002 頭の中を整理してみる
俺は悲鳴を上げた自分が恥ずかしくなった。体が空中に浮かんでいることに気付いたからだ。
落っこちていない。なぜだ?
ああ、分かった。これはテオドの浮遊魔法だ。手を繋いでいるから魔法が一緒に掛かっているのだ。知らないはずの知識だが、俺の頭の中に“浮遊魔法”という言葉が浮かんでくる。
とりあえず落ちる心配はなさそうだ。
俺たちからゆっくりと船が離れていく。浮遊魔法が効いているので体が急激に落下することはないが、少しずつ下がっているようだ。魔樹の一本一本がはっきり見えて、そのてっぺんが近付いてきた。斜め上を海賊船の船底が通り過ぎていき、すぐに2隻とも見えなくなった。
樹間に入って、てっぺん近くの太い枝に降り立った。
「ここでちょっと待ってろ。おれは船の様子を見てくる」
遠くからガリガリガリ、バリバリバリという炸裂音が聞こえてきた。
「護衛艦が沈んだな。早く助けに行かないと、魔物や魔獣が集まってくる。おまえは絶対にここから動くなよ」
そう言って、テオドは俺の返事も待たずに呪文を唱えた。テオドの体はゆっくりと上へ浮かんで行き、暗い枝葉の向こうに隠れて見えなくなった。
動くなと言われたが、この場所からどこへも行けるはずがない。100メートル下には地面があるのだろうが、樹の枝や葉が重なっていて地面は見えない。ほかの枝も離れ過ぎていて飛び移ることなどできそうにない。ここから動くということは落ちて死ぬことを意味するってことだ。
それよりもテオドが戻ってきたときに俺の居場所を見つけることができるのか、そっちのほうが心配だ。テオドに見つけてもらえなければ、俺はここで餓死するしかない。
しかし、今はそんなことを心配しても仕方ないだろう。テオドを信じて待つしかないのだ。
それはそうと、どうして俺はこんな状態になったんだ? 何があった?
俺は深呼吸をして頭の中を整理してみることにした。
………………
まず、自分は誰だ? 夏川大輝。それが俺の名前だ。20歳。大学生だ。れっきとした日本人だ。
それならなぜ、俺がウィンキアとかいう異世界にいて、ダイルという名前で呼ばれているのか?
思い出そうとしたが、さっぱり分からない。もしかすると、俺はこのウィンキアという異世界で生まれ変わったのか? 自分が大輝だと思っているのは前世の記憶なのか?
あ、そうだ。鏡だ。鏡で顔を確かめれば、自分が別の顔に変わっているのか分かるはずだ。しかし鏡は持ってない。自分の顔を触ってみる。いつもの感触のようだ。俺の身長は175センチだが、目の高さはいつもと同じ気がする。つまり自分は大輝のままだと思うが、はっきりとは分からない。
そうだっ! あの傷痕……。俺が大輝だとすれば右膝に傷痕が残っているはずだ。小学生のときに近所の公園で遊んでいて、うっかり膝小僧を木の枝で切り裂いたのだ。その傷痕を確かめれば俺が大輝かどうかはっきりする。
急いで革ズボンの裾をたくし上げて膝頭を見た。あった! 俺の傷痕だ。
やっぱり自分は大輝だ。ダイルではない。
それなら、どうやってこのウィンキアという世界に来てしまったのだろう。
必死に思い出そうとしてみるが、全然分からない。
ええと……、俺が憶えている一番最後の記憶は何だっけ?
そうだ……。優羽奈と一緒にバスに乗っていたことまでは憶えている。優羽奈は俺の恋人だ。彼女は高校3年生で、俺の後輩だ。彼女の大学合格が決まり、ようやく受験勉強から解放されたということで、久しぶりにデートをしていたのだ。
俺はまだ大学2年だから生活力なんて無いが、大学を卒業して仕事に就いたら優羽奈と結婚するつもりだ。本気でそう考えている。彼女にも「おまえをヨメにするぞ」とはっきり告げてOKをもらっている。
俺たちは彼女が高校に入学してすぐに付き合いだして、いつしかお互いのすべてを知り、すべてを許し合った関係になっていた。つまり相思相愛ってやつだ。
あの日、バスの中で彼女の隣に座って……、それから……。
たしか……、バスが急ブレーキを掛けて、俺たちは体が前に投げ出されたような気がする。彼女の右手をしっかり握っていたと思うが、記憶が曖昧だ。
もしかすると、あの衝撃で違う世界に来てしまったのか……。思い出そうとしたが分からない。
いずれにしても、自分はウィンキアという異世界にいることは間違いない。そして、なぜだか分からないが、俺の頭の中にはこの世界の言語や知識が入っているようだ。
この世界に来てからの記憶は、船の中で頭を柱にぶつけてからの記憶しかない。
テオドのことも自分の記憶にあるのではない。彼と一緒にマリエル王国からカイエン共和国へ行って、そこでアイラ神という神族に会うこと、それが旅の目的だと知っていただけだ。
かみぞく? 神族って何だっけ?
