いのちの旅
33 いのちの旅
トパーズの宝石のようなこの惑星アサガオの冒険を終えて、我々はアンドロメダ銀河鉄道の駅に向かった。
黄昏の美しい時がこの排気ガスに汚れた空気の惑星にも訪れようとしていた。薔薇色の光は灰色がかってはいたが、それでもあの真紅の薔薇の花を思い出させる自然の荘厳さがあたりをおおっているのを感じた。青みがかった空気の流れがあり、風がそよそよと吹いていた。確かに頬には暖かい風ではあったが、何故か吾輩は心地よく感じた。
背後に広がる山にも廃墟のようなビルの並ぶ町にも明るい光の残りがぐるぐる渦を巻いていて、何か不思議な霊的なものが駅の方角に吹いているような気がした。
並木の間にガス灯が灯り、ふと聞こえる水音は何か銀河の流れの音のようにも聞こえた。
広大なクジャクが羽を広げたように、駅は前方で待っていた。
不思議な鐘の音がこの夕暮れの束の間の憩いの時を告げているようだ。
いくつもの大きな星が輝き、我らの旅立つアンドロメダの大空に手招きしているようではないか。木の葉が広場の樹木から音もなく散り、宇宙の真理を語っているではないか。
物質と霊、物質と仏性、それが一つになったいのちに満ちた宇宙。孫悟空の持つ科学の如意棒をはるかにしのいだ永遠のいのちの力が我らを引っ張るように、アンドロメダ銀河鉄道の駅へと導いていく。
駅の構内に入り、アンドロメダ銀河鉄道の雄姿を見た時に、ハルリラが豪快に笑った。
「この列車には、面白い男が乗る。それを今、魔法界からメールでキャッチした。そいつと話すのが良いという知らせだ」
「面白い男って、どんな人よ」
「さあ、それは会ってのお楽しみということだな。ただ、おそろしく背の高い男だから、すぐ分かるということしか連絡がきていない」
「ふうん。魔法界からメールはどうやって来るの」
「それはハートとハートで通信するのさ。だから、あまり複雑な話は出来ない。
シンプルな話しか出来ない。今回のも、ただ、素晴らしい人だ。話すのが楽しみになる人というメッセージしかない」
アンドロメダ銀河鉄道の我々の座っている横側の席に、二十名ほどの中学生風の子供たちが一人の女性教師に引き連れられて、入ってきて、どさどさと座った。ウサギ族の男の子や女の子が多いようだ。
目の細い女の子が言う。「ここは座れないわ」
「何で?」
「幽霊がいるんだもの」
「そんなものいるわけないだろ」と少し太った男の子が言う。
「ほら見えない?」
しばらくその周辺ががやがやしていたので、先生が言う。先生は馬族のようだ。
「どうして座らないの」
馬族であるが、きりりとした目と細い引き締まった唇からインテリの風格がにじみ出ている。あごが長いのが目立つ特徴だが、長い黒髪は優雅である。吾輩はハルリラの話を聞いていたから、この先生を見ていた。
だが、ハルリラの話では、男だと言うし、どうも一人で来ているようだから、違うのだろうと思いながらも、それにしても生徒との会話が興味ぶかかった。
「え、先生。幽霊が座っているんだよ」とほっそりした男の子が目を丸くして言う。
「どこに?」
「そこ」
「あたしの目から見たら、誰も座っていないわよ」と先生が言う。
「先生は大人だから、見えないんだよ」
「いや、僕にも見えないぜ。そんなものいるわけないだろ」と少し太った男の子が言う。
「どんな幽霊?」と耳の長い女の子が聞く。
「とても綺麗な若い女の人。でも、何か悲しそうな顔をしている」と目の細い女の子が答える。
「どうしてそれが幽霊なの」
「肌が透き通っているのよ。」
「ふうん。ともかく、私には見えませんから、あたしがそこに座ることにしますわ」と先生。
「大丈夫かしら」
大人は見えないようだが、子供にも幽霊を見える人と見えない人がいるらしい。
ハルリラが立ち上がって、そちらの方向をじっと見つめていた。
「うん、異次元の世界から迷い込んだ猫族の霊人だ。素晴らしく美しい人だよ」
吾輩は猫族と聞いて、どきりとした。
吾輩もあの京都の銀行員宅に来る前の、霊界の美しい風景がかすかに夢のように記憶としてあるのだ。自分で、これが実際の自分の前世の世界の記憶なのか、それとも、幼い頃の夢の記憶なのか判然としない。
どちらにしても、異次元から迷い込み、ハルリラに見えるものが我輩に見えないのは気持ちが落ち着かぬ。
そして、馬族の先生が座ってしまった。
「その席に、先生は座れるの」と吾輩はハルリラに聞いた。
「無理に座ろうと思えば、座れると思うけど、あの霊人がどう思うかな。相手と馬が合えば、生身の身体を借りれるのだから、喜ぶということもありうる。相性が合わなければ嫌がる、どちらにしても先生は変な気持ちがすると思う」
吾輩にはそんな幽霊は見えない。だから、子供たちだけの話だけだったら、悪ふざけということも考えられると思ったが、ハルリラが見えるというのだから、これは間違いなく、幽霊はその席にいるのだろうと、吾輩は思った。
アンドロメダ銀河鉄道はいつの間に、出発していた。真紅の丸い恒星は今や遠ざかり、遠くの大空の一角はあかね色に染め上がり、列車よりの空にはもう銀河がちりばめられ、大きな星や小さな星が輝いてみえるのだ。先生もなにくわぬ顔をして、外の方角を見ている。
「先生、何だか急に若くなったみたい」
「あら、そうかしら。うれしいわね」
確かに、先ほど見た先生は 四十代半ばくらいの中年の馬族の女性だった。顔が細長かった。
しかし、今は、ひどく若返っている。いつの間に、顔もいくらか丸みを帯びている。それに、二十代の顔だ。
厳しい表情もどことなくやわらかなムードである。
やはり、気のせいか、虎族の若者モリミズの恋人、猫族の娘ナナリアとどこか似ているような気がしてきた。
黒い大きな目に大きな黄色い耳が少しゆらゆらしていた彼女に似ている。身体はふっくらとして丸みを帯びていている所なんかそっくりではないか。透き通った肌は幽霊のためなのか。モリミズの恋人のみずみずしい肌を思い出す。彼女に似た耳はどんな情報も逃さないというしたたかさを持っているように見える。そんな知覚が幽霊にもあるものなのだろうかと、吾輩は考え込んだ。
そうだ。モリミズからちらりと聞いたではないか。モリミズの恋人ナナリアは姉の失踪を追っていたのだ。姉は猫族の新聞記者でアンドロメダ銀河のあの地域一帯を担当していたが、どうも消されたようだ。だが、はっきりしたことが分からない。ナナリアは姉を愛していたし、この失踪にプロントサウルス教がかかわっていた可能性があると感じていたので、虎族のモリミズにそれとなくもらし、モリミズが惑星アサガオに旅立つ切っ掛けになった裏があるのかもしれないと、吾輩は考えた。モリミズが惑星アサガオに行ったのはスピノザの講師というのは表向きで、こういう裏話があったのかも。とすると、これは姉の幽霊である可能性が高い。姉と妹はアンドロメダ銀河鉄道を時々、一緒に旅をしたことがあると聞いたこともある。
吾輩はハルリラに言った。
「どうしたんだろう」
「異次元の霊人が、先生の身体を借りているんだよ。先生は無理に霊人の上に座り込んだからね。」
「そんなことあるのかね」
「滅多にないことだけれども、先生にも霊人が入り込みやすい何かがあったんだと思う」
「若返りたいとかという気持ちが無意識にあったりして。それにしても、異次元の霊人というのは」と吾輩は言った。
「うん、われらの世界でも、母親の胎内にいる胎児の時に、妊娠何か月で魂が飛び込んでくるというじゃないか。
それから、有能な霊的な体質を持っている人は魂が入りやすいと言う。
だから、今回の場合も、霊人の思惑と中年の先生の無意識が一致して、面白い状況が生まれたのじゃないかな。ぼくが見た所、あの霊人はいい人だ。悪さすることがないから、心配はいらないな」とハルリラは言った。
吾輩は異次元から迷い込んだ霊人というのが理解できなかった。
「いったい、それは人間なのかい」
「霊でできた人間だよ。異次元の世界から、このアンドロメダ銀河には侵入しやすい所がいくつもある。その一つがこのアンドロメダ銀河鉄道ということだろうと思う。こちらからは見えなくても、向こうからはこの面白いアンドロメダ銀河に遊びに行こうと思っている霊人はけっこういると思う」
「そんなことどうして分かるのさ」
「まあ、ぼくの直観だよ。俺だって、魔法界からこのアンドロメダ銀河鉄道に飛び込んできた。霊界のことはよく分らんが、魔法界では、アンドロメダ銀河への旅に出ようと思ったら、この鉄道に侵入するのがオーソドクスな道なのだよ」とハルリラは微笑した。
その時、兵士の服装をした男性が二人、一人の兵士をかかえ、向こうの車両から入ってきた。
子供が言った。「あ、第一次大戦で戦死した兵士だ」
「そうだ。そうだ」
確かに、兵士は青ざめ、かかえられている兵士の顔にはケイトウの花のような赤い血がべっとりついています。
先生が急に立ち上がった。
「え、第一次大戦。あたしが一番取材したかったあの愚かな戦争」
「先生、どうしたの」と一人の生徒が聞く。
ハルリラが我輩に言う。
「先生の身体を占領している猫族の新聞記者の魂が第一次大戦と聞いて、驚いているのだ。きっと彼女はそこを取材したかったんだ。
でも、アンドロメダ銀河から地球まで行くのは ちょっと無理だと思う。異次元からやってくる霊人の中に、こういう兵士がいれば、取材の対象になると思っていて、たまたま惑星アサガオに降りるということもあるかも」
でも、と吾輩は思った。地球では第一次大戦というのは百年も前のことだぜ。
宇宙インターネットで、取材するというなら、分かるけど。
それじゃ、この三人の兵士たちは何なのだろう。百年前の兵士がこの銀河鉄道に飛び込んできたというわけか。そんな変なことが起こるのだろうか。
死んで百年間、どこかの霊界を浮遊していて、この銀河鉄道にたどりついたというわけかもしれない。
霊界は時間と空間のない虚空のような無限のいのちに満ちた所なのかもしれない。
吾輩はすっかり忘れてしまった故郷のことを思い出そうとしたが、無理だった。
その時、乗務員が入ってきた。
彼は「ああ、地球の戦争で、死なれた方ですね」と言った。
「よくわかりますね」と若い兵士が言った。
「ええ、百年くらい前の戦争でしたよね。私の方でキャッチしております」と言って、乗務員はスマートフォンのようなものをじっと見ていました。
「こちらに座っていただけますか」と生徒の席で空いている所の席を指さした。
「それで、行先は温泉天国でよろしいのですな」
「ええ、そこへ行ければ嬉しいです」
三人の兵士たちは座り、乗務員は先へ行ってしまった。
子供たちは珍しそうに、兵士たちを面白そうに見た。
「おい、そちらのうさぎさん、君たちはどこへ行くのだね」
一人のうさぎにそっくりの顔をした子供が「ぼくらは修学旅行で」とさわやかな声で言いました。
「平和はいいな。戦争なんてするものじゃない。坊や、いいか。
戦争なんて、愚かな人間が考えることだよ。外の風景はあまりにも素晴らしいのに、そこでバタバタ人が倒れて行くんだ。人間が発明した大砲や機関銃で。愚かな戦争だった」
と一人の兵士が言いました。
その時、隣の方の車両からやってきたのだろうか、背丈二メートルは超える、がっちりとした体格の大男が我々の前に現われた。ハルリラは「あの男だな。面白い男というのはきっとあの男だ」
吾輩も「なるほど。面白そうだな。君の魔法のメールは正確だね」
「そりゃそうさ」
その姿は何かを修行している行者のようだった。茶色っぽい粗末な、しかも、洗濯をしたばかりのように、綺麗な肌触りの服を着ていた。顔は小さな岩のようにごづごつして、目はアーモンド型に近く、口髭とあご髭が白のまじった薄緑の雑草のようにぼうぼうとはえている。
これは又、何族の人間なのか、見当がつきかねる。そういう人は吾輩のマゼランの旅の中でも珍しい。
車両のどこからか、「あ、シンアストランだ」という声が聞こえた。
シンアストランと呼ばれた男は立ったまま言った。
「そう愚かな戦争だった。地球はいつまでもつのかね。核兵器なんてものを沢山持っている国が争っているんだからね。何億年も栄えた恐竜が隕石の落下で一挙に滅びたように、そういう予兆があちこちのニュースでも感じられるじゃないか。戦車だの、ミサイルだの。戦闘機だの。はっきり言って、あれは人を殺す道具だぜ。あんな物騒なものに何百億円もかける人間って、はたして利口なのかね。」
「あなたもそう思いますか」と兵士が言った。
「おおいに思う。
そうだ。人間というのは愚かになった時は、徹底的に愚かになる。しかし、目覚めれば徹底的に聡明になる。人間というのは愚かという岸辺と聡明という岸辺の間につながれた太い綱の上をあっちに行ったり、こっちに行ったりしている生き物なのだろう。科学を上手に使うことが大切なのだろう。その科学が戦争に使われたりして、人間の煩悩で翻弄されている。悲しいな」
兵士はもう一人の兵士がうめき声をあげたので、そちらに気をとられた。
吾輩は何故か、人間が持つ悪を強調する親鸞を思い出した。
その時、ハルリラが突然、「おじさん。ネズミ族だね」と言った。
シンアストランはおやという顔をして、目を丸くした。
「そうなんだよ。よく分かったね。わしはネズミ族だ。わしは長い修行によって、普通の人にはどこの民族が分からないような姿になってしまったと思っていたが、見破られたか。ハハハ。ネズミ族は、アンドロメダ銀河では低く見られたり、恐れられたりする奇妙な感じになってしまった。今や、アンドロメダ銀河では、最も優秀な科学と武器を持っている惑星に住むヒトだが、宇宙に出ることには消極的で、まあ、一種の鎖国状態だな。物は豊かで、栄えてはいるが、広い宇宙に目を向ける大切さを忘れた息苦しい所があって、わしは飛び出し、アンドロメダ銀河の原始の森のある惑星に憧れ、そこで修行を積んだのだ。
こういう変わり種のネズミ族はけっこういる。例えば、惑星アサガオのニューソン氏のような科学の天才」
吾輩はカナリア国まで、ウエスナ伯爵について来て、カナリア国で水素社会をつくる夢を語っていた生き生きした目のニューソン氏の顔を思い出した。
カナリア国に到着した時の祝い酒で、吾輩も初めての美酒に酔いしれて、ニューソン氏に良寛の和歌【ひさかたののどけき空に酔い伏せば夢もたえなり花の木の下 】を紹介した時に、彼は素晴らしい微笑をして頷いていた。あの時、昔はネズミと猫は敵だったのに、その時は心を通わす魂の友となったではないかと感動したものだった。
34 剣舞
吾輩、寅坊の前に、大男シンアストランが巨木のように突っ立っている。
そして、小声で何かを歌っている。
【銀河の幻の松を今日見れば、蛍の群れに横笛の音かなし 】
吾輩は猫であるが、彼はネズミ族だという。こんな邂逅は不思議である。この宇宙に不思議なことは山ほどあるけれど、これは何か夢でも見ているような気持ちになる。
それにつじつまの合わないことがある。猫族の幽霊ナナリアは吾輩には見えないのに、第一次大戦のヨーロッパの西部戦線で戦った兵士は吾輩の目にもひどくリアルだったではないか。
夢はけっこうつじつまの合わないことが一緒に出て来ることがある。そういう疑いを吾輩は持ったのだが。
大男はそんな吾輩の思いなど無頓着に悠然と突っ立っている。
吟遊詩人が立っている大男シンアストランに、「ここにお座りになりませんか」と我々の席の一つ空いている所を指さした。
「ありがとう。わしもそうしようと思っていた所だ。あんた方は地球の方だろう。地球も今は大変だな」
吟遊詩人は言った。「ネズミの惑星も大変なようで。一歩、間違えると、自滅する」
「ほお、よく知っていますな。あそこの情報は中々手に入れにくいのに」
「私はニューソン氏と少し、お付き合いしましたので。あの惑星アサガオで、革命さわぎの中で、結局、カナリア国に亡命という形になったのですけど」
「ほお、ニューソン氏と。わしはあいつとは肌が合わないので、一度会ったかぎりだが、面白い話がありましたか」
「ネズミの惑星の様子を心配していましたね」
「ほお、どんな風に」
「ともかく物凄い科学文明の発達ですよね。今じゃ、原子力とニューソン氏の弟子達の努力によって、水素エネルギーの利用が可能になり、惑星と周囲の三個の衛星のエネルギーの需要をまかなえるようになっていた。しかし、一つの衛星で原子力発電所の大事故があり、沢山のネズミ族のヒトが死に壊滅状態になったけれど、そんなことに無頓着にさらに物質文明を進めようとしている。
確かに、惑星も残りの一個の衛星も十分に豊かな住宅地が生まれ、物凄く豊かなネズミ族の文明が栄えている。しかし、この衛星の中の領土の取り合いで、
惑星の四つの国が激しく対立し、国と国はいつ戦争するか分からない状態という。
どこの国も、武器の発達は凄いので、恐怖の均衡という状態にあるとか。
精神文化も衰え、人々は毎日、享楽的な生活にあけくれているとか。人と人はばらばらになり、金銭を積み上げることが人生の目的になってしまったような社会で、自殺者も地球の十倍とか。それでも、人口は増えて、その解決のために、もう一つ残された未開拓の衛星獲得競争が始まっているという話です。
しかし、奇妙なことに、ここの星の住人ネズミ族は、外の宇宙に出ようとしないという鎖国状態が続いている。
もう少し、大きなアンドロメダ銀河に目を向けてもらえれば、つまらない争いも減ると思うのですが、何かニューソン氏の話では、あるエリート学者がアンドロメダ銀河の他の文明は低すぎて、我々高貴なネズミ族が得るものは何もない、それよりも、この惑星と衛星にネズミ帝国を築き、その文明を磨いた方が楽園になると発言したことから、もうみんなそういう風に思うようになってしまったのです。
