカード「信仰と思想の自由」を大きくかかげる。

同時に、後ろの女は「カント九条をこの惑星にも根付かせよう」というプラカードをかかげる。その後ろには、「表現の自由」のプラカード。その後ろには、「基本的人権の確立」のプラカードという風に続いている。



「スピノザはあの男達の精神のよりどころだったのだよ。それだけに、ティラノサウルス教という邪教には我慢できなかった彼らはスピノザに夢中になったのだと思うよ」と吟遊詩人は言った。  

「自然イコール神ということなんでしょ」とハルリラが言った。

「そうか。我々がご来光に手をあわせる気持ちと同じだね」と吾輩は言った。

「神という実体が形を現わしたのが自然と意識ということになるのかな。スピノザは汎神論だな。仏教は真如という風に言うこともあるが、スピノザの神と真如はイメージは似ているが、まるで違う」と吟遊詩人は言って、微笑した。

     

それから、数日して我々はトラカーム一家から少し離れた広場のオープンカフェの椅子に座った。吾輩はブラジルコーヒーを注文したが、吟遊詩人はキリマンジャロを注文した。ハルリラはしばらく迷ってから、ビールを飲むことにした。広場には、多勢の観客が集合していた。周囲のカフェーの椅子に座る者。広場に沢山並べられているベンチに座る者。みな、前方の大統領が現れる演壇に注目していた。


「大統領演説が始まります」という女のアナウンサーの声が聞こえる。ヒットリーラは自慢の小判のような山吹色のふさふさした髪の毛を殆ど切り落とし、黒っぽい肌が露出した頭になって、顔も黄色い髭をそってしまったので、まるで卵と岩のコラージュのような顔になって、テレビに登場した。


ブルーの帽子に、山吹色の民族衣装を着た大統領は演説した。

「皆さん。私は悪人だった。ティラノサウルス教を信じ、強者こそ、生きる価値のある者で、天国も強者のものと思っていた。

強ければ、悪いことも許されると信じた。そこで猫族の人には大変、申し訳ないことをした。不幸なことであったが、最悪の結果は避けられている。収容所ではいまだ強制労働だけで、死者も病人も出ていないということだ。今、ここに直ぐ解放することを宣言する。彼等には医療と年金を与える。

わしは悪人だった。しかし、親鸞さまはその悪人と自覚した者こそ救われるとおっしゃつてくれた。本来ならば、わしは地獄に行っても、当然の男だが、そういう悪を身にまとったわしのような心の貧しい男を救ってくださるのが阿弥陀仏だと親鸞さまはおっしゃった。わしは阿弥陀仏に帰依する。」

そこまで言うと、大統領はコーヒーを飲んだ。この国はコーヒーが飲料として盛んにのまれる。そのせいか、吾輩の飲むのも天下一品、うまい。

それに大統領のコーヒーカップは、茶室で使われる黒楽茶碗のあの渋みのある肌の黒色だった。


大統領はそこまで言うと、一呼吸してまた始めた。

「わしの悪人としての自覚とこの阿弥陀仏の救いへの感謝への気持ちとして、全ての民族の平等、信仰の自由、表現の自由、基本的人権、戦争の放棄が書かれたカント九条を含む平和憲法を取り入れる。


こうして、わしは隣の国と文化交流それから、芸術交流をしていけば、国民と国民が理解し合える。そうすれば、軍備など最小限で良いということが分かった。残った金は福祉にまわせる。消費税も廃止します。

確かに、今の状況では、隣の国の軍備増強は気になる。しかし、軍拡は間違いだ。

お互いに軍拡を続ければ、いずれは戦争になることは目に見えるようだ。

隣の国民もこの軍拡が間違いと気づいてくれれば、軍縮にいくように政府に働きかけるであろう。そのためにも、国民と国民の文化交流が大切だ。スポーツ・芸術ありとあらゆる文化活動そうしたお互いの交流が、人の心をなごませ、大きくする。そのことによって、国民がお互いに理解し合えれば、軍縮は可能になる。そして、我々の国と隣の国は平和共存できるという確信を抱くようになる。」


大統領は帽子を取って、テーブルに置き、コーヒーに少し口をつけた。

それから、手を合わせ、しばらく目をつぶった。瞑想なのだろうか、ティラノサウルス教ではこういうことはしないというから、画期的なことである。そして彼はおもむろに、再び話し始めた。



「親念さまには感謝する。なにしろ、あの浄土から還相回向によって、舞い降りてきたといわれる素晴らしいお坊さんである。

私は以前は、できの悪い者、煩悩深き凡夫が神仏によって救われることはあるまい、わしのいきつく先は地獄だ。しかし、わしはそんなものは信じない、と思っていた。そして、猫族の人達を迫害した。


私は自分の悪に苦しむ心もないわけではなかったが、わしは開き直り、ますます悪の道にまっしぐらで、猫族の人達をいためつけようとすら考えていた。心の底では、自分のことを救いようがないとは思っていた。

そういう時に、

親念さまは 仏さまは、悪人と自覚し反省した凡夫をまず救ってくださるという。こんな教えに出会ったのは初めてで、わしは生まれて初めて、感動した。

わしの心に、悪を自覚する心が残っていたことは驚きで、手遅れにならない内に、わしの全ての悪い行為は全廃することを誓ったのだ。

阿弥陀仏に包まれていることを知ると、不思議にわしに慈悲の心が湧いてくる。

猫族の皆さん、まことに申し訳なかった。ここに民主主義にもとづく大統領選挙をあたらしく始めることを宣言する」


そのあとの、大統領の演説が終わった時の一人の記者の質問も衝撃的な内容だった。

「隣国が軍拡をしているのに、わが国が軍縮をしたら、軍事バランスが崩れて、隣国の強硬論の勢力によって戦争が引き起こされるのではないか」

「それは分かる。だから、軍縮は同時にするものだ。何事も過渡期というものがある。その間は、最新鋭の防衛力と知略を使って我が国を守る。その間もカント九条を全面的に取り入れて、平和を訴えていく。その方が説得力があるではないか」


いつの間に、レイトが大統領の横にいた。トラーカムは見て、驚いた。一年前に見た時も、昔の天使のような美しさは年のせいか、掻き消えてしまっていた。昔の美人の顔立ちは残っていても、顔に品性もなくなっていたのは中身が年齢が上がるにつれて、にじみ出してきたに違いない。吾輩が見たあの魔性の微笑もその名残りだつたのかもしれない。

この日の彼女は微笑していた。地獄から生還した喜びがあるとでも思えるような不思議な微笑だった。


大統領の演説の内容はトラーカムにとって、奇跡としか思えなかった。価値観が正しい方向に転換することによって、この惑星にも奇跡は起きたのだ。

地球の歴史で、第二次大戦に起きたナチスの野蛮なことが、この惑星で再び行われる危険性があったにもかかわらず、親鸞の教えにある素晴らしい価値観への転換によって、危険は回避された。


地球のナチスの残虐さはこの惑星にまで、知られていた。なにしろ、六百万人のユダヤ人の虐殺。人間はここまで残虐になれるのかと、絶望的な気持ちになるほど、善の仮面をかぶったナチスの蛮行はひどかった。

それがこの惑星では、回避されたのだ。


こうして、我々は大統領に感謝され、この国の一番のホテルに招待された。

吟遊詩人が言った。

「良い価値観への転換が争いのない社会にするために必要だということがこの惑星での経験でよく分った。僕も随分勉強になったよ」

「本当にそうですね」とハルリラが言った。

吟遊詩人はうなずいて、ヴァイオリンをかきならした。

そして、一呼吸置くと、歌を歌った。


ふと思う、旅の悠久の流れ

人間社会の善だの悪だのと争うことも夢のよう

ピストルと排気ガスは消え、わが山荘に、梅のような花が降っている、

そこで、永遠の古典を読み、神仏の空気を吸おう、


  街角は花壇にあふれている、果物と音楽

  ベンチで人が微笑し、やわらかい雲が塔をつくっている

  私は歩いている、無一物で歩いている

  向こうから、友が来る、無一物でやってくる


  おお、友よ、ここに透明な田園と森をつくろう

  そしてどこからともなく訪れる妖精の国としよう

  汚れのない、砲弾のない、花のような、宝石のような街角

  人が永遠を食べることの出来る町をつくろう

  空気がおいしい街角、呼吸して霊気を感じられる街角があれば

  太陽が神である街角、友よ、そのカフェーで珈琲を飲もうではないか

 


          




24 花火

 大広場の演壇の所に一人の背の高い男が長い槍を持って、立っていた。そこは少し前にヒットリーラが演説した所だ。

「何か用か。ハルリラ、わしを呼んだのではないか。魔法界からここまで、降りてくるのは年のせいか、最近では億劫になってな。それでも甥っ子の一大事とあっては。」

「呼んだ ? わしは念仏を唱えただけだ。ちょっと親念さまに敬意を持つようになったのでな」

「わしは念仏をお前からの助けを求める叫びと勘違いした。ううむ。年はとりたくないものだ。」

この百九十センチはあるかとも思われる背が高く、足から身体すべてが細長い男は年のころ、初老というべきか、長いあご髭は真っ白である。

吾輩はドン・キホーテを思い出した。ハルリラにこういう叔父がいるとは聞いてはいたが、前触れもなく突然現れるとは驚きだった。

ハルリラの両親は死んでいて、兄弟もいず、何人もいた叔父と叔母も死に、このヒト一人がハルリラの唯一の目上の肉親ということになるらしい。

様子からすると、この叔父さんは長いこと、魔法学校の理事をしていたが、結局それも引退、さて、何をしようかと思っていた所に、ハルリラの念仏を聞きつけ、すは一大事、未熟者を助けるのは叔父の勤めとばかり、出てきたら、ハルリラに余計なお世話と言われ、がっくりしたらしい。

「さて、さて。この国は平和になりそうだから、わしの出る番はなかろう。

それではひっこむ。もし、俺を呼びたかったら、そのお前の少しへんてこな念仏が気に入ったから、約束の暗号よりも、その方がいい。それを唱えろ。

そしたら、俺は加勢に出てくる」

「でも、俺は阿弥陀様を呼ぶので、叔父さんが出てきてくれてもあまり嬉しくない」

「俺が気にくわないだと。俺には沢山の恩があるくせに。それに、その念仏には、俺は感動する。その念仏が聞こえてくると、魔法界の空から、美しい大きな花が舞うように降りて来る」


「気持ちは分かるけど。俺は武士なんだ」

「最近は口ばしの黄色いのが一人前のことをぬかす。お前の魔法なんかわしの奥の深いものに比べたら、半人前」

そこで、ハルリラは「叔父さん、もう分かった。もう、色々なことは解決した。叔父さんの出番は今はない。あばよ。呼ぶ時は呼ぶよ」

そう言われた時、花火のようなものが演壇の下からあがり、その煙と一緒に叔父さんは消えた。ハルリラが沈黙していたので、吟遊詩人が言った。

「魔法界って、きっと我々の生きている虚空の世界にあるのではないかな。つまり、娑婆世界も浄土も霊界もいのちに満ちた「虚空」にあるのだが、我々からは娑婆世界しか見れない。魔法界もその「虚空」の中にあるに違いない。

我々の娑婆世界は物質世界、ここは科学の活躍する所でこの世界もどうも幻のようでリアルな存在というような摩訶不思議な世界なのだから、ハルリラの故郷も面白い所なんだろう」

「魔界はどこにあるのかな」と我輩が質問した

「さあね」と吟遊詩人は微笑した。

その時、我々の前に魔界の知路が現われた。緑色の目をして、あでやかなブルーの服を着て、輝くばかりの美しさではないか。吾輩は彼女が突然現れたのも驚いたが、彼女が魔界の人というのも納得できない。

「君を呼んでなんかいないよ」とハルリラが言った。

「あら、あのホテルに行くのでしょ。垂れ幕みたら、あたしを川霧さんが呼んでいるのかと思って」

「吟遊詩人は君なんか呼ぶわけないよ。」とハルリラは大きな声で言った。

「あら、そうなの」と彼女は言って、一瞬の内に消えた。

さて、朝から奇妙なハプニングが二つも続いたこの奇妙さに宇宙の神秘さがあるのではないかなどと、我々は話題にしたが、川霧は沈黙がちだった。やがて、我々はこの国の一番のホテルといわれるティラノサウルスホテルに到着した。

恐竜ティラノサウルスの形をしている大きな金色のホテルである。巨大な恐竜が犬か猫のようにおとなしく大地に両足をつけて瞑想でもするかのように遠方を見ている姿を表現したデザインなのだろう。ヒットリーラがああいう演説をしたからといって、ティラノサウルスホテルのデザインまで急に変わるわけではないのである。ただ、一つ変わっていたのは、ホテルの玄関に良寛の和歌が書かれた綺麗な垂れ幕が下がっていたことだ。

『天が下にみつる玉より黄金より

春のはじめの君がおとづれ  』


ヒットリーラが改心してから、世の中はぱっと明るくなった。もともと、この惑星のこの国は美しい土地柄で、悪い政治だけが問題だったのだから、そういうことになる。


吟遊詩人と吾輩とハルリラは ヒットリーラに新しく採用された猫族の新大統領補佐官が玄関で出迎えでくれ、案内されて、ホテルに入った。

『リヨウト』という名前のこの新しい大統領補佐官を見た時は驚いた。あの猫族のデモの先頭に立っていた男ではないか。目は丸く、黒い口ひげがピンと左右に伸び、黄色い温和な顔をした体格のいい男。まさに彼だった。


この補佐官の横幅のがっちりしたタイプとは対照的だったのが、三十代半ばの吟遊詩人だった。


吟遊詩人はヒト族の中でも背が高い方で、ほっそりしていた。

口ひげのある細面のベージュ色の肌の彫りの深い顔に、優しいブルーの目の光があり、全体に憂いを帯びた感じがある。フランス系アメリカ人と日本人の混血ではあるが、髪は黒かった。肩はがっちりしていて、腕も太かったのに、ブルーの中折れハットに彼の着る百合と薔薇の模様の入った緑のジャケットとジーンズからかもしだされる雰囲気はヴァイオリンを持つ詩人にふさわしかった。頸の所に、銀色のクロスのネックレスをかけていた。


トラカーム一家で、服をプレゼントされ、新調したのだ。吾輩はシーブルーのシャツに茶色のベストを着こんだ。ハルリラは吟遊詩人のよりはもう少し薄い緑の服で上から下までそろえていた。三人とも、銀河鉄道の乗客であることを示す金色のコートは手に持っていた。


ホテルの支配人は虎族だということが、吾輩にもすぐ分かった。虎族の中でもあまり人相がよくない感じがする。愛想は素晴らしく良いのだが、どこかに陰険なものを隠している。


リヨウト新大統領補佐官は平和と自由と平等を基本にしながら親鸞の教えを広め、この国を多様な価値観のある文化の国にするというのがお役目で、ティラノサウルス教にとっては面白くない人物ということになる。

我々はホテルの一室に三人一緒ということで、あてがわれたが、その部屋の豪華なことこの上ない。三人でソファーに座り、珈琲沸かしを使って、飛び切り上等の珈琲を飲んだ。天下一品のおいしさだと味わいながら、壁の大きな絵を見た。

もしもゴッホが海を描いたならば、こんな風になるのではないかというような海の絵だった。その波打ち際のよせては返す海の水に、この惑星の「呼吸」が感じられるような迫力があった。


夕食の時は 新補佐官は食堂にいる我々の所に来て、挨拶をした。外では、花火を上げる予定のようだった。天井の近くまで広がる大きな窓は透明で、沢山の星がキラキラしているし、地上のみを浮き彫りにする特殊なライトのおかげで、庭園の樹木や沢山の花が目を楽しませてくれる。


食事も豪勢で、ワインが出された。ただ、吟遊詩人のだけは特別のメニューだった。キャベツとニンジンとブロッコリーの温野菜と豆腐の料理と玄米食。多くの果物と高級なワインだけが吟遊詩人の地味な食事を宴会にふさわしい豪華なものにしたてる役柄とでもいうようであった。

トラカーム一家では肉も出たけれど、全体に菜食主義の傾向があったので、気がつかなかったが、このホテルで吟遊詩人の食事の好みにはっきり気がついた。

前から、ちらりと聞いてはいたが、この日、彼は「実は慢性胃炎なのです」と告白した。

彼は腕が太く、筋肉質であるわりには、ほっそりした体型はこのあたりに原因があるのかなと、吾輩は思った。

「ピロリ菌が私の胃の中に住んでいるのかもしれませんね。子供の頃、井戸水をよく飲んだのはいいのですけど、あとで知ったのですが、あそこの井戸水は少し汚染されていたようです」

「ピロリ菌は除菌しないのですか」

「まあ、胃もたれ程度ではね。萎縮もあるといわれてますから、いずれは除菌すると思いますよ。慢性萎縮性胃炎ということになると、胃がんのリスクも考えなければいけなくなりますから、時には、塩や肉はなるべく控えめとか、野菜と玄米と畑の肉と言われる大豆という風にしようと思うわけで、今日のようなメニューになってしまうのです。リヨウトさんは胃の方は丈夫そうですな」

「私は貧しい家に生まれましたが、不思議なことに、天は丈夫な身体を私に与えてくれました。胃は物凄く、丈夫。酒でも肉でも、何でも大量に入ってびくともしませんから、今日のようなご馳走は大歓迎ですわ。私の好きな肉も沢山ありますし」

「補佐官は激務ですからね」

「ヒットリーラ閣下によると、このような変身をとげるとは私も考えませんでした。なにしろ、私は猫族のレジスタンスの幹部だったのですから、そんな人物を補佐官にするとは、親念さまの教えはまことに素晴らしい。私も、まだ教えをうかがうようになってから、数週間なので、深い所はまだまだ分らぬ所が多いです。ヒットリーラ閣下によると、悪人という反省に至った者こそ、阿弥陀仏の救いになるという話。

