第01章 流される男
一
スマートフォンのアラームが鳴った瞬間、白石拓真、三十四歳は、驚くべき精密さでスヌーズボタンを押した。
目は閉じたままである。手だけが、まるで長年連れ添った夫婦のように、画面の正確な位置を知っている。九分後、再びアラームが鳴る。また押す。九分後。押す。この儀式を三回繰り返し、四回目でようやく体を起こすのが、拓真の朝だった。
なぜ三回なのか。理由はない。強いて言えば、社会人一年目のとき、同期の飯田が「スヌーズは三回までが人としてのライン」と言っていたからだ。飯田はその後二年で会社を辞め、今どこで何をしているのか誰も知らない。しかし彼の残した「三回ルール」だけが、十二年経った今も拓真の朝を支配していた。
これが白石拓真という男である。
自分で決めたことが、人生にほとんどない。
起き上がると、カーテンを開ける前に体重計に乗った。これも自分で始めた習慣ではない。三年前の健康診断で保健師に「毎朝量って記録しましょうね」と言われ、断る理由を思いつけなかったからだ。
六十八・四キロ。身長百七十二センチにしては、悪くない数字に見える。ただし体脂肪率は二十六パーセント。いわゆる「隠れ肥満」というやつで、服を着ていれば普通、脱ぐと残念、というタイプの体である。記録用アプリには、三年分の几帳面なデータが溜まっていた。溜まっているだけで、何かに活かされたことは一度もない。
朝食は、食パン一枚とインスタントコーヒー。食パンは六枚切り。八枚切りでも四枚切りでもなく六枚切りなのは、母親が実家でずっと六枚切りだったからである。
ここまで読んで、お気づきだろうか。
白石拓真の人生には、「自分で選んだもの」が一つも登場していない。
スヌーズの回数は辞めた同期が決めた。体重測定は保健師が決めた。パンの厚さは母が決めた。ならばせめて、コーヒーの銘柄くらいは……と思うかもしれないが、これは近所のドラッグストアで一番目立つ棚に置いてあったものだ。つまり、決めたのは店の棚割り担当者である。
七時十二分、家を出る。
拓真の住まいは、都内から電車で四十分の郊外にある築二十六年のワンルーム、家賃六万二千円。会社まではドア・トゥ・ドアで一時間五分。この部屋を選んだ理由も、不動産屋のお兄さんが「白石さんには絶対ここっすよ」と言ったからだった。「絶対」の根拠は今もって不明である。
駅までの道を歩きながら、拓真はいつものようにスマートフォンで自社の株価をチェックした。
東邦精機工業株式会社。東証スタンダード上場、産業機械部品の中堅メーカー。従業員千二百名。拓真が新卒からずっと勤めている会社であり、そして──ここが重要なのだが──拓真の全財産の約八割が突っ込まれている会社でもある。
従業員持株会。
給与から天引きで自社株を買い続ける、あの制度である。拓真は入社一年目、総務部の先輩・熊沢さんに言われるがまま加入した。
「白石くん、持株会入っときなよ。奨励金一割つくから。天引きだから貯金苦手でも貯まるし」
「あ、はい」
この「あ、はい」が、十二年後にどんな意味を持つか、当時の拓真は知る由もなかった。最初は月一万円だった拠出額は、昇給のたびに熊沢さんが「増やしとく?」と聞き、拓真が「あ、はい」と答えることで着実に増え続け、現在、月々の拠出額は手取りの実に七割に達している。
手取り二十六万円のうち、十八万円が自社株へ。
家賃六万二千円を引くと、残りは一万八千円。
これが白石拓真、三十四歳の、一か月の生活費である。
食費、光熱費、通信費、その他すべて込みで一万八千円。もはや節約と呼べる次元ではない。「経済活動の停止」に近い。飲み会は月一回の部の定例だけ(これは経費に近い扱いなので参加する)。服は四年買っていない。旅行は七年行っていない。映画館の料金がいくらか、もう思い出せない。
