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永遠の春  作者: 真魚
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第十章 生き菩薩 2

恭仁の宮は泉川の削った狭隘な谷間の北岸に築かれていた。

対岸の甕原と同じく甕の底のような地形である。その谷が西へ開けた先に舟橋が架かり、すぐ先の北岸に木津が設けられていた。川が大きく右手へと曲がる手前の淵の一画が網代で仕切られ、岸に堤が築かれて、巨椋の湖から井手を経て運ばれてきた丸太を浮かべていたのだ。


伏屋の群がる堤の畔は海石榴市の巷のようだった。


屋の前に壺を並べて糟酒や醤を商うもの。

 半切りにした丸太の上に魚を並べて干すもの。

 屋と屋の狭間に自然に生じた路の交わる辻では乞食が唄っていた。

 皆戸籍には名の乗らぬウカレども、「浮浪人」と記される巷の浮草どもだ。


人混みへと踏み込みがてら、帯刀の従者の小三依が馬上の私を仰いで囁いた。

「大人よ銭をお隠しなされ。浮浪人(うかれ)ども何を致すか判らぬ」

 鞍の横に垂らした銭の緒を前へと引き上げていると、不意にどこかから鉦の音が響いてきた。

途端、辻の乞食が欠けた歯を見せて笑った。



「おおいみな、施粥じゃぞ――! 行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の施粥が始まるぞよ――!」



 河原の方から声が響くなり、乞食どもが一斉に立ち上がり、各々の鉢を掴んで坂路を駆け下りていった。

 坂の下に思いもかけないものがあった。

夕陽を浴びる堤を背にして、階と廊と庇まで供えた六角堂が建っていたのだ。

「のう小三依、木津の河原にいつ堂が出来たのか?」

「はて、いつであろうか?」

 私は幻でも見ているのかと思ったが、幾ら瞬きをしてみても堂は変わらずにあった。


 廊に橡染めの衣を纏った禿頭の若い僧が立って、鈍い金色に耀く鉦を打ち鳴らしていた。前に塩屋で用いるような鉄の大鍋が焚火に掛かり、小僧二人が櫂のような柄杓で掻きまわしていた。

「みな並べ! 一人一椀ぞ!」

 廊の若僧が鉦を打つ手を止めて呼ばわると、乞食どもが喚くように応え、湯気を立てる鍋の前に列をなして並び始めた。

「……あの鍋から粥が湧くのか?」

 茫然と呟いたとき、背の後ろから聞き知らぬ声が応えた。


「湧きはせぬよ。穀を入れて拵えるのだ」


 声は笑いを含んでいた。

はっと顧みると、駒のすぐ後ろに、山梔子色の袈裟を掛けて鉄の鉢を抱えた老僧が立っていた。

老齢ながらも逞しい巌のような僧だった。赤銅色の禿頭が油で磨いたかのように艶々と光っていた。

「――御身が河原の生き菩薩か?」

「そのように呼ばれているようじゃのう」老僧が思いがけないほど白い歯を覗かせて笑い、顎をしゃくって堂の向きを示した。

「愚僧は行基と申す。上がられよ。栃餅を振舞おう」


 渋る従者に駒を預けて老僧の後に続くあいだ、鍋の前に並ぶ男たちがちらちらと視線を投げかけてくるのが判った。

青光りのする石の沓脱を踏んで廊から堂へとあがると、両開きの扉の内は官衙の小房さながらだった。

連子窓の下に長い机が据えられ、円い硯や筆や刀子や木の札が積みあげられている。奥に赤漆塗りの厨子があり、金銅の仏の坐像が収められていた。

「さてさて帰り着いたか。ところで御身は、よもや佐保大納言の嫡孫かの?」

「――菩薩の神通力か?」

 思わず問うと老僧が呵々と笑い、鉄の鉢を降ろして卓の前に胡座した。「その腰の剣に見覚えがあっての。坐られよ。愚僧に何用かの?」

「市で家人が耳にしたのだ。河原の菩薩を拝すれば一夜で宅が建つと。法師にはそのような通力があるのか?」

「一夜は難しいかの」老僧は喉を鳴らして笑い、鉢の底から黒ずんだ餅の片を摘まみだすと、土器に載せて厨子の前に供え、一片を私に差し出してきた。「食まれよ。なかなか甘い。銭は持参か?」