私は自分のことを善人と思っておりましたから、最初は戸惑いました。

私の神はスピノザの神でしたからね。」


「スピノザの神」と、吾輩は小声で言った。

吾輩はデモ隊の先頭に立って、そういう言葉を言っていた彼の威勢の良い声を思い出した。


「ええ、そうです。この地球の哲学者は宇宙のインターネットでも知られていますし、猫族には信奉者がけっこういるのです。


確かに、見かけは阿弥陀仏とスピノザの神は違う。なにしろ、大統領補佐官になるということで、数週間のにわか勉強をしたので、阿弥陀仏はお釈迦さまの教えの流れの中ではぐくまれてきたものでしょうから、縁起の法というのが重要視されますし、『空』という思想が中核にある。そこへいくと、スピノザの神は実体ですから、外見から判断すると、まるで違う。しかし、これはわたしの直観ですが、どこか似ている。いや、殆ど同じような光を見るのです」


「確かにね。私もそんな思いがすることがある」と吟遊詩人は言った。「やはり、一番の違いはスピノザの神は人間の頭脳で考えだされた神ということです。理性でつくられた神です。

そこへいくと、阿弥陀仏は念仏の中で悟った大慈悲心の仏です。頭ではない、理性ではない。南無阿弥陀仏という念仏による心身脱落です。

ですから、阿弥陀仏をどんな仏なのであろうと、イメージで考える、あるいは理性で考えて行くと、スピノザと同じような神になるのだという気持ちよく分かります」


ハルリラが突然、言った。

「わしの魔法の異次元の世界もわしの故郷というひいき目もあるが、この娑婆世界と一枚にあるのだ。しかしそこに普通には入れない。詩人の川霧さんの言うように、もしかしたら魔法界もこの娑婆世界もその一枚【虚空】にあるのかもしれない。しかし、娑婆世界からそちらを見ることが出来ない。娑婆世界は物質でできている。わが故郷には『神秘の一本道』という魔術を使って帰るしかない」

「ハハハ、念仏も座禅も自己を忘れ、新世界【浄土】を見る一本道さ」と吟遊詩人は笑った。

「なるほど。それは傾聴に値しますな」とリヨウト補佐官は言った。

「それはともかく、大統領の価値観が良い方向に変わったということはこの惑星のこの国にとっては、素晴らしいことです。なにしろ、ぼくは猫族ですから、猫族が迫害されているのは見るにたえません」と吾輩は言った。


「レイトさまにも驚きました」と補佐官は立派な黒い口ひげを手で触ってから、言った「あの方は美人で、頭もよく誰が見ても、外見は天使のようでしたので、あのティラノサウルス教を信じているのが、私達には不思議でした。私達猫族にとっては、あのティラノサウルス教というのはどうも好みません。

なにしろ、虎族のような強者のみ人間の価値があるなどと訳のわからぬことを人に教え込むのですから、宗教の慈悲あるいはアガペーとしての愛の原理に反していることばかりなので、私は邪教と思っていました。

もっとも、このことはあまり大きな声では言えません。ヒットリーラ閣下とレイトさまが変心なさっても、ティラノサウルス教の組織は残っています。これから、どういう風になるのか見ものですな」


「具体的にはどんなことが起きると考えるのですか」

「親念さまの考えるような、全ての人の平等という社会システムをつくる邪魔をするでしょうな。それに、宇宙と地球の宝、カント九条を全て、取り入れることを邪魔するでしょうな。あれほどの素晴らしいカント九条は地球でも長い歴史の中で沢山の人々の平和への願いと努力の結晶として出来た日本国憲法九条をそのまま世界と宇宙にも適用しようというヒト族の思いでつくられたものですから。

わが愛するスピノザ惑星協会の力を借りねばなりませんし、親鸞さまの教えは確実に広がっていますが、まだ少数勢力です。虎族の間に親鸞さまの教えがどの程度広がるかが、鍵になるでしょう。虎族ではやはりテイノサウルス教の人気は簡単には衰えないでしようから」


花火の音に、皆、窓の方を振り向き、「綺麗」というような声があちこちから聞こえた。菊のような大輪の花のようなものが夜空に広がり、散っていくかと思うと、次には沢山の大きな果物のような丸いいくつもの色の輪っかが重なり、不思議な図形をしばらくつくって、花開くという風で、そして素早く散っていく。そんな美しい花火だった。 


「食堂から、こんな花火が見られるとは、中々のホテルですな」と補佐官が言った。

「立派なホテルです」と吟遊詩人が言った。


「私も初めてなんですよ。ただ猫族の間では、奇妙な噂がある。雷がなる嵐の日に、ホテルに入った猫族は消されるという」と補佐官が言った。

「怖い話ですな」


「ええ、ティラノサウルス教というのはこの土地にある古くからの風習を取り入れているので、雷の日の嵐というのは虎族の神々の祭りの日だと言うのです。その祭りの日には、いけにえが必要だった。まあ、大昔の野蛮な風習が、このティラノサウルス教によって復活したというわけです。」

「それで、ヒットリーラ大統領があのような親鸞さまに帰依するという演説をしたあとでも、その風習は残るのですか」

「いいえ、廃止です。その役割を担当しているのが私です。信仰の自由から言って、ティラノサウルス教を今すぐ解散させるわけにもいきませんが、悪い習慣は法律によって禁止することが出来るわけです。今までの独裁と違って、国会で審議して法律をつくるという当たり前のことがこれから行われるわけです。

全てはこれからで、私の仕事は山ほどあるわけです」


花火があがると、食堂の中にいる人々は大きな窓の方に振り向き、ため息と賛嘆の声が耳に響いてくるのだった。月のような衛星が青い夜空にひときわ美しく白い光を放っている。気がつくと、黄色い閃光と共に周囲に緑色の柳の形を表現しながら下に広がっていく大きな花弁のような花火があがる、その時には、殆ど人の感情の結晶のような音楽とでもいうべき声があちこちから響き渡るのだった。


多くの星も白い衛星も地球で見るのとは違った神秘な趣をなしている濃い青の夜空に、皆、目を向けていた。


ちょうど赤と青と黄色の花火が 暗闇の中から大きな手を広げるように花開くと、そのあとは まさに消えようとする所であった。 

一流ホテルの庭だけあって、豪華な花や樹木が美しく整然としていて、花火はその庭園の空を飾る美しい色彩の光を放つシャンデリアのようでもある。

空に花模様を描き、散っていく様子が何度も何度も繰り返され、その花火の軽やかな音を聞いていると、この日が特別の祭りの日のように思えるのだった。


しかし、祭りといえば、少し前までは、猫族のいけにえがあったのかと思うと、吾輩、寅坊は寒気がした。

「猫族の収容所は解散すると大統領は演説で言っていましたね。それで誰も死者は出なかったのですか」

「幸い、親念さまの布教が早かったので、これもみなあなた様方のおかげですが、死者はでませんでした。

ですから、宇宙のインターネットによると、地球の第二次大戦のように、ユダヤ人を六百万人も虐殺するというようなナチスのような蛮行は防げたのです。これで、価値観というのがどれほど大切か我々もしみじみと感じたしだいです」

ただ、吾輩はテイノサウルス教によるいけにえの犠牲者というのはあったのではないかという疑問を持ったので、そのことを聞こうか迷っているちょうど、その時、そこへ中年の女が入ってきて、我々に近づいてきた。

この女は高級軍人の妻で、リヨウト補佐官の知り合いのようであるが、見るからに金持ちの虎族の奥様という感じがする。耳に金のイアリング。ネックレスはダイヤ。虎のような黄色い大きな鼻には、銀のピアス。腕には、いくつもの宝石のついたブレスレットをはめている。

ひとの噂話が好きで、人は悪くないが、軽薄な感じのする女という雰囲気が年のわりに派手な服装と喋り方から伝わって来る。


「あら、リヨウトさん。あなた、レジスタンスの幹部でしょ。こんな所にきていいの。

消されちゃうわよ。特に雷のなる嵐の日にはね」

「わしは大統領補佐官になったのですよ」

「あら、御冗談がきついわね。あなたは貧乏だし、それにわたしのような影のサポーターがなかったら、とっくに消えて今頃はここにいない筈ですよ。あなたは猫族の幹部でしょ」

「ここに座らしてもらうわね」


彼女は リヨウト補佐官には特別な感情を持っているらしく、丁寧な口調ではあるが、相手によっては、夫の地位を鼻にかけて、どこへ言ってもいばりちらすという風に言われている女である。


リヨウト補佐官は大統領演説の内容を説明した。

「ふうん。そうなの。

それで、おかしなことがあるのよ。ここへ来る前に、天気予報をきいてきたのですけれど、今日は夜半から天気が急変するという話ですわ」

「急変」

「雷鳴がなる嵐ですわ。だから、私はあなたに警告にきたのじゃありませんか。少しは感謝しなさい。そちらの方は銀河鉄道のお客さんのようですから大丈夫のようですけど、リヨウトさんは私の古くからの友人ですからね。 わたしが一人で寂しく今晩はここに泊まろうとしたら、リヨウトさんがいると聞いて飛んでご忠告にきたのですわ。でも、そんな大統領令が出たとなると、リヨウトさんはご無事ということね。それで、あちらに三人も猫族の方がお食事されているのね」


見ると、猫族の親子のようである。中年の父親と六才くらいの息子が談笑しながら、食事をしている。

この虎族の奥様は我々が座っている椅子にかけてある金色のコートに視線を向けて言った。

「それにしても、こんな所に大切な金色の服を置いて、食事をなさるとは無作法ね。支配人も気がきかないわね」と彼女は言って、手でパンパンとたたき、ボーイを呼んで、金色のコートをあずかるように言った。

「アンドロメダ銀河鉄道のお客さまであることを示す大切な服をあずかるのもホテルの役目ですよ」

支配人が飛んできて、彼女に「気がききませんで」とあやまっていた。謝る相手が違うような気もしたが、それだけ、彼女のホテルでの威力を感ずることが出来た。

     

            


25 魔王

 花火が上がった。天高く、黄色い光が破裂すると、巨大なバナナのような太い黄色い光の束が下の方向に十本以上あるかと思われるほど、美しく舞い降りる、そして、さっと消えて行き、元の夜空に戻るが、その夜空には黒雲が激しく動き出していた。

花火が終わった頃、雷鳴が轟いた。

「さあ、今晩は早く寝ましょう」と虎族の奥様フキはそう言って、立ち上がった。

そして、何やら、猫族の家族に挨拶をして、しばらく、そこの旦那と話をしていた。

その時、一人の猫族の若い女性がその家族のそばの席に座った。

まるで森と湖のある所から、やってきたような不思議な新鮮さに満ちた女性だった。

可憐な感じがするのに、何か知的な職業を持っているようなリンとした賢さを秘めているような感じだった。

虎族の奥様フキがその場を去ると、そばの席の猫族の男が彼女に声をかけた。

「おや、今日はデートかい」

「いいえ、一人よ」

「ほお、若いのにこんなホテルに勇ましいね」

「取材よ」

我々は最後に出たコーヒーを味わった。キリマンジェロに似ているような味がする。コーヒーを飲みながら、食堂の壁に飾ってある風景画をしばらくぼんやり見ながら、聞こえてくる猫族の男と娘のやり取りを聞いていた。急にシーンとなって、しばらくすると男は家族との会話と食事の方に向いていた。



それから、吟遊詩人と吾輩とハルリラはバルコンに出た。リヨウト補佐官はタバコを吸って、そのまま食堂の椅子に座っていた。稲光が庭園をてらしたかと思うと、直ぐにドーンと大きな音がした。

「どこかに雷が落ちたな」と詩人はつぶやいた。

空には何か不吉な黒い雲が素早く流れている。

そんな嵐の夜中に馬を駆っているひずめの音が聞こえる。

吾輩は「魔王」という詩をふと思い浮かべた。

吟遊詩人は瞑想しているように目をつむり、「今、ふと新しい詩と曲が浮かんだ。どこかに、魔王の影響があるかもしれないが」と言い、目をあけ、吾輩を見た。

私の思いと詩人の思いが一致したことを不思議に思いながらも、詩人が歌うなと吾輩は思った。


歌声は深夜の空気の中に響き渡り、吟遊詩人は殆ど舞台に立つテノール歌手のように素晴らしい声をはりあげた。


 バルコニーの外を見てごらん。

緑の樹木と柳が黒ずんで激しく揺れている

時々、大空に稲光と雷鳴

嬢や、ドアを閉めないと、突風が家の中に入る

家の中から嵐は見るものよ


ママ、聞こえない

あたしを呼んでいる嵐の魔王が楽しいものを見せるって

それは風の音ですよ。

でもね、面白そうな愉快な声よ


嬢や、ドアをお閉め。ママは今、台所仕事に忙しいのよ


でも、これから面白いパーティーをやるんですって

嵐の魔王のパーティーなんて行くものではないよ

ねえ、あの音は太鼓の音みたい

あれはただの風と木がこすり合う音だよ


あらどうしたの

まあ、突風じゃないの

嬢はまあドアにはさまれて、ああ可哀そうに

指に血が出ているわ


わが子はおびえ、顔を隠している。お母さん。魔王が見えない? 冠をかぶり、長い衣服のすそを引いてこちらに来るよ、母は笑って、嬢や、あれは霧が棚引いているだけだよという。

そのように歌う詩人の声は吾輩の耳に響き、次第に声が大きくなってきた。

魔王が変身した霧は楽しそうに嬢に話しかける。

川を渡り岸辺に立てば色とりどり花が咲いている、小母さんが素晴らしい衣服を着て待っているよ、ああ、楽しい団らんのひとときが待っているよと呼びかける魔王の歌詞は

吾輩の耳に響くのだが、やはりそれは魔王の不吉で不気味な響きを伴っていて、外の嵐の急な突風に負けじという感じがするのだった。、


吟遊詩人は歌い終わると、外の樹木の風に揺れるのを見て、「何か不吉な気がする」と言った。黒雲は空を激しく動く。稲光がさっと夜空を明るくすると、ゴロゴロと雷鳴がなる。

「何か、祖父の話が突然思い出される」と吟遊詩人が小声でつぶやいた。

「どんな思い出 ? 」と、素早くハルリラが素直な感じで聞いた。

「私の祖父は誠実なアメリカ人でした。祖父は東京大空襲に参加したことを話してくれたことがあるのです。それは恐ろしいものです。祖父は苦悶の表情を浮かべていました。戦争とはいえ、ひどいことをしたという祖父の心の苦しみと悔恨の声が耳に響くのです。

私はアメリカで育ちましたが、母が日本人でしたから、大学生の時、広島の原爆資料館に行きました。あまりのむごさに、深い罪を感じました」

その時、突然、稲光と同時に恐ろしい音がした。先程のよりも音は大きく、身体に響くようだった。

詩人の声はつぶやきに変わっていた。でも、吾輩の耳には、はっきり聞こえるのだ。いえ、目に見えるようだった。今まで平和な空のように思えた青空の下で、爆弾の破裂と共に、家や建物は破壊され、焼き尽くされ、町は火の海となる。人は死に、逃げ惑う。火の燃え盛る物が淀んだ川に流れ、川に浮かんだ死体は仰向けになり、様々な人々が浮かんでは沈み、流れていく。燃え盛る火の勢いに倒れ、悲しみの叫び、苦しみの叫び、肉親を呼ぶ声、ああ、何ということを人はやるのだ。

詩人の目を見ると、目に涙が一杯だった。

「ともかく、席に戻ろう」と吟遊詩人が言った。

補佐官はまだタバコを吸っていたが、我々がバルコンから食堂の中に入り、着席すると、タバコを消した。

我々の前にはコーヒーが並べられていた。

「何か変な雲行きですな」とリヨウト補佐官が言った。

「以前は、このホテルでは、こんな嵐の晩に猫族の人達が消えていくという噂は本当なのですか」

「ええ、本当です」


その時、突然五人くらいの虎族の男たちが入ってきた。

「わしは検察官だ。この三人を国家機密漏えい罪で逮捕する」

補佐官は驚いたような顔をして「無礼なことをいうな」と言った。

「あなたは猫族のレジスタンスの幹部ですな。抵抗すると、あなたも逮捕しますぞ」

「何を言っているのだ。わしは大統領補佐官だぞ」

「大統領補佐官。猫族が。笑わせるな。そんな話はどこから出た」

「あんたは大統領の演説を聞かなかったのか」

「演説。そんなものは聞いてない。わしらは広場に行く暇などないのだ」

「大統領に電話してみろ」

「わしらは秘密検察局長の指示の元に動くのだ」

「なるほど、君等か。悪名高い、秘密検察。秘密裏に行動するという」

「わしらは国家の機密を守るために、働いているのだ」

「ちょつと待っていろ。大統領閣下に電話するから」

リヨウト補佐官はホテルに据え付けられている黒い固定電話の所まで歩いて行き、受話器を取った。

「何。大統領閣下は僧院にこもっている。緊急以外は電話に出ない。」

「じゃ、秘密検察局長に電話を回してくれ」

数秒の沈黙のあと、再び電話が始まった。

「検察局長か。わしは大統領補佐官だ。この逮捕は何の意味があるのか」

「何。機密保護法違反の容疑だと」

「どんな風に」

「ヒットリーラ閣下に、テイルノサウルス教の秘密を喋ったという国家反逆罪だと、おかしな話だ」

リヨウト補佐官は電話を切ったあと、検察官に向かって

「君等の上司は変なことを言う。ヒットリーラ閣下は変な演説をしたとね。ティラノサウルス教は邪悪であると、これはきっとティラノサウルス教の秘密を喋った者がいるのに違いないとね。秘密検察局が捜査したところ、三人の不審者が入国し、トラカーム一家に何かを吹き込んだという情報を得たというのだそうだ。あの大統領演説があったあとに、そんなことを言うあんたがたの上司は変な奴だよ」


「トラカーム一家が心配です」とハルリラが言った。

「トラカームは虎族です。まず我々が疑うのは猫族なのです。猫族とその一味が国家の機密を盗み、それから、大統領に何かを吹き込んだ」と検察官が言った。

この中で、吾輩と補佐官とハルリラの三人とも猫族であるから、驚いてしまった。

「リヨウト殿あなたは猫族レジスタンスの幹部であるが、奥様フキ殿によるとジャガー族の血が入っているということで我々は大目に見てきた」と検察官は言い、吾輩とハルリラを見てにやりと笑った。

どちらにしても、この惑星に滞在した日数を数えれば、そんなことが出来る筈はないし、大統領に何かを吹き込んだと言うのは親鸞の教えのことだろうが、あれはカチの功績だ。吾輩が何かを言おとしたら、吟遊詩人がそれよりも素早く、りんとした声で言った。