なぜそんな生活が可能なのか。答えは簡単で、拓真には「お金を使いたいこと」が何もなかったからだ。
趣味がない。
欲しいものがない。
行きたい場所がない。
だから使わない。使わないから減らない。減らないから困らない。困らないから考えない。考えないから変わらない。見事なまでに完成された、無風の人生だった。
株価は千二百四十円。昨日より三円安い。
拓真は特に何も感じずアプリを閉じた。含み益がいくらあるのかも、正確には把握していない。持株会の残高通知は年に数回封書で届くが、開封せずに引き出しに突っ込んである。見たところで、どうせ売らないのだ。売る理由がない。売って得たお金の使い道が、思いつかないのだから。
ところで、拓真の朝の通勤には、十二年かけて磨き上げた技術体系が存在する。
七時二十六分発の上り快速。ホームの整列位置は、前から三両目の二番ドア。ここが階段からの人流の死角になっていて、比較的圧が弱い。白線の内側、点字ブロックの三枚目のタイルには、いつからか斜めのひびが入っていて、拓真はそのひびの真上に爪先を合わせて立つ。理由はない。強いて言えば、毎朝同じ場所に立つと、考えなくて済むからだ。
顔ぶれも、十二年でだいたい覚えた。名前は一人も知らない。知らないので、勝手にあだ名がついている。毎朝、発車一分前に全力疾走してくるスーツの男は「今日も君か」。文庫本を必ず二冊持っていて、気分で読み分ける女性は「二刀流」。ホームの端で毎朝ゴルフの素振りをする初老の紳士は「会長」。会長が素振りをしなかった日は、雨である。傘より正確だった。
電車が来る。ドアが開く。ここからは物理の時間だ。降りる人の斜め後ろに体を差し込み、流れに乗って半歩、車内に入ったら即座に九十度回転して、ドア脇の定位置へ。背中と壁の間にできる幅十五センチの空間。ここが拓真の、往復二時間十分の書斎だった。書斎で何をするかというと、何もしない。気配を消す。押されても押し返さず、踏まれても声を出さず、水のように圧を受け流す。同期の飯田はかつてこの技術を見て「白石、お前、満員電車の中でだけ達人だな」と言った。中でだけ、というところに、悪意のない棘があった。
つり革の上、車内広告が並んでいる。脱毛、転職、英会話、薄毛、結婚相談所、そしてまた転職。ある朝ふと、拓真は気づいたことがある。電車の広告というのは、乗客の不安のカタログなのだ。今のままのあなたでいいんですか、と、毛と職と語学の方面から毎朝問いかけてくる。十二年間、拓真はその問いを浴び続け、一度も答えなかった。窓の外には毎朝同じ川が流れ、同じ鉄橋が鳴り、誰もそれを見ていなかった。拓真も、見ていなかった。
二
「白石ぃ、これ今日中にいける?」
出社して三十秒後、営業部の田淵課長がやってきた。手には付箋まみれの書類の束。総務部の拓真の席は、なぜかフロアの入り口に一番近く、あらゆる部署の「ちょっとした頼みごと」が吸い寄せられる地形になっている。
「あ、はい」
「助かるわ〜。白石は断らないから好き」
田淵課長は満面の笑みで去っていった。「断らないから好き」。これは褒め言葉なのだろうか。冷静に考えると「自動販売機は文句を言わないから好き」と同じ構文である。しかし拓真は、この種の言葉をもらうたび、胸の奥がほんのり温かくなるのを感じていた。
頼られている。必要とされている。
それが、拓真にとっての報酬だった。給料よりも、昇進よりも、「白石くんに頼めば大丈夫」という一言のほうが、はるかに甘い蜜だった。
