表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

ドブネズミたちに捧げる歌8

■2227/04/28 15:26



 メーターの針がぶれるように、風のざわめきに合わせてジョセフィーヌもざわめく。

 いつもであれば、クエットサルミンに近づくほどに安心感が強くなる。なのに、どこか嫌な予感が拭えないでいた。嵐の気配が近いからか。

 ジョセフィーヌの速度で叩きつけられる空気に鉄の臭いが混ざり始めた。


「嫌な臭いがするな……」

『え?レオノーレ、なんか言った?』


 なんでもない、と返されたレオノーレの声は小さかった。

 鉄の臭い。嗅ぎなれたガラクタのにおいではない。ベルナディットの好きな鉄くずの匂いではない。ベルナディットの好きな、クリストハルトやジモンの手の匂いではない。

 どこか生臭い、嫌な臭いはバラダースの腐った海を連想させる。違う、クエットサルミンの海は、こんなにおいではなかったはずだ。


 ざわ、ざわ、と空気が揺れる。胸の内を、嫌な予感がぐるぐると回る。はやる気持ちか、アクセルを大きく開けて速度を上げた。だんだんと大きくなるコロニーのシルエットと、迫りくる嵐。鼻をつく生臭さ。

 先ほどまでの雰囲気が嘘のように、誰もが黙り込んでいた。ただとにかく、ひたすらに急いだ。


 ギィエエエ!


『うわ、びっくりしたぁ……鳥かぁ』

「……鳥」


 二メートルほどもある凶暴な鳥を追い越すと、ジョセフィーヌの音に怯えたのか、威嚇するように大きく鳴いた。ひとつ追い越し、ふたつ追い越し、そして気づく。


『ナーディ……なんで……こいつら、こっち向かってるの』

「わっかんないよ、そんなの……」


 死肉を貪る巨大な鳥は、そのすべてがクエットサルミンへと向かっていた。マスク越しでもわかるほどの、鉄と腐った臭い。わからない、とファイエットに言ったけれど、もう予測はついていた。それでも、それを口にする度胸なんて、ベルナディットは持ち合わせていない。

 間近に迫ったクエットサルミンと、その壁を壊さんとするかのように群がる鳥ども。もはや、コロニーの入り口まであれらを避けて走り抜けるなど出来そうにもなかった。


『ナーディ、アディー!突破するよ!』

「了解」


『アディーは進行方向のあいつらを仕留めて、ナーディはそのままゲートまで突っ切って!』


 左足のシフトペダルを蹴り上げる。高く唸るジョセフィーヌ、銃を構えるアディー、サードカーの上に立つファイエット。レオノーレは何かを耐えるように、ベルナディットのジャンバーにしがみついていた。

 鋭い発砲音と共に、汚い悲鳴を上げる鳥。進行方向に倒れたそれを避けるようにハンドルを切る。


『オラ、邪魔だ!』

「ちょ、ファイエット!あっつい!」


 ファイエットの振り回す魔改造警棒が鳥の頭を殴った拍子にベルナディットの前髪をかすめた。じり、と髪が焦げ付きそうな熱気に軽くのけぞりつつ、ジョセフィーヌの左側面で鳥を弾き飛ばす。前方はアディー、右側面はファイエット。できれば左側面はレオノーレに担当してほしい。その当の本人は、ベルナディットにしがみついたままで役に立ちそうもないけれど。

 徐々に迫るクエットサルミンのゲート。そこに群がる三頭を、アディーが的確に撃ち抜いた。


「アディー!ゲートの認証、機能してる?」


 目をこらしてもベルナディットの視力では判断がつかない。ちんたらとフィールドスコープを覗いている暇などない今、アディーの視力だけが頼りだ。


『ん、んー……し、て……る!』

「おっしゃ!ゲート開くまで、ふたりで頑張れ!」


 ベルナディットたち一団を敵と認識した鳥どもがこちらに迫ってきている。のんびりゲートが開くのを待っていればこちらが怪我をしかねない。しかもこれだけ大量に群がっているのだ。ゲートが開いたすきにコロニー内部に入り込もうとするやつもいるだろう。クエットサルミンに群がる鳥は数十、否、数百はいるだろうか。怪我どころじゃない、か。