「私達は親念の話をしただけです。トラカームさんも息子のカチさんも親念を尊敬していたから、私も親念について知っている限りのことを申し上げた。

カチさんは親念を尊敬し、お母さまのレイトさんの所に行き、その話に感動した大統領夫人のレイトさんが夫のヒットリーラ大統領にお話ししただけです。

大統領が変心したのは親念の教えを知ったからです。誰もティラノサウルス教の悪口など言っていないと思います」

「親念という変な坊主が布教していることは知っている。やはり、親念の教えを吹き込んだというのは、結果としてティラノサウルス教の悪口を言ったということになる」と検察官は言った。

「そんな理屈はおかしいと思わないか。わしは大統領補佐官だ。その権限で言うが、親念の教えを知らせただけでは、ティラノサウルス教の悪口を言ったことにならないから、法には触れない」

「猫族が補佐官になるとは考えられない。これは何かの間違いであるというのが、わしらの判断でして。ですから、そういう解釈はとらない。」

「大統領に直接、聞いてみろ」

「先程の電話の様子では、僧院にこもっておられるということですよね。こういうことは最近しばしば起きていたのです。そういう時の大統領の代わりをしているのは、副大統領です」

「副大統領は何と言っているのだ」

「大統領が僧院にこもっている時は、自分で判断しろという指示です」

「これは過渡期の何かの間違いだ。君等の身のためにも引きさがっていろ。銀河鉄道の乗客を意味もなく逮捕すると、宇宙鉄道法に違反して、君たちの首があぶなくなるぞ。この三人の方は銀河鉄道の乗客だぞ」

「その証明は」

「金色の服は支配人にあずけた。カードでいいだろ」

「見せて下さい」

「いいでしょ。宇宙鉄道法と国家機密罪のどちらを優先させるかということは、高度の政治判断になります。我々には出来ない。

それまで、猫族の墓場でもご覧になって、この方たち三人に早くアンドロメダ銀河鉄道にお戻りになるようにするのが良いかと思う。そうすれば面倒なこともおこらない。我々もその方がいい」

「脅して、銀河鉄道に帰らせるのか」

「まあ、そうですね。我々の惑星のことに内政干渉のようなことはして欲しくありませんからね。早くこの惑星から出ていってほしいです」

「かってなことをぬかすな」と補佐官は言った。

「猫族の墓場とは」と吟遊詩人が言った。

「いや、わしはよく知らないのだが、なんとなく、噂だけは聞いている。猫族の重要人物がこのホテルに入った嵐の晩、消えるという噂だ」と補佐官は言った。

吟遊詩人は言った。

「銀河鉄道に戻るにしても、その前に猫族の墓場というのを見たいものです」

吾輩も見たいと言った。


「お見せしましょう。このホテルの下にあるのですから、直ぐですよ」と検察官は言った。


昔の地下牢に行くような陰鬱な道を吾輩は想像したが、結果は逆だった。

エスカレーターで地下三階に行き、そこで降りる。黄金でつくられたような山吹色で囲まれた細い廊下を十分ほど歩くと、

その途方もない金の扉の前に立ち、この惑星には金鉱が沢山あるとは聞いてはいたが、これほどの贅沢な扉を吾輩は見たことがない。

それでも、その重さのせいで 扉が開くときには 鋭い快感をくすぐるような異様な響きが漏れた。

中に入ると、暗かった所に一斉に光がはなたれ、広いローマの円形劇場のような建物が見えた。ただ、ああいう廃墟ではなく、やはり、この円形劇場も金色でおおわれている。


検察官の話では、以前はここで猫族の名士を案内し、下の方で本物の野性の虎とライオンを争わせるのを見せたのだそうだ。

名士とか金持ち族はけっこうこういう格闘が好きなようだ。

ここでカクテルを飲み、歓待された名士は、そのあとその下の処置室に行き、そこから墓場に直行になるらしい。

時には犯罪者の虎族の男と猫族の男を剣闘士としてあらそわせることもメニューの中にあるらしい。

しかし、問題は墓場である。

金色の観客席に囲まれたその劇場は大理石のような真っ白で平らな平面になっているが、その下が墓場である。

我々はそこへ行くのに、円形劇場から下に行く、らせん階段をかなり歩かねばならなかった。

そこは鉄色の扉があり、開けると、薄暗い中に、沢山の墓石が並んでいた。

検察官が、明かりをつけると、墓石は多くが猫の顔の首の所を模写した白い石で出来たものだ。その白い所に名前が書いてあり、簡単な略歴が書いてあった。

「まあ、こういう墓石に入りたくなければ、お早く、アンドロメダ銀河鉄道でこの惑星を飛びたつことですな」と検察官が言った。

「そんな脅しをこの方たちにするとは失礼になることが貴様にはわからんのか」とリヨウトが言った。

「わしは猫族の言うことはききませんから」


その時、向こうの側の壁にある小窓から風鈴の音が響き渡った。

「あそこは ? 」

「あそこは猫族の処置室ですよ。ハハハ。あなた方の中に猫族がいらっしゃるじゃありませんか。それで風が吹いたのですよ」

「地下に風が吹くのですか」

「ええ、空気がよどみますからね、換気のためにそうしてあるのです。お客様が来ると、気持ち良い風が吹き、風鈴が鳴るしかけとなっているのです。」

「確かに、美しい音色だ」

「ここに来るお客はもうすっかりカクテルに酔っていますから、この風鈴はとびきり美しく聞こえ、特に猫族のヒトの耳によく響くような仕掛けになっているのですよ。

それで、処置室の方では、準備を整えるわけです」

吾輩は猫族であるから、ぞっとした。

「まるでナチスみたいですね」

「ナチス」

「どっかで聞いたような名前だな」

「君達の猫族に対する迫害は常軌を逸しているということですよ」

「悪人正機と言ったのは、親念ではなかったのか」

「お前みたいに勘違いする愚かな連中は地球のあの時代にもいたのだ。だから、『歎異抄』が生まれたのだ。

どちらにしても、時代は変わったのだ。大統領演説によって」

「まだ全てが変わったわけではありません。以前の法律がそのままのこっていますからな。あれを変えるには手続きが必要なんです。機密保護法はまだ健在なんですぞ」

「勝手な解釈をするな」

「秘密検察局長の解釈です」

「ねじまげた解釈だ」

「国家を守るためには、時には解釈も捻じ曲げるのです。それが権力というものですよ」と検察官が言った。

「いよいょ、本性をあらわしたな。まあいい。わしが補佐官になったからはそういうことを改めさせるように大統領に進言する」

「大統領には、こういう教えも伝えて下さい。仏教で言う如来の室に入って、つまり大慈悲心で、全てのヒトに良い政治を行って欲しいと。格差と差別のない社会、自由に自分の能力を最大限にいかすことのできる社会の実現に向けて頑張って欲しい」と吟遊詩人が言った。

「大慈悲心。つまり、アガペーとしての愛ですな」とリヨウトは答えた。



                   


26 菩薩の舞い

駅の近くのカフェーで補佐官と別れた我々は駅に向かった。

通りの並木道には赤い花が咲き、小雨が降っていた。この惑星との別れを惜しんでいるかのような涙が落ちるような降り方に吾輩には思えた。

カフェーでの補佐官との色々な話がぽつりと三人の会話に出ると、

「内の魔法界にも」とハルリラはやや深刻な顔をして話し始めた。

「あの猫族の墓のようなことがあった。長い歴史の中で、今から六百年前に大異変があった。それ以前は暗黒時代で、魔王が横暴な悪をおこなっていた。しかし、六百年前に聖者が現われ、魔王の悪政をいさめ、魔王の十五代目にして、彼は心を入れ替え、それまでの魔女の墓を全部撤廃してしまった。そうした行為には今となっては賛否両論があるようだが、ともかく魔法界も愛と慈悲心によってしか、魔法を使ってはならないことになった。」

「なんだか、ヒットリーラの話に似ている」と吾輩は言った。

「そうさ。ヒトは悪から目覚め善に向かうというか、進化するという点では似ている、これは心の進化の法則と魔法界では言われている。暗黒時代には魔女狩りが行われ、魔女の墓を国土の至る所につくったそうだ。しかし、それは封印され、今は僅かの資料と伝説的な話として、魔法界の歴史に残された。その内容は長時間労働、ハラスメント、差別、人間のやりそうな悪がその時代には色々と行われ、反抗する者はみな魔女とされ、墓場に行くという伝説となって伝えられている」

「それでは今の魔法界は善政がひかれているというわけだね」と吾輩は質問した。

「いや、魔法界といっても、色々あり、そのへんの知識は叔父さんは詳しいがわしはうとい。邪を脱することの出来ない魔法界がまだいくつもあるとは噂に聞くことはありますよ」


迷宮街の旅とトラカーム一家を思い出すこの惑星でも、虎族ヒットリーラの政治が良くなる変わり目の時代に入り希望の光が見えたという所に、我々は歴史の生き証人となった満足感が幾分あったと言えるのかもしれない。それがこの日の天候に現れているというのは思い過ごしか。涙のような小雨がしとしとと気持ちよく降っている。


ヒットリーラの演説では、猫族に死者は出なかったと言っているが、あのティラノサウルスホテルの地下の猫族の墓と矛盾するではないか。それでも、リヨウト補佐官のようなしっかりした猫族の幹部が補佐官になったのであるから、いずれ真相が明らかになり、良い方向に向かうだろうという期待を抱き、一抹の不安を抱きながらも、次の旅に出発することにした。


我々三人の出発する虎族の駅【マゼラン・トラ中央駅】は巨大な建物だった。

大理石でつくられた白亜の壁。

駅前に大きな案内図がある

掲示板には、この間のヒットリーラ大統領の演説が文章になって、掲示されていた。

中には、小奇麗な店がいくつもあった。美しい音楽が流れていたことは、最初に来た時はなかったから、政治が変わるという良い前兆と、吾輩は考えた。


駅は天井が高く、逞しい虎をイメージして模写した透けた巨大なステンドグラスからも薄い日差しが入り、そうしたステンドグラスはいくつもあり、大理石でつくられた白い美しい壁に囲まれた構内を何か明るい雰囲気にしていた。それも、政治の良い変化の兆しと思ったせいか、人々はゆったりと、のんびり歩いているように思えた。


列車は構内の奥深くまで、入り込んでいた。銀色をしたスマートな車体。

十両連結。 窓は上が丸みを帯びた半円形。

中は高級なソファーの並ぶ普通車両。寝台車。食堂車、映画館などがある。

我々は普通車の三号の真ん中あたりに陣取った。さっそく窓を開けると、弁当屋が「弁当、弁当」と声高らかに歌うように言っている。

アンドロメダ銀河鉄道には、色々な民族の人達が乗っていた。虎族、ライオン族、ヒョウ族、チーター族、猫族という風に。

犬族もちらほらいるようですね。時々、「ワン」というような声が聞えます。犬族だけに通じる挨拶の言葉のようですが、猫である吾輩には分かりません。

熊族もキツネ族もいるのです。


トラカーム一家には、お世話になったことは忘れません。それで、アンドロメダ銀河鉄道に乗りましたら、早速、書籍売り場に行き、『星の王子さま』と宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を二人の息子、トカとチカに贈るように手配しました。おそらく、我々がアンドロメダ銀河鉄道で、次の惑星の駅に着く頃は、この二冊の本が二人のもとに届くことは間違いないと思うと、吾輩はなんともいえない喜びに浸るのでした。


我々が自分の席に座り、しばらくぼんやりしていると、広いプラットホームに美しい民族衣装を着た人達が銀河鉄道の見送りということでやって来た。

「長い銀河の旅、ごくろうさまです」と挨拶すると、舞いを踊った。

それから、地球で聞いたことのある歌も披露された。

   

春の日の出発の日に

あなたに春の風を贈りましょう

風は緑の梢を揺らし、

美しい音楽をかきならし、

光を揺らし、素晴らしい衣装を

あちこちに着付けするのです。

梢は風船のように膨らみ

あちこちの街角に葉のざわめきと花を飾り、

宇宙のいのちの喜びを伝えてくれます


青空の向こうに不思議な星があるといいます

そこへめがけて飛び立つ日

その出発の永遠の日の汽笛のように

梢と風は旅への悲しみと歓喜に震えているのです。

ああ、あちらからもこちらからも、聞こえてくる歌声

さわさわとさわさわと、梢が風に揺られているのです。

緑の永遠の喜びの歌声が聞こえてくるのです


歌も終わり、舞いも終わり、人々の歓呼の声にうっとりしていると、いつの間にか、列車は走り出していた。

アンドロメダ銀河鉄道は ゆるやかに美しい音をたてて、桔梗色の天空を走っているのです。吾輩は目を見張りました。

おお、久しぶりに流れてる銀河を見るのは。何と気持ちの良いことか。

宝石のように美しく澄んだその真空の水の流れにはヒッグス粒子がキラキラと輝き、あちこちにカワセミが飛んでいるではありませんか。くちばしが長く、身体はブルーで、腹の方はみかん色の美しい鳥です。

美しい宇宙の景色が見えてきました。

天空からたくさんの紫色の藤の花がこぼれ落ちるように咲いている空間が続くかと思えば、梅の花が咲いていたりする野原が見えたり、牧場が見えたり、川は水晶のように美しかったり、森はあらゆる生き物の宝庫でもあります。

すると、不思議なことに、列車の窓から見える景色の向こうの方に、奈良の薬師寺の五重の塔が見えたのです。薬師寺であることに間違いありません。何故なら、その両側に幻のように日光菩薩と月光菩薩が微笑しているからです。

吾輩は最初、何かの錯覚かと思ったのですが、いえ、そうではありません。

畑や林や緑の丘の向こうに五重の塔が背の高い二人の神々しい菩薩に守られて、まるで幻のように光りながら、それも何と一つの五重の塔だけでなく、いくつもの塔がある間隔を置きながら、信州の盆地に広がる華麗な住宅のように、銀色にきらきら輝いているのです。

そしてカワセミが飛んでいます。中には吾輩の乗っている列車に並行して、しばらく飛んで、さっと向こうに飛び去るのもありますが、その美しいこと、生命力に畏敬の念をおこさざるを得ない、神秘な力を感じるのでした。

「アンドロメダ銀河で、薬師寺の五重の塔を見るとは。不思議なことだ」と吾輩はぼんやり考えました。


アンドロメダ銀河の水は水晶よりも美しく透明で、なにやら、モーツアルトのセレナードを奏でているようで、どんどん流れているのです。


列車の中では、吾輩は猫であるから、ヒト族よりはるかに耳がいいので、隣の声がよく聞こえます。

「あら、こんな所に、フキさんのことが記事になっているわ、マゼラン金属の取締役になったじゃありませんの」

吾輩は、ティラノサウルスホテルで見た、あの宝石で顔じゅうを飾ったような金持ちの虎族の女性を思い出した。

「すごいわね」

「あら、マゼラン金属って、武器をつくっている所よ」

三人で、何か新聞を回し読みしているらしいが、その話題はすぐに終わったらしい。


その後しばらく沈黙が続いたのは、首にダイヤのネックレスをした中年の目の細い小母さんが目の前のテーブルでインターネットを見ていたからだろう。吾輩はこの虎族の女に「チロ」という渾名をつけた。このマゼラン銀河の旅に出てから、猫である吾輩は虎族の人達には複雑な気持ちを持っていた。虎という種族に対する畏敬の念もあったが、そればかりではない。そして、時々、こういう妄想を抱くことがある。あの虎族の人達に魔法をかけて、猫のように小さくして、吾輩のペットにする。この薄いイエローのワンピースにピンクのカーディガンを着ている彼女はおそらく我儘で、ある種の迫力があって可愛い猫のような存在となる。吾輩はこのペットを大切にするだろうと。

そうした妄想を吾輩に抱かせた「チロ」さんは顔を上げて、少し高めの声で言った。

「ほら、あそこの席に座っている猫族の若い女を見てごらん。

これがあの女の人のブログよ。見てごらんなさい。

沢山、小説や詩をかいているのは若いからね、でも、エッセイの方を見てご覧なさい。

わが虎族のティラノサウルス教についてよく書いてないわよ。まあ、それだけなら、許せるけど、親鸞の教えと比較するのが嫌らしいと思わない。親鸞って、地球とかいう遠い惑星で千年前に生きていた僧だっていうじゃありませんか。

何で、そんな男がこの惑星に生まれ変わって来るわけ。その辺がもういかがわしいと思いませんか。

そんないかがわしい宗教とわが虎族の優秀なティラノサウルス教を比較するなんて、猫族らしいやり方ね。」

何と、猫族の中の姫君に相応しい品位を持つ女性、どこかでナナリアという名前を耳にしたが、そのナナリアに、ケチをつけているではないか。けしからんと吾輩は思った。


金のイアリングをした、赤いジャケットの下に絹の光沢を持つブラウスを着た虎族の小母さんには、吾輩は「サチ」という渾名をつけた。その「サチ」さんは低い声で言った。

「今度の大統領演説のあとに、猫族に対する差別をしてはいけないという布告が出たけれどね。こういう猫族がいるとね」

やはり、虎族の猫族に対する偏見はこういう会話を見ると、簡単になくなりそうもないと思って、吾輩は悲しく思った。


緑のエメラルドがいくつもついたネックレスをした、白のブラウスの上に緑のブルゾンを着た目の大きな虎族の小母さんの渾名をつけようとして、直ぐに言葉が出て来なかった。大金持ちのフキが取締役になったマゼラン金属という会社が武器をつくっている所だと指摘した女である。他の二人の虎族の女が持っている雰囲気よりもひどく優しい。

そこで吾輩は「エメラルド」と渾名をつけた。

「ねえ、ヒョウ族の坊や。さすが、ティラノサウルス教に入っているだけあるわ。ヒョウ族もティラノサウルス教に入れるようにしたのは、英断だったわ。それに比べその前の方に座っている虎族の若者はティラノサウルス教に入らないというのはどういうわけ。坊や、どう思う」


「ヒョウ族の坊や」と言われている丸顔の若者は白いパンツに赤いブルゾンを着ていた。彼は小母さん達に呼ばれたのか、自分から行ったのか分からないが、三人座っている小母さん達の席の空いた席に座っている。吾輩の席から見ると、斜め前に座っているヒョウ族の若者と時々、目が合う。


「彼は虎族でもスピノザ協会にひかれているみたいですよ。」とヒョウ族の若者が言った。

「スピノザ協会って、猫族の集まりみたいなものじゃありませんか。そんな所に、どうして優秀な虎族の若者が入るんですか」とダイヤのネックレスをしたチロさんはちょっと厳しい口調で言った。