広い宇宙に目を向けないということは寂しいとニューソン氏は言っていました。広い宇宙に目を向ければ、つまらない争いも減るし、優れた考えも生まれるというのですね。
あなた、シンアストランさんを見ていると、私のような旅人もそんな風に思ってしまいますね」
大男のシンアストランは手を合わせてから、目を半眼にして、大きな呼吸をした。
「吸う、吐くに集中する呼吸の瞑想ですね」と吟遊詩人は言った。
シンアストランは頷き、何度か吸う、吐くの瞑想をやり、急に目を大きくして言った。
「『吸う』と頭の中で、言いながら空気を吸い、『吐く』と頭の中で言いながら、空気を吐くと頭の中が空っぽになって、気分がよくなりますよ」
そこまで言うと、シンアストランはしばらく沈黙してから、再び喋り出した。
「ところで、地球も核兵器だの、気候温暖化現象だの大変のようですな。それに、最近、わしは文殊菩薩に会った。信じますか。
信じないなら、夢の中で会ったと言っておきましょう。菩薩は美しい顔に珍しい怒りの表情を浮かべていた。
プルトニウムは核兵器の材料になる。知っているだろうな、と菩薩はおおせだった。勿論、日本のもんじゅは発電のためにある。発電しながら、燃料のプルトニウムを増やしてくれる。だから、増殖炉で、夢の発電の筈だった、しかし、この二十年間まともに動いたことはなく、今や止まったままでも一日五千五百万円という高い維持管理費がかかっておる。一日の費用だぞ、今までに、おそらく何兆という金額が無駄にされているのだ。
知っておるのか。これだけの大金があれば、どれだけ福祉の方に金がまわせて、消費税なんか必要のない真の意味での豊かなゆとりのある国がつくれたではないか。
こんな無駄使いが許されるほど、かの国は富があふれているのか、と文殊菩薩はおおせだった。わたしの名前をつけるなど、ふとどきだと菩薩は怒りで頭から蒸気がのぼっておられた。」
「よく知っておられますね」と吟遊詩人が言った。
「わしはね。地球とアンドロメダ銀河で起きていることには詳しいつもりだ。特に地球で起きていることは我々アンドロメダ銀河に生きる者にとっては、おおいに参考にすべきことが沢山ある。原発の恐ろしい危険性は明白。プルトニウムは核兵器の材料にもなる。核兵器で恐竜のように、人類が滅びないように願っているよ」
隣にいた青ざめた顔の兵士が声を出した。「核兵器。何だ。それは。我々は機関銃と大砲で戦ったのだぞ」
「ヨーロッパの西部戦線でな。何十キロという長い塹壕を掘って、互いにドイツ軍とフランス・イギリス連合軍がにらみあった。たった四年で、二百万の若者が死んだ。愚かな戦争だった。君達は死んで、長いこと時間と空間のない異界を彷徨い、やっとこの銀河鉄道にたどりついたというわけだ。しかし、地球はもうあの二次大戦を経験し、核兵器の時代に突入している。まあ、この銀河鉄道についている宇宙インターネットでしばらくその辺の歴史を調べて見ることだよ」
「本当に愚かな第一次大戦でしたね。あの塹壕戦だけで、二百万人の若者の死ですからね」
「わしはな。最近。地球の反戦映画を見た。まるで幽霊のような兵隊が亜熱帯の森と荒野を彷徨っている。敵の戦車が来れば、銃の的になり、ばたばた倒れ、生き残った男達がサルを銃で殺して食べる。その内に仲間割れし、味方を殺し、人肉を食べようとする男を別の兵士が殺し、最後は荒野を人里めがけて、両手をあげながら、ふらふら歩いて行く。
あれが悲惨な戦争の現実さ。核兵器は兵士だけでなく、沢山の普通の民衆と子供をそうした戦火にまきこむ」
吾輩はシンアストランの話が文殊菩薩の怒りから、戦争への怒り、核兵器廃棄の方に話が移るのを自然なことと思った。
大男シンアストランはじろりとハルリラを見た。
「おぬしは何で剣なんか腰に下げているのだ」
「わしか。わしは剣のない国、武器のない国を理想としているが、そうなるまでには人間の努力が必要だ。わしはこの剣で、武器をもちたがる連中を成敗しようと思い、剣の道に励んでいるのだ」
「剣の道か。まだ、道がそこにはあるから、いい。卑怯なことはしない。ジェントルマンでなくてはならぬ。礼節を重んじ、悪い奴を退治する。思いやりこそ、武士道の道じゃ。そうじゃないか。ハルリラさん。それなら剣も生きる。」とシンアストランは微笑した。
「その通りさ」
「ところで、ハルリラさん。その剣を貸してくれ」とシンアストランは言った。
「どうするのだ。剣など簡単に人に貸すものではないぞ。」とハルリラはきっとした顔になって答えた。
「そう向きになるな。ちょっと剣舞を踊りたい気分なのだ」
ハルリラが剣を渡すと、シンアストランは隣の席が空いているのを見て、
そこに立った。
「ハルリラさん。貴公の魔法で、この場所を剣舞ができるほどで良いから、ちょつと広げて周囲から見えないようにしてくれ。それから、俺の前に、幻の悪の剣士を一人出してくれ」
「魔法で空間を少し広げるのはいいが、悪の剣士を出せだと、俺にそんなことを要求するとはどういうことだ」
「だから、剣舞の相手に欲しいだけさ。幻の男よ」
「ほかならぬシンアストランの願い。まあ、幻の剣士を出してみよう」
「ハハハ」とシンアストランは笑った。
ハルリラは何か呪文のようなものを唱えた。突然、黒ずくめの剣士が飛び出た。
中肉中背で既に剣をぬき、シンアストランに向けている。
何か気のせいか、シンアストランの周囲が少し広がったような気がした。
「うむ。まだ狭いがなんとか、出来るだろう。ありがとう」とシンアストランは微笑した。
「悪人よ。出てきたな。俺の剣舞の相手をせよ」
シンアストランはそう言って剣で、幻の剣士の剣を下から、突き上げた。
剣士はそれをはずし、シンアストランの胸をついた。シンアストランはすぐに、身体ごと横に飛び跳ね、自分の剣を黒の剣士の頭からたたききるように、切った。
二人の剣士の動きはしなやかで美しかった。
「シンアストランは剣の使い手だな。それなのに、普段は剣の使い手なのに、剣を持っていない」とハルリラは吾輩の耳にささやいた。
「幻の剣士も剣の使い手ですね」
「幻は幻さ。シンアストランに合わせているだけよ」
「それ、どういうこと」
「ふふう」とハルリラは笑った。「俺の魔法も君をだませるだけの力があるということだな」
「大無量寿経」と吟遊詩人が微笑した。
「お、さすが、わしが何を踊るのか分かったか。詩人だな」シンアストランは微笑した。そのあとは厳しい顔に急変し、手と体が優雅に時に激しく動き出した。
「人はとかく 道を求めることには心をかけず、ただ日常の急ぐに足らないささいな事にかかわりはてている。枯葉のようでゆっくりと風に揺られて、四方八方にどこへいくともなく、散っていく」。
大男シンアストランは剣を大きく回転させて、黒の剣士に激しい攻撃をかけた。剣と剣が打ち合う響きが列車の中に響いた。
それから、シンアストランは「人の煩悩は深い。飛び火する炎のようで、燃え尽きることがない」と、そう言って、剣で弧を描いた。そのあと、急に空を切った。
「金銭や財宝のことに憂い苦しみ、欲心のために動き回っているのは政治が良くないためか。
かれらはそれ故に、心の休まるときがなく、不安のあまりうろたえ、憂い苦しみ、思いを複雑にして、空しく自らの生を浪費しているのは嵐の中の小舟のよう、それを救うのは菩薩のような政治家が必要。」
「ああ、嵐の中の小舟のよう。救いたまえ」と繰り返し言いながら、剣で黒の剣士を突いていく。黒い剣士も見事な剣のさばき。
大男シンアストランは列車の狭い空き椅子の間を広い空間があるように体と手を動かし、剣を次々としなやかに踊らした。二人の姿と剣戟の響きを知ることのできるのは列車の中では吾輩と吟遊詩人とハルリラのみというのもハルリラの魔法のためとはいえ、摩訶不思議。
「大無量寿経は人の煩悩に対して厳しい」と吟遊詩人は吾輩の耳元で言った。
「煩悩」
「自我の悪を見つめることから、阿弥陀仏への信仰に導く。宇宙には深い愛と大慈悲心に満ちた深いいのちがあるという信仰さ。神と言っても良い」
「しかし、何故、こんな剣舞を踊るのかな」とハルリラは言った。
「人は仏なのにそれに気がつかない煩悩の深さを知る必要があると、言っているのだな」と吟遊詩人は微笑した。
「煩悩ね。吾輩なんか、煩悩だらけですよ」と吾輩、寅坊は言った。
その時、黒い剣士が煙のように消えた。シンアストランは剣を鞘におさめると、ハルリラに「ありがとう」と言った。
「いい、運動になった」とシンアストランは笑った。
35 神々の号泣
吾輩はネズミ族の特徴をここで書いておきたい衝動にかられた。高度の文明と金銭を持っているので、彼らの気位は天狗のように高いということである。
そういう文明をきらって、ただ、ひたすら良寛のように道を求めてシンアストランは宇宙に修行の旅にでたのであろう。
だから、彼はまれな存在だ。ネズミ族には彼のような大男は珍しく、小柄な人が多いし、教養レベルも高い人から低い人まで実にさまざまで、アンバランスな文化を築いている。ウサギ族のように耳が長いという目だったものはなく、目が丸く鼻が長いというのも、ネズミから高度の文明を持つヒトに進化する過程で洗練されているので、もしも地球のどこかの地下鉄にのったら、ハンサムな奴だと思われる程度に人類にも同化できるかもしれない。
さて、そのネズミ族の大男シンアストランは再び、沈黙して、呼吸の瞑想をしているようだった。
吟遊詩人が静かにヴァイオリンをかなでる。
神界から流れてくるような荘厳な響きが急に悲しみの流れのような音色に変わり、胸を打たれている間に、やがて小川の流れのようなかろやかな響きとなる。
それから、彼は歌を歌った。
森と湖を突き抜けた涼しい風がわが頬をなでる
月光は庭の隅々を照らし
緑の葉に宿った露はしずくとなって流れ
銀河の星は天から降るようにまたたいている。
かわせみが飛んでいるせせらぎの音
時々響く雷のような戦争の砲火と轟き
我は病む 戦火の自然に及ぶ愚かさを悲しみ
「わしはね。君等、地球の人達に一つだけ助言したいことがあるのだよ」
「何でしょうかね」
「うん、わしのような乞食行者が言うのも恐縮とは思うのだが、ぜひ伝えたいと思うのは、親鸞の考えをもう少し、取り入れた方がいいと思ってな」
「ああ、親鸞といえば、あのヒットリーラの国に還相回向して、布教していることは知っておりますが」
「わしは彼と会って、しばらくの間、話したことがある。素晴らしい思想だ。まさに人間は愚かで、悪の要素を持つ生き物であるが、その愚かさを自覚した時に、知恵の光が彼あるいは彼女を包む。そうすると愚かな自我が消え、人はその智慧の光そのものになってしまう、少なくともわしは親鸞の考えをそう解釈した。
戦争を見ればよく分かる。どちらも自分達が正義だと主張する。そして相手を憎む。そして、殺し合いだ。これは個人のトラブルでもそういう場合が多い。自分は正しい。相手が間違っている。親鸞はそこのところを少し考え直せというわけだ。」
「確かにその通りだと思います」と吟遊詩人が言った。
「シンアストランさんは行者なんですね」とハルリラが言った。
「まあ、そんなものじゃな」
「それなら、あの先生にとりついている幽霊を取り外してやれば。
そうでないと、子供たちを管理している先生が妙な妄想の虜になるとおかしなことになるのじゃないかと心配です」
「どれどれ、ああ、あの方ね。確かに、異界から来た幽霊がいるね。しかし、あの兵士だって、幽霊みたいなものだ。
わし達みんな幽霊みたいなものさ。ただ、どこに足場を置いているかということだけで、現象は異なってくる。
そうではないかね。君達ヒト族も精密な生き物だが、一皮むけば原子からできているのだろ。その原子たるや、殆ど空っぽだっていうじゃないか。君達の目が粗くできているから、目に形ある人間さまと映っているだけの話じゃないか。
異界も霊界も色々あるのに、君達の目では、見えんな。ハハハ」
「僕には少し見えるよ」とハルリラが言った。
「剣舞の時は世話になったから、愚痴は言わないが、お宅の魔法よりも、このあたりの修行は年季がいるのさ。君はまだ若い」
「そんなことよりも、あの子供たちの先生に、若い女の幽霊がとりついているということですけど、その女が悪さをすることはないですか」
「あの幽霊はね、猫族の女なんだ。新聞記者かなんかで取材をしていたのだと思う。」
「何で死んだんですか」
「さあ、そこまでは知らん。今喋ったことも、わしの直観だからね。
それじゃまた」
そう言って、行者は立ち上がった。
「え、もう行っちゃうんですか」
「うん。食堂車に行って、少しコーヒーを飲んでくる」
シンアストランが通ると、今までにぎやかに喋り笑っていた生徒たちは、シーンとなって、行者を見詰めた。
すると、シンアストランは急に雷のような声を出した。
まるでサンスクリット語のようで、何て言ったのだが、分からないが、物凄く綺麗な宝石のようなものを先生の方に飛ばしたような美しい呪文だった。
ハルリラの魔法の呪文とは違う。
あら、不思議や、先生にはあの若い猫族の娘の霊が消え、元のいつもの中年の馬族の先生に戻っていた。
急に老けたような印象を吾輩はうけた。
「あら不思議なことをする行者だね」と吾輩はハルリラに言った。
すると、「不思議だけど、今まで行者がいた所に、あの猫族の娘があの先生から飛び出て、そこに座っているよ」
「え、ぼくには見えないけど」と吾輩は言った。
吟遊詩人は言った。「うん、何かしらの神秘な生き物が隣に座ったね。それだけは分かるが、姿が見えない。見えるのはハルリラだけか。何か聞いてみたら」
「どうして、銀河鉄道に?」とハルリラは吾輩には見えない幽霊に聞いた。
「銀河鉄道に来たのは、妹が乗ってはいないかと探しに来たということなの」とハルリラはうなづきながら、独り言のように言った。
「妹さんって、どんな風なの」とハルリラはさらに聞いた。
吾輩は猫で、特殊な耳をしているから、そこのあたりまでなんとか聞こえたが、妹の様子を言っている所は聞こえなかった。そうすると、ハルリラが通訳してくれた。幽霊の妹とは、何と、ついこの間まで一緒にいた虎族の若者モリミズの恋人、猫族の娘ナナリアではないか。今はモリミズ夫人になっている。
「ハルリラ君。教えてあげたら」
ハルリラは吾輩には見えない相手の幽霊に、なにやら一生懸命に喋り、幽霊の妹ナナリアがトパーズの惑星で結婚式をあげたことを教えたのだ。
彼女が喜びのため息をしたのを、吾輩も猫の耳でキャッチした。
「良かった」と彼女は言っているようだった。
そして、しばらくハルリラに何かを喋り、そこから消えた。それが我輩の直観でも分かった。幽霊の話はこうだった。
幽霊つまり、新聞記者はプロントサウルス教の取材をしていて、この教えの悪に気づき、それを宇宙インターネットに一部、発表している最中に消されたというのだ。
ハルリラが言った。「お礼の言葉を言っていたよ。そして、異界に帰るって」
そういえば、銀河鉄道のわれらの車両には少なくともいないことが、吾輩にも分かった。どこの車両にもいないだろう。彼女の行くべき異界に帰ったのだ。そう思い、吾輩はモリミズと結婚した猫族の娘ナナリアのことを思い出し、胸が苦しくなる思いがした。今ごろはきっと幸せな家族をつくっているだろう。子供ができると忙しくなるな。
幽霊の無念はどうすることも出来ない。我々はアンドロメダ銀河鉄道に乗って、動きがとれないのだから。メールでモリミズ夫人【ナナリア】に知らせることも考えたが、幸せのまっただかにいる彼女に知らせても、ロイ王朝が健在となってしまった今となっては、どうすることも出来ない。それに、幽霊の話には具体性がない。我々は相談して、知らせないことにした。
今、若者モリミズは、伯爵と同じように、新しいカナリア国で介護士になり、新しい幸せな生活が始動したばかりなのだ。
それにしても、我らは幽霊の悲劇から表現の自由などの基本的人権の大切さを痛感したわけだ。この事件を守る砦が憲法であることは明らかなことであるし、スピノザ教会が独自にアンドロメダ銀河の惑星に広めようとしているカント九条の理念はまことに素晴らしいと感嘆する。なぜならば、惑星間や国通しの紛争解決のための武力行使はしない、そのために軍備は治安を維持するための最小限にとどめるというのだから、現実との背離があまりに大きいとはいえ、その理想主義には脱帽せざるをえないではないか。
基本的人権の宝庫とカント九条は平和を希求する人類の宝が凝縮されているのである。
吾輩はそう思いながら、伯爵と結婚したヒト族の娘のことも思いだした。
巌窟王の娘だ。彼女も幸せになったことだろう。
どちらにしても、次の惑星はどんなところだろう。
アンドロメダ銀河鉄道の窓の外を見ますと、美しい風景が広がっていました。
緑色に光る銀河の岸に、柳の並木の細長く垂れた葉や焦げ茶色の太い幹のある緑の桜の葉が、風にさらさらとゆられて、まるで何かの踊りを踊っているようでした。他は、全て、真空のヒッグス粒子のような何かの輝きのようで、波を立てているのでした。
しばらくすると、アンドロメダ銀河鉄道の先の方で蜃気楼のような白い宮殿が立ち、その周囲に花火のようなものが上がったのです。白い宮殿におおいかぶさるようにして、大きな花のような広がりは赤・青・黄色・と様々な色に輝き、薔薇の花のようなひろがり、百合のような花の広がり、向日葵のような花の広がりと直ぐに消えてしまうのですけど、再びその花火のような美しい大輪の薔薇、菊、百合の花は白い宮殿をおおってしまうのです。全てが夢のようで、また蜃気楼のようで、時々、ピアノの音のような美しい音を空全体に響かせているのは、宮殿で何かの催しをやっているようにも思え、宮殿の周囲にも白いミニ邸宅が並び、おそらくは人々がその不思議な光景を鑑賞しているに違いないと思わせるものがありました。