心理学ではこれを承認欲求と呼ぶらしいが、拓真の場合はもう少し重症で、「他人の承認」が人生の主食になっていた。主食どころか、主食も副菜も汁物もデザートも、全部が他人の承認でできていた。自分の「好き」は、いつからか献立に載らなくなった。
午前中は営業部の書類、昼休みは経理部の頼まれごと、午後は人事部の会議室予約の代行、夕方は誰のものかもわからない備品発注。
拓真の一日を、もう少し細かく解剖してみよう。
九時十五分、営業部の見積書の体裁修正(頼んできたのは入社五年目。体裁修正の方法を教えようとすると「白石さんがやったほうが速いんで」と言われる。速いのは、教わらなかったからである)。十時、会議室予約システムの調整。この会社では毎週火曜、四つの部署が同じ大会議室を予約しようとして衝突し、その調停はなぜか総務の、なぜか拓真の仕事だった。国連にも解決できない領土問題を、拓真は「じゃあ営業部さんは午前、人事部さんは午後で、機材はぼくが入れ替えておくので」という自己犠牲型の外交で、毎週解決していた。
十一時半、故障した三階の複合機と対話。この複合機は五年物で、機嫌の悪い日は紙を三枚同時に飲み込む癖がある。拓真は前面カバーを開け、緑のレバーを倒し、詰まった紙を破らずに引き抜く角度を熟知していた。メーカーのサービスマンに「白石さん、うち来ます?」と本気とも冗談ともつかぬ顔でスカウトされたことが、二回ある。
十四時、備品発注。誰かが付箋に「ホチキスの芯おねがい」とだけ書いて拓真の机に貼っていく。誰の付箋かは、筆跡で分かる。十五時、社内報の校正。十六時、来客用スリッパの補充。十七時、退職者の貸与品回収リスト作成。
一つひとつは、五分から三十分の仕事である。砂粒のような仕事だ。だが砂粒は、十二年積もれば砂丘になる。そして砂丘の上には、誰の名前の旗も立たない。評価面談で拓真の一年は、毎年「安定して業務を遂行」の一行に圧縮された。砂丘一つぶんの一行だった。総務という仕事は、極端に言えば「会社の雑用の集積地」であり、拓真はその集積地の中でも特に優秀な、いわば雑用のハブ空港だった。
十二時ちょうど、社員食堂。この時間の食堂は、日替わりA定食(この日は鯖の味噌煮)を求める列が窓際まで伸び、トレーの滑る音と味噌汁の匂いで満ちる。拓真の席は、決まっていない。決まっていないというのが、拓真の席だった。四人掛けのテーブルに三人連れが座ると、残る一席に「白石くん、ここ空いてるよ」と呼ばれる。拓真は社食における公共の相席要員であり、どの席に置いても風景を乱さない、人間の観葉植物だった。
この日は経理の大場さんと、庶務の川本さんの島に呼ばれた。大場さんは五十二歳、食後に必ず数独を一問解いてから席を立つ。川本さんは四十六歳、社内の人事情報が公式発表より平均六日早い。
「白石くん、聞いた? 三階の複合機、また紙詰まりですって」
「あ、はい。午後、見ておきます」
「ほらね大場さん、白石くんは即答なの。うちの旦那に爪の垢を煎じて飲ませたい」
「川本さん、旦那さんに煎じるほうの許可は取ったの」
拓真の役割は、この漫才の観客である。相槌を打ち、頃合いで笑い、複合機の修理を引き受ける。会話のボールは拓真の前を心地よく飛び交うが、拓真に向かって投げられることは、めったにない。投げられるのは、ボールではなく、頼みごとだけだ。それでも拓真は、この昼の三十分が嫌いではなかった。輪の中にいる、という感触だけは、あったからだ。輪の中にいることと、輪に加わっていることが、別の状態だと気づくのは、もう少し先の話である。
鯖の味噌煮は、今日も少し甘すぎた。十二年、少し甘すぎるままだった。誰も意見箱に書かないからである。意見箱の管理者は、拓真だった。
十九時半、退社。
二十時四十分、帰宅。
