第六章 子虫 2
禊を終えた子虫を内の長屋に上げ、同母妹に命じて新しい衣を調えさせた頃、草臥れきった面持ちの稲公がやってきてすぐさま厩へ向かった。主の顔を見るなり足踏みをして嘶いた桃花馬の鼻を撫でてやりながら稲公は事のあらましを話した。
「あれの殺したのは右兵庫頭を務める中臣宮処東人だ。政務の合間に二人して囲碁に興じていたらしい」
「では朋友だったのか?」
「右兵庫の史生の話では、初めは旧い知己のように気安げに見えたが、途中、子虫が不意に怒って刀を抜いたそうだ」
「あれがこの邸に逃れていることは?」
「誰も察していようが」
稲公が桃花馬の鬣を指で梳きながら応えた。「すでに内にいるからには知らぬ存ぜぬを通せばよい。五衛府の衛士には氏に所縁の部民が多くあろうし、中衛府に昔日の力はない。大伴の氏上の家の門をよもや破りはしまい」
稲公は己に言い聞かせるように話した。
厩を出ると外の門の扉が激しく叩かれていた。
すわ宮からの遣いかと背筋を強張らせたとき、外からよく知る男の声が響いた。
「門衛ども扉を開けよ! 名乗れと申すか戯けども、この声を聞き知らぬのか!」
「――古麻呂のようだの」
稲公がため息をついた。「唐に三年も学んだ才子が何故ああ姦しいか!」
外の門が開くなり馬を進めてきたのはまさしく古麻呂だった。
兵部大丞の官服のまま黒葦毛に跨った古麻呂は、私と連れ立った稲公に眼を向けるなりあからさまに眉を顰めた。
夕の頃までに主だった長老が顔を揃えると、私は燈を入れた主屋の板の間で改めて子虫と向き合うことになった。
子虫は冠を外して白い苧麻の衣に着替えていた。緒にまで血が染みていたのか、腰帯に巻かれた短刀の柄がむき出しになっていた。
「子虫よ、改めて問う。そなたはまことに宮中で右兵衛頭を斬り殺したのか?」
「ああ」
「何故そのような蛮行を?」
訊ねるなり子虫は唇を引き結び、目を逸らして低く吐き捨てた。「東人は長屋の大臣を嘲ったのだ」
子虫がその名を口にした途端、左右に居並ぶ長老たちが背を強張らせるのが判った。
長屋の大臣とは、壬申の日嗣争いの折に父の浄御原の帝のために先陣に立たれた高市皇子の御子である。武尊と呼ばれて慕われた父皇子の威光もあって若い頃から大いに栄えたが、その富貴を藤原四家の長に嫉まれ、朝廷を呪詛したと訴えられて討たれてしまった。私たち兄弟がちょうど筑紫に呼ばれた年の春のことだ。
「――私はむかし長屋の大臣に仕えていた。あの東人もだ」
子虫が俯いたまま云った。
「ではその東人というのは」私は気を付けて言葉を捜した。「嘲ったのか? かつて仕えた主を」
「ああ」
子虫が低く応えて拳を握りしめた。「嘲ったばかりではない。大臣に仕えていた時分東人は無位であった。それが大臣が討たれるなり外位とはいえ五位を授かりおった。五位だ。五位だぞ! 文字さえ碌に読めなんだあの東人が!」
五位という言葉を口にするなり子虫の貌が一変した。
目が血走り、歪んだ唇が戦慄き、端から白い唾の泡が噴き出した。
おぞましいほどの憎悪に歪んだ形相だった。
左端の古麻呂が眉を顰め、ありありと嫌悪をにじませた声で断じた。「故にそなたは佞人の位階を妬み、こともあろう宮中で蛮行に及んだのだな? なんと無思慮なことを! 氏上大人、この戯けを、よもや匿うおつもりではあるまいな?」
「では引き渡せというのか?」
右端の稲公が口を挟んだ。「古麻呂よ、唐国かぶれが昂じて大和の習いを忘れたか? 上を頼って逃れてきた氏の子を宮へ引き渡せと!?」
「黙りおれ衛門大尉。門部から聞いておるわ。上を頼って逃れてきた? そなたが若子を唆してわざわざ逃させたのであろうが!」
「古麻呂、口を慎め!」
私の右隣りから長老の古慈悲が咎めた。「すでに宮へと上がって位階を授かる氏上をいつまでも若子扱いするな。稲公も弁えよ。氏上大人に問われたことを何故そなたが応える。氏上大人、裁きを下されよ。この者を如何なさる?」
長老同士の言い合いに魂消たのか、子虫は呆けた面持ちでこちらを見つめていた。私は乾いた唇を舐めてから応じた。
「求められても宮には渡さぬ。だが邸にも置けぬ。京の妻子ともども遠国に移り住ませるのがよかろう」
長老たちの尽力のためか、子虫の身柄を宮から求められることはなかった。
しかし咎人は咎人である。一体どこへやったものかと苦悩していた矢先、古慈悲が思いがけない逃れ先を提案してきた。
「氏上大人、我が子の益立を憶えておいでか? あれは今鎮守将軍に随って陸奥で軍監を務めている。先だって帰京した折に話していたが、陸奥ではこの頃日高見なる大河を越えた先に新たな郡を築くために東国の良民を移り住ませているのだそうだ。適当な部民の戸籍をやって、あの子虫を陸奥へやっては如何か?」
「陸奥か。遠いな」
「なに益立の話ではそう悪い処でもなさそうだ。蝦夷がしばしば攻めてくるが城柵は未だ一つとして落ちておらぬらしい」
古慈悲はひとしきり息子の武勲を嘯いてから、後は任せよと胸を叩いて邸を辞していった。あとで知らされた話では、子虫は大伴部某なる名を与えられ、京の妻子ともども武蔵の良民の一戸に組み込まれて陸奥へと逃れていったらしい。
子虫の件が収まった後で、私はふと筑紫でみた父の嘆きを思い出した。
白梅の散る頃だったと思う。
父は服喪の白い衣で東を向いて跪いていた。
額を幾度も地面に擦りつけながら泣き咽ぶように叫んでいた。
――御子よ、高市の御子よ! どうかお許しくだされ、時は移ったのでございます……!
今から思えば父はあのとき、京で長屋の大臣が討たれたという報せを聞いていたのだろう。私と同母弟は、そのとき敢えて京から離されていたのかもしれない。




