001 目覚めたら異世界
頭が激しく何かにぶつかった。くそっ! なんだっ!?
頭の中は霞が掛かったようにぼんやりしていた。だが、今の衝撃で頭がはっきりし始めた。
ここはどこだ? 閉じようとする瞼を無理やり開く。部屋の中だ。薄暗い。自分が床の上に寝ていることに気が付いた。
部屋全体が揺れている。狭い部屋だ。四角い小さな窓があって、外からの光が少し入って来ている。
何かの乗り物の中だ。揺れがゆっくりだから船の中のようだ。
床には何かの毛皮が敷かれていて、俺はその上に寝転がっていた。頭のすぐそばに木の柱と板壁がある。そうか、この柱に頭をぶつけたのか……。
どうして俺は船なんかに乗ってるんだろ?
船が大きく傾いて、ギシギシと木が軋む音が聞こえてくる。ボォン、ボォン、ボォンという爆発音のような音が途絶えることなく聞こえていた。
雷か? 嵐のせいで船が揺れているのか?
「ボォン、ボォン、ボォン。ガシャーン。ガッシャーン」
船に雷が落ちたのだろうか。船全体が大きく揺れて、どこからか物が落ちたり、倒れたりする音が響いてくる。あちこちから誰かが叫んでいる声が聞こえる。
もしかすると、この船は危ない状態なのか?
それにしても、どうして俺はこんなところにいるんだ?
「ガタン!」
いきなりドアが開いて男が入ってきた。誰だ?
「ダイル、起きろ! 船が沈む。脱出するぞ」
日本語じゃない。男が話している言葉は今まで聞いたことが無い言語だ。でも、普通に理解できる。なぜだ? どうして自分はこんな言語が分かるんだ?
それに、男は俺に向かってダイルって言ったよな。ダイルって誰だ? 俺の名前は大輝だから、俺のことじゃないよな。部屋を間違えたのか?
「ダイル、早く来るんだ」
男は俺の手を引っ張って無理やり立たせた。体がふらついて座り込みそうになる。
「お、俺は……」
あれっ? 思わず俺の口から出たのも同じ言語だ。どうなってるんだ?
「いいから来い! 走るんだっ!」
男は容赦なく俺を引っ張っていく。ドアから出る。そこは薄暗い廊下。すぐに階段があって、男はそれを駆け上がった。俺は強い力で左腕を掴まれたまま男に続いた。足がもつれる。階段を登るとドアがあった。男はドアを蹴破った。鍵が掛かっていたのか? 目の前が急に明るくなる。外に出たのだ。
体が傾く。めまいか? いや、船が傾いているのか?
ここは甲板の上だ。床を見る。たしかに、この船は傾いている。
風が顔に当たる。顔を上げて周りを見た。
「こ、この船は!?」
思わず声が出てしまった。
俺が知っているどんな船とも形が違っていた。船は翼を広げた鳥のように左右に帆を張っていた。帆柱が右舷と左舷から水平に伸びている。そこに白い帆が張られていた。まるで鳥か飛行機の翼のようだ。船尾にも小さい帆柱が斜め上方向に伸びて、ここにも白い帆が張られている。船首は甲板が高く盛り上がっている。
まさにこの船は翼を広げた鳥の姿をしていた。
船がまた、少し傾いた。翼のように見える帆が斜め下に傾き、その先に広がる風景が目に飛び込んできた。
これは!?
心の中で叫び声を上げた。眼下はどこまでも広がる樹海だ。この船は水ではなく、樹海の上空に浮かんでいた。樹木のてっぺんに触れそうな低空を船は傾きながらゆっくり進んでいる。
不意に頭の中にウィンキアという名前が浮かんだ。そうだ。ここはウィンキアという世界で、その中のセルシア大陸に俺はいるのだ。地球ではなくて異世界だ。
この船の下に広がっている樹海は魔樹海と呼ばれている。そして、俺が乗っているこの船は魔空船だ。自分が知らないはずの知識が頭に浮かんで来て、俺は半分パニックになった。
なぜだ? なぜ、知らないはずのことを俺は知ってるんだ?