 クエットサルミンのゲートがぐんぐんと近づいてくる。アディーの発砲音と、ファイエットに殴られた鳥の断末魔。ギリギリまで速度は落とさない。


「ファイエット戻って!急停止するよ!」

『ラジャ!』

「レオノーレは全力で!掴まれ!落ちるなよ!」


 速度を落としたことで距離を詰めて来る鳥を、アディーが狙い撃つ。動くジョセフィーヌに乗りながら、よくもまぁ動く的を狙えるものだと常々感心する。が、今はそれどころではない。ベルナディットがハンドル操作を誤れば、鳥に襲われて死ぬ前に、四人ともこのまま天国行きである。

 エンジンブレーキを効かせながらゲート開閉用の認証パネルに左腕を伸ばす。急な減速で前のめりになりそうな重心を、体中に巡らせたオルドの強化に頼りながらなんとか耐える。腰にしがみつくレオノーレが邪魔でしょうがない。

認証パネルからゲートまでおよそ十五メートル。ジャンバーに仕込まれたチップがパネルに触れる直前に、ハンドルを切りつつフロントブレーキを握りこむ。パネルにチップがかすめた。


 認証ランプが赤から緑へと変わる。


『どぉぅわ!お、ちる!』

『あははー!やば!』


 後輪が滑り、サイドのふたりをふりまわす。ぐっと身体ごと傾けながら、ブーツで地面を擦った。まるで駄々をこねるように暴れ狂うジョセフィーヌのケツを抑え込む。

 フロントを軸にサイドを大きく振りながらなんとか停まった瞬間、まるで構えていたかのようにアディーとファイエットが鳥どもを撃ち落とし始めた。ガシャンと小気味良い音と共に、アディーがマガジンを入れ替える。

 アディーのように寸分違わず急所を狙えれば、このお粗末な銃弾ですら獣の命を奪うことが出来る。けれど、銃弾が粗末な分だけ、射撃の精度もまた落ちるものだ。ファイエットの撃ち漏らした奴らが、次第にこちらへと迫り始めた。


『ナーディ、まだ!?』

「あと少し!」


 じれったいほどの速度で、ゲートが上がる。ハンドルを切り替え、上がっていくゲートを見つめる。あと少し、あと少し。


『うあ、ごめん、アディー!』

『だいじょうぶ』


「いくよ!かがんで!」


 重たいジョセフィーヌを引きずるように、ゲート内に侵入する。ゲート作動中に侵入したことで、ビー!ビー!と鋭いアラームが鳴り始めた。鳴り響くアラームの中で、アディーとファイエットは鳥に向けて威嚇と射撃を続ける。


「停まる!援護よろしく!」

『了、解!』

「レオノーレ、手離して!」


 ジョセフィーヌのリアが完全にゲートをくぐったことを確認して飛び降りた。そのままゲート横の緊急閉鎖ボタンまで走る。


 ゲート作動中の事故を防ぐため、普段はゲートが完全に開閉を終えてからでないと次の開閉作業は出来ないように設計されている。緊急閉鎖ボタンは、今のような緊急事態に備えてつけられた機能だ。ベルナディットの記憶が正しければ、赤が緊急停止ボタン、黄色が緊急閉鎖ボタン。十七年間、クエットサルミンの一員として生きてきて、このボタンが使われたのは今を除いてただ一度きり。その記憶も、もはや遠い過去のこと。


 ゲート横のボタンまであと数歩。ぎらつくような鳥の大きな瞳と、確かに目が合った。カッと開いたクチバシからのぞく、グロテスクな口内。そのクチバシはベルナディットが伸ばした腕に向かっていた。