「そう聞かれても、僕には分かりませんよ」とヒョウ族の若者が答えた。

「ねえ、虎族の若者は、向こうにいる話題の猫族の娘が好きなんですよね。このブログを見ても、彼女はスピノザ協会に入っているようですし。ヒョウ族の坊や。どう」と金のイアリングをしたサチさんは微笑して言う。

「そうかもしれませんね」と何か不服そうな表情をして、ヒョウ族の若者は答えた。

「あなたもあの女の子が好きなんでしょ。こんな風にあの子のブログを私達に教えるなんて、騎士道精神に反しますよ」と目の大きな「エメラルド」さんは笑って言う。


騎士道精神。こんな言葉を虎族の小母さんが言うとは吾輩、予想していなかったから、わけもなく共感した。

「内の魔法界の今の魔王は騎士道精神が好きでね。」とハルリラが声をひそめて猫にしか分からないような言葉を使って、言った。

「魔王なんてまだいるのですか」

「そうさ。いるさ。弱いものを助け、強い悪い奴をこらしめるのが魔法の使い道といつもおっしゃつている。わしも、魔法学校でその魔王の言葉を何度聞かされたかわからん」とハルリラは笑った。

吟遊詩人は黙って微笑していた。


「私たちに彼女のブログを教えてくれるのはいいことよ。でも、本当に好きなのかどうか、私も疑うけれどね」とピンクのカーディガンを着た「チロ」さんは言った。

「好きでも、肘鉄食わされたら、恨みになってそうなるんでしょ」と「サチ」さんは言う。

「僕はそんなつもりで教えたんじゃないですよ。彼女のブログが面白いと思ったから」とヒョウ族の若者が答える。


「第一、 彼女と親しくなければ、このブログが彼女のものだと知ること出来ないじゃないの」と「サチ」さんが言う。

「あ、そうか。あなた、あの猫族の女の子にふられたの」

「困ったな。そういうことには答えられない」

「怪しい。確かに、彼女は美人ね。でも、猫族なんか信用しちゃ駄目よ。あたし達にどんどん彼女の情報、下さいね。面白いから。列車の旅は何か面白いことがないと眠くなりますからね。もうこのアンドロメダ銀河鉄道に乗っている虎族のティラノサウルス教の小父様、小母さま連中にはみな報告しましたから。この列車の退屈な旅をそのブログで楽しんでいることでしょう」と「チロ」さんは言った。


吾輩はこの話を聞きながら、列車の旅がそんなに退屈か、疑問だった。確かに、昼間から寝ている人もいる。

銀河鉄道は宇宙の特別列車だ。惑星にはないものでも、ここでは文明の最先端のものが手に入る。これはアンドロメダ銀河にある銀河鉄道の摩訶不思議なところである。ヘッドホーンをかけると素晴らしい音楽が聞けるし、宇宙インターネットをやることも出来るし、しょうぎや碁をやることは出来るし、映画も見られる車両もある。それに、場合によっては、展望車に行けば、まるでプラネタリウムのような星空を見ることさえ出来るのだ。

確かに長い旅ではあるが、筋トレ車両までついているという。


それにしても、これだけ話題になっている猫族の若い女性ナナリアに、猫である吾輩、寅坊が無関心ということはありえない。大変、気になる。それで、ちょっと後ろを振り返って見て、どこかで見た女性だという印象があった。直ぐは思い出せない。

我輩が真剣に考えていたら、ハルリラが喋り出した。

吾輩の心を読むように、「あの女の人はテイラノサウルスホテルの食堂にいた人じゃないか」とハルリラは微笑して言った。

吾輩は目が覚めたような気持ちで、ハルリラを見詰めた。

「綺麗な人だから、わしも印象に残って、覚えていました」とハルリラは言った。


その通りだ。可憐な感じがする。十八ぐらいだろうか。それとも二十は超えているのかもしれない。情報に汚されていない森と湖のそばで育ったような人というのもおかしい。彼女は宇宙インターネットをやっているのだから。自然人というのもおかしい。そんな野性味があるわけではない。それはともかく、清楚で知的なものを感じる。


ヒョウ族の若者は席を立った。トイレなのか、食堂車なのか、分からない。

「変わっているわね。あの子」

「あの猫族の女の子が好きなのよ。それでストーカー行為して、ライオン族のおまわりさんまで監視に来ているんだもの。」

「あの虎族の若者も怪しいわね」

「虎族はストーカーなんかしないわよ。虎族には美人が多いんだから」


「虎族のあたし達に彼女の秘密のブログを教えてくれたのは、余程腹がたっているのよ。ライオン族のお巡りさんまで乗っているんじゃ何かおこりそうね」

「あの虎族の若者を呼んでみない」

「来るかしら」

「退屈しのぎよ」


ピンクのカーディガンを着た目の細い「チロ」さんが立って、虎族の若者に近づき彼の肩をたたいた。

「あなたこちらに来ない」

「行かない」そんな会話が吾輩の斜め後ろの背後から聞こえる。

「あなた、何でスピノザ協会に入っているの」

「どうしてそんなこと知っているんですか」

「彼女のブログに書いてあるわよ」

「どうして、彼女のブログを知っているんですか。彼女が教えるわけないし、彼女に聞いてみましょうか」

「いいわよ。ヒョウ族の若者が教えてくれたのよ」

「あいつが。また失礼なことをするよ。」と虎族の若者は憤慨したような口調で言った。


突然、列車の中が、金色に輝き、何か神々しいような光に満たされました。

何故か、心が窓の外に向けられ、ふと見ると、もうじつに、ダイヤモンドや草の露や朝顔などの純粋さをあつめたような、きらびやかな銀河の川床の上を水は音もなくかたちもなく流れ、その流れの真ん中に、ぼうっと青白く後光の射した五重の塔が見えるのでした。

日光菩薩と月光菩薩は幻のように、ゆったりと舞いを舞うではありませんか。菩薩の舞いというのを初めて見ました。何と優雅で、何と神々しく、この世のものとは思えない美しさに満ちていました。

風も舞うことがある。落葉も舞うことがある。美しい紙切れも舞うことがある。いや、それよりも美しいのは熱帯の蝶の舞い、小鳥の舞い。ああ、そしてヒトの舞いも素晴らしい。しかし、菩薩の舞いというのは吾輩の想像力を超えた神秘なものでした。全てのものを慈悲で包み、優しい微笑でヒトの心を溶かし、花や森や昆虫のような大自然そのものが舞っているようでした。





 27 窓の月

アンドロメダ銀河では、たくさんの星が蛍の群のようにゆらめき、流れていく中で、日光菩薩、月光菩薩が美しい幻のように舞い、きらびやかにそして慈悲に満ちた光を放っている。どこからか、ハレルヤの歌も聞こえてきた。ハレルヤ。ハレルヤ。猫である吾輩は ハレルヤという言葉を聞いた途端、よく京都で吾輩の主人の銀行員が好きだったヘンデルの曲を思い出した。でも、アンドロメダ銀河で聞いた曲はヘンデルの「ハレルヤ」にどこか共通のものを感じはするが、歌詞はまるで違うものだった。

皆、しばらく呆然と、窓の満点の星に気をとられているようでした。

 

ハレルヤ

星の光あふれる蝶の舞いよ、あなたは宇宙の舞踏

宇宙にあふれるいのちの舞い

月の光あふれる小鳥の舞いよ、あなたは大きないのちの流れ

ハレルヤ


ハレルヤ

その大きないのちを何と呼ぼう

父とも母とも違う、昔の人は神と呼んだ

東洋の人は仏と呼んだ


吾輩は目をつむって、さらに耳をすますと、目の前に花園が広がった。幻影だろうか。

最初は深紅の薔薇園から、紫陽花のような青い花と様々な色の花が流れるように見える。



ハレルヤ

名前で、百合を見ている人は百合の真実を見ていない

名前で、薔薇を見ている人は薔薇の真実を見ていない

脳から見た世界は美しい複雑系の模様のようだ

それでは宇宙の崇高ないのちを何と呼ぼう


ハレルヤ ハレルヤ

今のヒトは宇宙の真実に名をつけたいと思う

名前がない、これが人の病を深くする

しかし、名前があっても、それが真実のいのちを見失わせる

名前で争うからだ。

悲しみ、苦しみ、

そして、脳から見た世界は争いに満ちている


ハレルヤ ハレルヤ

何と呼んだらよいのだ。

ヒトは争わないで、平和をつくるために

いのちの宝をヒトは何と呼ぼう

ハレルヤ


ハレルヤ

自我を忘れる時

見えて来る光

それは今、ここに存在する

名前のない形のない目に見えない宇宙生命は今、ここに存在する

ハレルヤ  ハレルヤ


ヒトは何かで争っている

それでもヒトに武器など必要ない

我らは仏性という兄弟なのだ

ハレルヤ  ハレルヤ

ただ息をして、心を愛で満たして祈れ

そしていのちに感謝して、深く祈れ

ハレルヤ  ハレルヤ


ハレルヤが終わり、急にシーンとなり、「君は心の綺麗な人だ。珍しい人だよ」と虎族の若者の声が吾輩の耳に聞こえた。

猫族の娘ナナリアはわけもなく頷いた。

「心が綺麗と言われても、何も考えていません。ただ、ハレルヤがあんまりすばらしかったので」とナナリアは答えた。

「だから綺麗なのさ。普通の人は何か考えている。僕は君を見た時から、本能的に惹きつけられていた。無心なの」

「無心って」

「つまり、自分の頭であれこれ思うじゃない。蝶の舞いや、ハレルヤ・コーラスのような歌を聞いて何か考えることがあるじゃない。故郷のことを思い出したり、あれこれ思ったり」

「蝶の舞い。ハレルヤ・コーラスのような歌。そうですね。美しいですね。そういう風景に淡い光が射しているような意識だけあって、そこに「あたし」という自我が消えて、いなくなった気がしたことがあったみたい」

「なるほど、やはり、君は珍しい人だ」

吾輩はこの会話も気になっていたし、虎族の若者の動きも気になった。


窓の外の見える風景の範囲に、急に満点の星空一杯という風になると、虎族の若者が目を覚ましたように立ち上がった。



若者は、虎族の奥様「チロ」さんの後ろを回って、我々の方に歩いて来て、「座ってよろしいですか」と聞いた。

「どうぞ」とハルリラが言った。ハルリラの隣に若者が座ったので、必然的に彼は吾輩の正面にいることになる。吾輩の隣の吟遊詩人はヘッドホーンをはずし、首にかけ、銀河鉄道の窓の外を眺めている。



虎族の若者はハルリラに向かって「虎族の小母さんから、逃れるには、

ここがいいね。ところで、君は聞こえて来る歌声のような人だね」と言った。

「俺? 」とハルリラは目を丸くした。ハルリラは驚いたのだろう。

若者がナナリアのような妖精に言う言葉なら、理解できるが、若者のハルリラのような武人に対する礼儀の奇妙さに、吾輩、寅坊は目を丸くしたのだ。ただ、あとで知ったことだが、虎族の青年が好意を持った初対面の刀を持った武人に、こういう挨拶が見られるのはその頃の習慣だったらしい。

「ところで、君さ」と明らかに、吾輩の目を見て言った。

「吾輩 ?」と答えた。

「そうだよ。君と彼女は同じ猫族じゃないかい。耳がいいから、あの話、聞こえたろう、どう思う」

「あの話」

「彼女は匿名でブログに流している。本当に親しい人、数人しか知らない筈だ。

それが今はこの銀河鉄道の皆にナナリアさんのブログが知られている。

こんなことは普通起きないよね」

と虎族の若者は言って、しばらく目をつむって、今度は目を大きく見開き、思い切ったように、「ヒョウ族の若者はどうして知ったのだろう。無理に聞いたんじゃないかな」


「どうかしら」といつの間に、虎族の奥様「チロ」さんは我々の前に突っ立っていた。

虎族の若者はそれを無視したように言った。

「僕にすら、彼女は教えていないんだぜ。僕はたとえ、知ったとしても、そんなことをあちこち人に喋らない程度の礼節は心得ている。そんなことをやるから、ヒョウ族の奴はきらわれるんだよ。ライオン族のおまわりさんだって、僕のために来たなんて思われると迷惑な話で、ヒョウ族の若者のために来ているんだよ。

僕はストーカーなんてしないからね。あいつはそういう陰険なことをやるから、ストーカーだなんて思われて、あの猫族の女の子がおまわりさんに頼むことになるのよ」

「そうかもね」とチロさんは言った。


相変わらず、ピンクのカーディガンを着たチロさんは立ったまま、座っている虎族の若者に声をかける。彼はがっちりした体格で黄色い口髭をはやして、つぶらな瞳をキラキラさせていた。

「あなたは何でティラノサウルス教に入らないの。ヒョウ族の子が入っているというのに」

「それはティラノサウルス教がよくないと思うからさ。スピノザの方がいい」

「親念はどうなの」

「親念。ああ、大統領演説で名前を知ったくらいだ」

「ティラノサウルス教には、虎族の三分の一がこのグループに入っているのよ。良い教えに決まっているじゃないの。あなたは虎族なんでしょ」

「虎族だって、ヒョウ族だって、猫族だって、同じヒトさ。ヒトは自由な意思で、自由に自分の考えをつくることが出来る。それに、君達も大統領演説を聞いただろう。ティラノサウルス教は間違った教えだったから、ヒットリーラはああいう演説をしたのじゃないか。猫族を差別するなんていうのは真理に反するよ。真理には全ての人に対する愛がないとね、

だから、長時間労働をなくし、大きな経済格差をなくしていこう、差別をなくそう、自由と平和と福祉を大切にしよう、それから世界の軍縮を進めるためにも、カント九条を世界に広げて行こうというスピノザ主義の考えに共感するのさ」と言って、彼は立ち上がった。

虎族の若者はチロさんをやり過ごし、吾輩の前の方の入口に近い所に座っている美しく可憐なナナリアに、近づいた。さすがに、チロさんはそのまま自分の席に戻り、むっつりしていた。


吾輩は耳をすました。猫の聴力は地球のヒトの三倍あるとはよく知られたことだが、こういう時には役に立つ。そういう風に、聴力にはひどく自信があるので、彼らの話も興味があるので、耳をすまして、無理に聞いてしまった。

時々、ハルリラが「何 聞いているのさ」と聞くと、吾輩は「しいっ」と指を口にあて、「あとで教える」と黙らしてしまう。

吟遊詩人はヘッドホーンで何かを聞きながら、窓の外の星空を眺めている。



「ここに座っていいかい。虎族の小母さんがうるさくて」と虎族の若者モリミズ君。

「いいわよ。でも長くいると疑われるわよ」とナナリア。

「誰に」

「ライオン族のおまわりさん。トイレに行ったんじやないの」

「ライオン族のおまわりさんはヒョウ族の若者を見張っているんだろ。君はヒョウ族の若者に自分のブログを喋ったのかい」

「あら、喋ってないわよ」

「そうだろうな。僕に知らせないくらいだから」

「あなたなら、教えてあげてもいいわよ」

「それはありがたいが、君のブログは虎族の小母さんにもれて、このアンドロメダの列車の多くの人は知っているぜ」

「どうして、あたし、喋ってないのに」

「ヒョウ族の若者が君のことを徹底的に調べ上げたのだよ。勿論、ブログも隅から隅まで、調べたんだと思う」

「そんなことで分かるの」

「君と少し、趣味の会話などしているだろ。それを手かがりに調べ上げるのさ」

「恐ろしい人ね」

虎族の若者モリミズは「僕は」と言って黙った。

「分かっているわよ。おまわりさんは、あのヒョウ族の若者がストーカー行為するから来ているのよ。自宅にいた時にも、押しかけてきたりしたんだもの」

「何でそんな奴と知り合ったのだよ」

「町の図書館で雑誌、読んでいたら、声をかけてきたのよ」

「ふうん」

「そういうことはよくあるわよね」

「うん、まあな。僕と君が知り合ったのはスピノザ協会だよね。スピノザの汎神論、つまり自然イコール神という考えからすれば、僕は神が変身と進化をなしとげてきて、今の僕という存在がある。そういう風に神を知ることによって、自然と、騎士道精神は守るようになる」と虎族の若者モリミズは微笑して言った。吾輩は彼が「エメラルド」という虎族の小母さんが言っていた騎士道精神をここで使ったのが、何故かおかしかった。

騎士道精神は魔法界だけでなく、虎族の教養ある一部の人達にも浸透している価値観のように思われた。


「おまわりさんは ?」

「食堂車に行ったのじゃないか。よく頻繁に立つライオン族のおまわりさんだよ」

「あたしを守ってくれる役目なのに」

「君が頼んだのだろ」

「わたしは個人的なおつきあいは困ると言っただけなのに、ヒョウ族のあの人はしつっこいわ。ストーカーよ。あたしは取材で、この列車に乗っているのに、あの人はくっついてくるんだから。

それにしても、地球という惑星のことを少し取材してみたら、地球も大変みたいね。純粋な子供の中にいじめが目立つのは、大人の社会に格差だの、ブラック企業だの、一部の親の子供虐待だの、金銭至上主義だの、大人の社会の一部にまともでない所があるからよ。

この間は身体障害のある人の施設で沢山の人が、元職員に殺されたんですって、みんな生きる価値がある筈なのに、勝手に変なことを言って、あんな怖ろしい事件を起こすなんて。少し狂ってるわ。

社会に余裕がないのね。競争が激しいし、格差も激しい。長時間労働が習慣化して世の中の雰囲気は表看板は美辞麗句で飾られるんだけど、中身は歪んでいる。だから、いじめが起こるのよ。

地球の兵器の発達も少し異常よ。軍縮しないと、今に大変なことになるわよ。軍縮すれば、お金を福祉にまわせ、消費税なんて必要なくなるのに。もう少し、大人の社会をまともにしなくてはね。どう、そう思わない ?」


虎族の若者モリミズは地球の知識はないらしいが、スピノザ協会に言及した。

「スピノザ協会がそういう社会の悪い所を一番、問題視しているよね。僕は同感だ」


「おまわりさんがいたんじゃ、彼もしつこくは出来ないだろ」

「でも、あのおまわりさん、ひどくのんびりしているわ。そういう人をわざと派遣したんじゃないかと思って。だって、警察署の幹部って、たいてい虎族でしょ。猫族を守ることなんかあまり真剣に考えていないのよ」

