第九章 淡海 2
西に淡海が開けてから幾らも進まないうちに横川の頓宮が現れた。
橘の大臣がここで一行と別れ、山背の恭仁の郷へと先にお発ちになった。
その地に新たな宮が築かれようとしていることをもはや疑う者はなかった。
翌日からわれらは淡海を右手にして大道を南へ進み、野洲を経て勢多の長橋を眼にした。
湖から南へ流れ出す瀬田川の面に刳り舟を並べ、上に板を並べて藤蔓で搦めた橋である。湖に近い右手に川津があり、筏に組まれたままの丸太が水面を埋め尽くしていた。
「田上山からの木材のようだな」同輩の石川広成が心得顔で呟いた。「此処から川を下って巨椋の湖まで流し、泉川を遡って恭仁の地まで運ぶのであろう」
「間には井手の川津があるな」
「遷都はやはり真かの」
「寧楽へはもはや戻らぬおつもりなのであろうか」
板の隙間から川面の伺える橋を揺らさぬように渡りながら私たちは囁き合った。
翌日に志賀の粟津の頓宮に着いた。
北西に日枝の峰の迫る湖畔の宮は小波の音が近かった。夜更けに弓弦を鳴らしに楼門へ上ると、日枝の並びの尾根上に三つの灯火が並んでいた。
「狼煙のようだ」
霙交じりの山卸に眼を眇めながら呟くと、広成が弓弦を引きながら笑った。「益荒男の末裔はさすがに喩えが猛々しいの! 志賀山寺の燈明であろうよ」
淡海の東の志賀山寺は壬申の日嗣争いの以前に建てられた旧い寺で、三峰にそれぞれ阿弥陀と弥勒と薬師仏を祀っている。
粟津に着いた二日後にようやく霙が止むなり、君はわずかの内舎人を伴ってこの寺を詣でられ、帰路に大津の宮の跡へと立ち寄られた。
古の日嗣争いの以前に栄え、浄御原の帝の軍勢によって焼かれた宮の古跡は枯れた薄の生い茂る荒野に変わっていた。朝堂の礎石であったらしい銀灰色の石積みだけが残って入日を浴びていた。
「――この岸が志賀の京か」
山寺へ詣でるためか、君はまるで喪のような白い衣を召され、何の飾りも垂らさない黒い冠を被っていらせられた。御手にされた射干玉の数珠から鮮やかな朱の房が垂れて、白い長い衣の裾から反りのある黒い御沓の先が覗いていた。
君はそろそろとした足取りで礎石の周囲を廻られ、辛うじて形を残した階をお上りになった。私たち供の内舎人ははらはらしながら後ろから従った。
階は苔生していた。
黒い御沓が崩れかけた縁を踏むと、微細な金の粉のような苔の欠片が砕け落ちた。
登りきると礎石の上は思いのほか高かった。右手に昏い淡海の水面が、左手に赤い空を背にした青黒い山並みが見えた。
「かの峰が志賀の御寺か?」
「そちらは日枝の峰かと」
背後から応えると、君が顧みられ、物陰に思いがけない獣でも見とめたような微笑を浮かべられた。
「またそなたか! 名は?」
「大伴家持と」
「大伴か。靫負の氏の子か」
「氏上でございます」
「氏上か。若いのう。志賀の御寺はどこに見えるのだ?」
「日枝の峰の左かと」
「また左か――」
君が額にお手を翳して対岸を見晴るかされた。
私は全身の血が沸き立つような歓びを感じていた。
君が私を判じてくださった。
数多ある内舎人のひとりではなく、この大伴家持として覚えてくださったのだ。
日枝の峰の左に起伏する三つの頂の縁が赤らんでいた。伽藍が入日を弾くのか、処々が幽かな金色に燦めいていた。
「おお、あれか家持?」
「はい君よ。あの三峰が志賀の御寺でございましょう」
「そうか――」
君は陶然としたお声で仰せられた。「見事な入日だのう。御寺が燃えているようだ……」
君よ、お望みならばいつでも燃やしましょうぞ――
私は心の中でだけ告げた。
君よ、ああ我が君よ。
君がお望みになるならば、私はこの手で寧楽の京であれ燃やすでしょう――
私はあのとき犬馬の忠を知ってしまった。
君が私を私としてご覧になった刹那、あのただ一度の刹那で、私の生涯の君は決まった。
犬馬の忠は恋と同じだ。
そこに理屈はない。