 でも、足も手も、ベルナディットにはもう止められなかった。


「ベルナディット!」


 ゲートの向こう側、指が黄色いボタンを押し込んだのと同時に、凶悪な顔をした鳥の頭が真っ赤な血しぶきを上げて吹き飛んだ。

 開こうとしていたゲートが事切れたかのように、ダン!と大きな音をたてて落ちる。鉄扉の外で、止まることのできなかった鳥どもが何体も何体もぶつかってくる。揺れるゲートと、音と、振動。鳥の頭が間近で吹き飛んだ光景が、目の奥に焼き付いていた。


 ドス、という鈍い音が自分の尻から聞こえたことで、ようやく腰が抜けたことに気が付いた。


「ナーディ!」

「ファ、イエット……間に合った?」

「うん、うん!あー……良かった、ナーディ、もうダメかと思った……ごめん、あたしが撃ち漏らしたから……」


 ゲートはいまだ鳥どもの猛攻で振動を続けている。けれど、固く閉ざされた扉はそんな衝撃ではびくともしないほど、大きく、強く、ベルナディットたちを守っていた。


「最後のあれ、なに……?アディーのライフルじゃ、あんなことにならないよね」

「あー、あれは」


「ベルナディット。大丈夫か」


 大丈夫か、大丈夫でないか。その二択であれば、どちらも、だ。命は助かったので大丈夫だけれど、腰が抜けているため大丈夫ではない。

 レオノーレが差し出した手を何故かアディーが払いのけて、地べたに座り込んだベルナディットをぎゅっと抱きしめた。長い腕に拘束されて息が苦しい。苦しいけれど、苦しいなんて言いたくないほど、幼馴染の腕の中は安心できる。


「一番カッコいいとこ、レオノーレにもってかれたぁ。私がナーディを助けるはずだったのに」

「あは、あはは、ありがと、アディー。撃ち落した数だったらアディーが一番でしょ」


 うん、と頷いたアディーの髪が耳元で揺れた。硬い防護マスクが触れ合って、無機質な音をたてる。鼓膜にはまだ、ジョセフィーヌの音と射撃音、鳥どもの断末魔が残っている。頭を吹き飛ばされたあいつは仲間にその身体を貪られるのだろう。想像もしたくない。

 レオノーレの手に握られていたのは、以前、念のためと渡していた元オモチャの魔改造ハンドガンだった。


「レオノーレが助けてくれたんでしょ。ありがとね」

「いや、まあ、その……あそこまで派手に飛ぶと思わなかった……」


「はは、言っとくけど、あんな機能つけてないからね」


 ハンドガンを渡したときの試し撃ちを思い出していた。あの時も、撃たれた野犬は想定外の倒れ方をしたのだ。

 レオノーレ曰く少量のEECをこめて撃ったのだというが、あの小さな弾にそんな芸当ができるとは到底信じられなかった。あまりにも繊細な作業を、いとも簡単にやってのける。


「でも、頭がはじけ飛ぶって、はは、あははは、本当に天才かよ!」


 無理やりひねり出した笑い声が、静かなクエットサルミンに響く。笑ったのは安心したから。笑ったのは、目を背けたかったから。誰一人として振り向かなかったのは、振り向けなかったから。



 誰も生きていないだろうことなんて、最初からわかりきっていた。



■2227/04/28 16:05



 防護マスクは外せなかった。

 空気浄化システムに異常があったわけではない。システムは問題なく稼働していた。


 酷い臭いだ、と言葉にすることもできない。死肉を貪る鳥どもが集まってくるほどの、死臭。

 大量の鳥がクエットサルミンに向かって走っていた時から、もうすでに予感はあった。鳥が集まるところには必ず死骸がある。それが、クエットサルミンでは常識だから。そして、鳥の数が多ければ多いほど、その食料もまた豊富に転がっている。


 ジョセフィーヌを低速で走らせながら、町の中を巡る。アディーとファイエットは構えた銃を降ろさない。人の気配など、もはやありはしない。しかし、警戒を怠ることもできない惨状。