「君は虎族に偏見を持ちすぎるよ。少なくとも、ぼくは君が虎族に抱いているような人間じゃない」

「どんな風に違うっていうの。虎族ってエリート意識が強くて、猫族を嫌っているじゃないの。それなのに、あなたは」

「僕はそういうことにこだわらない。人間は平等さ。先祖が誰だって、いいじゃないか。文化の違いがあるのは認めるけど、それを使って交流して、お互いを高め合うことがたいせつなのじゃないかな」

「それはあたしもそう思うわ。スピノザ協会もそう教えているわ」

「そうさ。全ての人は神が変身し進化してきた存在だから、平等さ」

吾輩、寅坊はそれを聞くと、京都の吾輩の主人が「すべての人は仏性を持つ。衆生と仏は水と氷りのようで紙一重だ」という江戸時代の白隠の詩を口ずさんでいたことを何故か思い出した。


ヒョウ族の若者が帰ってきた。中々鋭い目つきをしたヒョウ族の若者だ。

虎族の小母さま達の所は挨拶だけして、吾輩のずっと背後の席に座ったらしい。

どさりと音をたてて座った。何か、乱暴で、投げやりな気持ちが見え隠れするような気がしたのは吾輩の思い過ごしか。

そこから、あの猫族の娘が見やすいのかどうかは分からないが、かなり離れているとは思う。何か、視線が彼女に向けられていると思うのは吾輩、寅坊の思い過ごしか。


夜になると、食堂車に行くものもいる。我々三人はそこを動かずに、その席で食べていた。窓の外に大きな黄色い丸い月が見えた。地球の月とどこか違う、どこが違うと指摘することよりも、吾輩の耳には、良寛の俳句「盗人に取り残されし窓の月」が響いた。月を見れば、見るほど、何故か、吾輩の耳に「盗人に取り残されし窓の月」という俳句が繰り返し聞えて来る。

「月は花みたいだね」とハルリラが言った。

吾輩は何か嬉しくて、笑った。ハルリラも微笑していた。

吟遊詩人は食事を終えると、ヴァイオリンを弾き出した。彼の好きなチゴイネルワイゼンだ。甘く美しく、ちょうど車窓を流れる月のようだった。



                     

28 レモンの歌

それから、さらに夜になると、寝台車に行くものもいる。我々三人は若いので、やわらかな絹のようなソファーの自分の席で、そのまま寝る。それでも、吾輩、寅坊はまだあまり眠くない。時々、目をつむったり開けたり、あたりの様子をうかがう。目をつむると、やわらかな緑の柳が清流にかかり、岸辺には花が咲いている。吾輩には眠る前に、時々、こうした幻影が現れることがあり、これが楽しみなのである。


物音で、目をあけると、今までに、そのあたりにいた沢山の乗客はすっかりいなくなり、いるのは我々三人とライオン族のおまわりさんとヒョウ族の若者と虎族の若者モリミズと猫族の娘ナナリアだけになった。

鼻歌が聞こえて来る。かすかな声だが、どうもおまわりさんの鼻歌のようだ。


レモンよ! 君の瞳に愛と死を見る奥の深さ

おお、やわらかな黄色の毛を身体にまきつけて

僕の日記に嵐を吹き起こす

熱情の恋人よ。涙の嵐に吹き荒れる緑の風景


おお、夜はそこまで訪れた。海の衣ずれの音と共に

やさしくふりかかる君の黄金の髪

おお、そして神秘に光る町の灯のような君の瞳

僕は大森林の芝生の上で君とたわむれ、笑う。

これこそ、人生。


永遠のやさしい月夜の晩に僕はレモンに魅入り

愛の深まりの中で夢を見る


ライオン族のおまわりさんの声はそこで急に小さくなり、聞こえなくなってしまった。

吟遊詩人が微笑して、「レモンで思い出したが、僕にはこの有名な詩がすきだな」

彼の声も珍しく小さかった。

おまわりさんに遠慮したのだろうか。


そんなにもあなたはレモンを待っていた

かなしく白く明るい死の床で

わたしの手からとった一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズ色の香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱっとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智慧子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた


詩人川霧さんはふとそこでやめた。おまわりさんの声が再び聞こえたからだろう。何て言っているのだが、はっきり聞き取れない。

「月夜の砂漠の中に彷徨う隊商のように」だけがやっと聞こえた。

ちょっと見ると、ライオン族のおまわりさんの目に涙が光って、鼻水が流れるような感じがあった。

吾輩の耳は猫の耳であるから、聞こえは抜群にいいが、二人の詩の最後まで聞こえなかったのは残念だった。吾輩の胸にも響く吟遊詩人の詩は、高村光太郎の「レモン哀歌」である。おまわりさんの方は分からない。何で逞しいライオン族のおまわりさんがその詩を歌い、かすかな涙を光らせていたのかは勿論、分からない。ただ、人間というのはどんなに強そうに見える人でもそうした一片の悲しみの詩をかかえていることがあるのだろうと、吾輩は思った。

それでも、吾輩は何か素敵なものを見たような気がしてしばらくぼんやりしていると、すると、ライオン族のお巡りさんの鼾が聞こえて来た。

そのすきをついたのか、ヒョウ族の若者が猫族の娘の所に行き、

「ねえ、付き合ってくれよ」とねこなで声で言う。

「ここで、お話するくらいならいいわよ。でもあたし、ティラノサウルス教って苦手なの」

虎族の若者が来て、「おい、あまりしつこくするなよ。悪いだろ」

「なんだと。お前が出るまくか」

「それに彼女のブログは匿名なんだぜ。何でそれを虎族の小母さん達に喋っちゃうのさ。悪いと思わないのかい」

「うるせえな。ティラノサウルス教よりスピノザ協会の方がいいって書いてあるから、虎族の小母さんの心の栄養にいいと思っただけだよ」

「君はティラノサウルス教なんだろ」

「そうだよ。しかし、あれはヒットリーラが一時心酔した強者の哲学だからね。もう少し、弱い人の立場に立った慈悲の心があった方がいいと思っているよ」

「なるほど。そこまで分かっているなら、彼女の邪魔をするべきではなかったな」

「何だと。貴様」

ヒョウ族の若者はナイフを振り上げる。

「腕力じゃ、僕に負けるからって、ナイフを出すとは。彼女がおまわりさんを呼ぶわけだよ。ところで、おまわりさんは寝ているな」


ここでハルリラが立ち上がり、素早くヒョウ族の若者が持っているナイフを取り上げる。ハルリラの動作の敏捷さに驚いた。

「やめたまえ」

ヒョウ族の若者もこの猫族の女の子ナナリアが好きだったのだろうが、彼の恋慕の情の嵐は理性の壁を破ってしまったと思える。以前から、虎族の若者とヒョウ族の若者でこの恋人ナナリアの取り合いがあり、一編の恋愛確執の物語があったのだろう。吾輩、寅坊はそういうことに興味がないでもなかったが、その時はただ、状況をはらはらして見ているばかりだった。


「おまわりさん」とナナリアが声を上げた。おまわりさんは驚いたように目を覚まして、ラグビーの選手のように物凄い勢いで「逮捕だ」と雄叫びをあげながら飛んで来て、ヒョウ族の若者の手首をつかんだ。なるほど、先祖がライオンだけある、居眠りからダッシュまでの変わり身の物凄い敏捷さには百獣の王の血が流れているようだと、猫である吾輩は思った。

こうして、ライオン族のおまわりさんは男を逮捕すると、別の車両に連れて行ってしまった。


「ここにすわりませんか。モリミズさん」と吟遊詩人が言った。

虎族の若者モリミズは「ええ、ありがとうございます」と言って、「綺麗ですね」と窓の外を指さした。

何時の間に、月は窓わくから見えなくなり、代わりに、見えたのは、青白く光る銀河の岸に、銀色の空を背景にした色とりどりの薔薇の花が、もうまるで一面、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。


アンドロメダ銀河鉄道の先の方で多くの鳥達が飛びたったようなのです。

天空に舞い上がる極楽鳥のような色とりどりの小柄な鳥の本当の名前は分かりませんが、熱帯にいる赤いインコ、青いインコ、黄色いインコのような不思議な美しさを持っています。

それがピアノの音のような美しい音を大空全体に響かせて、それから舞い上がり、キラキラ光る星を飾るさまは、まるで江戸の隅田川の空に上がった花火のようです。

確かに、周囲の下の方は何か水晶のような美しい水が流れているのかもしれないと、吾輩は思ったのです。

たえず、ピアノ・ソナタのような、美しい響きがまるでそれが列車の音であるかのように聞こえるのでした。何という美しい音楽だろうと、吾輩は思わず思ったものです。

虎族の若者は満足そうに、吾輩と吟遊詩人とハルリラのそばに、空いている一か所にゆったりと座りました。


「すごいね。さすがにハルリラさんは武士だね」と吾輩は言った。

「おまわりさん居眠りしていたから、心配してずっと見ていたんだよ。娘さんが危ないと思ってね」とハルリラが言った。

「助かりました。僕も空手二段の腕前があるのですけれど、ナイフを出されると、やはりこちらも相当怪我をする覚悟がいりますからね。それにしてもライオン族のおまわりさんは呑気ですね。それに比べあなたの敏捷なこと」と虎族の若者モリミズが言った。

「相手がナイフを持っていましたから、ちょつと気を使いました。でも、刀を出す相手とは思いませんでした。そんなことをしたら、武士として失格ですからね」とハルリラは言った。

ちょつとした沈黙があった。

「どちらへ行かれるのですか」とモリミズが吟遊詩人の方に声をかけた。

「この次は、惑星アサガオでおりようと思っているのですよ」と吟遊詩人は答えた。

「ああ、あそこですか。僕もそうですよ。ご案内しましようか。」とモリミズは言った。

「君には、ナナリアさんがいるのではないですか」と吟遊詩人は微笑した。

「あの子は惑星アサガオではおりないと思いますよ。なにしろ、あそこは今、革命の動乱期ですからね。僕が危険だから、この惑星は飛ばして、次の惑星で降りるように説得しました。

惑星アサガオは熊族の王朝が長く続き、ロイ二十世という王様が専制的に支配しているのですが、これがまた税金問題で国民を苦しませていましてね、国民はあの消費税には我慢がならないと色々不穏な動きがあるのですよ」

「それで、虎族の君がそんな所に行って、何か目的でも」

「ええ、惑星アサガオの民衆には、鹿族が多いのですが、これが貧しくてね。明日のパンさえ、手に入らない、中には餓死者が出るあの国の首都のお城では、お姫様が『パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃないの』と言いながら、王様は消費税を二十パーセントに引き上げるなんて言っているんですよ。

貴族の中には虎族やライオン族がいましてね、僕の遠い親戚の虎族の伯爵から僕は呼ばれているのですよ。彼は貴族でありながら、この熊族のロイ王朝の政治のやり方に反発していましてね。ウエスナ伯爵というのですが、彼はインターネットで地球のスピノザを勉強していたものですから、僕がスピノザ協会に入ったと言ったら、喜んで僕を招待してくれたわけです」

「熊族の王朝にまで、やはりテイラノサウルス教があるのですか」とハルリラがモリミズに聞いた。

「や、あれは伝統的に虎族の宗教ですから、ロイ王朝は熊族ですからね、ブロントサウルス教でしょう」

「それはどんな考えのものなんですか」と吟遊詩人が聞いた。

「あれは草食系のせいでしょうかね、なにしろ、紙が好きなんですな。お札をどんどんすって、インフレにして、消費税などの税金を増やして、貧しい庶民を困らし、富んだ貴族や大金持ちや富裕な商人からは税金をとらないのですよ。おまけに、貧しい庶民にまわす福祉の金は、軍事力を誇示する戦車をつくる金に化けてしまうというわけです」

その時、向こうから、猫族の女の子ナナリアの声が聞こえた。モリミズを呼ぶ声だ。

「それじゃ又。惑星アサガオに降りる間際にご案内します」と言って、モリミズは離れた。


吾輩はしばらく寝た。詩人もハルリラも寝たのだろう。


ふと吾輩が目を覚ました時は、ハルリラの寝息が聞こえるくらいあたりは静かでした。アンドロメダ銀河鉄道はどのあたりに来ていたのでしょうか。星の輝く中に黒い森のようなものが続くかと思えば、その横を見えないアンドロメダ銀河の川が音もなく、トコロテンのようにやわらかく、もっと透明な流れとなっているようで、不思議な大きないのちの水があらゆる星屑とすれ違いながら、その時出すみかん色の美しい光はたとえようもないものでした。

時々、なにやら吹く野原の風のような音がまるで弦楽器の響きのように、聞こえては消えていきます。


「ああ、この次の惑星アサガオは波乱の舞台のような感じもする」と吾輩はロイ王朝のウエスナ伯爵がどんな人か想像しながら、そんな独り言を言うのでした。

大きな向日葵や柳の木のようなものがまるで並木道のようにえんえんと続くではありませんか。向日葵、菜の花、柳のようなものが星のように輝き、

向こうにトパーズという宝石のような黄色みがかった惑星アサガオがゴムまりほどに見えてきました。

吾輩は殆ど歓喜の声をあげました。なにしろ、地球の京都では、あの主人の銀行員が我輩にゴムまりをなげつけて、吾輩がごむまりにじゃれるのを子供のように、喜び、腹をかかえて笑ったのを思い出したものですから。あれでは、どちらが猫か分かりませんね。

どちらにしても、今の吾輩はどういうわけか、猫族の人間として、服まで来て、さっそうとアンドロメダ銀河の旅を続けているのです。

これほど、生きる喜びを感じる時はありません。

それにしても、ハルリラは静かな武士です。顔も優しい感じがしますが、腕はかなり太いです。筋骨隆々としたエネルギシュな肉体が服の中に隠されていることがなんとなく感じられる外見です。

吾輩はつくづくハルリラの顔を見ると、どうしても仏像広目天を思い出してしまうのです。


「銀河がこんなに美しいのは目に見えない何かを隠しているからだ」と思いました。「何だろう。それは。」

どこからか、銀河のはての丘陵から何かの旋律が聞えてくるようでした。

「そうだ。いのちだ。目に見えないいのちを銀河は持っている。」


ふと、気がついた時はもうゴムまりではなく、バレーボールほどの大きさに惑星はなっていて、相変わらず、トパーズのような少し黄色みがかった巨大な宝石のように思えたものでした。

「銀河は目に見えないいのちを持っている。だから、こんなに美しいのだよ」

と吾輩、寅坊は虎族の若者の目を見ながら、そう言った。

そう言って、吾輩はこんな風に言ったのは、映画を見たあとの吟遊詩人のいのちの講釈が我輩の無意識の海の中に入っていて、それが噴水のように言葉となったのだなと思った。

なにしろ、自然は神の現われだとスピノザは言っていた筈だと虎族の若者は言っていた。


何時の間に、吟遊詩人もすっかり寝て、気持ちよく目を覚ましたと見え、すがすがしい目をして、吾輩に向かって言った。

「僕はここに杜甫の詩集を持っている。」と吟遊詩人はややふるぼけた小型の薄い本を見せた。「それから、この首にかけているヘッドホーンを耳の方にあてると、僕の好きなバッハやベートーベンが聞こえてくる」と言って、微笑した。

吾輩は、吟遊詩人はいのちの話をするのだなと直感した。

「杜甫の詩を読んで、そこに展開する千年前の不思議な絵巻物のような光景を頭に浮かべて感動する時、そこにいのちを感ずる」

「それに」と吟遊詩人はヘッドホーンをなでながら、「これは素晴らしい。最近はベートーベンをよく聞くんだが、そこに宇宙のいのちを感ずる。芸術は知識でもない、技術でもない、ただ素直に聞き、感動することさ。ロダンは感動こそ、芸術のいのちというが、こういう素晴らしい音楽を聞いて、感動した時もそこにいのちの躍動を感じる。これは絵でも詩でも同じこと」

吾輩は吟遊詩人が映画の感想を言った時と、似たことを言っていると思った。あの時には、虎族の若者モリミズがその席にはいなかった。

吟遊詩人は吾輩の心を読んだのか、優しい目を吾輩に向けて、微笑して、さらに話した。

「寅坊君が言うように、銀河は目に見えないいのちを持っている。だから、こんなに美しい。その通りさ。勿論、銀河のような巨大な宇宙ばかりでなく、可憐な花を見ても風に揺れる植物を見ても、いのちを感ずる。いのちというのは形がない、目に見えない、しかし、我々の肉体が単なる物質の集合体でないと我々が知っていて、「いのちがある」と誰でも言うように、いのちというのは、感ずる心がある人には、いたる所に、いのちがある。

僕はトラカーム一家で過ごしていた時、何冊かの歴史の本を読んだが、その中でも「安土桃山時代」と「明治維新」は面白かった。貧しい百姓の出から、信長に仕え、天下をとり、その豊臣の天下も結局、徳川に譲らざるを得なかった歴史の動きは実に面白い。明治維新も同じ。下級武士たちが動きだし、やがて、長く続いた徳川政権を倒す、このあたりの人々の動きを見ていると、そこに不思議なドラマ、つまり、歴史物語といういのちを感ずる。

いのちはいたる所に感ずることが出来る。

星の輝き、空気の心地よさ、風の梢を揺らす音、小鳥の声いたる所にいのちを感ずることが出来、そして、いのちをささえているのは愛であり、大慈悲心である。これを不生不滅の霊性と言っても良い。そういう風に、いのちというのは不思議なものだよ。」


            


     29巌窟王

明るい日差しが窓に輝くと、朝になっていたのです。銀河鉄道の窓からは、もう下界は緑の広大な高原のような所が見えて、あっという間に、町並みがひろがり、するりと駅の構内に入って行きました。

やはり、この惑星アサガオはトパーズの宝石のような美しい色に恵まれ9た大地でした。

「トパーズ。トパーズ」

オペラ歌手が歌うような神秘な音色の声がトパーズ駅の構内に響きわたっています。

駅そのものがそのような宝石めいた石でつくられた巨大なものでした。

吾輩は京都の駅を思い浮かべました。似たような感じもありましたが、やはり人ははるかに少ないものでした。


ここは熊族のロイ王朝だと聞いていましたが、鹿族の方がむしろ多く、その他、虎族、猫族などがいるのでした。温暖化が進み、暑いだけでなく、紫外線がひどく強い土地柄だというので、鉄道の中で、アンドロメダ銀河のデザインがされたTシャツとサングラスを購入して、改札を出ました。


