058 フィルナVSゾンビ虫
フィルナが俺と一緒に住むということになり、今は二人で西門村へ向かっているところだ。足取りは重い。俺と一緒に住むということは、ハンナも含めて三人で一緒に住むってことになるからだ。
西門村へ行く前に、フィルナは神殿に寄ってほしいと言う。神殿内の居住館にザイダル神から与えられた部屋があるとのことだ。神殿は貴族区の中にあって、一際緑が濃い場所にあった。美しい木立に囲まれた石造りの荘厳な建物だ。
フィルナだけが神殿に入って、俺は外で待っていた。しばらくするとフィルナが手に荷物を抱えて出てきた。部屋の整理と世話になっていた神官へ挨拶をしてきたそうだ。重そうに抱えている荷物は俺が預かって亜空間バッグに入れた。
もう夕方だ。今日は朝から色々あったが、まだ終わりそうにないな。
………………
日が暮れて西門村の家に戻ったが、ハンナはまだ帰ってなかった。お隣のセルド魔医も帰っていないようだ。
とりあえず俺とフィルナは家に入って、居間の椅子に腰掛けた。
「寝室は二つあるから、それぞれハンナとフィルナに使ってもらって、俺は事務室を自分の部屋にするよ」
部屋割のことをフィルナと話していると、そこにハンナが帰ってきた。なんだか様子が変だ。俺が立ち上がると、「ダイルー!」と泣きべそをかきながら抱き付いてきた。
「どうしたんだ!?」
「助けられなかったの! ゾンビ虫が脳に取り付いてしまって、あたしでは助けられない。ねぇ、ダイル、どうしたらいいの? あの子をどうやったら助けられるの?」
そういうことか……。ゾンビ虫が脳に取り付いてしまった場合はキュア魔法では駆除できない。調伏魔法でゾンビ虫を駆除しなければならないのだ。これは以前にパイナッツ村の代官に教えてもらったことだ。
だが、この調伏魔法というのは〈魂〉属性の魔法なので、キュア魔法が属する〈生〉属性とは相反する。つまり、キュア魔法が使えるハンナは調伏魔法は使えないということだ。
「その子は、今どうしてるの?」
フィルナが横から声をかけた。そこでハンナは初めてフィルナの存在に気付いたみたいだ。
「あんたは? 誰なの?」
ハンナは俺に抱き付いたままフィルナを見て尋ねた。
「私はフィルナ。ダイルの恋人よ。それよりも、人の恋人に勝手に抱き付かないで! 早く離れなさい!」
「えっ!? 恋人って? そんな……」
「そんなことはいいから、ゾンビ症のその患者はどこにいるの? 私が助けるわ」
「えーっ!? あんた、調伏魔法が使えるの?」
「ええ。早く案内して!」
「こっちよ! 隔離小屋に閉じ込めてるわ」
ハンナは先に立って走り始めた。それをフィルナが追っていく。俺は事の成り行きに呆然としていた。でも、俺も行くしかないだろう。
ハンナが向かったのは村長の家だ。村長から隔離小屋のカギを借りて隔離小屋へ走った。
隔離小屋の近くまで来ると中で誰かが暴れている物音と唸り声が聞こえてきた。俺たちが小屋の中に入っていくと、牢屋の中に女がいるのが見えた。長い髪を振り乱し歯をむき出して俺たちを威嚇している。
「12歳の女の子よ」
そう言ってハンナは眠りの呪文を女に向けて放った。脳までゾンビ虫が入り込んだためゾンビ症が発症したのだ。体の制御をゾンビ虫に乗っ取られてしまっている。
暴れていたときは、とても12歳に見えなかったが、眠ってしまった今は可愛らしい少女の顔を取り戻していた。
「この子よ。調伏できるの?」
「やってみないと分からない。でも、やるわ!」
フィルナは呪文を唱え出した。もしかするとフィルナはベルドランへ来てから調伏魔法を使っていたのかもしれないが、少なくとも俺は調伏魔法を使ったことがない。
俺の〈知識〉によると調伏魔法は術者が相手のソウルを屈服させて相手の体からソウルを外に追い出す攻撃魔法だ。ソウル対ソウルの戦いになる。基本的には魔力が高い方が強いらしい。だが、攻める側より守る側が有利なので、場合によっては攻める側が負けて、術者のソウルが自身の体から切り離されて浮遊ソウルになってしまうことがあるようだ。これは術者が死ぬということを意味する。つまり、安易に使える魔法ではなく細心の注意と経験の積み重ねが必要なのだ。
フィルナの相手は少女の脳に取り付いたゾンビ虫だ。その魔力はせいぜい〈3〉くらいだからフィルナが負けるはずがない。そう思って見ていたが、途中からフィルナの顔色が悪くなって苦しげな表情になってきた。