 野営荷物を降ろしたジョセフィーヌは今、大きな台車をけん引していた。


『……あ』

「代、表」


 クエットサルミンの中心にほど近い、集会場。そこへ続くメインストリートの真ん中にラオがいた。

 倒れ伏せているラオと、その背に覆いかぶさる少年。まだ七つになったばかりだった。折り重なるふたりの周りには黒い血だまりが乾いて、地面に汚いシミを残している。遠目でもわかる腐った肉体は、ふたりが生きていないことを明白にしていた。


『いこう、アディー』

『うん』


 サイドカーから飛び降りたふたりが、ラオと少年の元へと歩み寄る。まるで感情など無いのだというように、冷静に、淡々と、ふたつの骸を台車へと乗せた。また、ジョセフィーヌが重くなる。


「集会場でいいかな」

『そうだね』


 台車に乗せた死体は、これで何人目だろう。

 クエットサルミンの住民はおよそ二千人程度しかいない。たった二千人の集落だが、それでも二千人もの人間がいた。住民の数にしては骸が少ないことが、唯一の救いだった。きっと多くの人間がコロニーの外へと逃げたのだろう。


 台車に乗せた数名の遺体を集会場の床に安置しているときでさえも、ベルナディットたち三人は無感情のふりをしていた。


「私、兄ちゃんの車つかう」

「じゃ、あたしはジモンのバイク借りるわ」


「了解。レオノーレは?どうする?」


 集会場へたどり着くまでのあいだ、レオノーレはずっとベルナディットの肩に顔を埋めたまま、うんともすんとも言わなかった。ただ、腰に回された腕だけは小刻みに震えていたけれど。

 そのレオノーレは、いまもベルナディットのジャンバーを掴んでうつむいている。


「まあいいや。私が連れてく。こんな状態だし」


 静かに頷いたふたりに、ベルナディットも頷き返した。


 どうしてこんな状況に、だれがこんなことを。どうして、は分からないけれど、誰が、は一目瞭然であった。台車に乗せてきた死体の半分は、グレーの軍服を着たネオであったから。それは、レオノーレがまとう服と同じものであったから。

 けれど、嘆きも、怒りも、発露すべきは今ではない。ベルナディットたちは生きている。生きなければならない。


 生きているから、生きねばならない。


 クエットサルミンに群がる鳥どもは、この死体たちから漏れ出る死臭を嗅ぎつけて集まってきた。それらをどうにかするためには、コロニー中の死体を処理しなければならず、それをしなければいつまで経っても、クエットサルミンに閉じ込められたままなのだ。だから、嘆きも怒りも、今じゃない。今であってはいけない。

 死体の腐敗具合から、敵がコロニー内部に残っているとは考えられない。生存者も、また同じく。しかし、敵が中心部に入り込んできたにも関わらず、ゲートの認証や浄化システムは生きていた。それがどういった意味を示すのか分からない現状、とにかくコロニー内の様子を把握する必要があった。


 クリストハルトの車でアディーが中心部を周り、台車をけん引したジモンのバイクでファイエットが南部を、そしてベルナディットが北部と外周を。三人で、日が暮れるまで死体を探しては、集会場に積み重ねていく。

 ファイエットの担当した南部は製塩などの工業エリアであり、クエットサルミンの中でも人が多く集まる場所であった。しかし、見つかった遺体は少なく、そして戦闘の痕跡もほとんど残っていなかったという。ベルナディットが周った居住エリアの北部も、同じような状態だった。遺体は少なく、その代わりに敵が生き残りを探して荒らした様子だけ。家のなかに隠れ潜み、結局見つかって殺されたのだろう。女や子どもの亡骸が多かった。そのどれもが、顔を知り、言葉を交わしたことのある者たち。