そして、確かに、銀河鉄道の列車の周囲の下の方は何か透きとおったダイヤのような美しい水が流れているのかもしれないのだと、ふと吾輩は思ったものです。
何時の間に、シンアストランの行者がコーヒー茶碗を持って、そこに座っていました。
うまそうにして、珈琲を飲むと、満面に笑顔を浮かべて、彼は言いました。
「地球で死んだ人は、そのまま、銀河鉄道への旅に出ることがある。
アンドロメダ銀河の惑星で死んだ人は 幽霊となって、銀河鉄道に出て来る。ここは面白い所だ。そうは思わんかね」
「確かに不思議ですね」
「宇宙には、まだまだヒト族の理性では理解できない所がたくさんあるということだよ」
「そうなんですか」
「どちらにしても、いのちは永遠さ。この永遠の旅で、人は自分の魂を磨く、これを知らないと、人は愚かになって、そして争い、みじめになる」
「魂を磨くのですか」
「そうさ。色々な試練にあって、自分の魂を美しくしていく、そういう永遠の旅だ。しかし、人間には親鸞がおっしゃったように煩悩というものがある。この煩悩の重さは大変なものさ。ところで、君等の旅。次はどの惑星で降りるのかね」
「通称ブラック惑星と言われている所です」
「あの惑星ね。あそこには、わしの知人がいる」
「え、どんな方ですか」
「いや、あまり話したくないのだが、実は弟が」
「弟さんですか。それじゃ、ぜひお会いしたいですね」
「や、彼は金の亡者になってしまったからな。わしとネズミ王国を出る時には修行をして真実のいのちを見つけようと意気軒昂だったのだが、彼は途中で落ちこぼれ、堕落した」
「堕落した」
「金に目がくらんで、修業なんかくそくらえと思ってしまったのだ」
「そんなに簡単に」
「真実のいのちを見つける修行は厳しい。
吟遊詩人のヴァイオリンの奏でる天へと魂を運ぶ美しい音楽も魂を掃除して、一定レベル以上に引き上げないとその良さが分からない。絵画もそう。
物語もそうさ。物語を新聞を読むようにして読んで中傷するような奴は魂を引き上げる修行の意味が分からない。
魂は進化するのだ。その意味が分からない連中がブラック惑星には多いのさ。
自分の弟には、そうはなって欲しくないと思う。それだけは願ってるよ。なにしろブラックな所だからね。
親鸞が言うように、まず自分の中にある悪と愚かさを見つける時に、人は天空から降りて来る素晴らしい光の衣に包まれ、本当の人間になれる。
宗教の本質は大慈悲心である。このことを忘れると、全ての宗教は堕落する素質を持っている。良寛が漢詩で、江戸幕府に体制化した仏教を批判しているのを見ても分かる。堕落すると、尾ひれのついた人の噂をまきちらすような悪がにじみ出て来る。
悪っていうのは、ああいうブラック惑星の住人になってその雰囲気にひたると、直ぐにその人の魂の中に入り込もうとする。つまり、誘惑が大きいということよ。
もっとも、ブラック惑星にもそういう精神の荒廃と戦い、煩悩と戦い自分を磨いている立派な人も多い。弟がその仲間になってくれることを、わしは望んでいる」
どこから飛んできたのか、美しい赤いインコがシンアストランの肩にとまった。
「わしのペットだ」とシンアストランは微笑した。
吟遊詩人は小鳥にほほえみ、歌を歌った。
雪がふる夜、ああ降りしきる白い雪の涙
薔薇は机に向かい古典を読んでいた
海のような音がする、ふと見る、窓の外、
幻のような、紫陽花のブルーの姿、ああ街角の悲しみの舞踏
吹雪の夜、ああ悲しみの嵐の神の号泣
薔薇は机に向かい静かに画集を見ていた
すすり泣きのヴイオロンの声がする、ふと見る、窓の外
蜃気楼のような、紫陽花のブルーの姿、ああ森の中を駆け抜ける
街角と自然、紫陽花のブルーの姿、あなたは舞踏が好きだ
あなたが舞う時、薔薇は古典を読んでいる
その時、永遠が舞う。雪のように永遠が舞う。
どこへ行くのだ、紫陽花よ。薔薇は君を愛しているのだ。
今ここの永遠の舞台の上で、静かに思い出の紫陽花のブルーの姿を見ていたいのだ
おお、人間は自らの悪を知るべきだ。
戦争、地球汚染、気候の温暖化、核の恐怖
紫陽花のブルーに学ぶべきだった。
あの清廉な魂の美しさに学ぶべきだった。
あの天界の色の胸に染み入ること
一輪もいいけど、紫陽花の森となるとね、それは極楽。
永遠を見る薔薇よ、紫陽花と街角で会おう、そこで温かい珈琲を飲むか
36 魔法のヴァイオリン
アンドロメダ銀河鉄道がブラック惑星に近づいた頃、ハルリラの言葉を借りれば、珍しいことが起きた。
窓の外の銀河の中での出来事だ。
巨大な響きの雷が鳴り、その光は銀河全体に広がり、その光の中から、
我らの行く手に巨大で美しい鉄道がとまったのだ。ハルリラの話によれば、アンドロメダ銀河鉄道の守護列車だという。
我らのアンドロメダ銀河鉄道と違って、金色の色をして、もう少し大きく、長く、さらには様々な色の宝石などの装飾がほどこしてあった。
このように、銀河鉄道どうしがめぐりあうのは珍しいことで、しかも、あの列車には銀河の守り神の梵天と帝釈天と四天王が乗っているのだそうだ。釈迦が悟りを開いて沈黙しようとした時に、説法を促したことで知られるこのような高貴な人達とスタッフの孫悟空に似たサルが乗っている。サルはみな白い十字架のペンダントを首につけていた。窓から、こちらを見て手を振って「ハレルヤ、ハレルヤ」と言っているのはそのサルだった。
運転席の車両のところに、威厳に満ちた帝釈天と梵天が二つの席にすわり、帝釈天と梵天の眉間から雷の光とは違った不思議で神秘な一条の光が我らのアンドロメダ銀河鉄道の方に流れて来た。
その光を見ていると、ちょうど山に登ってご来光に思わず手を合わせたくなる
ような不思議な慈悲に富んだ光だった。
光に照らされた守護列車の下の方には瑠璃色の平地が広がり、光は虚空に広がっているような感じだった。
「アンドロメダ銀河鉄道の旅、どうぞご無事を祈ります」という声がその金色の列車から歌のように響いてくる。
周囲から、沢山の種類の華麗な花がその守護列車に降りかかり、今までの金色の色はまさに花の色々な色で不思議な模様を描き始めていた。
「次はブラック惑星。お気をつけて、旅をなさって下さい。あそこは惑星アサガオほどひどくないですが、温暖化が進んで、ひどく暑いところです。それに魔界メフィストが狙っているという噂のある惑星です」そういうアナウンスが聞こえて来る。
その時、帝釈天と梵天の眉間から、さらに神秘的な光が我らのアンドロメダ銀河鉄道の中にまで入り込み、吟遊詩人のヴァイオリンを包んだ。ヴァイオリンは不思議な輝きに包まれ、遠くから「そのヴァイオリンはこのブラック惑星で大きな力を果たすだろう」と声が聞こえてきた。
アンドロメダ銀河鉄道がブラック惑星につき、ブラック中央駅を降りると、我々はウエスナ伯爵の紹介状を持って、KPC弁護士事務所を訪れることになっていた。
駅の前のビルの一角からは三本の道が伸びていて、一本の道は石畳のように、綺麗にされていたが、
我々は一番貧しい感じのする道を選んだ。というのは、弁護士事務所は貧しい人を助けるという理念から、そういう方角につくられたいきさつを聞いていたからだ。
道は黒に近い色をしていて、小さな石ころが沢山ある。南国の街路樹が並んでいるのはいいが、道の横にはゴザが敷いてあって、そこで横になったり、座っている人が目立つ。
道は広く、自転車が通ることはあるが、多くの人は歩いている。
段々、分かってきたことは道端にいる人は家を持っていない人のようだ。
道端の背後に小屋がある場合もある。
そこが家という場合もあるのだろう。小屋の中には、白内障になった老人や皮膚がんになったものがいると聞いた。オゾン層が破壊され、紫外線が強いのだ。
一キロごとに、椅子に腰をかけたタヌキ族の制服姿の男がいる。最初の男は茶色の口髭をはやし、大きな丸い目で相手を射るように見つめていた。
どうも行く人をチェックしているようだ。
監視社会の目がこんな所にもう現われているようだ。
時々、道行く人が呼び止められ、何か言われている。何を言われているのか、聞こえないが、ある場所で聞いてしまった。
「仕事を持っていないなら、兵士になれ」と制服の男が言っているのだ。
それに対して、ぼろぼろの服を着た若い男は「兵士はいやだ」と言っている。
「じゃ、どうやって、生きていくのだ。めしを盗んでいるのがいるというが、お前はその仲間か」
その内に、その辺の住民と、制服の男が集まり、激しい言い合いが始まってしまった。
吟遊詩人はその時、ヴァイオリンを出し、我々のことを何か言っている人の前で、弦を弾いた。
音楽は短いもので、絹のようなやわらかで優美な音色が、そのあたりの空間を包み、絹の絨毯に春の日差しが射しこむような心なごませる響きがあった。
さらに、詩人の歌が続いた。
花と昆虫の生きる自然よ
光と風の吹くところ
さわさわと緑の梢を揺らす
そこに光が射し
木漏れ日ができる
その並木の道を歩く男女
ちょっとした口論から
ふと、風に揺れる緑の梢と木漏れ日を見る
ああ、我らは自然の子
二人の間に笑顔が戻る。
母よ、あなたに感謝する。
我らを生み出した
偉大な力
鳥が飛ぶ青空と馬の足音の響く大地
どこからともかく、我らはやってきた旅人
我もあなたも
旅人の悲しみと共に
森羅万象をおおう夕日に向かって歌う
黄昏時の愛のそよ風が雨のように降りそそぐ
その静かな澄んだ空間の中に
響き渡る小鳥の声のように
おおらかに歌う我ら旅人
悲しき迷宮を歩けども、明るく歌う我ら旅人
ああ、不思議に、多くの若者に笑顔が浮かび、自然と殴り合いは終わった。住民も制服の男もいつの間にどこかに行ってしまった。
集まって来た若者の一人が言った。中肉中背で、顔は赤く、リス族のような顔をしていた。
「これは魔法のヴァイオリンですね」
吟遊詩人は言った。「そんな風に言われたのは初めてですよ」
「古来、オルフェウスの楽器以来、そういうのが宇宙のどこかにあると聞いていたけれど、私は魔法のヴァイオリンだと思う。いつもなら、こうした争いは殴り合いに発展して、時には血を流すのに、そういうことがないだけでなく、皆の顔に笑顔が戻った。これは奇跡ですよ」
「そうか。ありがとう」
「どちらに行かれるのです」
弁護士事務所だと答えた。大きなみかんが枝もたわわになっている大きな木のそばで、若者は笑顔で、「ぼくが案内しますよ」といった。
ふと、横笛の音がした。知路である。
リス族の若者が「魔界の女ですよ。背後に恐ろしい魔界のメフィストがいますから、気をつけた方がいいですよ。この惑星はメフィストのせいで、かなりおかしくなった歴史があるのですから」と言った。
「しかし、横笛の音はいいね」とハルリラが言った。「話しかけてみるか」
「知路さん。何で、あなたはわたしらの前によく出てきて、そして消えて行くのだい」
「あたしは詩人の川霧さんのヴァイオリンがとても好きなのです。その音を聞くと、あたしは本当は魔界の娘ではないという気持ちがするのです。あたしの行動はメフィストに指図されていることが多いのですけれど、詩人の音楽を聞くと、メフィストの言うことをきく気に慣れないのです。でも、言うことを聞かないと、魔界に戻った時、鞭で打たれるのです。おそらく、あたしはただの人なのです。メフィストに、私の記憶が届かないような幼い頃、誘拐されたのです。そういう夢を最近よく見るのです。もしかしたら、詩人と同じ地球人なのかもしれないという希望を持つのです。なぜなら、詩人のヴァイオリンを聞くと、ああ、何というのでしょう、不思議に美しい気持ちになるのです。今までに経験したことのないような気持ちです」
「メフィストから、逃れられないのかね」とハルリラが言った。
その時、雷が鳴りだした。そして、知路は忽然と消えた。
37 ブラック企業
カラスの声が一声大きく鳴いた。
黒く大きく逞しいカラスがみかんの樹木の上の方を飛び立った。
地球のよりかなり大きい。
「すごいカラスですね。あんなのに襲われては、ヒトもケガするでしょうね」
「そうですね。でも意外に温厚なんですよ。ヒトを襲うことは滅多にありません」とリス族の若者は微笑した。
吾輩は地球のカラスがこのレベルの大きさになったら、猫などやられてしまうと思ったほどだった。
「やあ、皆さん。今日は。と言ったんだよ」とハルリラが豪快に笑った。
吟遊詩人は「そうかもしれません」と微笑した。
【里山の虚空の道に来てみれば
からすのいのち カア今日は】
頬のふっくらした目の細い小柄なリス族の若者の話によると、彼は宝石を探して暮らしをたてているのだそうだ。この惑星は黒い色の大地であるけれども、ダイヤ、エメラルド、サファイアなどの宝石が大地の浅い所に隠れているのだそうだ。そうは言っても、簡単に宝石は見つからないから、その間はアルバイトをしてなんとか生きているのだそうだ。最も、宝石探しよりは本当にしたいのは皆がばらばらになっているのをまとめて一つの大きな力にする組合づくりなのだそうだ。それを聞いた時は、吾輩は驚きもし、感心もした。
「この僕の生き方を、僕は「夢見る詩人」と自分で思っているのですよ。僕自身食っていくのが大変な状態ですからね。仲間をつくるのが大変なのですよ。それでやむなく、宝石探しに熱中するのです。宝石はこの惑星にはけっこうあるのです。もっとも、見つけて売っても、相当の税金がかかりますから、大金持ちになることは出来ませんけれど、まあ、組合づくりの資金にはなると思います」
ここでは会社に入れない若者はそういう宝石を求めて彷徨うことが多いが、中には山中で餓死することもあるという。
そんな話を聞いていると、向こうに赤煉瓦の三階建てのビルが見えてきた。緑の葉がその赤煉瓦の壁にまつわりつき、上の屋根にまで伸びていた。
リス族の若者と別れ、我々は弁護士事務所に入った。玄関の横の大木にとまっていた大きな茶色のふくろうが大きい目と愛くるしい瞳をくるくる回すようにこちらを見ていた。
八人の弁護士と十人の事務職員がいた。
「ああ、よく来てくれました。ウエスナ伯爵は銀河鉄道の旅に出た時の出会いで知り合った友人でして、何か今度は、革命に失敗し、隣国で介護士になられたとか聞いております」と新品の背広を着た小柄で引き締まった感じのする首の長いキリン族の弁護士が言った。
「ええ、私達はこちらの惑星はどんな所かと、興味しんしんの銀河鉄道の観光客です」
「そうですね。わが国の法律は国王と裁判所の判事の判例によるので、基本的人権が保障されていないのです。ですから、理由なく突然逮捕されることがあるのです。
税金は国王の意向を受けた大臣と官僚が決めますから、議会はあっても、それを追認する形式的なことしか出来ないのです。
ですから、我々弁護士は、スピノザ協会がアンドロメダ銀河に広めようとしている基本的人権などを保障した憲法と戦争放棄を条文化したカント九条の素晴らしさを日々、勉強し、その素晴らしい人類史的な深い意味に感動して、ぜひアンドロメダ銀河の全ての惑星にこの精神を広げる運動を密かにやっているわけです。
こちらの惑星の特徴は国家が三つあって、それが互角で対立しているが、特に大きな紛争問題はない。過去にはいくつもの戦争があったようだが、人々は戦にあきている。それでも、政府は、軍事力を拡大しようとしている。その影で、税金を国民から取るために、国民をごまかして自衛よりも攻撃に適した軍隊につくりかえようとしている。ブラック惑星を回る二つの衛星、我らは赤い月と白い月と言っているのですが、最近そこにもヒト族が住んでいるということが分かったので、そのヒト族に備えるために必要だというのが口実なんですがね。確かに月には原始的な人類がいるようですが、彼らは星を見て、星座をつくっているようなのんびりした状態であろうと天文学者が言っているのですから、大砲だの機関銃だの戦車だのという兵器は必要ないのに、それをつくりたがるんですね。理由は軍備をつくって、儲けたがる巨大ブラック企業があるのです、そしてそこと結びついて大金を得ようとする連中もいるんですよ。こんな風に産軍共同体というのは大きな勢力ですからね。いわゆる死の商人の問題です。これが第一の問題点。」
その時、銀色の鳥かごに入っていた赤と緑と黄色のまだらの羽を持った大きなインコが喋り出した。
「ですから、我々は、カント九条は宇宙の宝だと呼んでいるのです。」
「ですから、我々は、カント九条を宇宙の宝だと言っているのです。軍備を縮小し、世界に平和をもたらす優れた条文なのです」
我々はインコの素晴らしい喋り方に驚いた。
「綺麗な鳥ですね」とハルリラが言った。
「ハハハ。時々、こんな良いことも言ってくれるのです」と弁護士は笑って、さらに話し続けた。
「もう一つは、企業がこの惑星には何万とあるのですが、我々の調査によると、有良企業はその内の二割程度、あとは労働における過労や低い賃金それに
ハラスメントと、問題のあるブラック企業が殆どなんですよ。」
「そうすると、お仕事は沢山あるというわけですね」
「そう山ほどありますね。どんな企業をご覧になりたいですか」
「お手伝いもしたいのですが」
「いや、お言葉はありがたいですが、アンドロメダ銀河鉄道からいらっしゃるお客さんは特別待遇しなければならないんですよ。そういう方が見に来ているというだけでも、ブラック企業の従業員は励まされ、経営者は緊張します。