その少し前、最寄り駅の改札を出て、拓真はいつものコンビニに入る。自動ドアの音、いらっしゃいませの録音のような肉声、雑誌棚の前の高校生。拓真の巡回路は決まっている。まず弁当の棚。三百九十八円ののり弁か、四百三十円の唐揚げ弁当か。三十二円の差を三秒眺め、月曜と木曜はのり弁、それ以外は気分でのり弁、という運用で十二年やってきた。つまり、ほぼのり弁である。
夜のシフトの店員とは、もう四年の付き合いになる。名札には「グエン」とある。四年間で交わした言葉は「温めますか」「お願いします」「お箸は」「一膳で」の四種類、のべ推定二千回。世界で一番会っている人類が、世界で一番会話の少ない人類でもあるという事実に、拓真は気づかないようにしていた。グエンさんはのり弁のバーコードを通すとき、聞く前からレンジの扉を開けて待っている。あれはたぶん、優しさというより、記憶である。人は、変わらないものから順に、記憶されていく。
コンビニで買った三百九十八円の弁当を食べ、風呂に入り、スマートフォンで動画を三十分ほど眺め(何を見たかは翌朝には忘れている)、二十三時半に就寝。
以上。
これが白石拓真の一日であり、この一日を約三千回繰り返したものが、彼の社会人人生だった。
ちなみに、拓真の週末についても記録しておく必要がある。なぜなら白石拓真の日曜は、平日以上に、何もないからである。
起床は九時ごろ。平日の負債を返すような、質の悪い長い眠り。午前は洗濯と、部屋の申し訳程度の掃除。昼はカップ麺か、余力があればコンビニ。午後は動画。夕方も動画。動画の合間に動画。二十時ごろ、明日から仕事だという事実が、天井のあたりからゆっくり降りてくる。日曜の夜の憂鬱には名前までついているらしいが、拓真の場合は憂鬱というより、静かな帳尻合わせだった。何もしなかった一日の終わりに、何もしなかったことを薄々感じながら、感じきる前に眠る。
一度だけ、数年前の日曜に、ふと思い立って一人で映画館に行こうとしたことがある。駅まで歩き、上映時間を調べ、そして「一人で映画って、変じゃないか?」という誰のものでもない声に負けて、引き返した。誰も拓真の休日を見ていないのに、誰かに見られている前提で、休日の選択肢が削られていく。承認欲求という飼い主は、休みの日まで散歩の紐を離してくれないのだった。あの日、観そこねた映画のタイトルを、拓真はもう思い出せない。思い出せないことだけを、覚えている。
週末の唯一の定期便は、母からの電話である。だいたい日曜の二十一時、時報のような正確さで着信が鳴る。内容も定型化されていて、「ごはんちゃんと食べてるの」(食べている。のり弁を)、「彼女は」(いない。話題変更まで平均四秒)、「お父さんの血圧がね」(ここから七分)、「体だけは気をつけなさいよ」(締めの定型文)。拓真の返答は「あ、うん」「うん」「へえ」の三種類で、通話は平均八分四十秒で終わる。切ったあと、部屋は前より少し静かになる。母の電話は、拓真の一週間で唯一、業務でも頼まれごとでもない通信だったが、拓真はそれを「対応」していた。世界で一番心配してくれる人からの電話を、案件のように処理していたことに、このときの拓真は、まだ気づいていない。
三
事件は、五月の健康診断で起きた。
健康診断の会場は、本社ビル三階の大会議室だった。年に一度、この部屋はパーティションで仕切られ、白衣の人々に占拠され、廊下には検査着姿の社員がスリッパで列をなす。部長も新人も、検査着を着ればただの番号である。拓真の番号は五十七番だった。
採血のブースでは、毎年恒例の光景が繰り広げられていた。営業部の巨漢・堀田さんが、注射針を前に「ちょっと待って、心の準備が」と看護師に懇願している。トラックを素手で押すと噂の男が、二ミリの針に敗北する。人体の恐怖の配線は、筋肉量と関係がない。