時計台の鐘の音が聞こえてきます。駅の外に出ようとしながら、ぼんやりその美しい音色に耳を傾けていると、「モリミズさん」という黄色い声がします。虎族の若者が振り向きました。声の主は、あの猫族の女の子ナナリアではありませんか。ここには降りないと聞いていたので、吾輩は少し驚きました。

吾輩も猫族ですので、こうしてすらりと立っている美しい猫族の女の姿を見たのは初めてのような気がして、はっとしました。

黒い大きな目に大きな黄色い耳が少しゆらゆらしていました。きびきびした身体ぜんたいの動き、体はふっくらとして丸みを帯びていて、気品のあるデザインにあふれた紫の薄手の服を着ていました。

黄色い豊かな髪の毛は後ろに形よく束ね、どこからともなく匂ううっとりするような香り、まろやかなみずみずしい肌、しなやかな腰は少し官能的でもある。それでもどこかに猫が獲物を追う素早さと人の世のビジネスを感じさせる勢いがあり、耳はどんな情報も逃さないというしたたかさを持っているようだった。

吾輩は虎族の若者モリミズが思慕するこの女性をティラノサウルスホテルのレストランでもアンドロメダ銀河鉄道でも姿を見てはいたが、この時の印象はまた格別だった。初めてこの場で見る思いがして、なにやら恋の炎に焼かれる蝶の思いがするのだった。

「え、惑星アサガオを取材するのかい。危ないからやめなさいとあれほど言ったのに」と虎族の若者モリミズは言った。

「それじや、又ね。どこかで会うかもね」

彼女には迎えの車が来ているのでした。


若者モリミズが我々を案内してくれました。駅を出ると、ひどい日射で我々は三人ともあわてて、バッグからサングラスを出してかけました。駅の前に大きな寒暖計があり、それは四十九度をさしていました。

湿度は低いのは助かるが、酷暑に加えて不快なのは何かもやっとした黄色みを帯びた悪臭を放つ空気の流れがあちこちに漂っていたのです。

「これは変な空気の流れですね。吸うと、気分が悪い」

「なるべく、この黄色い空気は吸わない方がいいです。地下街に行けば、もう少し空気がいいです。

ここのエネルギー源は石炭なのです。この石炭で冷房をしているのです」


馬車が来た。我々は中に乗り込み、外の風景を見ながら、町の感想を話していた。移動の手段は馬車と自転車のようだが、最近、ちらほら見かけるようになったのは石炭で動く車で後ろからもうもうと排気ガスを出す汚染は市民に評判が悪いようだった。

「ガソリンはないの」

「惑星アサガオは、石油がとれません。エネルギー源は石炭しかないのです。

おまけにこの暑さ。冷房に石炭を使うのです。

家の中は勿論、外は暑いし、摂氏五十七度を記録したこともあります。オゾン層が薄いので紫外線が強いし、皮膚ガンや白内障が多発しています。

今は外の暑さや紫外線を避けるために、町は温度の低くなる地下街に出来ているのですが、それでも快適な温度に保つには石炭のエネルギーで調節をしているのです。

ただ、困るのは、石炭の排気ガスは外に出しますから外気がさらに汚れることです。

この惑星の石炭の埋蔵量は膨大で、今のように使っても千年はもつだろうと言われています。しかし、問題はこの排気ガスなんです。」

若者モリミズは一息ついた。


馬車の窓の外は廃墟のような古びたビルの群れと馬車で殺風景だった。彼はまた話し続けた。

「庶民はこの地上の暑さと空気の悪さに、困り、重税をかけられ、熱中症だけでなく、色々な感染症の病気が多く、餓死者も出る始末です。

そして、最近では消費税を導入した。これが庶民の怒りをかっています。


それに、二酸化炭素が原因と言われているが、まだ原因不明の所のある惑星アサガオの温暖化が進むと、惑星の異常気象による大雨と干ばつなどで地上は住みにくくなり、さらに、氷河が解けて海の水面が上昇し、もうすでにいくつもの町が水没して、庶民の不安をかりたてているのです。


ウエスナ伯爵が考えているこの国の改良策は、大統領制による民主主義の確立は当然としても、海と湖と川は幸い、綺麗で魚も豊富ですから、あとはエネルギーを水から取るために、水素に変えるということで、天才ニュ―ソン氏の研究成果を使えば、水素社会にすることが可能だというのです。

ところが、この天才ニュ―ソン氏の家柄がネズミ族ということで、そういう下賤の生まれの意見に誇り高い熊族のロイ王朝は耳をかさない。表面上、研究に時間と金がかかりすぎるという理由をつけていましたが。重大なことは金を新兵器の開発と軍拡に使いたかったのが本音のようです。それでやむを得ず、ウエスナ伯爵の保護のもとで、天才ニュ―ソン氏の研究も進められてきたわけで、これがロイ王朝とウエスナ伯爵の確執を生んだと言われています。」


吾輩は猫であるが、地球の人間、つまり天の川銀河では、ヒト族と言われている人達ももとはと言えば、あの恐竜時代にはネズミのような動物だったというではありませんか。

吾輩は猫族の次にヒト族に愛着を持っていたから、天才ニュ―ソン氏を差別するロイ二十世に嫌悪の感情を持ちました。


ウエスナ伯爵の邸宅は地球のイメージからすると、変わったものでした。田舎は少しは空気がいい筈なのですが、ここまで多少の汚染空気が流れて来るせいと、紫外線とこの外の暑さから逃れるためでしょう。

この奇妙な邸宅のイメージを吾輩の身体で表現すると、猫の頭だけが地上に出て、顔の一部と胴体と足は土の下にあるという比喩が当たっているかもしれません。

邸宅の玄関とニューソン氏の水素研究室の入口が地上に並んでいる。そして、広い宝石トパーズの黄色い玄関を入ると、深い地下から冷房のきいた宮殿に通じる階段があったのです。宮殿と言っても、豪華な地下の涼しい部屋がいくつもあるということでしょうけど。


庶民は川の魚と冷房に関連する若干の工場そして、近くに広大なトパーズの産地がありましたから、そういうものの産業に従事して、生きていたのですが、伯爵領に収める税金と王様に収める税金という二重の税金に苦しめられていたのです。

勿論、ウエスナ伯爵がここを世襲してから、この税金を全廃しました。これには、親族からの抗議だけでなく、王様からも叱責があったようですが、庶民は事実上の市民になれたわけで、ウエスナ伯爵に対する尊敬の念は高まっていました。


地下の宮殿の入口には、トパーズ色の宝石のように輝く巨大なドアがあり、そこから入ると、天井からはシャンデリアが輝き、美しい風景画がいくつも飾っている大広間に我々は通されました。


大きなテーブルがあり、その前の椅子に座り、我々は待ちました。

窓には、見事な薔薇などの花や銀河の模様の入った巨大なステンドグラスがあって、部屋の奥からはモーツアルトのセレナードのような音楽が流れているのでした。


「僕の家もここの伯爵家と同じ家柄だったのですけど、貴族を嫌い、その頃の宇宙移住計画で今住んでいる惑星に移り、平民として暮らしています。ですから、この伯爵家にも貴族を嫌う血が流れているのかもしれません。ウエスナ伯爵はそういう方です」と若者モリミズが言った。

「ロイ王朝は庶民に受け入れられていないとか」と吟遊詩人が言った。

「なにしろ。貧しい人々に重い税金をかけ、若者が住む家もなくネットカフェーにあふれ、そこから工場に働きに出るような政治をやっているのですから、庶民は怒りますよ。特に、消費税。魚はここの民の主食のようなものですから、これにまで消費税をかければ、豊富な魚まで、貧しい庶民は食べられなくなってしまう。その危機感がある」


ウエスナ伯爵が出て来た。虎族だけあって、吟遊詩人と同じくらいの背の高さで、貴族だけにふっくらした堂々たる体格、色つやも良く健康そのものという感じである。鼻の下の黄色い口ひげは濃く、大きな丸い目は穏やかである。

彼が席に着くと、同時に給仕のボーイがやってきて、テーブルの上に、ご馳走と飲み物をならべて行く。


「あの件はうまく行ったのですか」と若者モリミズが聞く。

「うん、一昨日、決行してうまく行った。彼を釈放させたのはちょっとしたトリックが必要だった。わしの伯爵の地位も利用した。」と伯爵は満足そうな顔つきで言った。「なにしろ、彼はわしの子供の頃の侍医でもあったからね。

わしの病気が難病で、彼でなくてはなおせないとロイ王に説得したのだよ。

彼がもともと監獄に拘留されたのはヒト族だったことも関係している。熊族はヒト族に偏見を持っている。

それに、彼は優れた詩人でもある。ロイ王朝を揶揄する詩を十編ほど出したというだけのことさ。「ロイは空の空なるかな」という詩が一番、人気が高かったな。

彼は庶民にも人気の高い医師であったから、拘束された時は、皆、驚いたよ。

詩を書くのはこの国の文化だったのに、ロイ王朝は自分の悪口を書いた詩を許さないとしたわけでね、拘留が十五年にもなっていた。

しかし、わしはロイ王を説得したよ。

彼は十五年の牢獄生活でかなり、病弱な状態になっているので、もう詩は書けないと。

ともかく釈放され、今はここで休ませてある。彼は巌窟王だよ。最近は監獄の地図を書いているのさ。何しろ巨大な監獄だ。強盗などの犯罪人は周囲に、真ん中の方に三十人ほどの政治犯が入れられている。

革命の時には、監獄にいる我らの仲間の政治犯のみを解放しなければならないから、これが意外と難しい。普通の犯罪人は解放するわけにはいかない。

それにあの監獄は天下一品の堅固な造りだから、地図があればそういう人達を助けるのにも役に立つ」

「監獄の地図を知っているのですか」

「彼はね、何と独力で、あの監獄を脱出しようと地下に穴を掘り、廊下の方に出ているのだ。

しかし、監獄の周囲は深い堀に囲まれ、周囲には衛兵が常に番をしているし、土の所に出ると、獰猛な番犬がうろちょろしている。

堀には暑さに強いワニが沢山いる。それで、出られないと知ったあとは、夜中、眠っている兵士に気づかれないように、細かい地図をつくり、自分の監獄に戻ると、ラテン語で地図を言葉に変えて暗号化したのだという。それをブロントサウルス教の聖典に詩で書いていたのだそうだ。

看守には地球のラテン語なんて暗号みたいなものだからね。

今、それを元に、記憶と一緒にして監獄の正確な地図を書いている。」


我々はその巌窟王に会わせてもらった。

その時は、庭園の眺められるテーブルの上で、地図を書いているらしかった。横にブロントサウルス教の聖典があるらしく、時々、めくっていた。

我々が入ると、もう話は通じていたらしく、微笑した、確かに落ちくぼんだ眼額にきざまれた深い溝のような皺、長い老化した白髪。中肉中背の彼の体には老いと長年の疲労が刻まれていたことは一目で分かった。


「空の空なるかな。」

と巌窟王は弱々しい声で言った。

「お分かりかな。わしの前世は王族だった。わしは先頭にたって、戦い、勝ち、大きな城を気づき、ありとあらゆるぜいたくをした。しかし、これが何になろう。空しい。それだけだ。

そこで、この国に生まれ変わると、わしは人のいのちを助ける医師になる決心をし、その通りになった。しかし、地球の有名な詩句からヒントを得て、ロイ王のことを書いた詩を書いただけで、監獄だ。娘との別れは辛かった。」

「地図はできましたか」と伯爵が聞いた。

「おお、もうすぐ完成だ。わしと同じ目に会った三十名の政治犯を釈放してやってくれ」 

「前世では王族 ? 」と吟遊詩人は巌窟王に聞いた。

「そうだよ。王様のどんな栄耀栄華も神仏の前には、空の空なるかなだよ。このことをロイ王も分かってくれたらな。ただ、それだけの詩を書いただけさ。


伯爵と我々の食事に巌窟王も招かれた。

「地図はほぼ完成だな。あの監獄は堅固でね。まあ、わしも穴を八年かけて掘った時は、これで脱獄できるという喜びに躍り上ったものだ。しかし、毎晩のようにそこから、外に出る道を探したけれど、絶望的になった。外に出るのは不可能だったのだ。

それで仕方なく、監獄の地図を書くことにせいをだした。しかし、書く所がない。しかし、監獄には、熊族の民族宗教であるブロントサウルス教の聖典が一冊だけ置いてあるんだな。

そこに地図を書くわけにいかんから、看守の絶対に分からないラテン語で詩を書いた。その中に、監獄の地図の暗号を入れたのさ。

問題はペンだよ。これは看守にもらったよ。この看守は以前に、彼の胃が悪い時に随分面倒を見てやった。だから、わしにはよくしてくれた。ペンをくれたのだよ。勿論、他の看守に見つかるとヤバいから、普段はトイレの横に隠して置いたけれどね。」

「大変なご苦労がおありだった。その地図は今度の決起で、仲間を解放する時に役に立ちますよ」

「ところで、お嬢さんがカナリヤ国からこちらに来るのですよ」

「いつ」と巌窟王は驚きと喜びの二重の深い感情を皺だらけの頬ににじませた。

「数日以内ですね。なにしろ。海を渡らなければなりませんし、カナリヤ国からの馬車は厳しく検問されますから、すんなりというわけにはいかず、いくつかの宿を泊まってまいります。でも、ご安心下さい。一緒に警護するのは、あなたに仕えていた秘書のあの屈強な男、ソロですから。」

「おお、ソロ君か。わしが捕まった時は、兵士にくってかかった男だ。わしの信頼できる男だ」

「今はカナリヤ国で弁護士をしております」

食事はおいしいものだった。巌窟王の心をなぐさめようと、テーブルの真ん中には美しいランの花が豪勢に沢山咲いていた。

果物の入っている皿も、様々な料理の入っている見事な花模様の椀も上等なワインもこの愉快な晩餐会をもりたててくれるようであった。


巌窟王は寄って来ると、

「ハハハ、わしがロイ王に突きつけてやった詩はな、地球という惑星から仕入れてきたものなのだ。」

「ぜひ言ってみて下さい。知りたいものです」

「おお、君はヒト族ではないか」巌窟王は初めて気がついたように、吟遊詩人の肩に手を置いた。吾輩とハルリラは猫族と分かったせいか、巌窟王はただひたすら、詩人を見詰めていた。

「分かりますか」と吟遊詩人が言った。

「分かる。分かる。このアンドロメダ銀河では、ヒト族は少数民族だ。」

ワインをカップ三杯ほど一気に飲むと、微笑した。「これを飲むと、生気が生まれるのだよ。なにしろ、地下の監獄に十五年もいた。ごつごつとした岩に囲まれた不潔な狭い部屋にそんなに長い事、孤独にいると、声も出しにくくなる。しかし、このワイン三杯で回復する。不思議なものだ。記憶力もね、鮮明に覚えている所と、抜け落ちる所がある。まあ、まだらな記憶というわけだ」

「今のご気分は」


「まあ、監獄から出てきた後では、最高だね。なにしろ、ここには地球の詩人がいる」

又、一杯、ごくりと飲むと、「始めるか」と言った。

「空の空、空の空、いっさいは空である

日の下で人が労するすべての労苦はその身になんの益があるか

世は去り、世はきたる。

しかし地は永遠に変わらない。

日はいで、日は没し

その出た所に急ぎ行く

風は南に吹き、また転じて、北に向かい

めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る


わたしは魔界のメフィストの甘い誘惑の言葉に動かされ

強い権力と富を得て、王となった。華やかな宮殿、美しい女、色とりどりの花園、ブドウ畑、様々な樹木を生い茂らせ、水を注いだ。

私は金とダイヤモンド、エメラルド、そうしたあらゆる宝石が瑠璃色の大地のあちこちから、顔を出し、四方から、美しい滝が落ちるようなミニ自然をつくった。そして、牛と羊を飼い

わたしは多くの働き手を得て、わたしの思うように動かし、わたしも働き、その労苦によって富は富を生んで、宮殿の町はさらに、華麗になった。しかし、気がついた時は、

宮殿の外の村は荒れはて、多くの人が重い税に苦しみ、病気になり、住宅が壊れ、路頭に迷い、あちこちで人が倒れ、宮殿の町の中に入ろうとする人々を衛兵がこばんでいた。

わたしはそれを知り、今までの労苦の空しさを知った。

悪魔メフィストのあざ笑う笑い声が聞こえるようだった。一切は空であると。」


最初は地下から響くような声が、話す内に高揚し、生命力が附加し、まるで無から銀河が誕生する宇宙の物語のように、彼の詩句に富んだ声はしだいに生き生きとなり、「皆、空であって、すべて風をとらえるようなものである」と急に奈落に落ちるような響きで、我々を見回した。


吟遊詩人と伯爵が拍手した。

「その空は魔法界でも聞いたことがある」とハルリラが言った。

「仏教の『空』とはまるで違うよね」と吟遊詩人は言った。

「どういう風に」と吾輩、寅坊は聞いた。

「説明すると長くなるな。ともかく、まるで違う」と詩人は笑った。

「王の栄耀栄華の空しさは風をとらえるようなものであることを、わしの詩で知らせたかった」と巌窟王は言った。

「仏教の『空』はもっと生命の肯定的な面があるよ。あの詩句の『空』は空しいという風な感じがある。キリストの『野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった』という教えにも似通っている。「空」は栄華とぜいたくの空しさを言っていると思う。つまり、ソロモン王のどんなに華やかで贅沢な暮らしも野に咲く一輪の百合の花の美しさにかなわないというようなところかな」と吟遊詩人が言った。

「その通り。わしはこういう風に、熊族のロイ王朝のロイ二十世に、庶民が苦しい思いをしている中での王の栄華の空しさを詩句で突きつけてやったのだ。地球の日本にあると聞く、戦争は絶対にしてはいけないという憲法九条のあるような素晴らしい日本国憲法を取り入れて、カント九条として平和主義と国民主権と基本的人権を守るような国づくりをするように提言したつもりだったが、受け入れられなかった。しかし、ウエスナ伯爵がいずれ、立ち上がり、そういう国をつくってくれるだろう」と巌窟王は笑った。