ですから、我々弁護士としても、そういうお客さんを会社案内するのはブラック企業を良い方向に変えるチャンスになるのです」
最初に案内されたのは、製紙工場だった。弁護士が川の汚染問題に取り組んでいる相手の工場だった。この国の三分の一の紙を生産しているという大企業でもある。川に垂れ流しにされる汚染物質と工場の煙突から出る煙それから働く人の過労死の問題など、案内される道々で、キリン族の弁護士は我々に説明した。
工場の門をくぐると、大きな建物があり、その周囲に広い芝生が一面に植えられ、外見は綺麗で、ただ煙突からもくもくと巨大な煙が気にはなったが、それすら、白く青空の上の方に綺麗に伸びていた。
生産工場長室の隣の部屋に、通された。
ドア越しに聞えるのは男の声だ。中年の狐族の声だと、吾輩は猫の直観で分かった。
「お前、何だ。成績が一番低いじゃないか。仕事の能率が悪い。悪けりゃ、残業でおぎなうんだな。しかし、その残業代は払わないよ。
会社で決めた残業は一時間だからね。それ以上、残業やるのは能力がないからだな。それは賃金なしの残業でおぎなうのさ」
「はい、でも、」
その声は中年ぽい男の声だった。
「残業は既に一ケ月で八十時間。過労死寸前の残業と言われているほどやっていますし、それは私だけではありません。そういう状態の社員は百人以上はいると思います」
「お前な。よくそういうことを言えるな。お前の仕事はひどく能率が悪いから、残業でおぎなうだよ。それであんたが死ぬかどうかは会社には一切関係がない。それが嫌なら、あんたみたいなグズはタコ部屋に行くのさ」
タコ部屋というのは仕事のない狭い部屋だった。
吾輩は非人間的なひどい言葉だと思った。
その時、ハルリラが小声で言った。「あの言葉には魔性の響きがある。魔性のけものの響きがある。もしかしたら魔界メフィストの影響力が再び強まったということもありうる。中世には魔界の影響はひどいものだった。しかし二百年前から、メフィストの軍団はどういうわけかかなり弱まった。それがまた、強まるということはある」
この課長はGSウトパラのメンバーだという。
GSウトパラは勢力の大きな社交クラブだそうだ。ただ、謎めいた社交クラブで、評判はよくない。彼らが政界の上流階級とここで、歓談するという。そのためか、何故か法人税が免除されている。
社交クラブはこの国で、沢山あり健全なものが多いが、法人にしている場合は当然、法人税をとられている。GSウトパラは例外ということだろう。
課長のこんな説法は二人目に入っていて、内容はさらに残酷なものに聞えるのだった。我々はなんとなくいらいらしていた。
その時、吟遊詩人がふと立ち上がり、ヴァイオリンをかきならした。
最初は激しく情熱がこめられ、弦の響きは人の心を正しい方向に向ける。すると、音色は急に優美になり、春の日差しの中に美しい花園が目に浮かぶようにやわらかく優しく色彩に満ちた弦の響きはこちらの部屋の中から、隣の部屋にまで届く。
課長の声が響いている。相手の人物は三人目になったようだっだ。
「私はきちんと仕事をしていますから、残業代をもう少しもらいたいのですけど」と部下の男は言っていた。
「お前な。よくそういうことを言えるな。そういうことを会社に言う人間は会社にとつて、ゴミなのよ。分かる。ゴミはリストラするのが会社の決まりなの」
ヴァイオリンの音色は優美で、日常から美しい非日常の異世界に人の心を吸い込むような激しい弦の響きがあった。
隣の部屋では、ふと、沈黙があった。
しばらくして、急に、隣の課長の声の調子が変わった。
「なんだか、いい気分になってきたな。」
ふと気がつくと、インコの声がした。インコはいないのに、インコの声がする。
不思議だと思い、ハルリラの顔を見たら、ハルリラはにやにや笑っていた。
「人として一番大事なことは真心。誠実さ。愛。」とインコの声がして、何度か繰り返すのだ。
課長はしばらくぼおっとしていたが、インコの声を聴き終えると、思い出したかのように、「あなたが頑張っていることは私も知っているわよ。あなた、少し顔色悪いわね。いつも長時間労働ですからね。確かに大変ね。なんとかしましょうよ。」
「仕事が多くて、時間内に終わらないんです」
「確かに仕事が多いわね。仕事を減らしましょうよ」
「そんなことが出来るのですか」
「出来るかどうかは分からないけれど、このままじや、あなた、身体を悪くしますよ」
「そういう仲間はたくさんいます」
「困ったわね。この会社は大きいのにね。それに儲かっているのよ」
「内部留保に、儲かった金をまわしてしまうのですよ」
「ま、あたしの口からはそういうことは言えないわ。課長としてはね、リストラを命令されているの。でも、リストラの人数を減らすように、上司に言います」
隣の応接室で聞いていた吾輩はテーブルに置かれた花瓶の赤い花を見ていた。そして、何故かほっとした。首の長いキリン族の弁護士は微笑した。
「恐ろしい言葉が聞こえてきましたけれど、ヴァイオリンの音色で、課長の話の内容が、悪霊を追い出されて、慈悲の光が差し込んだように、変化しましたね。不思議なヴァイオリンだ。ですけど、インコがいないのに、インコの声がするというのも摩訶不思議ですな。この中に魔法を使う方がおられる」
中々鋭い弁護士だと、吾輩は思った。
「私達弁護士は悪徳管理職や、それを許す経営者との戦いを常にしているのですけど、これ程 劇的に人の魂を和らげた状態を見たのは初めてです」
部屋の中は綺麗だ。素晴らしい絵は飾ってあるし、ソフアーは高級品だし、建物の壁は美しい。先程の怖ろしい人間の言葉など無かったかのように、優雅な日差しが窓から差し込んでいる。
地獄は人間がつくっている場合があるのだし、弁護士の言うようにヴァイオリンの威力にも吾輩、寅坊は驚いた。
しばらくして、出て来た工場長は満面に笑顔を浮かべ、我々を歓待した。
隣の部屋の課長の面接は次の男に対して、行われているようだった。
工場長はまゆをひそめ、笑った。
「わが社も競争が激しくて、リストラをすることになりましたので、解雇する人を選んでいるんですけど、皆、生活がかかっているから、中々やめようとしない。そこであんな課長のような厳しい言葉が出て来る。競争が激しいので仕方ないですよ。
全社で五百人の解雇。この工場だけでも、百人解雇するノルマが課せられているのでね」
その時、会社の窓の向こうに、スカイツリーと五重の塔の合いの子ような巨大な建物がすくっとそびえ、上の方に銀河鉄道のようなものが見えた。
皆、そちらの方を見た。吾輩は鉄道に一番注意をひかれた。守護列車ではないかと思ったからだ。このブラック惑星に来るとき、空から見た守護列車はまさに絢爛豪華そのもので、帝釈天も梵天もいらしたではないか。しかし、今は遠目のせいか、お二人とも見えないし、あのハレルヤと言って、手を振ったサルも見えない。ともかく輝く宝石と美しい金色の車体だけが慈悲の光のようなその美を四方に放っているのだった。
「蜃気楼ですよ。この惑星では、時々見られるのです。塔というのは珍しいです。銀河鉄道の蜃気楼もたまに見られることがあります。金色に輝いているでしょう。もしかしたら、先ほどのヴァイオリンが招きよせたのかもしれません」と工場長は言った。
「ヴァイオリンの音、聞きましたか」と弁護士が言った。
「ええ、私の工場長室まで、静かに聞こえました。私もあの時、何か心に空白があるような時間でしたので、聞いたのでしようね。普段の忙しい頭でしたら、あのくらいのボリュームですと、気がつかないこともあります。それにしても、不思議な美しい音色でした。内の娘に聞かしてあげたいような音色でした」
「素晴らしいことです。巨大で美しい塔が見える」とハルリラが突然のように、目を輝かせて言った。
「美しい蜃気楼だね」と吾輩は微笑した。
「宇宙の大生命があの塔に凝縮したような美しい光を放っている」と吟遊詩人が言った。
「宇宙の大生命ですか。わしは五十年間生きて来て、そういう言葉は初めて聞きます」
「宗教はないのですか」
「あの課長はプロントサウルス教ですから、ないとは言えません」
「あれは確か、熊族の宗教。課長さんは狐族のようにお見受けしましたけれど」
「熊族のロイ王朝が革命勢力を倒してから、独裁はますます強まり、プロントサウルス教も相当変質してきましてね。アンドロメダ空間にまで勢力を伸ばそうと、我が国を標的にしているみたいですよ。ですから、色々の民族の人が強いプロントサウルス教に入ってきているのですよ。だいだい、我が国は伝統的に無宗教なんです。それで狙われたのでしょうね」
「あの課長の最初の言葉は道元の教えた愛語に反する。『正法眼蔵』という素晴らしい本を書いた道元は座禅と法華経と同じように、愛語を重視した。思いやりのある言葉だ。その反対の言葉を使うのは 堕落した宗教の証拠だ。ロイ王朝のように、権力と金の虜になれば、昔の純真な宗教心を忘れ、堕落する。」と吟遊詩人が言った。
38 ブラック惑星に鐘が鳴る
その時、工場長室の方まで、鐘の音が聞こえてきた。美しい響きで、吾輩はまるでピアノ・ソナタ「月光」を聞いている時のような心持ちになった。
「どこから流れてくるのですか」とハルリラが言った。
「色々言われているのです。塔から流れて来るという人もいるのです。でも、塔は蜃気楼でしょう。もしかしたら、銀河鉄道からかも。
学校も鐘をならしますけど、こんな美しいものは流れてきません」と工場長が言った。
「なにしろ塔は蜃気楼だと思いますよ。でも、本物だという説もあるのです。
銀河鉄道は本物の可能性が高いですね。もしかしたら、鐘はそこから流れてくるのだと。定説はないのです」と工場長は言った。
そんな話をしている内に、塔も銀河鉄道も流れゆく白い大きな雲の中に入り、見えなくなってしまった。
「全ての物は蜃気楼のようなものだという考えもあります」とハルリラが言った。
たぬき族の工場長は大きな声で笑った。笑い方で始めて、たぬき族と分かった。それまでは、吾輩には彼がどこの民族か分からなかったし、あまり詮索もしていなかった。この国はどうも多民族国家らしい。
「私も蜃気楼です」とインコが言った。皆、どっと笑った。弁護士事務所の所にもインコがいたが、こちらは金色のかごに入った少し大きめのインコである。
「すごいインコですね」と吾輩は驚いて、そう言った。
「内のインコといい勝負だ」と首の長いキリン族の弁護士は笑った。
どうもこの国では、インコを飼うのが風習としてあるらしい。
吟遊詩人が微笑して言った。
「道元が何故、愛語という思いやりの言葉を重視したかは大慈悲心の教えからすぐ分かることだが、言葉というのは万物という物の創造にもかかわっているような気がする。ハルリラ君が言う、全ての物が蜃気楼というのはそのあたりから来ることだろうか」
「言葉は神なりきというヨハネ伝の有名な文句がありますからね」とハルリラが言った。
「もし仮に、ヒト族に言葉がなかったら、周囲の物は言葉がある時のように目に見えるだろうかなんて、考えると、面白いね」と吟遊詩人が言った。
「ここにある花瓶も花もインコも蜃気楼のようなものということですか」と吾輩が言った。「そうすると、吾輩も蜃気楼になる。嫌だなあ」
「話が随分と飛びますな」とたぬき族の工場長がにやにやしていて、手で口髭をなでた。
「わが国では、」と、工場長が急にまじめな顔になって言った。「塔は蜃気楼。銀河鉄道は実在という風に皆、思っている。」
「確かにその通りです」と弁護士は微笑した。
ちょうど、吾輩達のいる部屋の窓から、軟らかな日差しが入り込んでいた。この惑星は温暖化が進んでいるのだが、この部屋の窓のガラスはそうした強い光をやわらげる工夫がされているようだった。
テーブルの周囲で、我々は椅子に座って、その美しい光に包まれ、花瓶にさされた花と、ロダンの「考える人」に似た小さなタヌキ族のヒトの彫刻を見ている。タヌキ族のヒトが何か深く考え事をしているのは何か滑稽な感じがするのは、タヌキ族が陽気な民族といわれているせいもあるが、吾輩、寅坊が猫族で無意識の内に、偏見があるのかもしれないと思い、恥ずかしいことだと思った。偏見は直さねばならないと反省するのだった。
「外は地獄みたいだけど、ここだけは天国みたいだね」と吾輩、寅坊は思わずそう言った。
吟遊詩人は微笑した。
「そうさ。至福の時さ。まるで、森の中に差し込んでくる春の光に包まれて、素晴らしい気分になって、草地に寝転んで目に見える花を見ているような気分になれる。
先程の話の続きだが、言葉の働きが途絶えると、美しい瞑想状態に入り、ただ呼吸だけになる。
その瞑想が深まると、色々に細分化されて区別されている世界が虚空に包まれて美しい光に溶けてしまったようになることがあるのではないかと夢想することがある。
意識だけが、美しい様々な色の万華鏡のようなものにひたって、瞑想する虚空ともいうべき永遠のいのちの世界があるなんてイメージする」
吾輩は周囲を見回した。丸い焦げ茶色のテーブルの上に柿右衛門風の花瓶。その中に爛漫と咲いている黄色いらんに似た花の美しさ。彫刻。
そして緑と黄色のまだらな羽と赤い大きなくちばしを持つインコが鳥かごにいる。
白い壁にかかった風景画。
これらの物が溶け合うというイメージは、あのフランスの大詩人ランボーが見つけた海と太陽の溶け合う所にあった永遠と同じものなのだろうか。
吟遊詩人は吾輩の想像を補うように、さらに話し続けた。
「つまり吸う息と吐く息に集中する瞑想あるいは敬虔な祈り、あるいは南無如来と唱えるのは、座禅と同じような効果があるのです。
つまり、ヒト族の持っている言葉の機能を停止すると、摩訶不思議ないのちの世界に入るのですが」
そこまで言うと、彼はため息をついてしはらく沈黙した。
「このあとは言葉で説明するのは難しい、あえて言えば、ポエムつまり詩のような表現をするしかありませんな。つまり、
慈愛の世界に入るのですよ。
大慈悲心の世界といってもよい。
そこでは、世界は細分化されていない。
一個の美しい真珠のような世界
その球は虚空とも霊ともいのちともいえる世界なんですよ。
人は愛する時、そのいのちを感ずる
生き生きした不生不滅のいのちを知る
だからこそ、瞑想や祈りと同じように、
人は愛さなければならないのです。
慈愛こそ、人生の奥義に入る道
大慈悲心こそ、生命の深い神秘の洞窟
その中に入る時、人は光に包まれる
いのちに満ちた、慈愛に満ちた
温かい光を深く感ずるのです。 」
タヌキ族の工場長はゲラゲラ笑った。
「地球の方は難しいことを考えるのがお好きなようですな。我々は金銭の勘定で毎日、過ごしていますから、今の話は夢のようです」
「課長の入っているGSウトパラは課長の言葉に影響を与えているのですか。それとも、これは会社の方針なのですか。プロントサウルス教の影響とは思いたくないですね。宗教の看板が泣きますからね」と弁護士は聞いた。
「さあ、私には分かりませんが、言葉が乱暴なことは私も気がつきます。GSウトパラという社交クラブの中身を正確に把握していませんから。
ですからね、影響があるかどうかは、私には分かりません。なにしろ、名門の社交クラブですから。会社は言葉に関しては特に指導はしておりません」と工場長は答えた。
「言葉が乱暴というのはいけませんな」と吟遊詩人は言った。
「この国は、社交クラブが流行っています。まあ、人間がバラバラですからね。なんとかして、それをつなぎとめたいという社会的要求からこういうのが流行るのです。このこと自体は良いのです」と工場長は言った。
「そうですよ。関係こそ、人間にとって、いのちですからね。慈悲も愛もその間にある。」とハルリラが言った。
工場長は口髭をなでて、言った。
「我が国は奇妙な格差社会になっているのですよ。社交クラブに入るのにも、金とかコネとか、なにかしらのブランドが必要になって、これがまた競争をあおる社会をつくっているのですから、奇妙です。
社交クラブにはランクがあるせいでしょうね。上のランクのクラブに入ると、政治に影響力を持つことが出来る。競争に強い会社に入ることが出来る。上のクラブほど色々な特権が出てくるのですよ。
逆に、どのクラブにも入っていないと、そういうレッテルを貼られて、就職に不利になったり、様々なことで差別を受け、ワーキングプアの典型みたいになってしまうのです」
「人間がバラバラならば、組合というのも大切だ。ここの会社にはあるのですか」とハルリラが言った。
吾輩はリス族の若者を思い出した。
「ありませんよ。それに会社はそういうものをつくることを禁止しているのです。ともかく、毎日、ノルマに追われていますからね。ともかく、この国は競争が激しい。負けると路上生活が待っているのですよ。今まで、強い会社の社長だった人が天涯孤独になって、そういう生活に転落した話はけっこう耳にするくらいです」
その時、課長が工場長に挨拶に来た。
ハルリラが「あ、魔性のけものが来た」と言った。
狐族の男は怒ったような顔をして、「銀河鉄道の切符がとれないようになりますよ」と言った。
「ハハハ、あなたでも怒るのですか。そんなに言葉にデリケートな方なら、人にも不愉快な言葉を使うべきではありませんな」とハルリラは言った。
その時、女の事務員はコーヒーを持ってきた。課長は怒ったような顔をして、ハルリラをにらみつけて、出て行ってしまった。
「みっともない所をお見せしたくはなかったですな。しかし、先ほども申しましたように、会社も厳しいので大目に見て下さい」と工場長が言った。
「工場を見せていただきたいのですが」と首の長いキリン族の弁護士がコーヒーを飲みながら言った。
「工場ですか。見て、どうするのです」