なぜか分からないが、俺はこの世界のことも、魔樹海のことも、この魔空船のことも知っている。
俺の腕を掴んだまま離さない男の名前も頭に浮かんできた。テオドという名前だ。30歳くらい。身長は2メートルくらいあってガッシリした体格。革の上着とズボンを穿いていた。俺はこの男に連れられて魔空船でカイエン共和国に向かっているのだ。
なぜ、俺はこのウィンキアという世界にいるんだろ? 思い出せ! そう念じてみても、その答えは頭に浮かんでこない。忘れているのか……。悔しいが今は何も思い出せなかった。
「ボォン!」
帆に火の球が当たって爆発した。
この船は攻撃されてるのか? 帆には大きな穴がいくつも空いている。
「おまえたち、出てくるな! 危ないぞっ!」
「隠れてろって! 魔樹海に落っこちても知らねぇーぞ!」
俺たちに声を掛けてきたのはこの船の船員たちのようだ。男たちは手すりに掴まりながら船尾の方へ歩いていった。
たしかに魔樹海に落ちたら死ぬだろうな……。
この魔樹海は高さが100メートルもある魔樹の原生林だ。この世界の大半は魔樹海か、低木が生い茂って起伏だらけの原野、それか2千メートルを超える高山なのだ。俺の頭に浮かんできた知識がそう告げる。
魔樹は強力な魔力を持っている。この魔空船はその魔樹たちが発する魔力と船の帆に使われている魔空帆の魔力が反発する力を使って魔樹海の上空に浮かび、前に進む推力を得ているのだ。上空と言っても魔樹のてっぺんから50メートルくらい離れているだけで、魔空帆に大きな穴が空いたりすると墜落してしまう。魔樹海に落ちれば命は無い。墜落死するか、助かったとしても、魔樹海を棲みかとする魔物や魔獣に襲われて殺されてしまうからだ。
「海賊船が迫ってくるぞ!」
くそっ! この船は海賊船に襲われてるってことか。
テオドが指さす方向に目を向けると、真後ろからその海賊船が迫って来てる。この船までの距離は100メートルくらいだ。
俺たちが乗っている船は長さ30メートルくらいだが、海賊船のほうも同じくらいの大きさに見える。
その船から次々と火の球が飛んで来て、この船に着弾している。火球が船体や帆に当たると爆発して、ボォン、ボォンと大きな音を響かせた。帆は耐火性なのか燃えていないが、火の球が当たった所には穴が空いている。
なぜだか分からないが、目覚めたら異世界にいて、しかも空の上で海賊船に襲われているなんて……。
「あの護衛艦は沈むな」
テオドは右舷の方を見ながら呟いた。200メートルくらい離れたところに2隻の魔空船が浮かんでいた。後ろの船から前を行く船に火球が絶え間なく撃ち込まれている。前を行く船は俺たちが乗っている船よりさらに悲惨な状態だ。左斜めに大きく傾いていて、今にも魔樹海に沈みそうだった。前の船が護衛艦で、後ろから攻撃しているのが海賊船なのだろう。
護衛艦側からも海賊船へ反撃の火球が単発的に飛んで行くが、命中しているようには見えない。反撃する戦力がもう残ってないのか……。
そうか、思い出した。俺たちが乗っている船は商船で、あの護衛艦に護られているのだった。カイエンに向かう商船があると聞いて、テオドが無理やり頼み込んで、俺たちはこの商船に客として乗り込んだのだ。
「お、おじょうさま……」
俺たちの後ろから声が聞こえた。いつの間にか初老の男が俺たちの後ろに立っていた。
白くて長いあご髭、オールバックの白髪、面長の顔、少し離れた細い両目。どこかで見た顔だ。ああ、これは田舎の親戚が飼ってたヤギにそっくりだ。
ヤギ顔の男は船室から上がってきたのだろう。船員ではなさそうだ。手すりを掴みながら心配そうに護衛艦の方を見ている。
「マコルさん、あの護衛艦にマイダール商会のご令嬢が乗っているのか?」
テオドがその男に話しかけた。
「はい。こちらの商船よりも護衛艦のほうが安心だと考えて、お嬢様にはあちらへ乗っていただいたのです。番頭の私がこちらの船に乗っていれば、海賊に襲われたときにオトリの役目を果たせると考えていたのですが……」
ヤギ顔の男はマコルという名前で、どこかの商会の番頭らしい。
「グゥォン! グゥォン!」
火球が近くで爆発する。
あっ! 俺に向かって火球が飛んでくる! 避ける時間もない! もう、ダメか。
火球は俺の目の前でドガァンと音を立てて爆発した。俺は思わず目を閉じた。軽い衝撃と揺れを感じたが、ダメージは無い。どうしてだ?