拓真の血管は「いい血管ですねえ」と褒められた。今年で七年連続である。血管以外で褒められた記録は、社内表彰も含めて、特にない。バリウムのブースからは「はい、右向いてー、うつ伏せー、そのまま台が傾きまーす」という、遊園地のアトラクションめいた声が漏れてくる。あの白い液体と炭酸の粉を飲み、回転する台の上でげっぷを我慢する行為を、大人たちは毎年、無言で受け入れている。社会人とは、我慢の資格職なのだった。
「白石さーん、白石拓真さーん」
呼ばれて診察ブースに入ると、白髪の産業医が結果票を眺めながら、眉間に深い谷を作っていた。
「白石さん、あなた、おいくつ?」
「三十四です」
「そう。……で、この一年、何してました?」
「え? 仕事……ですけど」
「仕事以外で」
拓真は考えた。真剣に考えた。脳内の検索エンジンをフル回転させ、この一年の「仕事以外」を検索した。
検索結果:〇件。
「……寝てました」
「でしょうねえ!」
産業医は結果票をバンと机に置いた。
「肝機能、γ-GTP八十九。中性脂肪二百十。悪玉コレステロールも基準値オーバー。運動習慣なし、歩数は一日推定四千歩。白石さんね、これ、三十四歳の数値じゃないの。定年後に釣りもゴルフもやめちゃったおじいちゃんの数値なの」
「お酒、ほとんど飲まないんですけど……」
「だから余計に問題なの! 酒飲みのγ-GTPなら酒やめれば下がる。あなたのは生活そのものが原因。座りっぱなし、コンビニ弁当、ストレス、運動ゼロ。……ちなみにストレス発散って何かしてる? 趣味とか」
また来た。「趣味」。
拓真は口を開き、閉じ、また開いた。金魚のような動きを三往復した後、絞り出した。
「……株、ですかね」
「ほう、株! いいじゃない。どんな銘柄やってるの?」
「自社株です」
「うん、それで?」
「……以上です」
産業医は眼鏡を外し、ゆっくりと目頭を揉んだ。長い沈黙だった。壁の時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえた。
「白石さん。医者として言うことじゃないかもしれないけどね」
「はい」
「自分の勤め先の株だけ持ってるのは、趣味とは言わない。それはただの……なんて言うのかな。人生の一点賭けって言うの」
一点賭け。
その言葉は、なぜか胸の妙な場所に刺さった。健康の話をしに来たはずなのに、人生の話をされている。
「いいですか、白石さん。健康ってのはね、貯金と同じなの。若いうちは残高があるから、引き出しても平気な顔してられる。でもあなたはこの十年、入金ゼロで引き出し続けてきた。残高、そろそろ底が見えてますよ、という通知が、この結果票です」
産業医は結果票を拓真に差し出した。「要経過観察」の文字が、赤いゴム印で押されている。
「再検査とまでは言わない。でも、半年後の秋の健診で数値が改善してなかったら、産業医面談を正式に組みます。……最後に一個だけ聞くけど」
「はい」
「あなた、今の生活、楽しい?」
拓真は答えられなかった。
楽しいか楽しくないか、考えたことがなかったのだ。楽しさとは、拓真にとって天気のようなもので、自分でコントロールする対象だと思ったことがなかった。
「……考えたこと、なかったです」
「そう。じゃ、宿題ね。次までに考えといて。はい、お大事にー」
産業医は次の社員を呼んだ。診察はたった五分だったが、拓真はその五分で、三十四年分の何かを突きつけられた気がした。
四
その夜、拓真は部屋の真ん中に座り込み、めずらしく動画も見ずに、天井を眺めていた。
楽しいか?
好きなことは?
趣味は?