「こちらの方はアンドロメダ銀河鉄道のお客さんで」
「ああ、そうですか。そんな素晴らしい方がわが社を訪問して下さるとは光栄のいたりです。見せるのはよろしいのですけど、中は暑いですよ。
五十度近くになることもあります」
「それでは従業員はまいりませんか」
「ええ、交代制にしておりますし、休憩室には扇風機がありますから、そんなに不平はでていません」
工場の中。外も三十度あったが、その時の中の温度は四十五度。いきなりむっとする空気で息をするのに、しばらく訓練が必要と感じるほどだった。
大きな輪転機のような機械が二十台ほど回転している。輪転機のまわりには紙がへばりついている。
白に染めているのだろう。回すのは電力だが、石炭の火力発電所が中心で、それもそういう電力そのものがまだ発明され、使われるようになったばかりのもので、時々、電圧が下がって、輪転機が止まってしまうという話だ。
その輪転機の周りで、機械を立ったまま操作している工員はシャツ一枚で汗だくであるが、真ん中にあるガラス張りの指令室の中には、大きな扇風機が回って、一人の男が座って計器を見ている。
「司令室のように、扇風機を入れることは出来ないのですか」
「いや、扇風機は高価でね。そんなことをしたら、会社の収益にひびきますよ。
この業界も競争が激しいですから、なるべく美しい使いやすい紙を大量につくらなければならないのですから」
「工員は労働力を暑さで消耗するでしょうけど、司令室は楽というわけで、社交クラブだけでなく、ここにも格差社会の現実がありますね」
そう言う弁護士に、工場長はまゆをひそめた。
帰り際に、工場長の家に招待された。
「銀河鉄道の方がわが家を訪れてくれるのは名誉なことですからね」と彼は言った。
しかし、我々は返事は電話でするということにした。
電話機が家にあるのは裕福な家庭というのが、この惑星の文明の状態だった。
しかし、電話ボックスはいたる所にあるので、色々な連絡は可能だった。
我々は会社を出た。大通りはケヤキのような太い幹の樹木の並木になっていた。花壇もあり、ハンキングバスケットには、目のさめるような赤い美しい花が咲いていた。先程の貧乏な道と大違いなので驚いた。
日差しは強かったが、地球の東京の夏とさして変わりがない気候だった。ただ湿度がそれほど高くないので、助かるが、オゾン層が薄いので、皮膚がんや白内障と目をやられる人が多いので、殆どの人がサングラスをかけ、長そでのシャツを着ていた。
弁護士は言った。
「弁護士が工員に組合をつくることの大切さを教えなければならないのです。手を結ぶことの大切さを教えるのです。みんなバラバラですからね」
「どうしますか。あの工場長の家を訪ねるのは」
「ブラック企業の工場長の家でも、勉強になりますよ」と吟遊詩人は言った。
「あの家はね、ちょっとこの惑星でも特殊でしてね」
「特殊」
「そう、彼の家には幽霊が出るという噂があるんですよ」
「え、幽霊が」
吾輩は銀河鉄道での猫族の娘の幽霊を思い出した。
「何でまた」
「過労死した人の幽霊が毎晩、かわりばんこに出るというんです」
「え、そんなに過労死しているんですか」
「もう十五人ですよ」
「それが変わりばんこに、毎晩でる」
「そうです。奇妙な家でしょ。でも、これは噂ですからね。噂は本当のこともあるが、偽情報のこともある」
「だいたい、幽霊なんて、この惑星には出るんですか」
吾輩は、アンドロメダの惑星で、過労死した人の幽霊が出るというような話を聞くのは初めてのような気がして、そんな質問をした。
「ありますよ。電話機が発明されたり、扇風機がまわったり、蒸気機関車が走ったり、まあ、今や科学の世紀。それでも、不思議に幽霊は出るんですよ」
「地球ではそういう話はまゆつばもの扱いされるんですけど」
「ああ、地球ね。聞いています。わが惑星の宇宙天文台は他の科学よりは極度に発達していますからね。宇宙インターネットにも通じることが出来ますし、その内容を新聞に流しますから。でも、これもね。幽霊の話と同じで、信じる人と信じない人がいるんです」
「そうですか」
「銀河鉄道はみんな信じているんですか」
「はあ、不思議なことに銀河鉄道はみんな信じているんですよ。宮沢賢治がつくったものですからね。あの方は全ての人が幸せにならなければ自分の幸せはないとおっしゃった。こんなことを言う人は仏様ですよね。
我が国は無宗教の人が多いのに、意外と宮沢賢治のような人は信じちゃうのですから、不思議です。
私も銀河鉄道は実在するものと信じています。蜃気楼ではありません。
ただ、どこかに、霊的なものが含まれているような気がして、そこのお客さまはそういう高貴な人達という気持ちになってしまうから、不思議です」と弁護士は言った。
我々はそこの工場長の家を訪ねることになり、電話ボックスから連絡した。
「名誉です」と工場長は三回もそう答えた。
39 薔薇と幽霊
我々は郊外にある工場長の家の近くのカフェーで、珈琲を飲み、時間合わせをした。
「約束の時間は六時半。夕食前ということですね。そうまだ二時間はある」
その時、夕立が降ってきた。雨宿りでもするかのように、ふらりと来た男がいる。どこかで見たような男だ。
そうだ。あのアンドロメダ銀河鉄道で見て、話をしてくれた行者シンアストランに顔が似ている。ネズミ族というだけでなく、目と鼻と口がそっくりだ。しかし、シンアストランほど大男ではない。中肉中背である。それでも、身体つきもどこか似ている。直感で、シンアストランの弟だと、我々は思った。
半袖なので、隆々とした逞しい腕の筋肉が丸見えではあるが、全体に上は洒落たブルーの麻のベレー帽から、下は輝くような茶色の靴に至るまで、一分の隙もない美しい服装をしている。
その男は、我々の横に「失礼」と言って、座った。
「どこかで、おみかけしたような気が」と吟遊詩人が言った。
「ハハハ。そうですか。兄貴のシンアストランにでも出会ったというわけですか。わしの兄貴がアンドロメダ銀河の旅に出たと聞いているからね。」
「それではやはり、弟さん」
「そう、ただ、兄貴は宗教哲学の行者になったが、わしは平凡なサラリーマン。そこはひどく違うな。」
我々はこれから行く工場長の家に出るという幽霊の話をした。
「幽霊ね。ここの国は無宗教のくせに、そういう話が多いんだ。それはともかく、わしから、兄貴のように奇妙な真理の話を聞こうというのは無理だぜ。わしはサラリーマンなんだ。ただ、幸いブラック企業でなく、ごく普通の企業に勤めている。その点で心のゆとりはあるが。だからこそ、あなた方とこんな話をこんな優雅なカフェで、出来る」
「それでも問題はあるね」とキリン族の弁護士は言った。
「問題はありますよ。なにしろ、わしは修行をあきらめてボクシングをやっているくらいですから。内の上司は仕事でへますると、なぐりかかってくるんですよ。わしはそれでならってきたボクシングでさっとよけるんです。時には相手に軽いパンチをくらわせることもありますがね。そうすると、上司はお前はボクシングはうまいが、仕事はへまばかりしているという奴なんですよ」
「よくそんなことが許されていますね」
「まあ、会社によって、それぞれ違う。内はそういうことをなくそうと、わしが中心になって、組合をつくっている。パワーハラスメントはいけないと皆、思っているのに、なかなか人が集まらない。人を説得するのは難しいものさ。
今、この惑星は人がばらばらなんだ。手をつなぐことをしないとね。優良企業は手をつなぐ何らかのものを持っているけど、内の会社はまだ道半ば。わし等はスピノザ協会の教えを参考にして、アンドロメダ組合をつくり、スピノザ協会と連携を図り、平和で、手をつなぐアンドロメダ銀河づくりをすすめている。そのために、わしは故郷のネズミ国の動向が気になってね」
吾輩はスピノザ協会に熱心な虎族の若者モリミズと別れたことを思い出した。彼は今、元伯爵と一緒に介護士の仕事をしている筈だ。
「最初は、兄さんと修行の旅に出られたとか」
「まあね。しかし、わしは兄貴みたいに根気がない。それにわしはどうしても神だの仏だのというものを信じる気がおきんのだよ。
わしはやはり、科学が素晴らしいと思う。わしが入った会社は車の会社だ。まだ発明されたばかりの乗り物だ。しかし、つくっていると、馬車の時代は終わったという気がする。
どうですか。面白い車が沢山通っているでしょ。燃料にはガソリンを使う。幸い、内の惑星は石油と石炭に恵まれている。
道路がまだ整備されていないのは困るな。政府が国家プロジェクトとして、道路の整備を進めているから、これにも希望はある。」
「車は排気ガスを出しますよ」
「そりゃね。人間だって、おなら出すんですから」
「事故も起きますよ」
「そりゃ、起きるでしょ。馬車だって、あったことですから」
「車は夢がある」
「この熱帯のような気候に、二酸化炭素を排出したら、さらに惑星は暑くなりますよ」
吾輩は二酸化炭素の量が地球の温暖化に拍車をかけていることを思い出した。
「わしは科学は未来を薔薇色にすると思っているんですよ。兄貴が言う極楽とか天国というのは科学が発達すれば、自然とつくられる」
「お兄さんの話には何か深い真実が含まれているように思われますが」
「兄貴が数年に一回ぐらいわが家に立ち寄ることがある。半年前に来た時は、親鸞のことを話していたな。親鸞という坊さんが、ある惑星で還相回向された。そこで親鸞に会ったんだそうだ。わしはそんな話はよく分からんが。ただ、この惑星や色々な他の惑星だけが唯一の世界とは思わん。
おそらく、親鸞の言うような浄土はあるかもしれんという気はあるな。そんな素晴らしい所があるなら、霊界だの次元の違う世界、異界があっても不思議はない。しかし、そういう世界はいずれ科学が見つける。それまではそういう話はないと思うようにしている。
だいたい、過労死が十五人も出るあんな工場長の所に行って、何を見るつもりなんですか。好奇心もいい加減にしないと危ない目にあいますよ」
夕立が止み、暑い日差しが戻って来た。
我々は工場長の家に行く時間がせまっていたので、別れた。
そうこうする内に、時間が来て、我々は工場長のお宅を訪れた。
工場長の家は郊外の丘陵地帯の林の中にあった。幽霊が出るにしては、小奇麗な家だった。しかし、地下室は工場長の書斎になっているようだった。前はここが寝室だったのだが、幽霊がでるので、寝室は二階にして、地下室は書斎になったようだ。それは噂である。
我々は工場長の口から、その話を聞きたいと思っていた。
「幽霊の話」と工場長は困ったような顔をした。大きな丸い目、横に細長い口、
茶色いあご鬚と口ひげの上の黒い鼻の周りが白く、肌は茶色というこのタヌキ族の工場長は吾輩猫族から見ると、美男子とは言えない、服装はGパンとタヌキのイラストが描かれたTシャツを着て、黄色いタオルを首にまいていた。
先祖を大事にしなければというのが彼の口癖と聞いていたが、こんなシャツにもあらわれていた。
「実はわが娘がうつ病なんですよ。地下の書斎にこもりきりなんで、仕方なくそこにベッドを入れているんですけど、そこで過労死した労働者の幽霊を見るというんです。それを、無理に散歩に連れ出した時に、近所の人に言うもんだから、皆信じてしまい、そんな噂が広まったんだと思いますよ」
「娘さんだけが見るのですか」
「私は幽霊なんか見ている暇ありませんよ。今日のように、銀河鉄道のお客さまが来る日はわが社の宣伝にもなりますから、別です。たいてい、早くて家にたどり着くのは夜の十時ですから、軽食を食べて風呂入って、パタンキューで寝てしまいますからね。
ただ、一度、不思議なことがあったな。
夜中にトイレに起きたことがあるんですよ。わしは丈夫な方で、夜中に起きることなんか滅多にないんですが、トイレに起きて、一階のトイレに行った時に、地下室の書斎の方から、変な声が聞こえてくるのですよ。わしは眠かったが、そこは娘のことが心配ですから、飛んで地下に行き、ドアをたたきました。
娘は「な~に」と言って、『起きていたのか』と問いますと、『今、幽霊と話していたんです。お父さんの会社で働きすぎて、ノイローゼになり、自殺した幽霊と』
そんなことがありました」
「それで、今は」
工場長はさらに困惑したような表情をした。「その時のことを思い出しますとね。こんな風に、娘は言ったのです。『え、ドアの音で消えてしまったわ』
わしは娘の部屋に入り、『どんな時に、そんな幽霊が出て来るんだね』と聞くと、
娘は『どんな時って。ただ、本を読んで眠くなり、うとうとしていると、山尾さんの声が聞こえるのです』と答えるわけです。
『山尾君。あの自殺した男』と聞くと、
『そうよ。それまでは、会社の中では、エリートだったわ。背も高く頑丈な身体つきをして、とても死ぬような人とは思えなかった。それがあんな風になるなんて』と悲しそうに答えましたね。
『しかし、何でカナエの所に出てくるんだろう』
『過労死だって言っていたわよ』
『過労死。あの頑健な男が』
『意外と、あの人、繊細なところのある人なのよ』
『お父さんの責任よ』
『わしの。わしの工場ではない。彼は本社の技術開発部にいたのだぞ。わしには関係ない』とわしは答えました。そのあと、娘は泣くんですよ。わしが色々言うと、幽霊でも会えて嬉しかったって、娘は言うのです。あの懐かしい顔も手も足もあるの。悲しそうな目をして、会いたかったと言うのです」
吾輩は工場長の困惑しながら喋る表情を見ていた。タヌキ族の困惑した顔というのは少し滑稽味があるのだが、笑うわけにはいかない。
「それで」とハルリラが聞いた。
「わしの責任と言われるのにはまいったね。娘はさらに『だって。工場で過労死が十五人も出ているのよ、山尾君の幽霊が一番多く出るけれど。他の七人は寝入りばなに出て来るのよ』と言っていたな。
『何か言うのか』と聞くと、
『一言言うのよ。あの工場はひどすぎる。何とかするように』だって。
『山尾君は』と聞くと、
『彼は』とカナエは言って、涙ぐむ。
『だから、あたしに会えて嬉しかったって』
カナエは大きなため息をついて、『あたし、その時思ったわ。幽霊の方がリアリティがあって、あたしの方がその彼の言葉の中に溶けてしまったみたいだった』
そんな風な会話だったと思います」
「わしは心配になって、医者に連れて行きましたよ。医者は幻覚、幻聴だ。そんな幽霊などいる筈がない。娘さんは疲れているだけだと言う。
娘さんは恋人の死と仕事のストレスで精神が参っていたのだろうと医者は言うのですよ。
だから、娘の仕事をやめさして、今はやすませています」
「それじゃ、もう幽霊は出ないんでしょ」とハルリラが言った。
「や、それが山尾君のだけは、今だに出るようだ。あそこは書斎だから、寝室で寝るようにと言っても、本が好きなの、そうすると、うとうとしてくる。その時、懐かしの彼がでてくるのだから、あたしの居場所はあそこよと言うのだから、どうしょうもないですよ」
「寝る時以外には出ないのですか」
「そうだね。一度、瞑想状態のようになって、ぼんやりして静かな音楽を聞いていた時、出たことがあるという話をしていたな」
「そうですか」
「それなら、私がそこにいて、幽霊を呼び寄せてみましょう」と吟遊詩人が言った。
「どうやって」
「ハルリラ君に霊媒になってもらうのです。彼は特殊体質ですから」
「そして、幽霊の恋人さんが好きな曲を僕がヴァイオリンで弾きます」
「それで幽霊が出てくるんですか」と工場長は言った。
「間違っては困るのは、興味本位では困るということです。もう死んだのだから、娘さんの所に出ないでほしい。娘さんが悩むから、とお願いすることなんです」
このことを工場長は娘に説明して、そのあと、吟遊詩人は娘に会った。
食事のあと、書斎に入り、娘さんが机に向かい、我々は横のソフアーに座り、
吟遊詩人はヴァイオリンを握った。
「『知覚の扉』という本を書いたハクスリーというイギリス人が地球にいた。彼によれば、人類の進化の過程で、我々の周囲の全ての風景を見ることが出来ないように、人間として生きて行くのに必要な所だけが見えるように知覚は制限されたというのである。この知覚のバルブを開ければ、見える風景が変身し、素晴らしい浄土が目の前に広がって来るのだそうだ。
このバルブを開けるには、座禅だの色々な修行があるが、ある種の音楽も人によっては、そういう効果を発揮することがある。私はあまりやったことが無いのだけれども、今回の場合、やってみるだけの価値があると感じた」
全てが静かな中で、吟遊詩人のヴアイオリンが鳴り出した。最初は小川のせせらぎの音のように、そして時に小鳥の声のようで、森に響くような音から、さえずりの声、そして、猿の声、風の吹き梢を揺らす音が小川のせせらぎにまじって、聞こえて来る。吾輩は段々不思議な
大自然の中につつまれていくような気がした。黄金色の大きな蝶が舞うような気がした。それでまた、小川のせせらぎと小鳥の声。
突然、鳴り響く音、雷かそれとも野獣の遠吠えか、そしてまた静まりゆく、
吟遊詩人は半分目をつむっているようだが、しっかりと立ち、腕は確実に動いて行く。
あ、彼が歌い出した。
「私の病んで死んだのは夢
ペットの猫の病になった心労のためだろう
私は死んだのではなく、
にゃあにやあという声に消え入りたい気持ちになったのだ
いや、もしかしたら、外の森のざわめきとせせらぎと小鳥の声に酩酊して
それはまるで酒の酔いにも似ているようで
はるかに違う幽霊の道
ああ、今日も白い月が出て
美しい星がきらきらと空に輝き
私の自我忘却の病は幽霊のようでもあるが
天のわざとでもいえようか
