プロローグ・1-1
全体的に行間を調整しました。
夕暮れが訪れ、薄暗い森の中。
茶褐色の肌をした小さな人影は必死にその短い両足を動かしていた。
彼の心臓は死の恐怖に駆られて早打ちし、息も絶え絶えながら何度も背後を振り返った。
「ニゲロ、ニゲロ!」
彼は自分に言い聞かせた。
疲労に足を止めようと考えるたび、仲間たちの最期を思い出し、流れ出る汗に冷たいものが混じる。
ふと、幼い子供たちのはしゃぐ声が風に乗って聞こえてきた。
この低木地帯を抜ければ彼の巣穴。 逃げ込んでしまえばこれから訪れる闇夜の中で追跡者が彼らを見つけるのは不可能だろう。
仮に見つかったとしても、岩の窪みが危険や追跡者から身を守ってくれる。
そうして、低木をかきわけながら力を振り絞って駆け込もうとしたその瞬間。
背後から「パンッ!」と何かが破裂するような轟音が森を震わせた。
瞬間、何かが彼の左肩を貫通する。 肉を焦がすような鋭い熱さが走り、彼は腐葉土の地面に転がるように叩きつけられた。
「死ヌ音! 死ヌ音だ!」
彼は恐怖に駆られ、ドクドクと湧き水の様に血を流して動かない左腕を引きづり、必死に巣穴を目指して這いずりながら警戒するよう叫ぶ。
だが、そんな必死の叫びも西部の風と木々のざわめきに儚くかき消された。
「ここか……」
そんな哀れな彼の隣をつかつかと人間が追い越していく。
牛の革のブーツに、何かが燃えたような嫌な死を呼ぶ臭い。それに……間違いない。先ほど殺された仲間達の死臭。
「ヒィッ!」
彼は恐怖で後ずさる。が、人間は気にせず巣穴に歩み寄ると岩のくぼみに何かを撒き始めた。
人間の巣で嗅いだことある臭いが鼻を突き、巣穴の中から子供や愛しい雌の恐怖に染まった悲鳴が響く。
そのまま人間は懐から何かを取り出し、岩にこすりつけた。
とたん、先ほどまで安全な場所であった巣穴は突然炎に包まれた。
「ア……あぁぁ…」
炎が猛然と広がり、目の前の暗闇が真昼の様に照らされていく。
雌達や子供たちの悲鳴が、暗い森にどこまでもこだまする。
まだ生まれたばかりであった彼の幼い子供の泣き声が、心を刻む。
その瞬間、彼は全てを失った。
穴の開いた肩を抑え、力なく這いつくばる彼の視界が真っ白になり、夥しい煙が彼を包む。
「こいつで最後か……」
炎の立ち上る巣穴の入り口を背に、彼には分らない鳴き声をあげた人間が冷酷に振り返る。
幅の広い刃物を持ったその腕が彼の視界を埋め尽くし、振りかぶったのが彼が見た最後の景色だった。
1-1
新大陸。
それも、フロンティアであればどこにでもあるような開拓村。
どこの街でも代わり映えしない小汚く狭いサルーンの店内には、昼間からトランプに興じる男たちの豪快な笑い声が響いていた。
だが、唐突に錆びたスイングドアが耳障りな音を立て、フロア全員の視線が音の発生源である入口へ向いた。
億劫そうにスイングドアを押し開けた男は薄汚れた土色のダスターコートや帽子を脱ごうともせずにゆっくりとフロアを横切る様に闊歩し、ドカッと磨かれたカウンター席へ腰かけた。
「随分早かったな」
「依頼のあった牧場から歩いて2時間とない岩場に巣があった」
「二時間!? そりゃ剣呑だな」
世間話をしながら、マスターは汚れたバーカウンターへウィスキーグラスを置いて安酒を注ぐ。
「それで、証は?」
ブルネットの髭を伸ばしたい放題にした髭面の男がグッとグラスを煽ったのを確認してから、マスターは空のグラスを受け取りつつ尋ねる。
すると、男はガンベルトに下げていた麻袋をカウンターの上に乱雑にほうり投げた。
「おい、開けんでいい。しかしなんだ、奴さん人を恐れなくなっていっとるな」
マスターはカウンターに叩きつけられてべちゃっという嫌な水音を上げた袋を縛っていた皮ひもを解こうとしていた男を静止し、底をどす黒く染め、時折ぬめぬめとした雫となって垂れる液体に辟易したように袋を受け取ってカウンターの下へしまい込むと再びカウンターへグラスを置いた。
「少なくともソイツらは人間を舐めた代償を払ったわけだ」
「群れ一つの話じゃない。あんたらみたいな冒険者がこの街に百人から居りゃ話は別だが」
そういいながらグラスに再び酒を注ぎ、男も黙ってグラスを持ち上げる。
「ここいらはバッドランズも近い。ついさっきだって南のマーカス農園の若いのが……」
マスターの会話を遮る様にスイングドアが勢いよく開けられ、硬い革のブーツが木の床を叩くコツコツという威勢のいい音が店内に響く。
「客の多い日だ」
マスターがぼやくのを無視し、真新しいカウボーイハットを目深にかぶった少年は年季の入ったポンチョを翻しながら店内を横切り、男の隣のカウンターに腰を下ろした。
「表で聞いたんだけど、この辺の農場がゴブリンに困ってるって?」
「悪いがその依頼ならもう終わったぞ、ルーキー」
少年らしい高い声に、マスターよりも先に座っていた男が応えるように呟いた。
「……どうして私がルーキーだって思うの?」
少年が小さく身体を揺らすと、大き目のポンチョが揺れ、牛革のガンベルトに収まった年季を感じさせる傷だらけのリボルバー拳銃が顔をのぞかせて光を反射した。
が、男は鼻を鳴らし、「見ればわかる」と再び注がれたウィスキーを煽ると、マスターがグラスと共に置いた紙幣の束を手にして腰を上げた。
「待てよ。掲示板を見てみな」
だが、ウィスキーグラスを回収しながらマスターが男を制し、壁に駆けられたボードを顎で指さす。
「ついさっきマーカスさんのとこの若いのが持ってきた依頼だ。ギルドの定期便で街を出る前にもうひと稼ぎしていったらどうかね?」
「人数制限はないよね?」
「あぁ、報酬は人数で山分けだがな」
少年の問いかけにマスターが頷く。
帽子を深くかぶりなおしてため息をついた男に、少年は「決まりだねっ!」と胸を張った。
「手早く済ませよう」
そんな姿を一瞥するなり、男はさっさと店を後にする。
「ちょ、ちょっとまって! 契約とかは……」
慌ててその背中を追う少年に、今まで我関せずとポーカーをしていた男のうち一人が振り向いた。
「坊主。現場じゃ、パパの側から離れるなよ」
巻きおこる下品な笑い声に少年はややムッとしたような視線を向ける。が、すぐに思い直したようにスイングドアを押し開き、フロンティアの眩しすぎる太陽の下へ飛び出したのだった。