様子がおかしい。俺は急いで少女に向けて調伏魔法を発動した。すると、自分が広い部屋の中にいることに気付いた。いや、俺の目には二つの場所が同時に見えている。一つは今いる牢屋の中だ。ハンナが心配そうにフィルナを覗きこんでいるのが見える。
もう一つが広い部屋の中だ。部屋と言っても球形で壁も天井も床も区別が無く、すべてモヤモヤとしたベージュのカーテンのような感じだ。広さは比べる物が無いので分からないが体育館くらいの空間があるように感じた。目で見えていると言うより、頭の中でそれが直接見えているのだ。
俺はその球形の部屋の中心に浮かんでいた。よく見ると部屋の側壁に星形のアメーバ状のモノが三つ重なり合うようにして張り付いている。大きさはどれも同じくらいだ。一つ目のアメーバは部屋と同じベージュ色で側壁に根を張っている感じだ。二つ目は赤黒い色で、ベージュのアメーバの下半分に潜り込んでいる。見ているだけで禍々《まがまが》しさが伝わってくる。三つ目はベージュというよりゴールドに近い色だ。側壁に張り付いているのではなく、二つのアメーバに近付いて接触している感じだ。
たぶん、このアメーバ状に見えるのがそれぞれのソウルだ。ベージュが少女のソウルで、禍々しい赤黒はゾンビ虫、そしてゴールドがフィルナだろう。
フィルナと思われるアメーバにはヘソの緒のような紐状の物が細長く伸びていて、それが部屋の上の方にある黒い穴に続いていた。黒い穴は外に通じているのだろう。つまり、あの紐はフィルナのソウルと彼女の体を結んでいるソウルの緒なのだ。
俺は一瞬でそこまで把握して、その後すぐに、フィルナを苦しめている物に気が付いた。彼女のソウルの緒にゾンビ虫のソウルから伸びた触手のようなものが絡み付いているのだ。触手でフィルナのソウルの緒を引き千切ろうとしているようだ。もし、緒を引き千切られたら、それはフィルナが浮遊ソウルになって死んでしまうということだ。
『フィルナ! 調伏魔法を中断して自分の体に戻るんだ! 今のままではソウルの緒を切られてしまうぞ』
『それが……、もどれな……、もどれない……』
触手によってソウルの緒を締められているためか自分の体に戻れないようだ。早く何とかしないとフィルナが危ない。
何か攻撃魔法が放てないかと思ったが、この空間ではダメなようだ。バリアも張れないし、キュア魔法も使えない。だが、自分の意志で動くことはできるようだ。思った方向にゆっくり動くことができる。
そこで初めて気付いたが、俺もここではアメーバなのだ。黒い穴を見てみると、その穴からフィルナとは別にもう一本の紐が俺の方に伸びていた。あれが俺のソウルの緒だ。俺もゾンビ虫にソウルの緒を掴まれないように注意しないといけない。
どうやってフィルナからゾンビ虫の触手を引き剝がせばいいんだろう? 俺も触手が使えるのだろうか? そう思って右腕をイメージして動かしてみる。
おっ! 右側から触手が出てきた。グー、チョキ、パー。う~ん、微妙だが、それらしく触手が動いてる。
では、左腕も……。おぉ! できた!
では、この腕を使ってゾンビ虫をフィルナから引き剥がそう。俺はフィルナの方に移動していく。まるで水中をクラゲが移動するような感じで、嫌になるくらいスピードが遅い。
近くまで来たので、フィルナのソウルの緒に俺の触手を伸ばした。俺の右手だ。イメージだけど。
その右手で緒に絡まっているゾンビ虫の触手の指を外そうと試みる。ダメだ。俺の右手が思うように動いてくれない。それに、ゾンビ虫の触手が緒に固く絡み付いていて外れそうにない。
グー、チョキ、パーのような形は作れても、この触手で作業をするのは難しいみたいだ……。
そうだ! チョキができるのなら、このチョキでゾンビ虫の触手を切ればいいんだ! で、チョキチョキとやってみた。って刃が無いのに切れるわけがない。
だからどうする? 刃だ。刃が無ければ作ればいいんだ! 刃をイメージすれば触手が刃になるかも。なんつったってここは魔法の世界だからな。
で、『刃になれ!』って念じてみた……。が、ダメだった。
それなら魔力を通せば刃になるかもしれない。でも、触手に魔力が通るのか? やってみたら難なく魔力が通ること分かった。だが、触手は刃にはならなかった。
刃にはならなかったが、違う発見があった。俺の触手と一瞬だけ接触したゾンビ虫の触手が震えたのだ。もしかすると、触手で接触すれば魔力攻撃ができるのか?