ひと時の夢のようで
私は死んでしまうのだ
生と死の幽霊のような高台の上から
さて、銀河の街並みを見るとするか」
その時、部屋の隅のソファーに誰かが座っている。
「あら、山尾さんがいらしているわ。幽霊の山尾さんが」と娘が言った。
確かにその薄暗い隅の所に座っているように思われるのに、姿は見えない、誰もいないようにも見える。誰かが座っているという気配だけがある。我々もそれが幽霊だと直感した。
吟遊詩人はヴァイオリンを奏でながら、歌を歌いながら、足を幽霊の方に近づけ、そばに来て、止まったが、演奏は続けていた。
幽霊がこの世の声とは思われぬ不思議なか細い声で言った。「分かった。もう出ないよ。彼女の心をまよわすために来ていたわけではない。ただ、会いたくて来ただけなのだ。しかし、もう異界の身。人の心をまどわすのは罪なことだ。さらば」
幽霊は消えた。吾輩の猫の耳にはあの幽霊の言葉が聞こえた。猫にこんな能力があるとは、吾輩生まれて初めて知った。しかし、それにしても、吟遊詩人の実力には脱帽した。
その間、居間では、弁護士と工場長が過労死問題を話していた。その後、さきほどの女課長とリストラを強要された社員との非人間的やり取りみたいなことはやめるべきで、会社の中に融和の精神を持ち込む方がみんなのやる気を起こし、生産効率が上がるという話をしているらしかった。
パワーハラスメントをやめること。
リストラをやめること。
労働時間の間に、休憩を入れ、長時間労働は厳禁することなどを弁護士は要求したのだ。
工場長は、「競争が激しいし、経営者の意向をわしが無視してやることは出来ない」というようなことを言っていたが、帰り際には、「弁護士の言うことは社長に伝えておく」ということを約束したので、今回の訪問はおおいに成果があがったということだった。
40万華鏡
次に我々がぜひとも見たかったのは産軍共同体のボスの会社、機関銃や大砲をつくる工場だった。
案内の弁護士は交代した。別の年配の鼻の長い象族の弁護士だった。彼の鼻はすっかりヒト族の鼻に進化していたが、それも吾輩のような猫族から見ると、鼻は異様に長く奇妙にそして器用に動くのだった。
彼は長い鼻の先でパイプをつまんで、煙を吹かしていた。吾輩はニコチンの害を心配したが、象の弁護士はうまそうにしてご機嫌な顔をしていた。
「工場の中身を見ることは禁止されているのですよ。敵に見られるといけないというのでしょうけど、敵と言ってもね。たいした敵はいないのですよ。
カボタ国は、確かに武器がある。時々、変なことを言う。しかし、人口の上でも、経済の上でも、我がピーハン国が圧倒的に大きく強いのです。
それに、又、おかしな話なんですけど、月に武器を持つヒト族がいるなんていったって、そんな人達が攻めて来る筈がないのに、我が国では、五十年以上の前の内戦で、国内で争っていた頃の習慣がいまだ残っているんですよ。なにしろ、工場の写真を撮るだけで、いまだにスパイ罪なんていう罪があるんですか
ら。基本的人権なんてないに等しい。
ああ、スピノザ協会がアンドロメダに普及を進めているカント九条のある平和憲法を我が国はつくるべきなのです。モデルは銀河系宇宙の地球にあるそうだが、あのような素晴らしいものをつくるのには、大変な時間と努力が必要だという認識がアンドロメダ銀河のヒト族にも知ってもらいたい。
射撃場なら見せてくれるというので、そこに行くことにした。
広大な平原で、そこまで馬車で行った。
途中で、奇妙な光景を見た。白い軍服を着た十七才か十八才ぐらいの少年達が十人ぐらいで、一人の背の高い立派な風貌の男を取り巻いている。
「あれは何ですか」と吾輩は聞いた。
「白衛兵ですよ。大人の人は平和主義者でしょ。軍のトップはこういう卑怯な手段も使うのです。軍に忠実でない人間をこういう手口を使って、こらしめるのです。軍が正しいと言うまでやっていますよ。」
少年たちは何か文句を言い、持っている小枝で平和主義者をつついている。
「よくあんなことが許されますね」
「軍のトップとそれに従う軍人の指導でやっているので、警察もとめることができないのです」
非人間的なやり方であると吾輩は思った。このブラック惑星でのこの国のやり方は理想も何もないただ残酷で人間の醜さを露呈していると思わざるを得なかった。
やがて、射撃場の近くまで来ると、砲撃の音や機関銃の物凄い音が聞こえて来る。
途中に、通行の検問所みたいな所があって、警備員のような兵士のような人達が十人ぐらいいて、チェックしている。
なんとか、そこを通り抜けてしばらく行くと、向こうから、馬にまたがった少し階級の高そうな兵士が部下を連れて、ゆっくり近づいてきた。
「とまれ。許可証を見せろ」と大佐が言った。
「よし、今、敵、味方に分かれて実践の訓練をしている。縄を張ってある中に入らないでくれ。あとはどこから見ても、結構」
我々が気付いたことは、大佐の周囲に、背広を着た人物と兵士の服を来た人物が二十名ぐらいいたことである。背広を来た人は七名ぐらいで、
吟遊詩人に名刺を渡したのは、ウサギ族の若い男で、薄いブルーの麻の背広に赤いネクタイをしていた。宇佐という名前だった。丸い目をして、黒いちょび髭をはやしていた。
「わたしの会社は扇風機も蒸気自動車の開発も蒸気機関車という平和産業だけでなく、国を守るためにもこういう武器を製造しているのです。いつ月のヒト族が攻めて来るか分かりませんからね」と宇佐は事務的に言った。
「え、衛星の国のヒト族はまだ剣の時代で、銃を持っていないと聞いているのですけど」
「それは一つの情報です。色々な情報が錯綜しているのです。衛星の内部がしょっちゆう戦争をしているという情報もあるのです」
「しかし、彼らが、ここに攻めて来るのには、ロケットが必要ですから、そういう科学技術はまだそこまで発達していないでしょう」と言って、象族の弁護士はパイプの白い煙を一気に自分の頭の方に吐いた。
宇佐は大きな両耳をパタパタさせて、まるで扇子でも使って自分の冷や汗を防いでいるようにも思えた。
「確かにね。しかし、ネズミ国の惑星がこのアンドロメダ銀河の中心に近い所にあると言われているんですよ。誰も実体は分からず、謎めいた国なんですが、この惑星は極度に科学が発達していて、相当の高度の軍備を持っている。しかし、どういうわけか、鎖国を長く続け、今だに本当の情報はどこにも来ないのです。それでも、武器輸出という誘惑に負け、このネズミ国の惑星からわが惑星の衛星国に密かに、密使が送られて、我が国があっという間に占領されるというSFめいた本が数十年前から流行りましてね。それもあって、こういう軍備の必要が言われているんです。用心するにこしたことはない。それに、国内の中にも不穏分子がいますからね。彼らに対する無言の圧力にもなるのです」
吾輩はネズミ族の惑星と聞いて、シンアストランという大男とロイ王朝でウエスナ伯爵の元で水素社会のための研究している天才ニューソン氏を思い出した。彼はウエスナ伯爵と一緒に、革命の動乱期に、逃げ、新しい国で活躍していると聞いている。
ああいう異才を出すネズミ族の話をただの噂とかたずけられないものが、このアンドロメダ銀河にはあると直感した。
そう言えば、さきほどの大佐はネズミ族のような風貌だった。
どちらにしても、産業と軍が密接に結びついている様子が目の前にありありと展開していることは、我々にとっても驚きだった。
大砲の弾が遠くに落ちた。物凄い音で、あれならまだ雷の落雷の方が自然で親しめると思った。
しばらく行くと、向こうの少し高い所に、マンション風の建物がいくつも立っている所があった。
「今日は市街戦の訓練なのですよ」とタヌキ族の案内の兵士が言った。額の汗を洒落たハンカチでふいていた。階級は大尉のようだった。日射の厳しいこんな所で市街戦の訓練とは厳しいなと、吾輩は思った。
吾輩は市街戦といわれると、レニングラードの市街戦を思い出した。
何故かというと、あの映画を京都の銀行員の主人が見ていたからだ。吾輩も横から見ていて、人間どもは奇妙なことをやるものだと思ったものだ。
レニングラードの市街戦では百万の市民が餓死したとも聞く。あの映画で、驚いたのは、ドイツ兵の死体を放り投げるロシア兵を見て、ドイツ軍の中佐は仕返しという形で、市民の中からユダヤ人の母娘を選び出し、車に閉じ込め、火炎放射器で焼くのだ。その場面を見ていた、ロシア兵は怒り、突撃して、マンションの奪い合いという形で戦闘が始まる。
ユダヤ人虐殺をとめようとしたドイツの大尉は「戦争がいけないのだ」と叫ぶ場面がある。
吾輩は戦争こそ、ヒト族にまつわりつくガンという思いを強くして、市街戦の訓練をするというので、見ていた。
五百名ほどの兵士が機関銃をにぎり、
はいつくばって、にじり歩きをしている。ビルマンションの中に敵がいるという想定なのだろう。建物からも激しい機関銃の音がする。
「練習でも死者がでるんですよ。」とタヌキ族の大尉は言った。
「え、練習で死者が出る」
「そうしないと実践並みの訓練が出来ないというのが軍の方針なんですよ」
「そんな愚かなことをやっている軍は地球ではない」と吾輩は思わず言った。
「地球。あの惑星ね。」と赤いネクタイをした宇佐という男がにやりと笑った。
「困ったものです」と象族の弁護士は不快そうな顔をして、言った。
「死者になる人は皆、変な衣服を着ていますね」と吾輩が言った。
「ああ、あれは魔女の衣服ですよ」と象族の弁護士は言った。
「死ぬのはたいてい、魔女です。彼らが標的にされるんですよ」
「魔女って何ですか」
「つまり、魔女裁判で魔女とされた人達ですよ。男も女もいます」
「魔女裁判って、地球でも中世のキリスト教社会であったと聞いていますけど、あれと似たような響きがありますね」
「ああ、私も宇宙インターネットで調べたことがありますけど、似ていますね。ただ、今の我が国は無宗教ですから、昔のピーハン教が長く続いた時代の名残でしてね、今は軍部の考えに反する人達が魔女とされるんですよ。昔はピーハン教の異端が魔女とされ、火刑にされたのですけど、長く栄えたピーハン教は滅びましたからね。
そこへ忍び寄ったのが、魔界の悪知恵。悪魔メフィストの部下が軍の幹部に入りこみ、ピーハン教の魔女裁判だけを軍部が利用しているんです。反軍思想の人は密告されて、裁判にかけられるんです。どちらにしても死んで異界に行くだけのことですから」
「しかし、いのちが軽視されていますし、軍部の考えに反する人を死刑にするというのでは、恐ろしく息苦しいですね。今の地球では考えられないことです」
金色の階級章が肩についた白い薄手の軍服姿のタヌキ族の大尉がにやりと笑って、言った。「まあね、この惑星と死生観が相当違うんでしような。我々の世界では、
無宗教が支配的ですけど、奇妙な迷信だけはあるのですよ。
死ぬとまた違った美しい異界が待っているという信仰は確固としたもので、死は怖いものでないのです。死んでも、ちょつと旅に出たくらいにしかみな思っていないのです。これって、宗教のように思う人もいるけど、
どうなんですかね。神なんて信じていませんからね。ただ、異界があるという信念があるというだけなんですよ。
まあ、軍の方針というのもあるのです。軍の方針と迷信が一致しますから、ますます、みんな強く信じてしまう」
「しかし、この地上で魂を美しくみがくことの大切さを忘れてはならないですよね」とハルリラが言った。
「魂をみがくなんて、みんなそんなことを考えませんよ。いかにして、出世をするか。いかにして、金をためるかですよ。金をためたものが偉いんです。その時の金の量で、あの世の生活も決まるということが流布されているくらいですからね」とウサギ族の宇佐という男は言った。
「それは間違いです。それは真理ではありません。宗教の大真理は大慈悲心と愛にあって、心を磨き、人に親切にして、愛する、そうすれば魂は磨かれ、世界の真理が直観されるようになった時、浄土を、本当の美しい世界を見ることが出来るのですよ」と吾輩は自分でもよくわからないが、宇佐の言っていることに反発して口走った。
吟遊詩人が我輩を応援するように言った。「愛のない宗教、大慈悲心のない宗教、人を傷つける宗教、それは堕落した宗教です。
宗教は最初は純粋でも、歴史の長い過程で組織が大きくなり、権力を持つようになると、堕落する危険が常にあることは地球の人類の歴史が証明している。ヨーロッパのキリスト教の歴史でも、魔女裁判が有名である。教会とは少し違った宗教観を持っていると、異端とされ、火刑にされるということがしばしば起きた。
あるいは、免罪符を買えば天国に行けると言い、貧しい民から金を取るなどということがあったから、ルターの宗教改革が起きたのだろう。
日本でも、権力と結びついた江戸の寺院が宗教として堕落しているという良寛の漢詩もある」
ハルリラが言った。
「宇宙インターネットで調べたら、地球の日本では、オウム真理教の地下鉄サリン事件があったという話だよ。サリンという猛毒を地下鉄の中にばらまくという恐ろしいテロの発想がどうして宗教から出るのか、僕には理解できない。オウム真理教は宗教という仮面をかぶっていたに過ぎないのだと思う。
アメリカでは、人民寺院の千人近い集団自殺があった」
そんな風に、我々が宗教の宝石のような素晴らしさと怖ろしい落とし穴について、会話していると、その時、担架に横たわって血だらけの男が運ばれていた。
「まあ、彼は死ぬでしょう。ああいう風になると、兵士の方も死をのぞみ安楽死の注射を医師にうってもらうことが多いのです。なにしろ死の異界は心地よいという迷信がありますからね」
と宇佐という背広の男は言った。
「あなたはそんな迷信を信じているんですか」と吾輩は言った。
「いいとなんか思っていないですよ。実を言って、この惑星の自殺は年間十万人を超えるのです。ところが奇妙なことに、これが社会問題にならない。
ブラック企業で、競争と激しい労働と金銭至上主義。人と人との間はばらばら。これで、あの世はこの世とさして変わらないという信念がはびこると、自殺が増えるし、軍事訓練で死者が出ても誰も文句の言わない変な社会が生まれてきてしまうのですよ。変な社会ですよ 」と宇佐は言った。
「親鸞の教えなんかを取り入れたら」とハルリラが言った。
「親鸞。名前くらいは聞いています。なにしろ、学校が何の優れた価値観も教えませんし、家庭もね。生きている意味は金をためることだけなんですよ」
「親鸞? あの教えは物凄く深いけど、あれが一般に広まると、堕落しやすい要素を持っている。なぜなら、悪人こそ浄土に行けるという深い意味を理解せずに、上澄みの知識として知ると、親鸞の教えとは程遠い地獄の奈落に行くような行動をとる、自称信者が生まれる。だからこそ、歎異抄のような本が生まれるのではないか。人間とは本当に困った存在です」
我々は、祖父と二人暮らしをしているという宇佐というウサギ族の若い男の家に行くことになった。そして、驚いた。壁が厚く、鉄条網がめぐらしてあり、あるので聞くと「いつ強盗に襲われるかもしれないからだ」と宇佐は答えた。
彼の家には銃が三丁もあった。ピストルと自動小銃。
鉄条網には電気がかけられている。
ハルリラはこれを見て、謎のようなことを言った。
「わあ、文明もここまで行くと、真実を見失う悪路に入った感じだな。」
「悪路 ? 」と吾輩は聞いた。
「そう。分析ばかりやっていると、全体という聖なる生命を見ようとしない習慣ができてしまう。分析ばかりやっていると、真如が見えなくなる。ちょうど、森の中に入り、森を忘れ、木一本ばかりの分析している内に、自分が森の中にいることを忘れてしまうというようなものさ」
宇佐という男は言った。「言いたいことはなんとなく分かりますよ。なにしろ、金があることがこの世の幸福、あの世の切符。葬式を盛大にやるほど、あの世でいい所に生まれるというのだから、みな金をしこたまためる。
金をためれば、それを盗まれないかと心配する。だから、こんな鉄条網を張るのですから。自分でも嫌になっているのです。
なんともあさましい人間の生き方でしょうかね。まさにブラック惑星です。」
吟遊詩人が言った。
「価値観を変えねばこの惑星は滅びるのでは。金よりも貴いものがあるのでは」
「何ですかね」
「愛とか、大慈悲心」
宇佐という男は急に目を輝かして、自分の祖父の話をし始めた。
その後、我々はその祖父に会った。
祖父はウサギ族の長老のような風格で、白い羽毛はすっかり灰色になり、耳が大きく、落ち窪んだ目が大きかった。
視力がかなり悪くなっているという話だが、黒い瞳の奥から、我々を優しく見つめた。
挨拶の会話が終わると、爺ちゃんはまず吟遊詩人の持っているヴァイオリンに目をつけて、一曲弾いて欲しいと言った。
「それでは大自然のおおいなる愛という私が作曲したのを弾きましょう」と、吟遊詩人はヴァイオリンを肩にかけ、弦を持った。
大きな緑の丘陵に色とりどりの花が咲き、昆虫どもが飛んでいる。一人の少女がその花と花の間を歩きながら、昆虫を見たり花を見たり、鼻歌を歌いながら、飛んだりはねたりしながら、散歩している。さんさんと降り注ぐ太陽の気持ち良いこと、このおいしい空気を飲み、味わい、この自然の美しさに酔ってしまったようだ。この自然にはおおいなる愛がある。呼吸をして、息を吐き、吸い、その空気のおいしさの中にその愛を感じる。空には、青空が広がり、白い綺麗な雲がまるで船のようにゆっくり動いて行く。ああ、世界は万華鏡のように美しい。なにもかも、素晴らしい大慈悲心のあらわれではないか。
そんな風にヴァイオリンの弦は音楽によってささやいていく。.