 レオノーレだけが、ただただ、震えていた。



■2227/04/28 21:47


無感情であれと努めても、身体に疲労は蓄積していく。ジョセフィーヌのバッテリーが尽きてようやく、ベルナディットは捜索を打ち止めた。


 戦闘の痕跡がもっとも酷かったのは、やはりゲートから中心部にかけてであった。知人の腐敗死体を集める作業など、肉体も精神も、疲れぬわけがない。アディーの疲労が目に見えて酷かった。

 集会場から少し離れたところにジョセフィーヌを停め、牽引車から最後のひとりを降ろす。レオノーレはもうずっと、サイドカーのなかで膝を抱えている。死体を運ぶたびにオルドを駆使していたのだ。ジョセフィーヌもバッテリーどころか、ベルナディットの体力も限界だ。

 集会場の広場は酷い有様で、床に並べきれなかった遺体が山のように積みあがっている。腐敗が進んでいたために、下の方に置かれた身体は崩れてしまったかもしれない。積み上げられた死体の数は六百を超えている。


 抱えた最後のひとりを、無造作に投げ捨てる。グレーの軍服を着た、ネオの男だった。


「……ナーディ」

「……ん?」


 積み上げられた山の前に座りこむアディーと、その横に立つファイエット。ふたりの前に、山とはべつに遺体が並べられている。

 呼びかけてきたファイエットに返事をしたものの、そこに近づくことが出来なかった。足が動かないのだ。あの並べられた遺体が誰のものかなんて知りたくない。


 居住エリアや外周を走りながら、ベルナディットだって探していた。けれど、どうか見つかってくれるな、と、ずっとずっと、考えていたのだ。


「ナーディ、おいで」

「……やだ」

「顔見んの、これが最後だよ」


 やだ。いやだよ。いやに決まっている。

 なのに、それなのに、動かなかったはずの足が勝手に“ふたり”の元へと向かう。ファイエットのせいだ。ファイエットが最後なんて言うから。


 クリストハルトとジモンも、やっぱり酷い状態だった。


 内部から腐った身体は、その肉を溶かして体外へと漏れ出す。穴という穴から体液を垂れ流し、着ていた服を真っ黒に染め上げる。クリストハルトもジモンも、目の前にそびえる死体の山となんら変わりはない。やがて骨へと還る、ただの肉だ。


 アディーが、クリストハルトの顔を拭いたから、ベルナディットはジモンの顔を拭いた。顔の下半分はすでに崩れかけ、ダサい欠けた前歯が覗いている。


「こんなときまで男ふたりで死んでじゃないよ、バーカ」


 そう言ったのはファイエットだった。


「そんなんだからお嫁さん見つからないんだよ、兄ちゃんたち」


 そう言ったのはアディーだった。


 死体の山に、ジモンに、クリストハルトに、羽虫がたかる。それらから湧いた蛆虫が、ベルナディットのブーツを這う。

 拭いたところで、ジモンの顔は綺麗になんてなりやしない。どうせベルナディットだって綺麗じゃない。はは、ジモンの顔ももともと綺麗じゃなかったね。

死臭の移ったベルナディットにだって、羽虫がたかる。


「……あのね……あのね、ジモン」


 あのね、ジモン。


「ジョセフィーヌの燃費が悪くてさ。四人乗せて走った感じ、たしかにパワーは上がったんだけど、もうね、燃費が悪すぎて半日ももたないの。どうしたらいいと思う?もう結構長いこと乗ってるし、そろそろEEチャージャーとかエンジン部も弄らないとダメかな」


 ジモン、ジモン、あのね。


「なんで無視すんの、ジモン」


 ねえ、ジモン。


「ねえ、クリストハルト。ジモンが無視する」


 ねえ。ねえってば。


「なんでクリストハルトまで無視すんの」


 ぐい、と腕を引かれた。アディーは、ぼろぼろと泣いている。防護マスクの縁に涙がたまって、どこかへ流れ落ちた。


「もういいよ、ナーディ」

「な、にが……もういいって……」


「ナーディ……兄ちゃん、死んじゃった」


 アディーの眉根がぎゅっと寄って、また涙が零れ落ちる。大粒の涙が、いくつも、いくつも。

 ファイエットとアディーに手を引かれて集会場を出るまで、何度も何度も、なんども、振り返った。冗談だよって、ジモンが立ち上がるかもしれないから。無視なんてしてねぇよって、クリストハルトが笑うかもしれないから。