巌窟王は「ところで、こちらの皆さんはアンドロメダ銀河鉄道で知り合った仲間と聞いているが」

若者モリミズがヒョウ族の若者にナイフをふりかざされたいきさつを手短に説明した。

「そうですか。それは助かりました。」と伯爵が言った。「怪我でもされたら、スピノザの講師を失うところでした。虎族のティラノサウルス教も熊族のブロントサウルス教も私は気にいりませんし、庶民もそうです。どちらも強者のための宗教ですからね。

親鸞の教えはこちらでは、かすかに耳に届く程度で、取り敢えず庶民が力を得るような宗教哲学が必要なのです。」

「庶民には民族宗教みたいなものはないのですか」

「ありますよ。でも、一番の欠点は、権力には従えというのが長い習俗として残っていますから、これではロイ王朝を倒せないのです」

                  



【物語の参考】

記憶の不確かな巌窟王が歌いあげた彼独自の詩句ですが、その土台となったのは地球の旧約聖書の「伝道の書」です。

【「空の空、空の空、いっさいは空である

日の下で人が労するすべての労苦はその身になんの益があるか

世は去り、世はきたる。

しかし地は永遠に変わらない。

日はいで、日は没し

その出た所に急ぎ行く

風は南に吹き、また転じて、北に向かい

めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る   】

ここまでは伝道の書の文章を引用しています。欧米人やキリスト教徒なら、たいてい知っていると思われる人生を深く見た詩文です。人の世は空しいから、神の言葉を聞けということでしょうか。

そのあとの長い詩文は、巌窟王が前世に王族であったことをふまえ、目の前で統治しているロイ王をいさめる詩句をつくったものですから、巌窟王の独自の詩句となります。




30 魔法界のアート

しばらくそこに滞在していると、カナリア国から十八才の娘がやってきた。

我々は伯爵と若者モリミズと一緒に、波止場に出迎えに行った。暑い風が海から吹いていて、日差しも強烈だった。湿度が低いので、摂氏四十八度という猛暑の中でもなんとか歩けるが。

ともかく町が地下につくられる理由が分かる。

彼女は巌窟王の娘であるから、ヒト族だった。しかし、吾輩は彼女に会うまではそのことを忘れていたようだ。ヒト族の娘の特徴は鼻と目と口元のバランスが良いということだ。それが細面の顔という額縁に綺麗におさまっているし、黒髪の美しさは虎族の黄色よりはさらに美しいと思ったほどだ。

それに、彼女の場合、悲しみに耐えてきた気高い美しさがあった。


彼女は伯爵の叔母の家に、ソロ弁護士と一緒に案内された石炭のエネルギーで冷気を送られた地下の邸宅だった。そして、伯爵と叔母の家は近かったから、伯爵は 巌窟王と娘の心身の心構えが出来た一番体調の良い時を見計らって、二人を対面させる手筈をとったようだ。なにしろ、十五年も会っていない親子だ。そういう細かな配慮をする中にも、吾輩は直感するものがあった。ウエスナ伯爵と娘との間に、男女にある微妙なある種の引力が働いていると。

そこまでなら、吾輩は別に珍しくもない、当然の姿と思ったのだが。

不思議なことに、吟遊詩人の顔つきに不思議な憂いの表情が時々浮かぶのは例の慢性胃炎かと思うようにしていたのだが、今度の場合はそうではないらしい。

詩人にとっても、久しぶりに見るヒト族の娘だけに、何か郷愁以上のものを感じたとしても不思議はあるまい。

まあ、こういうことには、吾輩の出る幕ではないが、三角関係となると、厄介なことが起こりはしないかと案じられる。しばらく注意深く見守るしかあるまい。


ある日、シャンデリアの輝く広間で、我々が歓談している時に、上の入口から執事に案内されて、トパーズ色の光に包まれて、ヒト族の娘が頑健な弁護士ソロと一緒に入ってきた。反対側の下の階段を昇り、やってきたのが巌窟王だった。巌窟王は既に、十五年の辛苦を耐えて病弱にはなっていたが、しっかりした足取りで広間に立った。


吾輩から見ると、左手にヒト族の娘、右手に巌窟王が殆ど同時に立ったのだから、予期していた出来事とはいえ、少し驚いた。吾輩の前にいたウエスナ伯爵が立ち、娘の方に行った。二人は挨拶を交わした。

その間に、巌窟王は娘と伯爵に近づき、娘も巌窟王に近づいた。


華やかな薔薇などの花の模様のあるステンドグラスから洩れて来る光が巌窟王と娘の背後から、何とも言えない天国のような明るい空間をつくり、ここが地下であることを忘れてしまう程だった。


互いに一メートルほどの間隔になった時、足を止めた。

「シクラメンか」とカーキ色の厚手の服に青白い顔の巌窟王は震える声で言った。

「はい。そうです。お父さま。シクラメンです」と絹のように軟らかな紫の服を着た彼女は涙声だった。

「わしが父だと分かるか」

「はい。直感で分かります。三才で別れたので、かすかな記憶しかありませんけど、確かにあなたはお父さまです。よくぞ、ご無事で」

「わしは覚えているぞ。そなたの幼い顔、やわらかで小さな身体をこの手で何度も抱きしめたことを」

「森の中で遊んだことをかすかに覚えております」

「そうか、そこは川が流れていた。釣った魚は最高にうまかった」

「あたしも食べましたの ? 」

「食べたの何の。母親より食べたぞ」

「ああ、お母さまは何とお気の毒」

「そうさな。わしが逮捕されるのをソロと一緒に阻もうとして、兵士に刺されてしまった。ソロも危なかったが、彼は身のこなしが素早く剣をよけることが出来た」

「ああ、可愛そうなお母さま」と娘は言いながら、涙を流し、巌窟王の胸にひしともたれかかった。巌窟王はしかと娘のシクラメンを抱き留めた。


こうしてしばらく、二人は抱き合い、かすかな言葉の交換の中に、二人の愛の絆の深さを確認しているかのようだった。

伯爵は我々の座っている広間の大きなテーブルに二人を案内した。


「これで、無事、親子の対面はできた。あとは、一刻も早く二人でカナリア国に渡ることですな」と伯爵は言った。

「今の時期に、故国を去ることは悲しい。監獄の地図が出来、革命の嵐の時に、仲間の政治犯三十人が助かるのをこの目で確認したい」と巌窟王が言った。

「いえ、それはなりません。そのためにこそ、娘さんがあなたを迎えに来たのです。あなたは十五年の疲労をしょっておられる。監獄の地図も書いた。十分、職責をはたされたわけで、騒乱が起き、危険なことが起きる前に、カナリア国へお渡り下さい。あなたを支持する昔の患者の市民もそう願っています」

「お父さま、そうなさって下さい。そのために、あたしが海を渡って、お迎えに参ったのです」


ウエスナ伯爵は吟遊詩人の意見を聞いた。詩人の見識を高く評価していたのだろう。

「私はフランス系アメリカ人と普通、言っているのですが、母は日本人です。しかし、父方の先祖にはフランス人の血も入っているのです。ですから、子供の頃、フランスの話はよく聞かされたものです。今、この惑星のロイ王朝で起きていることは、地球の歴史の中でも最も劇的なあのフランス革命に酷似しているのです。

ですから、私の話も参考になると思います。

革命の動乱になりますと、巌窟王のように市民に尊敬されている人はロイ王朝からすると、眼の上のたんこぶですから、攻撃の標的にされます。それに巌窟王は身体が弱っておられる。この革命に参加することは娘さんの保護者の立場から言っても避けるべきでしょう。」


そのあと、しばらくして、二人の親子は、娘は旅の疲れを癒すために、父は身体を休めるために、執事に案内されて部屋の方に行った。

弁護士のソロと伯爵はしばらくカナリア国の政治状況が安定していることを話し合っていた。

カナリア国はいい。温暖化現象は惑星全体に及んでいるが、カナリア国は緯度が高いために、こちらよりも気候はやや穏やかで住みやすい。

それでも、一年中、多少の波はあるが、三十度近い。そのように、気候もこちらに比べると穏やかで住みやすい。今頃は熱帯植物ハイビスカスに似た赤い燃えるような花が咲き乱れているに違いない。それに優れた文化を持つ。民主主義が確立されている。

ただ、個人のトラブルはどういうわけか増える傾向にあるから、ユートピアというわけにはいきませんと、ソロ弁護士は豪傑笑いをした。


吾輩は吟遊詩人の憂いに沈んだ顔を見た。その顔は、巌窟王がいつ故国に帰るか、数日たったにもかかわらず、はっきりしない。それが憂いと悲しみと喜びを交錯することを加速させたようだ。

その間にも、虎族の若者モリミズはスピノザの講師として招かれ、外へ出る機会が多かったのだが。


ある時、その会合で、ウエスナ伯爵がスピノザ論を言っているような所を吾輩は耳にした。勿論、吾輩達は出席が許されているわけではないから、これは偶然のいたずらとも言えよう。それから、吾輩の猫族の耳の良さ、感度の高さというもので、この時ほど、猫に生まれたことの幸運を思ったことはない。

壁の向こうで、ウエスナ伯爵は言っていた。

「モリミズ君のスピノザ論によると、全ては神の変身したものであるけれども、個人、個人、そして、森羅万象の物質という風に現象してしまうと、そこに大きな川の流れにあちこち渦が巻き起こるように、激しい動きが起こるという話だ。

熊族のロイ王も虎族の貴族も鹿族の多くの人もみんな神仏の変身したものであるにもかかわらず、みなその出身を忘れ、争うようになる。その争いの元はエゴと一体になった欲望だ。神仏は一つ。だからこそ、人間も一つのいのちの流れ。そこに差別や、格差があってはならない。格差の固定化をもくろむのは、既成秩序の中で営利をむさぼる連中が執着を起こしているからだ。

個人のエゴが激しくなると、本来の神仏は一つ、ワンネスを忘れてしまい、人間と人間の関係がどんどん壊れ、自己のことばかり考えて、他者を傷つけるようなことを平気でするようになるそうだ。

今度の軍備の増強も、武器製造会社の欲望によるものだ。マゼラン金属の取締役フキという女がロイ王朝に武器を売り込もうとしている。」

吾輩はフキという名前で、ティラノサウルスホテルで見た、あの宝石で顔じゅうを飾ったような金持ちの虎族の女性を思い出した。

伯爵は話し続けていた。

「カナリア国を攻めて、何の意味がある。互いに軍拡を進めて、そんなことに大金を使うなんていうのは愚の骨頂。戦争になれば、苦しむのは庶民。カナリア国の優れた文化を理解し、ロイ王朝の歴史や鹿族の文化についても相互の理解を深めてもらえれば、軍備なんて最小限ですむ」

吾輩は思った。武器には人を殺したいという意思と魔性がある。これは猫の直観である。

伯爵の声はさらに吾輩の耳に響いた。

「そんな大金があれば、福祉施設の充実、町で言えば、病院や学校、託児所を増やし、路面電車をつくることを考え、天才ニューソン氏の提唱する水素社会にする方がどれだけ、庶民のためになることか」


壁の向こうから聞こえた伯爵の話は、少し、聞き取りにくい部分があったが、

そんな風な内容だったと思う。

こんな風にウエスナ伯爵のもとには、毎日十名近い人達が来て、何やら密談しているようだった。

ロイ王朝を倒す決行の日が迫っていることを我々は感じていた。我々は庭園を散歩して毎日を過ごしていた。

娘はどうなるのだろう。どうも気のもめることだった。

もしも、革命が失敗すれば長い監獄行きか、死刑が待っている。そういうことであれば、娘を安全な所に避難させるのが、普通のやり方だろうが、巌窟王の判断がにぶっているのか、それとも海を渡る天候の具合を見ているのだろうか。確かに、ここしばらく天候がよくなかったことは確かだ。


巌窟王が隣のカナリア国に避難する、という考えが浮かぶとなると、我々はどうするのだろう。危急の時に、アンドロメダ銀河鉄道の素晴らしいイラストの入ったカードはロイ王朝の兵士に役に立つのか、あの虎族のヒットリーラの時は金のコートが役に立ったが、今度はどうだろう、その辺も吾輩の関心事だった。



巌窟王と娘がカナリア国に出発した翌日の昼、虎族の若者モリミズが大慌ての様子で、そしてちょっと青ざめた様子で「ナナリアがつかまった。やはり、もつと強く言っておくべきだった。あれほど、この惑星には来るなと言っておいたのに。取材って、何の取材だ。彼女の職業は何なのだ」とちょつとヒステリックな調子で言った。

吟遊詩人が「どうしたのですか」と問うた。

「あの銀河鉄道にいた猫族の女の子ナナリアがいましたよね。あれがこの惑星に降りましたよね。それで、つかまってしまったのです。あの子には、この惑星は危険だから、次の惑星に行きなさいと言って、同意してもらったから、あの駅で降りるとは思わなかった。駅で出会った時に、強く引き返せとでも言うべきだった。取材とか行っていたけれど」

と若者モリミズはかなり取り乱したような感じだった。

「何かそういう職業についておられたのですか」

「いいえ、私は彼女の職業についてはよく分からない」

そこへウエスナ伯爵がやってきた。

「どうしたのだ」

彼は説明した。


「取材で、猫族となると、ABC監獄に入っている公算が高い。あそこは守りがそう固くはない。うまくすれば、看守を買収 出来る。なんとか、助け出すことは出来るだろう」と伯爵が言った。

「本当ですか」と若者モリミズが言った。

「出来る。君もついてくるか」

「はい」

「わたしも一緒に行かせて下さい」と吟遊詩人。

「あのABC監獄には、サル彫刻が雨の日も風の日も番をしているのです。あの猿と話するためにも、僕も行きますよ」とハルリラが言った。

「サル彫刻が」

「サル彫刻が私に魔法のメールを送ってくるのです」

「何て」

「会いたいって。奴は魔法界から、ある使命をおびてABC監獄にいるのです。あそこの兵士に聞いてみれば分かりますよ。いつの間にか、門の所に、サル彫刻があったと言うに決まっています。あまりに気品があるから、狐につままれたとね。魔法に、彼らは幻惑されやすいですから」


「サル彫刻の使命は」

「監獄に入っている政治犯がいるからこそ、よその惑星から来た我らのような武者に知らせる役目をおっている。伯爵に聞いてみて下さい」

「うん」と伯爵は言った。「何か気のようなものを感じた。ナナリアさんのことを考えた時、ふとABC監獄の建物が目に浮かんだからな。ハルリラ君の言うことは当たっているのかもしれないな」

「あの猿は」とハルリラは言った。それから、ちょつとした沈黙があって、そのあと、急にはきはきした声で言った。

「宇宙の目に見えない真実が形を取って、猿という彫刻になる、そんな感じがするのです。これは魔法界の最高の秘術と言われ、私もその中身については皆目分かりません。ただ、そういう事実があるということしか。

宇宙には真実がある。その宇宙の真実から舞い降りてきたとしか言いようがない。稀有の魔法界の芸術品です」


「そりゃ、いい。あの猿は君となら話をするかもしれない」と伯爵は言った。

「当然しますよ」とハルリラは笑いました。彼のような武人には珍しいような朗らかな美しい笑いでした。

大切なことは目に見えないと教えてくれた童話を吾輩はふと思い出しました。そんな思いで、吾輩は皆と一緒に猫族の娘ナナリアさんを助けに行くことになったのです。


               




31 満月

移動するには石炭で動く蒸気自動車か馬車しかない。路面電車をつくれという意見もあるが、今のところ、電気の技術の開発のめどがやっとたった段階で、実現は無理のようだ。伯爵は四頭立ての馬車と、エンジンに石炭という蒸気自動車の両方を持っているようだったが、この日は我々の希望もあって、馬車で行った。


町は広い自動車道路に大量の排気ガスを吐き出す大型の奇妙な蒸気自動車があふれ、空気は淀んでいるようだった。馬車は大通りをしばらくゆっくり行き、途中で横の広い通りに入り、そこから川のそばの通りを走った。そこは車は通行禁止になっているようだったので、馬車は少し速めに走った。川は汚れていて、いくつもの廃棄物が浮かんで見苦しかった。


吾輩は葛飾北斎や歌川広重の絵が好きだったから、もう少し町の美観を考えた街づくりができないものかと思ってしまうのだった。


吾輩の好きな絵がまぶたに浮かんだ。満天に星という美しい夜に、大きな緑の松の枝が青色の川面に下がっている。あたりは、素晴らしい江戸の静けさが漂っている。木造の橋の上の方に、満月がある。月の下は隅田川の美しい青色が広がり、橋の上には提灯を持つ色々な人たちが行きかい、沖合には漁り火が点々と並んでいる。

しかし今は銀色の弓形のレインボーブリッジと高いビルの見える綺麗な川に変身している。


どちらに比べても、馬車で走るこの惑星の道は薄汚い煉獄の街角のようにも思えてくる。



伯爵の話によると、建物はみな会社などで、外から入ることは出来るが、実際の店舗や企業そのものは地下に多く存在しているようなものだという。

確かに、この町は地下の街なのだ。外は移動に使うだけというのも、強い紫外線と暑さの二つで、地上は使えないわけではないが、長い歴史の過程で、地震が少ないこともあって、地下は安全というイメージが定着したといういきさつもあるようだ。


監獄は町のはずれにあった。比較的刑の軽い者が入っている所ということだった。伯爵はいつもの正装で出かけた。吟遊詩人と吾輩と若者モリミズがあとに従った。

銀河鉄道の乗客の観光の一環という触れ込みだった。伯爵は案内役。一番軽い監獄なら、それもそんなに不自然ではないと伯爵は言った。以前にもこの監獄は観光客が見に来ている。


馬車から外に出ると、熱い風が我輩の頬をなでた。何かキーという鳥の声が聞こえ、どんよりした雲の下をインコのように赤い小さな鳥が飛んで行った。外は、厳しい日射からくる暑さ。何かもやっとした黄色みを帯びた悪臭を放つ空気の流れがあちこちに漂っていた。