「心配するな。こんな火砲くらいではおれたちのバリアは破れない」
火砲とは火砲魔法、バリアとはバリア魔法のことだ。頭の中に知識が浮かぶ。そうなのだ。このウィンキアの世界には魔法があるのだ。そして今、俺はテオドが張ったであろうバリアに守られていたらしい。
「あれっ? 俺たちの後ろにいた番頭さんは?」
振り返ると少し離れた甲板の上で倒れていた。口から血を流している。
テオドと俺は急いで番頭さんのところへ駆け寄った。
「胸を強く打ったみたいだ。胸に大きな傷ができているな。このままだと死んでしまうぞ」
テオドはそう言うと、何やら呪文を唱え始めた。治療の魔法を掛けているようだ。
そのとき不意に海賊船からの火砲が止んだ。どうしたんだ?
見ると、こちらの船尾の帆を引き裂きながら、乗り上げるような形で海賊船が迫っていた。その船から次々と海賊たちがこちらの船に乗り移ってくる。
船尾甲板に降り立った海賊たちにこちらの船員たちが剣で立ち向かっている。だが海賊たちには敵わないようだ。船員たちはバタバタと倒されていく。
海賊たちは戦いながら何かを叫んでいた。
「降伏するヤツは殺さねぇぞ」
そんな言葉が聞こえてきたが、海賊に降伏するような者は誰もいない。船員たちは全員が必死に応戦していた。しだいに戦いは船尾からこちらへ移ってきた。
俺は呆然とその様子を眺めていた。テオドも番頭さんの治療を中断して立ち上がった。
俺の目の前で胸を刺された船員が倒れた。床に赤い染みが広がっていく。
じぶんも……ころされる……のか……。
なんだか映画を見ているような感じで実感が湧かない。
「おめぇたちも死にたいかっ!? 死にたくなけりゃ降伏しろーっ!」
剣を振り上げながら俺たちに向かって海賊が叫んだ。
「誰が海賊なんぞに降伏するかっ!」
俺は降伏しようと思ったが、先にテオドが叫び返した。
それを聞いた海賊の一人が俺に向かって剣を叩きつけてきた。思わず目を瞑る。コツンという感じで何かが当たった感触が伝わってくるが、体はなんともない。
そうか、バリアだ。テオドが張ってくれたバリアが難なく剣を弾き返したようだ。
剣ではバリアを破れないと分かったのか、俺を攻撃してきた海賊は舌打ちをして別の船員へ向かっていった。
俺はその様子を唖然としながら見ていた。
「何をぼんやりしている? 外に飛び出るぞ」
「え? 飛び出るって? ここは空中……、だぞ?」
思わず敬語を使いそうになったが、それを無理やり呑みこんだ。普通の言葉で話すことにしたからだ。俺とテオドとの関係が分からない中で、相手に謙る必要はないはずだ。
「心配するな。空中でも問題ない。だが、絶対に手を離すなよ」
テオドは何かの呪文を唱えると、俺の腕を掴み直した。そして、何の躊躇いもなく手すりを乗り越えて外に飛び出した。
「うわぁぁぁぁーっ! しぬぅぅぅー!!」
聞こえてきたのは自分の悲鳴だった。