宇佐は言った。
「内の爺ちゃんはそんな風に時々、口走ることがありますよ。最近は耳も少し遠くなってきていますが、今の音楽はよく聞こえたと思います。表情で分かります。大分、老化が進んでいますけど、言うことはしっかりしていますよ。僕は子供の時、世話になったから、時々、話を聞いてあげているんです」
「何か、本を読んでいませんか」と吟遊詩人が爺ちゃんに聞いた。
「法華経を読んでいます」と爺ちゃんは答えた。
宇佐というウサギ族の孫の男はさらに付け加えた。
「爺ちゃんの話では、全ての人は仏になれるというんだそうです。しかし、まず、僕は仏というのが分からない。
それに、このブラック惑星でそんなことを言ったって、誰も耳を傾けませんよ。
僕は爺ちゃんに子供の頃、可愛がられましたからね。
それで忙しい合間も時々、聞いてあげるんです。
爺ちゃんの話によると、法華経は禅の寺に行って知ったんだそうです」
「禅の寺なんか、あるんですか」
「わがピーハン国には一つだけあるという寺なんです。広い禅道場があるらしいですよ。禅では、座禅と法華経と愛語を重要視するんだそうです。でも、来る人はわずかだそうです。
爺ちゃんは猛烈社員でしたから、若い時はそんなものにまるで関心がなかった。ところが、ある日、事故にあった。それで生死の境をさまよい、何か素晴らしい世界を見たというんです。話すけど、誰も聞かない。それで、爺ちゃんはこの無宗教のピーハン国で、唯一まともに宗教活動をしている禅道場に目を向けたのです。」
爺ちゃんは言った。「音楽を聞く時、風の音を聞く時、小鳥の声はみな真如【一如】の現われそのものである。
そういうことに気がつきました。
全ての物もそうなんだけれど、やはりストレートに一如、法身の現われというのは美しい音楽だと思いますね。吟遊詩人がヴァイオリンをひいた時、ますますそう思いましたね。
神そのものが舞踏をしているような感じがしますよ」
宇佐という男はさらに付け加えた。
「そういうことを、内の爺ちゃんは事故に会ったことをきっかけに、禅寺に通うようになってから、人に言うようになった。でも、多くの人はその交通事故で少し頭がおかしくなったのだといいふらしたので、爺ちゃんはそれから寡黙になったのです。
今は俺だけが聞いてあげているんだ。でも、俺は忙しいし、俺も世間の人と同じで爺さんは事故でそんな風になったのだと同情はしているけど、話は話半分に聞いている」
爺ちゃんは微笑した。「息を吐く、吸う、これに意識を向けて、座るんです。そして、静かなバッハのような音楽をかける。寝る前に一時間必ずやるんです。これはいいですね。生き返りますよ。」
「そうですか」
「息を吸い、その吸うことに意識を集中して、吐く時に南無如来と唱えるのです。これがまた効果、抜群。これは簡単だけど最高なんですよ」と爺ちゃんは笑った。
我々はブラック惑星で、悪い話だけでなく、良い話も聞けたことに満足した。
この禅の教えがブラック惑星に広まることを願いながら、このブラック惑星での旅を終えて、次の惑星に向かうために、我々はアンドロメダ銀河鉄道に乗るために、足を駅の方に向けた。
41 歌姫
アンドロメダ銀河鉄道のブラック中央駅の入口の横には巨木が生えており、駅の構内は、色々な民族が集まっていた。その賑やかなこと。
弁当売りの背の高いキリン族の男が大きな声をはりあげている。
「弁当! 弁当! こんなうまい弁当はどこの銀河にもないよ。銀河弁当だよ」
あの工場長に似たタヌキ族は茶色のカーディガンのような服を着た人が多いと吾輩は思った。
キツネ族は緑と白のまだらのワンピースに似た服が多い。
夢見る詩人と自分で言っていたリス族の若者に似たヒト達は赤系が好きなようだ。
そして、黄色地に黒い模様柄のチャイナ服に似た服を着た大柄な虎族。
インドのサリーのような布を頭からかぶるようにしているライオン族の衣装。熊族。猫族とそれぞれが民族衣装を着ている人が多いが、普通のラフな仕事着のように見える服を着ている人もいる。
それに、これだけの民族が集まると、顔つきもみな強い個性を持った感じがする。
これほどの民族が一挙に集まる場所は滅多にないことなので、吾輩は様々の民族衣装や様々な風貌をした顔立ちにも目移りがしてしょうがなかった。
花を売り歩く髪の長いリス族の娘が優しく元気な声をはりあげる。
「お花はいりませんか。いのちの宝石のような花ですよ。夢見るように美しいお花をいりませんか」
ブラック惑星の名物の宝石を、金持ちらしく見える銀河鉄道の客を狙って、売り歩くライオン族の目のあどけないがっちりした青年。
駅のプラットホームの中央には、奇妙な形の枝の松が飾ってあった。
そこで舞姫が歌を歌っていた。舞姫は猫族だっただけに、吾輩の胸は久しぶりに高鳴った。薄い緑色の衣装で、肌が透けて見える。黄色い顔は優雅で、丸い目は情熱的だった。声はソプラノで澄んだような響きがあり、喜びと悲しみがミックスしたような魂の高揚が雑踏の駅の中に響いていた。
銀河の流れに乗っかり
旅する人達よ、
美しい星と宝石を身につけ、豊かな髪をなびかせて
喜びと悲しみの表情を浮かべて
どの惑星を旅するというのですか。
銀河の岸辺には柳や桜だけでなく、
色々な花が咲いていますよ。
小さな花にも目をとめて、その花の中に無限のいのちが息づいていることを、そしてその花のいのちがあなたにあいさつを送りたがっていることを
知って下さいね。
そうなんです。岸辺の花たちは皆、孤独に耐えながら、
あなたの笑顔を待っているのです。
あなたの優しい眼差しを待っているのです。
永遠のような銀河の旅は
喜びも悲しみもあるでしょう。
岸辺の向こうには色々な街角が見えますよ。
大きなお盆の上にのったような巨大な石壁の街の中から
いくつもの灯があなた方に挨拶をしていますよ。
もしかすると、ギターにあわせて静かな
甘い歌が歌われて、あなたの到来をうながしていますね
あなたの魂には、無限の優しい愛の光が眠っている。
その光が目覚めた時、岸辺の花も石も喜びに震えましょう。
街角では歓喜のアドバルーンがあげられることでしょう。
我々は舞姫の歌に聞きほれながら、列車の中に入った。
我々は銀河鉄道に乗って、おもいがけない人物を見ることになった。
マゼラン金属の取締役で虎族のフキという女だ。
その席にネズミ族の大柄の男と、キツネ族の官僚ぽい男とブラック惑星のタヌキ族の軍服を着た男が座っていた。
何かこの四人が一つの組み合わせのように、談笑しているのを不思議に思いながらも、我々はそこを少し離れた席に、座った。
不思議な邂逅だと吾輩は思った。
ハルリラが言う。「時々、ホトン語が聞こえる。彼らの会話だ。死語なのに、使うとは変だな」
ホトン語とはラテン語に似たアンドロメダ銀河の死語だと宇宙インターネットには書かれている。
「変だね。アンドロメダ銀河鉄道の共通語はサンスクリット語だ。それを使わないで、ホトン語を使うとは」とハルリラは言った。
吾輩はサンスクリット語もホトン語も全く分からないで、ハルリラの言うことにあまり注意を払わなかった。
しばらくすると、その我らの横に、僧の服を着た少し背の高めのほっそりしたライオン族の好男子が座っていた。彼は頭を坊主にしていたので、ライオン族特有のたてがみのような貫禄のある髪の毛と髭をそりあげてあるので、一見すると、ライオン族とは分からない。
ただ、目が大きく、鼻も口も大きい。ライオン族としては大柄というわけではなく、がっちりした逞しさが身体全体にみなぎっている。さらに彼にはどこか睡蓮の花を思わすような優しい品格が備わっていた。
ハルリラは何か魔法界の小さな器械を取り出して、いじっていたが、「あの人は
ミチストラモトだ。魔法界にまで名前は響いている有名人だ。『尽十方世界是一箇明珠』を考察した本を出している。座禅をするアンドロメダの修行僧だ」
彼は熱心に本を読んでいた。
出発した翌朝、ひと騒ぎが起こった。
車掌の知らせで「殺人事件」が起きたというのである。
車掌は興奮していた。この銀河鉄道でこんなことが起きたのは初めてのことで、列車には警察官も医者もそういう部類の人は誰もいないというのであつた。
死んだのはシンアストランの弟だった。これには驚いた。
ミチストラモトという僧が立ち上がった。
「どれ、わしが見てくるか」
しかし、犯人はこの列車にいても、犯人が名乗り出ない限り、逮捕は無理。
車掌は混乱していた。
その時、ミチストラモトが車掌に言った。「私がお手伝いしましょう。私は、昔、若い頃、警備会社に勤めていたことがあるので、何かのお役に立てるかもしれない」
ミチストラモトは少年のようにういういしい声で、目は宗教の長い修業によってつちかわれた天使のような洞察力に輝いていた。
しばらくすると、ミチストラモトはマゼラン金属の取締役で虎族のフキの横に車掌から借りたのか、折り畳みの椅子を広げて座って、
「何の商談なのですか」と質問していた。
「あなたには関係ないことですよ」とフキの隣のたぬき族の軍人が答えた。
「アンドロメダ銀河の惑星に住んでいる者ならば、無関係とはいきません。
ネズミ国は武器の極度に発達した国。
先程、死んだシンアストランの弟さんはわしも知っている。なにしろ、シンアストランはわしの若い頃の修行仲間。
中年になって、修行の中身は変わったが、シンアストランとは一年に一度は会う。その弟さんが車の会社に勤めていたのは知っていたが、
こんな形で死ぬとは解せぬ。」
「あなたは何の権限で、わし等を詰問するのか」
何時の間に、後ろに立っている車掌が「警察や検察の方がおりませんので、銀河鉄道法によって、車掌の裁量によって、この方に捜査を依頼したのです」
「なるほど」とタヌキ族の軍人が言った。
ハルリラが立ち上がって、言った。
「この人達は武器の商談をしていたのですよ」
「何だ。この男」
「駄目ですよ。ホトン語が分からないと思って、銀河鉄道の中で武器輸出の商談なんかしていては。ぼくはホトン語が少し分かるのです」
「しかし、わしらはあの男の死とは何の関係もない」
「でも、あなたの内、三人は寝台車で寝ないで、ずっと、ここで居眠りしていた。シンアストランの弟も向こうの車両で寝ていた。
多くの人は寝台車で寝るのに、わずかの人がこちらの席で寝ていた、詰問されるのは仕方ないことでしょう」
「何だ。この男」
「ぼくは夜、トイレに起きたので、寝台車からトイレに行くまで、この二つの車両を見て回ったので、
あの時刻に誰が車両にいたか、覚えているのです。
あの惨劇はぼくが寝室に戻ってからおきましたから」
吟遊詩人はハルリラの後ろに立って言った。
「それに、シンアストランの弟はブラック惑星で会ってきたばかりで、無関心にはなれないのです。彼が車のセールスと一緒にスピノザ協会と組む
アンドロメダ組合に熱心だったことを私は知っているのです。アンドロメダ組合は素晴らしいカント九条をわれらの銀河に普及させようと啓蒙活動をしています。我らの銀河に軍備の放棄と永遠の平和を約束するためにも、優れたカント九条が必要だったのです。
それだけに、彼は故郷のネズミ国の武器輸出に深い悲しみをおぼえ、なんとかしなくてはと思い、強い関心を持っていたのです。あなた方にとっては、厄介な奴が乗っていたと思ったに違いないのです」
「アンドロメダ金属の取締役で虎族のフキさんはあの時間つまり、夜中の二時ですね。寝室におられた。
しかし、キツネ族とネズミ族の男性二人、それにタヌキ族の軍人はここでしょ。」とミチストラモトが言った。
「彼はどこで死んでいたの」とフキが聞いた。
「トイレの前の洗面所ですよ」
「トイレなら、そこの男の人のように、皆、夜中だって行く人がいるのだから、私達にだけそんな風に尋問するのはおかしいのでは」
「その通りです。しかし、あなた方の商談とシンアストランの弟さんの動きは相反している。つまり、衝突する。つまり、あなた方にとっては邪魔な存在」
その時だ。アンドロメダ銀河鉄道の窓の外に、オオカミのような動物の形をした白い巨大な雲が広がったかと思うと、真ん中のあたりが霧の晴れ渡るように穴があき、銀色ににぶく光る列車が宙に浮かんでいるのが見えた。
「ネズミ族に滅ぼされたオオカミ族の幽霊検察列車が停まった」とタヌキ族の軍人が言った。
「そんなものある筈がない」とフキが強い調子で言った。
しかし、ネズミ族の官僚は真っ蒼になって、震えた声でつぶやいた。
「確かに。幽霊電車だ。ネズミ族に滅ぼされたことを恨みに思って、怨霊となって、ネズミ国のやることを邪魔しにやってきたのだろう。魔界メフィストがとりついているということがある。とすると、厄介だ。そもそも怨霊というのは、魔界メフィストの力がよく作用する。魔界の悪法によって、ヒトを裁こうとする。もしもメフィストの力がなければ、彼らは幻のように来るだけで、脅かすだけで何もできはしない」
虎族のフキはせせら笑っている。
「科学が発達しているだの、文明が極度に発達しているだのと言っているけど、
しょせん、ネズミ族ね。わたしら、虎族はそんな幻影みたいなものはびくつきもしないわ。
まあ、ともかく、私の話に乗った方が、ネズミ族の惑星にとってもいいことよ。」
ところが、幽霊列車の方から奇妙な霧のような白い煙が我らの銀河鉄道に向かってきて、窓から見る視界がひどく悪くなって、幽霊電車だけがその白い霧の中で鮮やかな黒い色彩でしばらく輝いていた。が急に幽霊電車は素晴らしい緑の邸宅のような形に変身して、天からは音なき雷の黄色い糸のようなものが降りてきて、拳銃を持ったオオカミ族の幽霊がその糸をたどっておりてきて、
緑の館に入り込んだ。それから、椅子を庭に持ち出し、そこで、彼らはこちらを眺め、珈琲を飲んでいるようだった。十名ほどいただろうか。その中に、知路がいる。緑色の目をした美しい服に身を包んで、すらりとした娘はオオカミ族の怨霊の中で、宝石のようにつくられた彫像のようだった。
フキは「ただの煙幕よ。放っておけば、消えるわよ」と言う。
ネズミ国の官僚は相変わらず、真っ蒼になっている。
42 脱原発
いつの間に銀河の野原の、緑の邸宅の周囲を巨木の菩提樹が二本おおいかぶさるようにはえている。
「見てごらん、あのコーヒーを飲むオオカミ族のヒトの幽霊を」とハルリラが言った。
吾輩はじっと見た。オオカミ族の亡霊の涙が珈琲の茶碗に落ちるその一滴に過去の栄光の影が映ったような気がした。が、吾輩はそれ以上に知路の緑の目に引き付けられた。それはまるで月の光のようではないか。その光が我らの吟遊詩人の方に向けられているような気がしたのは吾輩の思い過ごしか。
ぼうっと幻影のような色々な肌色をした顔立ちのオオカミ族の紳士。服は黒っぽいが透き通ったようなものを皆、着ていた。よく見ると、右手にコーヒー茶碗を持ち、左手に拳銃のようなものを持ち、お互い、相手に向けている。
「あれではオオカミ族が滅びたのも当然でしょう。それにしても、知路は何故あんな所にいるのだろう」とハルリラは言った。
ハルリラの知るところによると、アンドロメダ銀河全体の沢山の惑星では相当のばらつきはあるが、日本の明治初期程度の文明にやっとたどりついた所がいくつかある。もちろん、まだ原始時代など文明の段階に達していない所も多いのだが、中世や戦国時代に突入した惑星もちらほらあるらしく、中にはネズミ国のように高度の文明を持つところもいくつかあるという。
オオカミ族の惑星は文明段階に入って、かなりの科学技術も発達させていたが、ネズミ国の噂を聞くににつれ、自分の惑星の文明を一挙に高度化するためには、かねてから高度の文明を持つネズミ族の惑星から密かに、色々の文明の利器の情報を盗もうと画策していたという。
「科学技術を中心にした文明も大切だが、精神の豊かさをしめす文化の発達も大切」と吟遊詩人はハルリラの目を見ながら言った。ハルリラがうなづくと、詩人は微笑してさらに続けた「それに、この文明と文化がバランスよく発達することが、ヒト族の健全な進化にとつて必要だと思う。しかし、とかく、文明が発達して、物質が豊かになると心は貧弱になり、あくなき欲望のために、より物をほしがる、そうすると危険なのは争いが起こるということである。
そして、オオカミ族はネズミ国の情報を盗み取ろうとしたがゆえに戦争となり、崩壊したということだよね」と吟遊詩人は言った。
「その通りだと思います」とハルリラは答えた。
「このオオカミ族の滅びの道へ哀惜の情を以前、詩にしたことがある」と言って、吟遊詩人は歌う。
なにゆえに こころは 乱れ迷い 亡霊となる
銀河 霧深き天空の波さわぐ所
名も知れぬ巨木の幹の黒き肌に
いくつもの緑の葉が糸のように天に伸びている
しなやかな枝の伸びゆく空間のあたりにすみれ色の音がして
銀河の天空もオオカミ族の亡霊に満ち、狂えり
折しも かなたの星々の野原の上は
珈琲のにおう不思議なオオカミ族の墓の跡
名も知れぬ巨木の年輪の刻まれた太い幹に
りこうそうなリス一匹悲しき笛を持って立つ
珈琲から立ちのぼる白き蒸気はゆらゆらと幻となりて
そこに昔の雄々しき君ありし
オオカミ族の在りし日の君はそこにいる
ああ、栄光の日は過ぎ去り
幻影の亡霊となりて
あでやかに浮かびたつ昔の悪の道
何ゆえに わが心 かくも乱れ 君を悲しむ
「滅ぼされた者達の怨霊だけが残ったのだ。」とハルリラが言った。
地球の日本でも、オオカミは絶滅したことを何故か、吾輩は思い出した。
なにはともあれ、アンドロメダ銀河で、進化してヒトとなったオオカミ族という民族が滅びたのだ。
それを吟遊詩人が悲しんでいるのだろうと、吾輩は思った。
