燈火
夕暮れの仄暗い闇の差し迫った、それでいて、未だ夜の帳が下りきらない時分、私は大学をぬるりと出、勤務先へと急ぎ足で向かった。四限目の授業と、夜のシフトが重なり合う日には、決まって急かなくてはいけない。この「焦り」という状態は、私を極めて不快にさせる。余裕のない心は、どこか良くない方へ引っ張られる、そんな気のするからであった。
黄昏時の小伝馬は、三者三様の人で溢れる。仕事にくたびれた者、夜遊びへ繰り出す者、別段安くもないスーパーへ群がる者、老後の嗜みを街へと向ける者、そして、へにゃりとしてバイトへ向かう若者。複雑な幾何学模様が、その人々によって描き出される。そこに意識の疎通はなく、それぞれがそれぞれの寂寥を湛えて明滅しあう様である。皆が皆、この不可思議な幾何学模様の内において、全く別様の役割をこなし続けるが、その顔には同じ一つの「焦り」を滲ませる。それは、私がほんの今抱えているような、矮小たる「焦り」とは一線を画すもので、よほど莫大で、超越的な「焦り」である。にもかかわらず、当人たちは、それに気づかず街を往く。ちょうど今、私がその根源的な「焦り」を直観できたのも、末梢神経が如き焦燥をたよりにして、思い出したからに他ならない。質はどうであれ、「焦り」は「焦り」を喚起する。それだから私は、「焦り」というものが嫌いなのであった。
街を照らす人々は、日の傾くにつれ、より激しく点滅をはじめる。来るべき夜から逃げるのに必死で、やはり幾何学模様には気が付かない様子だった。夜の裏側には、さらにどす黒い靄が潜む。靄はえもいえず禍々しくあり、いずれは人を食い散らかす。慌ただしげな瞬きは、それを脳裏から弾き出すための条件反射的行為であった。心の空白には、暗がりが蛆のように湧く。人は、その穢れを余白ごと削るために、鑢がごとき煩忙の中へと邁進するが、その摩擦による火花こそ、人を燈火たらしめる光源であった。多忙を以って焦燥を制すというのも、なにやら不思議な話である。