問いを頭の中で転がすたび、返ってくるのは静寂だった。まるで誰もいない体育館でボールを投げているような、虚しい反響音。
いや、待て。昔は何かあったはずだ。拓真は記憶の引き出しを乱暴に開け始めた。
小学生のころ──工作が好きだった。牛乳パックとゴムで作った船を、風呂に浮かべて遊んだ。あれは楽しかった。確かに楽しかった。
中学生──ラジオを聴きながら、ノートの端に漫画を描いていた。下手だったが、描いている時間は無敵だった。
高校生──友達に勧められてギターを買った。三か月で挫折した。でも、Fコードが初めて鳴ったときの、あの音。
ギターのことは、思い出すと今でも、指の先が少しうずく。
高二の夏、友人の島田に「バンドやろうぜ」と言われて、楽器店で一番安い一万九千八百円のアコースティックギターを買った。教則本の最初の関門がFコードだった。人差し指一本で六本の弦を全部押さえる、初心者の八割がここで挫折するという、あの壁。拓真の指でも、鳴らない。六本のうち二本が必ず、ぼす、ぼす、と詰まった音を出す。
三週間目のある夜、風呂上がりに何の気なしに握ったら、鳴った。六本、全部。ジャーン、という当たり前の和音が、部屋の空気を震わせた。拓真は誰もいない部屋で「おっ」と声を出し、もう一回鳴らし、もう十回鳴らした。あの夜の、指の腹の痛みと、弦の振動が木を通って腹に響く感じ。あれは間違いなく、拓真が自分の努力で自分のために手に入れた、人生初の音だった。
バンドは、結成前に消滅した。島田が受験モードに入ったからである。拓真のギターは「みんながやめたから」ケースに入り、ケースは押し入れに入り、実家を出るとき「置いていきなさい、邪魔でしょ」という母の一言で、拓真の人生から退場した。今にして思えば、あのとき「持っていく」と言えばよかったのだ。たった四文字だった。四文字が言えない人生を、そこから十六年やってきた。
大学生──……。
大学あたりから、記憶の色が薄くなる。「みんなが行くから」入ったサークル。「みんなが始めるから」始めた就活。「安定してるから」と親に言われて選んだ今の会社。
ああ、そうか、と拓真は思った。
おれは、いつからか「好き」を「みんな」に明け渡したんだ。
好きなことをやるより、人にどう思われるかのほうが大事になった。頼まれたら断らない。期待されたら応える。空気を読み、輪を乱さず、角を立てず。その代わりに得たのは「白石は断らないから好き」という、自動販売機への賛辞。
そして気づけば、財布の中身も、時間も、健康も、全部すり減って、残ったのは自社株の山と、γ-GTP八十九。
一点賭け、か。
拓真はのろのろと立ち上がり、机の引き出しを開けた。開封されないまま積み重なった、持株会の残高通知。一番上の封筒を、十二年目にして初めて、その場で開けた。
保有株数、四千八百二十株。
時価評価額、五百九十七万円。
「……ご、ごひゃく」
声が裏返った。想像の倍あった。手取り一万八千円で暮らしてきた男の傍らに、六百万円近い資産が静かに眠っていたのである。喜ぶべき場面のはずだった。しかし拓真の胸に湧いたのは、喜びではなく、薄ら寒い違和感だった。
この六百万は、何のためのお金なんだ?
使い道のないお金を、使い道のない人生の横に、ただ積んできた。しかもその全額が、自分の給料をくれる会社の株。会社が傾けば、給料と資産が同時に吹き飛ぶ構造。産業医の言う「人生の一点賭け」とは、つまりこういうことか。
スマートフォンが震えた。同じ総務部の後輩、宮下からのメッセージだった。
『白石さん、来週金曜、熊沢さんの送別会です! 幹事やってもらえたりします? 白石さんしかいないと思って!』
熊沢さん。拓真を持株会に導いた、あの先輩。定年を待たず、五十五歳で早期退職するという噂は聞いていた。
白石さんしかいないと思って。
いつもの甘い蜜。いつもなら反射で『あ、はい』と打つ場面。
だが、その夜の拓真の親指は、送信ボタンの上で、ほんの三秒だけ止まった。
──おれしかいない、って、本当か?
三秒後、結局『あ、はい。やります』と送った。人はそう簡単には変わらない。
変わらないのだが、この三秒の停止こそが、白石拓真の人生における、記念すべき最初の「自分の間」だった。後に拓真はこの夜を「人生のスヌーズを初めて自分の意思で止めかけた日」と呼ぶことになる。
一週間後の送別会で、彼の人生を根こそぎ揺さぶる事件が起きることを、このときの拓真はまだ知らない。