トパーズ色の:堅固な監獄の入口を入ると、日射がなくなり、ほっとした。汗が噴き出してきたので、ハンカチを出して、手でぬぐった。

例のサルの彫刻があった。茶色の肌をしたサルは威厳のある顔つきをして、大きな石の門の上に座っていた。

サルはハルリラに微笑した。少なくとも吾輩にはそう思われた。

「ようこそ」という声が聞こえる。

空耳のような静かな口調だった。だが彫刻にそんなまねができるはずはないと吾輩は思ったが、ハルリラはうれしそうに豪快に笑った。


受付の所に、兵隊が三人いた。上官らしい口ひげをはやした鹿族の青年兵士が薄手のカーキ色の制服を着て、立っている。

「身分証明書を」

「わしを知らんのか」

「知っております。ウエスナ伯爵閣下です。身分証の提示は規則ですので」

「分かった」と伯爵は言って、胸のポケットから証明書を出した。

「どんなご用件で」

「猫族の娘が逮捕されているとか。」

「はい、確かに」

「アンドロメダ銀河鉄道の乗客だろう。どんな犯罪を犯したのか」

「ああ、そうなんですか。私はそういうことは聞いておりません。鹿族の男と喋っていたとかいう容疑なんです。」

「その鹿族に何か問題があったのか。君も鹿族だろ」

「はあ、そうなんですが。彼はパンを大量に万引きしたというのですよ。何か仲間がいるらしく、そいつらにも持っていこうとしたふしがあるので、その鹿族の男も逮捕しました」

「彼女は」 

「取材とか言っていますけど、まだはっきりしていません」

「そうか。彼女に会わせてもらえんかな。こちらの方は、アンドロメダ銀河鉄道での友人なのだ」と伯爵は我々を紹介した。

吟遊詩人と吾輩は銀河鉄道の印となるカードを見せた。

「閣下のお頼みとあれば、」

我々はそういうわけで、地下に入って行った。堅固なドアを兵士はガラガラと音をたてる大きな錠を使い、開けると、薄暗い廊下がずっと続き、その廊下ぞいに独房があるらしかった。廊下の中も日差しがないだけ助かるが、熱いことに変わりなかった。

その廊下を過ぎ、さらに急な階段を降りると、次の廊下と独房が続いた。独房のドアには、青いプレートがあり、番号が書いてあった。

「猫族は地下三階になっています」

そこの廊下の入口に来ると、猫の写真が飾ってあった。



吾輩は猫族のヒトでなく、猫そのものの写真になんとも言えない郷愁を感じた。

「317号です」と兵士ははっきりした口調で言った。

「この独房は地下何階まであるのかね」と伯爵が聞いた。

「地下五階です。ただ、地下五階は兵隊の寝室にもなっています。我々も交代すると、そこで休めます」

なるほど、この国では、地下深い所の方が高級だということだ。地下の方が冷房がなくても自然の涼しさがあるということなのだろう。


「君等は自分の部屋を持っているわけか。酒は好きかね」

「好きですが」

「買うのはどこで買うのか」

「地下のドアから抜けると、地下街に出ますので、そこから五分ほどに酒屋があります」

「そうか。彼女のドアを開けたら、この金で飲んでくれ」

「え、でも、それをやると、勤務違反になります」

「他の兵隊分の酒代も渡しておく」

「はあ、でも」

「彼女の容疑は鹿族の男と喋っていたということだろう」

「はい、そうです」

「取材なのだよ。そんなことで、銀河鉄道の乗客を逮捕すると、宇宙鉄道法にひっかかって、あとが面倒なことになる。

よく、相手を確かめて、法律に基づいて逮捕することだ。裁判所の令状も必要なのだぞ。ただ、怪しいというような主観で逮捕してはいかん。それが法の精神というものだ。

この国もカントの平和憲法にある基本的人権を根付かせる必要がある。そうは思わんか」

「カントの平和憲法。基本的人権。初めて聞くので、勉強しなければならないと思います」

「そうだ。素晴らしい憲法でね。カント九条のことも宇宙インターネットを使って勉強したまえ。宇宙で、あれほど平和の尊重を具体的に定めているのはまれだと思う。カント九条は地球にある日本国憲法九条をそのままそっくり取り入れたものだ。両方とも宇宙の宝となる素晴らしい条文だよ。基本的人権については、今度、警察署の署長会議がある時に、わしから言っておく」

「分かりました」



兵士は鍵でドアを開け、伯爵から金をもらい、敬礼をして、地下の下の方に行ってしまった。

虎族の若者モリミズが最初に独房の中に入った。「ああ、良かったね」と言った。独房の中はベッドがあり、彼女は毛布の上に黄色っぽい囚人服を着たまま横たわっていたが、モリミズを見ると、飛び起きた。

「あら、あなただったの。あたしは取材していたのよ」

「監獄で」

「そうよ。この惑星の監獄がどんな風か取材していたのよ。不可解なことをやっているのよ。近くで死刑囚の執行がされると、鐘がなり、それが連絡の合図でオオカミ族の看守が来て、ドアの細い窓からピストルの弾を一発打ち込むのよ。脅しよね。脅しでも、弾にあたって死んだり、怪我することがあるのだから、悪質よね。でも、この間、不思議なことがあったのよ。鐘がなったあと、ドアの前にすらりとした美しい女の人が立っていて、看守を平手打ちにしたのよ。それから、ドアの窓から、私の方を見たの。緑の目をした神秘に輝く色よ。あたし、あんな素敵な目を見たことがない。看守は慌てて、ピストルをうったけれど、方角違いで弾は天井の方に行ってしまったわ。」とナナリアが言った。

「魔界の知路だ」とハルリラが言った。

「面白い人ですね」と我輩は言った。

「面白いものか。魔界の女だぞ」

「どうして魔界と断定するのですか」

「思い出してご覧。最初に彼女を目撃したのは、邪の道だった。それに、彼女の豊かな金色の髪の毛の下に隠れてよく見えないが、二つの小さな銀色の角がある。」

「何か深いわけがあるのだよ」と吟遊詩人は言った。

詩人は優しい微笑をしていた。ウエスナ伯爵が厳粛な顔をして、ナナリアの前に出て言った。

「看守のピストルのことは、知らなかった。けしからん話だ。それはともかく、君が無事でよかった。皆、心配していたのだ」

「あら、すみません。ご心配かけまして。ありがとうございます」

こうして、我々は馬車で、伯爵邸に戻った。

それから、夕食どき、ウエスナ伯爵が珍しく、顔を出した。

「皆さんは、隣のカナリア国に避難するお気持ちはありませんか。ここしばらく、動乱の嵐の時が来る。既に、巌窟王とお嬢さんはカナリア国に行っている。あなた方もいかがですか」

吟遊詩人は同意した。

伯爵はさらに言った。「ともかく、この国の民衆は貧しい。我々が立ち上がらなければ、いつまでもこの国の貧しさは続く」

吾輩は伯爵のその言葉を聞いて、良寛の和歌をふと思い出した。

「夜は寒し麻の衣はいと狭し

    うき世の民になにを貸さまし」

ひどく寒い思いをしている良寛はその中で貧しい民衆を救えない自分を嘆いているのだろうか。吾輩はこのひどく暑い国で、そんなことを考えた。

我々は巌窟王の後を追うようにして、カナリア国に一旦、避難することになった。カナリア国へは海を渡らねば行けない。カナリア国は大統領制で、民主主義の国である。

ウエスナ伯爵は革命勢力の指揮官の一人なので、とどまることになった。

海は地中海のような感じで、ちょうど、イタリアからエジプトに渡るような船旅に似ていると吾輩は思った。カナリア国はロイ王朝の二倍近い広さがあるということも宇宙インターネットの情報で知った。まあ、ロイ王朝にすれば、隣の大国で、隣に逃げた者を追うことは出来ないのだろう。

それまでは恋の勝負では、軍配は吟遊詩人に上がるかと、吾輩は期待もした。一方、このシクラメンと吟遊詩人が結婚することになれば、カナリア国にとどまり、吟遊詩人の旅は終えるわけで、吾輩とハルリラのアンドロメダ銀河鉄道の二人旅となる。それも寂しいと複雑な気持ちはこの上もなかった。

それから、もう一つの人間関係もややこしい。

吾輩と若者モリミズ。そして監獄から助け出された取材中の猫族の娘ナナリア。これは三角関係なのだろうか。吾輩の気持ちしだいなのだろう。虎族の若者が懸想していることは確かだ。

吾輩の胸にも長い旅の中で、ふとめぐりあった一輪の花という趣がある。吾輩にはやはりあの良寛の貞心尼を待つ和歌が思い出される辛さがあった。

「君や忘る道やかくるるこのごろは

      待てど暮らせど訪れのなき」

そばにいるのに、良寛と似たような心境というのも何か奇妙な感じがしたが事実だった。それにしても、吾輩の胸の中では、結論は分かっていたのだ。

モリミズとナナリアのことは彼らにまかせ、吾輩は、吟遊詩人の気持ちだけを心配している、それが取るべき道なのだと。




カナリア国に渡ることになった。

ハルリラの船の上での行動が吾輩の心をひいた。地球よりも小さいが黄金の色に近い満月がさえわたり、降るような星の光と夜の闇の中で、ハルリラは奇妙なことに珍しく剣をぬいて突きの練習をしていた。船の甲板の上には、夕涼みに出ている人が二・三見かけるだけで、誰もハルリラのことを気にしている風にも見えなかった。

ただでさえ暑い気候なのに夜とはいえ。そんな宙を突く練習をすれば汗をかくだろうと、吾輩は思った。思った通り、ハルリラはハンカチを取り出し、時々額の汗をぬぐっている。

そして又、剣で宙を突く。運動不足を補うためという理屈も思い浮かんだが、ハルリラの心の中で、何か嵐が吹き荒れていることを感じた。


吾輩は彼に声をかけて近づき、月光の元で、波の音を聞きながら、ハルリラと肩を並べ、静かに語った。

「運動もいいが、汗をかくだろう」

「ふふう。夜の船の上の剣の突きは気持ち良い。それに月の光がわが心を洗う」


「何か悩み事でもあるのかい」

「悩み事。ハハハ。その悩み事をこの剣で一突きして、つぶしているのよ」とハルリラは笑った。豪快な笑いだった。満月がハルリラに微笑しているとも錯覚した。彼の魔法だろうか。波の音も気持ち良かった。


何故か、吾輩の頭に、ナナリアの清楚な姿が浮かんだ。吾輩にとっても同じ猫族、宝石のように彼女の存在は輝くのだった。


               

                



32 松の門

カナリア国では、弁護士ソロとシクラメンと巌窟王はソロの知人の家に身を寄せていたが、吟遊詩人と吾輩とハルリラと、それに若者モリミズとナナリアは伯爵の知人の所の厄介になることになった。


そういうわけで、我々はウエスナ伯爵の遠い親類筋にあたるらしい家を訪ねた。そこは広大な屋敷ではあったし、珍しく地上にその威容が現れていた。勿論、この惑星のことだから、常に家の主体は地下にあるのだろうが、この屋敷は地上だけでも、地球の大邸宅と比べて遜色はなかったろうと思われるが、今の屋敷の外見は荒れ放題だった。

年老いた女主人がこれも召使いの老女と一緒に住んでいた。


吟遊詩人は伯爵の手紙を松の枝が大きくおおいかぶさっている門の所で渡した。

「ちょっとお待ちください」と言って、老女は中に引っ込んだ。

その間、我々は周囲を見渡すことになった。小さな町に古い家がいくつもある集落で、熱帯植物ハイビスカスに似た赤い可憐な花が咲き乱れ、その周囲を向日葵のように大きな黄色い花がそこら中をうめ尽くしていた。


我々の訪ねたレトロな感じのする古びた屋敷の庭は広く、昔はどれほど贅沢で優雅な建物であったかと想像されるような片鱗はあちこちにあったが、なにしろ、家の壁の色がすっかり色あせ、草のように茫々とはえたような唐草が屋敷を包み込むような勢いで、時々あちこちから、何の花とも知れぬ赤い小さな花が顔をのぞかせていた。

「なんだか、随分と荒れたお屋敷だね。幽霊でも出そうだよ」とハルリラが言った。

「そうだよな」と吾輩も相槌をうった。

老女が飛ぶように小走りにやってきて、「奥様は大喜びですよ。いらして下さい。お久しぶりの来客なので、掃除もしていないですみません」

この庭と屋敷を綺麗にするには、少なくともかなりの日数がかかるに違いないと吾輩は思った。



やはり、中に入ると殺風景な広間があるだけで、まるでホテルのロビーのようでもあるが、あちこちに壁の色がはがれてゐたり、腐食していた。

あとは階段を長く降りて行き、ドアを開けた。中に入ると、むっとするような熱気があって、空気も何か淀んでいた。


女主人は大きなシャンデリアの輝く客室の広間のソファーに座っていた。ソフアーの色もあせ、あちこちやぶれており、真ん中のテーブルには欠けた大きな花瓶があるだけだった。

「ウエスナ伯爵のお友達がいらしゃるのは大歓迎よ。この国は共和制になって、貴族はなくなったの。私も昔は伯爵夫人だったけれど、貴族の特権は全て廃止され、ご覧のようなありさまよ」


吟遊詩人と吾輩とハルリラは我々の希望に沿って、同じ部屋に寝泊まりしたが、モリミズと猫族の娘ナナリアは個室が与えられたようだった。



この古びた屋敷で、十日ほど過ごしている時、吟遊詩人は毎日のように、女主人の前でヴァイオリンの練習をすると、午後はどうやら、ヒト族の娘シクラメンの家を訪ねているらしかった。ただ、帰って来ると、あまりさえない顔をしていたし、無口になっていた。

吾輩とハルリラは荒れ放題の庭を毎日のように掃除したり、手入れをして楽しんだ。

モリミズとナナリアは毎日のように、どこかに散歩にでかけてしまう。


そんな風に過ごしていると、革命の嵐の様子が噂で流れ、夕食の食卓で話題になった。モリミズと吟遊詩人が仕入れて来た隣国の様子だった。


結局フランス革命のようにならず、ロイ王朝の勝利となった。熊族のプロントサウルス教が意外と鹿族の民衆ににらみをきかし、ウエスナ伯爵の悪い噂を流したのだ。伯爵は地元では人気があったが、全国的にはプロントサウルス教の全国支部が根をはり、それが鹿族を抑え込んだ。


古びた屋敷の女主人から、我々はこんなことを聞いた。

「プロントサウルス教はもともと鹿族の宗教だったの。熊族にはさしたる有力な宗教も哲学もなかったので、ロイ王朝の国教として採用されたいきさつがあります。

ロイ王朝の国政の荒っぽいやり方に、多数民族の貧しい鹿族の人達、あらいぐま族、狐族、貧しい熊族の少数者、猫族、犬族の多くは反発を感じていたのです。

伯爵は人気があったから、革命は成功すると思われていたが、この惑星では虎族はやはりかなりのエリート民族と見られ、警戒の目でみられていたのでしょう。そこへプロントサウルス教が根も葉もない巧みな伯爵の悪口を流したので、わあっと、民衆は伯爵から離れてしまったのよ。

プロントサウルス教はロイ王朝という権力と富と結びついたために、堕落したのね。

勿論、革命勢力は、他にもいくつもあったけれど、民衆が伯爵から離れたことは痛手だった。それに、ロイ王朝の増強されていた戦力はカナリア国に向けられていたのに、こういう動乱の時には国民に向けられたのね。」


そして、いのちからがら、ウエスナ伯爵はこの古びた屋敷に逃げてきた。


ある時、こういうことを聞いた。

ウエスナ伯爵が虎族の若者と一緒に、病院の介護士になるという話だった。

ウエスナ氏は隣の国から亡命して、伯爵の地位を投げ捨てたので、職業を持たねばということを前から言っていた。

ウエスナ氏は言った。

「介護士は立派な職業だ。この国では、医者と同じように尊重されている。」

そして、そういうウエスナ氏をヒト族の娘シクラメンは愛した。そして婚約したのだ。

虎族の若者モリミズは猫族の娘ナナリアに求婚したという。

 

吾輩とハルリラが古びた屋敷の手入れを毎日のようにしたので、庭もかっての豪邸の素晴らしい庭の面影をとどめるくらいに回復してきた。



庭に出て、この庭で我々三人は何故革命が失敗したのか、これからどうなるのかについて色々話をした。それにしても、我々はただのアンドロメダ銀河の旅人である。

どうすることも出来ない。今はただ、ウエスナ氏と若者モリミズの新しい幸せな未来が切り開かれるのを願うばかりだった。


夜はプラネタリウムのような星空となる。


ある時、吟遊詩人がヴァイオリンを弾き、歌を歌った。


庭園には様々な花が開き

かぐわしい香りがあなたから発せられるのだろうか

あなたの目は微笑している、薔薇のように

あなたの目は涙にうるんでいる、紫陽花のように


おお、せせらぎの優しい音が芸術のように奏でられている

優しく、そして激しく、あなたの音は神秘な色に満ちている

百合の花に似たあなた、どこから姿を現したのですか

海に沈む夕日の輝きがあなたにはある、ああ、熱帯の鳥の声


先程から降る雨の音を聞きながら、あなたの顔を見ているこの私

私は、今消え入りそうです、今ここの永遠の懐のなかに

雷が聞こえます、私は朝、目を覚ましたかのようにあなたを見る

あなたは笑っている、黄金のように

あなたは泣いている、真珠のように

夜、どこからともなく響く、ヴイオロンのすすり泣きと微笑


 庭に咲く向日葵のような大きな赤い花の横に、魔界の緑の目をした知路が立っていた。月の光に照らされて、細く白い首にダイヤのネックレスをつけた彼女はすらりとしていて、幻想的な美に満ちていた。彼女は「感動する」と一言、言って消えた。

「吟遊詩人川霧さんが好きなのか、音楽が好きなのか分からん」とハルリラが言った。


やがて、我々は伯爵とシクラメン、虎族の若者モリミズとナナリアの結婚式を待たずに、

内祝いの席で、お祝いの言葉を述べたあと、アンドロメダ銀河鉄道に戻り、次の惑星への旅に向かって出発したのだ。

惑星アサガオの素晴らしい友人をつくり、その人達と別れ、次のアンドロメダの旅に出発するという気持ちはおそらく芭蕉の「奥の細道」や李白の旅の詩にあるような万感の思いと似たような深い感慨があった。あの芭蕉の「日々旅にして旅をすみかとする」という深い気持ちとは違うかもしれないが、我らの思いはまさに青春の別離だ。それはまた、甘い果実の味があるかもしれないが、また苦しいものだった。


                 


【つづく】









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