「一貫ある」

「宅は誰が求めているのだ? 衣の色からして御身ではなかろう」

「従四位参議摂津大夫の大伴宿禰牛養だ。私には祖父の父の同母弟の子にあたる」

「はてややこしや。菅の根のような所縁よの! では御身は参議大夫の馳せ使いか?」

「族の長老に請われたら援けぬ訳にもいくまい。大和の庄から奴を貸すと請け合ったが、田仕事に人手をとられてな。すぐさま召せる人足を捜しているのじゃ」

「幾人ほど?」

「五十名」

「その数ならば明日にも都合できよう。役の間の食は給されるのか?」

「使う奴に食を与えぬ家の長があるものか。あれば私が咎める」

「咎める? 御身、六位の地下であろう? それが参議大夫を?」

「宮の位階と家の内の立場はまた別のものだ。私は佐保の氏上、靫負の氏の子の上だ」

「氏上か。古式ゆかしいの!」

老僧が喉を鳴らして笑い、熟達の官吏のような手つきで木の札を削って古い字をそぎ落とし、筆をとって淀みなく文字を書きつけていった。

「これで違いないか?」

 濡れ濡れとした墨字の連なりに目を走らせてから返すと、老僧が札を膝に横たえてぽきりとへし折った。「では佐保の氏上よ、この割符の一片を参議大夫に渡せ。人足の頭にもう一片を持たせよう」

 呆気にとられたまま手を出しても老僧は割符を差し出さなかった。

気づいて銭の束を渡すと、まるで珠でも扱うような手つきで布に包み、卓の下の土器の壺に収めた。

ちょうどその時外からまた鉦の音が響いた。

「施粥が終わったようだ。しばし待たれよ」

 老僧が扉を開いて歩み出るなり、わっとばかりに歓声があがり、行基菩薩、行基菩薩と呼ばわる声が聞こえてきた。


 ――まるで氏上を迎えた氏の子のようだ。


 そう思うなり私は苛立ちを感じた。


 僧が右手をあげると声が更に高まり、下げると少しずつ静まっていった。やがてすっかり鎮まりきると油蝉の声が聞こえた。

そのとき私はようやく思い至った。

「――行基法師よ、御身は河原の浮浪人(うかれ)どもに勝手に労役(えだち)を課しているのか? 氏の上でもないものが、氏の子でもない者を気ままに使役しているのか?」

「日々の食を与えているのだ。食を得る手立てをな」

「そして法師は銭を得るのか?」

「施しには銭じゃ要る」

 老僧が微かな笑いを含んだ声音で応え、袈裟の襞の間から橘の小枝を摘まみ上げた。

「何処で手折ってきたものやら、珍しい散華があった」

 枝には脆そうな白い花が一輪だけ付いていた。

老僧が皿に水を差し、丹念な手つきで花を浮かべて厨子の前に供えた。「浮浪人、浮浪人と汝らは呼ぶが、河原の者はもともと遠国の良民よ。宮の三月の労役を終えても郷へ帰れぬ者どもが住まっているのだ」

「ならば何故帰してやらぬ。御身が壺に収める銭を与えればよいではないか!」

 堪えかねて声を荒げても、老僧はいっかな動じず、むずかる童子に眼を細める慈父のように笑った。

「それでは施しができまい!」

 私は何かが間違っているような気がしたが、何がどう間違っているのかは、どうしても言葉に出来なかった。

 ただ酷く苛立っていた。

 氏の子を守り、氏の子を使役し、餓えたら食を施すのは氏上の務めであった筈だった。


 それと同じことを目の前の法師が行っている。


 銭という不可思議な呪いのような何かの力で、同じことを行っているのだ。

 


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