 なのに、ふたりの身体は何回見たって、やっぱり腐っていて、蛆虫のたかる死体でしかなかった。



 集会場を出た先に待っていたのは、EECが飛び交ったであろう惨状と、遺体から零れ落ちた腐った体液ばかり。どうやったって、これは現実なのだ。


 ぐっと腕ごと身体を引かれて、アディーとともにファイエットの胸におさまった。きっと、ふたりのマスクが当たって痛かっただろう。でも、ファイエットは生きていて、大切な大切なアディーとファイエットはまだちゃんとここにいて、それが、それだけが、本当に。


 抱きしめられた腕の中から見たファイエットは、ひどく苦しそうに笑っていた。


「ばいばい。クリス、ジモン」


 背中に、ぶわっと強い熱気を感じて、咄嗟に振り返る。集会場が、ジモンとクリストハルトが、ラオが、みんながいた場所が、大きく燃え上がる。


「あ、ああ、あぁぁ」


 燃えている。煌々と、赤く。ごうごうと、もくもくと、真っ黒な煙をたてて、燃えている。ファイエットの炎が、集会場を、近くの建物を、巻き込むように燃えていく。

 火災を探知して、コロニーの天井部からスクリンプラーの雨が降り始めた。排煙機構が作動し、夜空へと煙が舞い上がる。


「……言ったじゃん……ふたりが言ったのに!ジョセフィーヌの改造するときは俺らも呼べよって!ジモンが言ったんじゃん、いつか空飛ぼうぜって!クリストハルトが言ったんじゃん、ジェットエンジン作ろうって!できないよ、そんなこと!私だけじゃできないよ、ふたりがいなきゃできないよ……」


 ファイエットの胸の中で泣いた。アディーも泣いた。抱きしめてくれるファイエットも、泣いていた。それでも、ファイエットは巨大な墓場を燃やし続けた。

 スプリンクラーの雨は降り続ける。ドームのなかに充満した煙で、目に染みたのだろう。クエットサルミン中に、スクリンプラーの雨が振り続ける。予備水槽が空っぽになるまで、クエットサルミンは泣く。

 すべてが骨に還るまで、体内のオルドが空っぽになるまで、ファイエットは炎を絶やさなかった。


 天災が大地の怒りだと言うのなら、時々は優しいときもあるのだろう。

 悲しみに暮れるドブネズミを労わるように、嵐はクエットサルミンを避けて行った。


Tips:


鳥:クエットサルミンからバラダースにかけてよく見かける卵生の有翼脊椎動物。長い首と長い脚が特徴。クチバシは鋭いが歯はない。全高およそ百センチメートルから百二十センチメートルの大型鳥類である。前肢の翼は退化しており、旧時代の鳥類のように飛ぶことはできない。地上を駆ける速度は、クエットサルミン周辺に生息する動物の中で群を抜く。時速三十キロメートルから四十キロメートルで走るため、一般的なEE機関搭載車と並走するどころか、追い抜くことも可能


鳥:非常に獰猛であり、ひとたび脅威と認識されるとどちらかが死ぬまで追いかける。動物や人間の死骸を好んで食すため、人間たちには嫌われている。しかし、その身体を覆う羽毛や、大きな卵はフォーマーたちの貴重な資源にもなっている


鳥:鳴き声がうるさい


フロントを軸にサイドを大きく振り回して停車:ドリフトしながらの停車。できると格好いい。金田のバイクスライドブレーキではない


アディーの射撃:うまい


レオノーレのEEC:天才的に繊細で器用


クエットサルミンのスプリンクラー:それはまるで彼らの涙であった



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