「ネズミ族は長い間、鎖国を国是としていたので、オオカミ族のそういう行動をキャッチして用心をしていたが、核兵器と原発の情報をオオカミ族に盗まれた。しかし、オオカミ族は科学の発達が未熟だったので、その情報をこなすのに、時間がかかる。
それでも、オオカミ族が着々と、武力の点で、いずれネズミ族と対等になろうという野心を持ったことに、ネズミ族は烈火のごとく怒ったようだ。」とハルリラは言った。
「ただ、オオカミ族のうちわ争いも深刻だった。ネズミ国から得た情報だけが一人歩きし、脱原発と反核を唱えるオオカミ族のヒト達は、推進しょうとする多数派から魔女のように扱われたのだ。脱原発・反核の側もある程度の人数がいたし、この両者の争いはオオカミ族の毛の色、大別すると白と黒とブルーと茶の四色なのだが、他にも戦略の微妙な争いということがあり、お互いにレッテル貼りが進み、その争いが絡み合い、時に嵐のように吹き荒れることがあった。
中には、脱原発の本を書いただけで、処刑されたヒトもいた」と吟遊詩人が悲しそうな表情で言った。
ハルリラは微笑して、「それで、ネズミ国はチャンスとばかりに戦争をしかけ、オオカミ族は、圧倒的なネズミ族の戦力に滅ぼされたようだ。気の弱いネズミ族が気の強いオオカミ族を滅ぼしたというのも奇妙ではあるが、アンドロメダ銀河の歴史に残る事実となったのである。」と言った。
「滅ぼされた怨念だけがこの銀河に残り、幽霊検察列車だと言って、アンドロメダ銀河鉄道みたいな優雅な旅をしている列車を邪魔する権力の権化になりはててしまったわけですね」と吾輩は言った。
「放っておくと、いつまでも我らの銀河にまつわりついて、いずれはピストルは我らに向けて発射されますよ。弾はここまで届きませんが、音だけは嫌な響きを我らのような優雅な旅を続けている者の邪魔をするというわけです。嫉妬ですね。嫉妬は人間性の中に深くあるのです」とハルリラが言った。
吾輩はこの話を聞きながら、地球の京都の哲学の道の近くに住む懐かしい銀行員のことを思い出した。そう言えば、彼が変人と言われたきっかけはどうも、彼が脱原発の小説を1997年頃に自費出版したことに原因があったらしいと、最近思うようになった。出すのが早すぎたというわけだ。
しかし、今や「脱原発は常識である」という声が吾輩の耳に届いたのは不思議だった。
猫である吾輩、寅坊を育ててくれた懐かしい銀行員の1997年頃の小説の「脱原発」のいくつかの文章が目に浮かんだ。
【そして、急に「ひどい」という声がする。その声の間延びした感じから、彼女が酒に酔っぱらっている感じがした。そしてしばらく沈黙したあと、ギターがなる。
そしてギターと共に、歌を歌う。聞いたことのない哀切なトーンの歌だ。その調子も酔っぱらって歌っている感じだ。
オラはさ、原発反対したのさ、
あれはさ、放射能という毒になるものをまき散らすからさ、
それなのにさ、飛行機より安全だと信じて、オラが間違っているのだとさ
驚いたよ 驚いたよ
それでオラは悪人にされてしまったのよ。
ああ、世の中、転がっていくぞ、どこへさ、
オラ 知らんよ。
親鸞様はおっしゃつた、自我は悪であると、ああ、本当さ、本当さ。
そのことが分かれば、人間は清らかになれる
美しくなれる
そうじゃないか
戦争の全てが自我と自我の衝突
平和の時の人の笑顔こそ宝さ。
そこまで、彼女が歌うと、急に静かになった。寝てしまったのだろうか。私の部屋の開いた窓から、美しい三日月が見えた。春が近いと思われる涼しく心地よい夜気が月の光と共に入ってきた。】
吾輩の耳には「良寛」の和歌も聞こえるのだった。
「かくばかり憂き世と知らば奥山の
草にも木にもならましものを 」
その時、銀色の竜巻のようなものが巻き起こり、もわっとした巨木のようなものが、現われたと思うと、黒い髭と四角い大きな目をした巨人に変身し、知路を手招きした。「メフィストだ」とハルリラは叫んだ。
知路はメフィストに対して首を振り、横笛をふいた。終わると、吟遊詩人が声を高らかに歌った。
43 真珠のようないのち
オオカミ族の一人が銀河鉄道に向けてピストルを発射した。花火のような音をたてて、幻の邸宅と銀河鉄道の間に、美しい大きな一輪の花をひらかせ、さっと、再び手の中にピストルがにぎられた。
「我々を脅かしているようですけど、一方で、我々を楽しませてくれているようにも思える。嫌がらせもあるかもしれませんが、滅びて幽霊となっても、オオカミ族の誇りというものがありますよ。
昔の栄華を懐かしんでいるのかもしれませんよ」と吟遊詩人が言った。美しい微笑の持ち主である詩人の心には、悲しむ者、滅びる者への哀惜の情があるに違いない。
吾輩は平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色」を思い出し、その花を思い浮かべた。
「そんな寝言はどうでもいい。オオカミ族の幽霊がピストルを持っているということが一大事なのだ。それが分からないのか。最初のは花火でも次は実弾というのが彼らの手口なのだ。我らネズミ族はあの戦法に随分と悩まされたのだ」とネズミ族の官僚は震える声で、そう言った。
「しかし、相手は幽霊よ。実弾といったって、幻のようなものよ。花火と変わりませんよ」とフキが言った。
「幽霊でも、実弾は実弾です」
「そんな幻影におびえているから、長いこと、鎖国なんかしていたんでしょ。
もっと、国を広げ、武器をわがヒットリーラ閣下のおられる惑星に輸出して下さいよ
そちらの高い工業科学技術も。
そんな風だから、こんな妙な坊さんに嫌疑をかけられるんですよ」と虎族のフキは言った。
「嫌疑は分かった。しかし、証拠がないだろ。ないのに、そのような詰問は無礼だ」ネズミ国の官僚はさらに震える声でそう言った。
「君達のお得意の戦法だろう。証拠が見つけにくいようにやるというのは」
「当たり前ではないか」
ミチストラモトは喋った。「確かに地上的な意味での証拠はない。君達の見ているのは金とネズミ王国の物質的な繁栄だけだ」
「それがどうしたというのだ」
「幽霊列車におびえているのは、君の顔にそれが出ている。
そんな幽霊列車はわしの一括で消してみせるわ」
「ハハハ。大きく出たな。出来るかどうか、やってみな。出来たら、君に少し協力しよう」とタヌキ族の軍人が言った。
ミチストラモトは「生死はみ仏の御いのちなり」と言ったかと思うと、カーと大声を出した。
その声はライオンの咆哮のようで、銀河鉄道から窓を伝わって、遠くへ響きわたった。
誰かが「王者の声だ」と言った。
不思議と白い煙も幽霊列車も消えていた。オオカミ族の幽霊も消えた。ただ、知路だけが樹木の木陰に隠れるように呆然と立っていた。
ネズミ王国の官僚は驚いたような顔をしていた。しばらくすると、知路は横笛を静かに吹いていた。
「ふん、味なことをやるな。
まあ、じゃ聞いてやろう。何を俺たちから聞きたいんだ」とタヌキ族の軍人が横柄な口調で言った。丸い目の中に驚きの表情があった。
「あの事件の起きた深夜、あなたは何をしていたのかね」とミチストラモトが聞いた。
「寝ていた」とタヌキ族の軍人が言った。
「私も寝ていた」とキツネ族の官僚が不愛想に言った。細い目をさらに細めた。
「秘書は ? 」
「秘書だと。そんな者は連れてきていない」とネズミ族の官僚は言った。
「ハハハ。すると、隣の列車に乗っている美人のネズミ族の女の子はアルバイトですか。彼女がシンアストランの弟に接近したのでしょ。そして、その珈琲カップにヒ素を入れた。そうでしょ」
吾輩は毒物のことはあまり知らなかったので、青酸カリとかアガサクリスティーのミステリーに出てくるタキシンとか、地下鉄サリン事件のサリンとか、有名な名前だけがぼんやり浮かぶだけだった。
「随分と飛躍した話だな」
「ネズミ王国は高度の文明はあるけれども、文化はない。みな金と権力の亡者ばかり。そういう連中は自分の持っている悪に気がつかない。自分の悪に気がつかない程、愚かなことはない、これは親鸞の教えの中にもある。
法華経の教えにもある。法華経の「如来寿量品」には「このもろもろの罪の衆生は 悪業の因縁を以て」と書かれている。
このヒトの悪は 犯罪を引き起こす。そして、やがて戦争を引き起こす。」
その時、どこからか風鈴の音が聞こえた。列車の中には、風もない、それなのに、風鈴の音がする。そよ風のように、ピアノの美しい音のように、花に宿る朝露の一滴が落ちる音のように、それは不思議にも、吾輩の心に響いた。
そして、真紅の丸い夕日が窓の外に大きく見えた。アンドロメダ銀河にもこんな瞬間があるのだと、吾輩は思って、感動した。
心なき身にもあわれは知られけり しぎたつさわの秋の夕暮れ【西行】
シンアストランの弟はネズミ王国の軍備輸出に反対のアンドロメダ組合に属していた。この組合はスピノザ協会とも連携をとって、ネズミ王国の鎖国から、武器輸出を作動させる虎族フキの陰謀を早くからキャッチし、これをくいとめんとしていた。
ネズミ王国はキツネ族の惑星とブラック惑星に、優秀な銃と原発に関連する技術を輸出しようとし、一方、マゼラン金属の取締役で虎族のフキは仲介の仕事をしていた。
シンアストランの弟はそれを阻止せんとする役割をになっていたようです。
彼らの情報を仕入れ、ブラック惑星に脱原発キャンペーンをはることを企画していた。
「君達がこれをかぎつけ、シンアストランの弟をこのアンドロメダ銀河鉄道に誘い出し、彼を殺し、商売の密談も一挙にやってしまうということで、このアンドロメダ銀河鉄道が選ばれた」とミチストラモトは言った。
さらに、ミチストラモトの話によると、シンアストランの弟ははめられたのです。シンアストランの弟を誘い出すのは 商売の密談がある、という情報をわざと彼のそばに流す。それで、彼は飛びつくようにして、この列車に乗った。フキとネズミ王国の官僚とキツネ族とタヌキ族の男が銀河鉄道に乗り合わせるという情報は正しいが、わざと流されたのです。おびきだすために。彼はいさんで、この四人の談合を阻止する狙いで乗った。
「刺客はネズミ族の連中だとわしは見当をつけた。この列車には十人のネズミ族の連中が乗っている。わしはあの飛び切りの美人に的をしぼって、この話を聞き出した。わしは警察でないから、これ以上は追及はせん。
ただ、これだけは言っておく。
彼は微量の砒素によって、殺された。こういう微量の砒素を薬のように包んで、持てる技術があるのはネズミ王国でなくては出来ないと思っている。あそこは優秀な科学技術が発達しているだけでなく、武器も極限にまで発達している。」ミチストラモトは喉の奥でうなるような声を低く出して、そう言った。ライオン族が真剣になった時の癖のようだ。
それから、ミチストラモトはべらべらと一気に喋ると、ほつとため息をつくような語り口をした。
その話の中身によると、
地球の日本という国での地下鉄サリン事件にヒントを得て、非常に小型化したものをネズミ王国はつくっている。あれはオウム真理教という宗教勢力が引き起こしただけに、世間を驚かせ、教祖の周囲に集まる弟子が理系の秀才が多かったので、何故だろうという不安が広まったことが
宇宙インターネットにも掲載されている。
「ネズミ王国の文明は魔界メフィストの悪の精神がよく染み込んだ惑星だった。核兵器の小型化と一緒に、砒素やサリンを小型の容器に納め、一種の兵器を作り出したことはわしも知っている。原発もお手の物。これを地震の多いブラック惑星に輸出するという計画もシンアストランの耳に入ったのだから、彼はそれを阻止せんという勇敢な行動をとろうとした。
それだけに、こういう紳士であるシンアストランの弟に砒素を使うとは、恐ろしいことだ。」と言うミチストラモトの目は悲しげだった。
ミチストラモトは一息つぐと、さらに少し声を大きくして続けた。
「たがな、君達の陰謀からアンドロメダ銀河を守ろうとする人達の勢力の方がはるかに、力が大きいということだ。それは愛の力。大慈悲心の力だ。わしの修行もやっとそこまで分かるようになった。銀河をささえているのは愛なのだ」
「何だ。それは目に見えないではないか」とタヌキ族の軍人が言った。
「目に見えない愛の力、大慈悲心の力がいかにこのアンドロメダ銀河で大きいか、君達は知らないだろう。魔界メフィストの悪の手先になって、満足していると、そうなるのだ」
さらに、ミチストラモトは話し続けた
「ネズミ王国に他の惑星のヒト族が入ることは鎖国が国是であるし、ネズミ王国の高度の文明をよそにもらしたくないという思惑がある。
しかし、武器だけは彼らのよりは少し劣ったものは輸出し、儲けたいという事情があつたのだろう。マゼラン金属の取締役で虎族のフキさんの方では、ここにキツネ族の官僚とブラック惑星のタヌキの官僚を集めて商談をしてしまえば、一挙にできるという思惑もあったのかもしれない。
しかし、それはアンドロメダ銀河にとっては、悪だ。」
「あなたはシンアストランと同じような力を持っている」とハルリラは言った。
かって、シンアストランが猫族の霊を馬族の先生の身体から追っ払ったことを思い浮かべたのだろう。
「真理は一如である。真理をめざし、修行を積めば、無明におおわれた幻影を追っ払うことが出来なければならない。」とミチストラモトは素晴らしく誠実な表情になって言った。
「わしは道元系の寺で、座禅をずっとやってきた。
まだ道半ばであるが、少し光が見えてきたからのう。
オオカミ族が滅びたのはやはりヒトが全てのヒトに罪を持つという考えがなかったせいではないかな。
罪の解釈は宗教的には真理に暗いという事だろうし、これを無明ということもある。そのことから、人に迷惑をかける行為や人を傷つける行為が出てくるのだから、いじめやハラスメントや悪口やストーカーも罪ということになる。ただし無宗教の人では、法律で罰せられる行為だけが罪ということになろう。
しかし、そうだろうか。人類の歴史以来、戦争が起きるので、人が人を傷つけることがいけないと思いがあり、日常の礼節が大事されてきたのではなかろうか。
ヒトはエゴの塊であり、組織もエゴの塊になる傾向にある。そこから、争いの火種がでてくる。法律の罪だけでなく、人類は宗教的な罪も考える時がきているのではないか。良心に恥じる行為をしてはいけないとか、卑怯なことをしてはいけないとか、いうのはヒトの心の法則だ。
エゴというのは人間の言葉がつくっている。ハクスリーが言うように、人間として生まれ落ちた時に、人の脳は減量バルブ【ヒトが生きるのに不必要なものを捨てる】となって、真如【真理そのもの、一如、法身】さえも
この娑婆世界で生きるのに必要なもののみが現象するようになった。
この脳こそ、理性とか感性としての役割をなしている。
しかし、このことによって、ヒトはエゴの塊となり、他者と対立するリスクを背負ったのだ。
本来は道元の言うように、全世界は一個の明珠である。分かるでしょうか。
南無如来と唱えてごらんなさい。座禅をしてみなさい。頭の中の妄想が消え、
風景と私との垣根が取り払われると素晴らしい世界が見えてきますよ。
宇宙はあるいは世界は、というべきか、それは真珠のような美しいいのちに輝いた珠であるということです。
それは生命そのものです。
神の霊そのものです。神仏そのものなのです。
法華経には「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して
しこうしていまし四衆の為に広くこの経を説くべし。
如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心これなり
如来の衣とは 柔和忍辱の心これなり」と書いてあります。
だからこそ、愛語が大事なのだと思います。人の悪口を言うのは宗教の精神ではありません。
汚い言葉を使うのは 魂の堕落した証拠。
本当の真実を実感できれば、言葉は、真理を指し示す指。それだけに経典の大切さが分かるではありませんか。又、経典を読んでも、堕落した言葉を使うのは、論語読みの論語知らずです。
だからこそ、修行も大切なのです。それはともかく、月という美しい真理を指さすのが神仏の言葉です。
実感して下さい。身体で知るのです。心身脱落です。
目覚めましょう。
座禅をして南無如来と唱えれば、世界は宝石のように美しいのです。
これに気がついた時、法然がおっしゃつたこと、親鸞がおっしゃつたことは真実であると実感しました。道元の座禅も同じです。」
吾輩はミチストラモトの表情の豊かな変化に魅せられ、静かな語り口と激しい語り口の入り混じる講釈に圧倒されていた。それでも、彼の口から、親鸞に似た考えが出て来ることに不思議な思いを抱いていたが、聞き終わると、それもまた又、当然のことなのかもしれないと納得するのだった。親鸞と道元は同じお釈迦様の悟りから生まれた深い教えなのだと。
ふと、吾輩はすっかり忘れていた知路を思い出し「知路はどこに行ってしまったのかな」と突然気がついたように言う。
「知路は我々が話に夢中になっている間に、消えたよ。美しい金髪の真ん中にかすかに見えていた銀色のつのがなくなると、緑の目が黒い目になり、黒髪になり、昔の知路に戻って消えた」とハルリラが答えた。
「彼女の笛と私のヴァイオリンの音色が神聖なものを呼び覚まし、メフィストの魔力を麻痺させて、知路の珠玉のような心が彼女を復活させたのだ。」
「え」と我輩は思わず感動し、知路は詩人を愛したのだ、それで、メフィストの呪縛から、解かれたのだ、真の愛には、魔界メフィストの力もなすすべをもたなかったのだと思った。
【了】