当たりだった。ゾンビ虫の触手に接触して俺の魔力を流すと、熱い物に触れたかのようにゾンビ虫は触手を縮めた。「アチッ!」って言う声が聞こえるみたいな動きだった。
フィルナの緒に絡み付いている触手に魔力を流すと、簡単にゾンビ虫の触手が外れた。
『ダイル、ありがとう。さっきは、なんだか息が詰まるような感じで、動くことも考えることもできなかったの。あなたが助けてくれなかったら死んでたかもしれない……』
『フィルナ。おまえ、もしかして初めて調伏魔法を使ったのか?』
『うん……、ごめんなさい。ダイルとあのエルフの女性が抱き合っているのを見たら、勝手に言葉が出て、調伏魔法を使うことになってしまったの』
『おまえ……、調伏は危険な魔法なんだぞ! おまえの無鉄砲には……』
『本当にごめんね……』
フィルナの相変わらずの行動に呆れたが、今は彼女を叱っている場合じゃない。
『とにかく、今はあのゾンビ虫を撃退することに集中しよう。おまえが殺るんだ』
俺はフィルナに自分の触手をゾンビ虫に接触させて魔力を流せばよいと説明した。それでゾンビ虫は嫌がって離れるのだ。
『魔力を高めれば撃退できるかもしれない。でも、少女のソウルにダメージを与えないように気を付けろよ。それと、自分自身のソウルの緒にも注意しろ。ゾンビ虫の触手に捕まらないようにな』
『分かった。やってみるね』
フィルナはそう言って、ゾンビ虫から少し離れたところから触手を伸ばし始めた。ゾンビ虫は少女のソウルに半分潜り込んで側壁に根を張っている。完全に潜り込まれてしまえば、少女のソウルは側壁から離れて浮遊してしまうだろう。
ゾンビ虫のソウルが側壁に根を伸ばしているところをフィルナは自分の触手で触れて魔力を流していくという作業を続けた。根は魔力が流れるたびに一本ずつ側壁から離れて、やがてすべての根が側壁から外れた。
後は少女のソウルに潜り込んでいるのを引っ張りだすだけだが、どうやるんだろ? 見ていると、フィルナは大胆にもゾンビ虫のソウルに自分の触手を突き刺した。強めの魔力を流したのか、ゾンビ虫のソウルに穴が空いたようになった。フィルナはその穴に自分の触手を引っかけて、ゾンビ虫のソウルをゆっくり引き摺り出した。ゾンビ虫は魔力の攻撃を何度も受けたせいか弱っているようだ。全く抵抗しない。
引き摺り出されたゾンビ虫のソウルはゆっくりと部屋の中を漂い始めた。しだいに外へ通じる黒い穴に吸い寄せられていく。どうやら部屋の中には外に向かっての流れがあるようだ。穴に近付くほどに速さを増して、あっと言う間に穴に吸い込まれて見えなくなった。
『フィルナ、やったな』
『うん。ダイル、ありがとう』
『じゃあ、戻って、この子にキュア魔法を掛けよう』
俺はそう言って調伏魔法を終わらせた。
「ハンナ、お待たせ」
「ダイル! どうしたの!? あんたまで子供を見たまま動かなくなったから、心配で死にそうだったわ」
「俺も調伏魔法を使って、様子を見に行ってたんだ」
「えーっ!? ダイルも調伏魔法を使えたの!? どうして? キュア魔法も使えるのに、どうして調伏魔法も使えるのよ!?」
しまった! まだ、ハンナには俺のことを何も話してなかったのだ。でも、これからフィルナと三人で同居するのなら、ハンナにも本当のことを話しておいたほうがいいな。
「ハンナ、その話は後でするよ。それよりも、この子をキュアで……」
俺が話し終わらないうちにフィルナが少女にキュア魔法を掛け始めた。
「あたしの治療は必要ないみたいね。この人も調伏魔法を使えるし、キュア魔法も使える……。これって、あんたたち、どうなってるの?」
ハンナが疑問に思うのも尤もだ。フィルナを見ると、キュア魔法を掛け終わったところで、俺の方へ顔を向けている。
「ハンナ、紹介するよ。こっちはフィルナ。アイラ神の使徒だ。アイラ神のことは知ってるか? カイエン共和国を実質的に支配している神族だ」
「ほぇっ!? 神族の使徒様……」
もうそれだけでハンナは呆けたような驚き顔をしている。
「いや、そこでビックリされても困るな。話はまだ長いぞ……」
そうなのだ。今日は長い一日だが、まだまだ終わりそうにない。
※ 現在のダイルの魔力〈294〉。
※ 現在のフィルナの魔力〈150〉。
※ 現在のハンナの魔力〈220〉。