自分の頭に中を探ると、神族について知っていることが出てきた。
種族の名前に神という言葉が付いているが、神族というのは神様ではない。人族の一種だ。人族と姿形は同じだが、高い能力を持っているから神族と呼ばれているようだ。魔力は人族の1000倍もあるらしい。しかも神族はどれだけ魔力を使っても、魔力が尽きることはないって……。その理由は、異空間ソウルと呼ばれる別の空間に存在する魔力の泉と神族が常にリンクしているからだが、今はそんなことはどうだっていい。さらに寿命は数千年以上って……。
こいつら、なんつう反則仕様なんだ! 一族ごとに別れて山奥に住んでいて、裏でそれぞれの王国を支配して操っているらしい。どうも陰気臭い種族のようだ。
しかし俺が会うことになっているアイラ神はちょっと違うみたいだ。なになに? 神族というのはウィンキアの世界でたった二十人くらいしかいないらしい。どうやら俺の〈知識〉には神族一人ひとりの概略まで入ってるようだ。
で、アイラ神のことだが、女性で、まだ独身。神族のどの一族にも属していないらしい。数百年前にアイラ神は一人で魔樹海の奥地に人族が住むのに適した土地を見つけて、そこを拓いた。やがて、アイラ神を慕う者が集まり村ができた。人族だけでなく亜人も受け入れて、街になり、やがて国となった。国になったのは百年ほど前のことらしい。その街にはカイエンという名前が付けられ、国の名前もカイエン共和国となった。
亜人? 魔族? 何だろ? 頭の〈知識〉を探ってみる。亜人というのはエルフ族やドワーフ族、 クーメル族(獣人)のことで、どの亜人も人族とは友好的だ。
魔族というのはゴブリン族やオーク族、ドラゴン族などで知性と魔力を持っていて、基本的には人族や亜人と敵対している。魔族のほかにも、魔物や妖魔、魔獣っていうのが跋扈していて、どいつも凶暴らしい。
どうして俺がこのウィンキアという異世界に来てしまったのかさっぱり分からないが、ともかく俺はとんでもない魔境にいることは確かなことらしい。
いや、悪い話ばかりではない。この魔境には魔法がある。どうやらゲームっぽい世界のようだ。ひょっとしたら俺もこの世界では魔法が使えるかもしれない。
ためしに、さっき見た火の球をイメージして心の中で『魔法よ、出ろ!』と念じてみる。……ダメだ。
あっ! 呪文だ。呪文を詠唱しないと魔法は使えないのだった。火砲魔法の呪文は……、これも自分の〈知識〉にあった。どうやら魔法の呪文は古代語と呼ばれる言語で声に出して唱えることが必要らしい。古代語は今の話し言葉とは違うが、俺の頭の中に知識として入っていた。
火砲の呪文を唱えてみた。やっぱり、ダメだ。ナゼだろう? 俺がこの世界の人間ではないせいだろうか?
頭の中から魔法についての知識を引き出して、何が原因か考えてみる。
魔法を発動するためには、魔力、変換器、材料、そして呪文が必要らしい。
人族の魔力は〈1〉だ。俺も人族だから、もし俺が魔力を持っていたとしても〈1〉しかないってことだ。
あ、そういうことか……。火砲魔法を俺が発動できない理由が分かった。火砲に必要な魔力は〈10〉だが、俺にはその魔力が無いということだ。
火砲魔法を発動しようとしたことが間違っていたことになる。では、どうするか? 簡単だ。魔力〈1〉でも発動できる魔法を試してみればよいのだ。
その魔法は……、〈知識〉を探ると、あった! 着火魔法だ。その情報によると指先に小さな炎を出す魔法ということだ。材料も空気だから、着火魔法の呪文さえ唱えれば発動するはずだ。
よし、やってみよう!




