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無色透明なkiss

『……リ……、……ア……!』

 どこからか、声が聞こえてくる気がした。

『…………リア……!』

 その声は、懸命に〝誰か〟のことを呼んでいるようだった。

『……アリア……!』


 ――……〝私〟を呼ぶのは、ダレ?


『戻って来い……!』

 戻る、とは。〝どこ〟に〝戻る〟のだろうか。

 そうは思いつつ、その声に呼ばれるままに、声が聞こえてくる方向へ歩き出そうとした。

 その時。

『お母さん……!』

 真逆から別の声が聞こえ、彼女は再び足を止めた。

『お母さん……! 目を覚まして……!』

 彼女を「母」と呼ぶ少女の声は、泣いているかのような声色で縋りついてくる。

『ねぇ、起きてよ! お母さん……!』

 こちらはまた別の少年の訴えだ。

(……あ……)

 思い出す。

 朝、家族のお弁当を作り、バタバタと送り出す忙しない光景。

 朝食を片づけ、洗濯ものをし、天気が良ければ布団を干す。

 夫にも子供たちにも内緒の趣味は「BLゲーム」だった。

 見目麗しい青年同士があれこれするゲームをこっそりプレイする時間が至福の時という、根っからの「腐女子」。

 毎日が同じことの繰り返しだが、そんな日々が幸せだった。

 夫と、三人の子供と楽しく穏やかに暮らしている。

 ――それが、〝私〟。

 だから、還らなくては(・・・・・・)

 止まっていた時間は動き出した。

 いつまでも離れてはいられない。

 これ以上子供たちを心配させるわけにはいかない。

 早く、正常な世界へ――……。

 子供たちが待つ世界へ、吸い寄せられるように足を踏み出した。

『お母さん……!』

 ――待っていて。今、戻るから。

 けれど。

『アリア……!』

 びくり、と肩が揺れて動きが止まる。

 迷っている場合ではないのに。


 ――『これはね、こっち。それはね、あっち』

 ――『あ。それもこっちだね』


 その時、また別の幼い声が聞こえた。

(……あ、れ……?)

 そして、本来の記憶だけが綺麗に剥がれ落ちていく感覚がした。

 アリア(・・・)が持つ〝ゲーム〟の記憶は、元々は彼女(・・)の記憶を移植したものだ。

 だが、もはやアリア(・・・)のものになった〝知識〟は、コピーとなってきちんとアリア(・・・)の中に存在している。

 ――『だからね、大丈夫』

 ――『わたしたちに、任せて』

 幼いながら、その声はとても心強い。


「……アリア!」

 ……誰かの、声が聞こえる。

「……アリア!」

 ……どこかで、聞いたことのある声。

「アリア!」

 …………"私"を呼ぶのは誰……?





 *****




 シャノンとユーリが眠りに入ってから、どれくらいの時間が流れただろうか。

 ソファの上で昏々と眠り続けるユーリを見つめているシオンへ切なげな瞳を向け、アリア(・・・)はシオンへそっと声をかけていた。

「シオン様……」

「なんだ?」

 振り向いたシオンからは感情らしい感情を読み取れず、胸がぎゅっと締め付けられるような心地がした。

 シオンは元々無表情だが、「違う」と思った。

 今のシオンは、アリアが知っている(・・・・・・・・・)シオンではない。

 シオンは、こんな無機質な瞳でアリアを見ない。

 こんなに冷ややかな空気を纏ったりしていない。

 今は、そうしていなければ自分を保っていられないからだとわかっていても、別人のような気がした。

「シオン様」

 改めて名前を呼び、アリアはきゅ、と唇を噛み締める。

 周りから多くの視線を感じたが、己の行動を止めようとは思わなかった。

「お慕いしております」

 シオンを真っ直ぐ見つめて口にした告白に、さすがのシオンも少しだけ驚いたように目を見張り、室内には緊張が漂った。

 だが、シオンはすぐに無表情に戻ると、アリアの想いを淡々と受け止める。

「……あぁ」

「私の気持ち……、ご迷惑ですか?」

「いや……」

 どうしても自嘲混じりになってしまう微笑みを向ければ、シオンの視線はアリアからわずかに逸れた。

 アリアはアリアであってアリアではないが、アリアではないがアリアだ。

 答えに困る質問をしていることは、アリアもわかっている。

「お優しいんですね」

 アリアはくすりと笑い、シオンから目を逸らすことなく話を続ける。

「シオン様。一つだけお願いごとをしてもいいでしょうか」

「なんだ」

 どこか他人事のようなアリアの問いかけに、シオンからは淡々とした答えが返ってくる。

 わかっている。シオンは決してアリア(・・・)を見てはくれないことを。

 シオンは、今のアリアになにも期待していない。

 アリア(・・・)を通してアリアを見ることもない。

 ただ、アリアの〝器〟として、アリアのことを一定ラインで大切にしてくれているだけだ。

 ズキン……ッ、と胸が痛む。

 アリア(・・・)の想いが報われることはない。

 それでも。

「キス……、してもらえませんか?」

 到底アリア(・・・)らしからぬ願いに、シオンの瞳が無言のまま驚きの色を浮かべた。

 アリアではないアリアに、シオンがそんなことをしてくれるはずがないことはわかっている。

 これは、アリアの我が儘だ。

 だが、その望みを押し通さないわけにはいかなかった。

 自分の想いを昇華するために。

「私も一緒にアリア様を呼び戻しますから」

 どうしても心の奥底で抱いてしまうアリアへの嫉妬心を浄化して、シオンの――みんなの望むアリアへ戻るために。

「アリア……」

「大丈夫です。きっと上手くいきますから」

 おそらく内心では困っているのであろうシオンへ、アリアは今にも泣きそうに微笑んだ。

 こんなふうな態度で出れば、シオンが受け入れざるをえないことをわかっていてやっている。

 なんて卑怯な自分。

 けれどこれは、本当に必要な通過儀礼なのだ。

「こんなにもみんなに愛されて、求められて、応えてくれないはずがありません」

 みんなに呼ばれ、アリアはきっとユーリーとシャノンの手を取るだろう。

 あとはただ、アリア(・・・)がアリアを受け入れるだけ。

 アリア(・・・)が、戻ってきたアリアを拒絶しないために。

「アリア様は戻ってきます」

 だから、戻ってきてほしいと、アリア(・・・)が心から願えるように。

「呼んでください」

 一緒に。

「必ず、呼び戻してみせます」

 最後は、アリア(・・・)が、アリアを。

「アリア……」

「シオン様」

 未だに躊躇を見せるシオンへ距離を詰め、アリアはシオンを真っ直ぐ見上げた。

「好きです」

「……!」

 そうして自らシオンの肩へ手を伸ばすと、自分の唇をそっとシオンのそれに重ねる。

「……」

「……」

 逃げようと思えば逃げられたはずなのに、シオンからの拒絶はなかった。

 それだけで充分だった。

 じわり、と眦に涙が浮かび、アリアは唇に触れる柔らかな感触に喜びを噛み締める。


 ――ねぇ、わたし(アリア)。戻ってきて。貴女の大切な人たちが、こんなに悲しんでいるから。

 ――彼らをこれ以上苦しませないで。


「……アリア……?」

 ゆっくりと唇が離れていき、至近距離からシオンと目が合った。

「……シオン、さ……」

 その時。

「――――!?」

 ドクリ……ッ、と心臓が大きく脈打った。

「……好き、です……。お慕いして……」

 一目惚れだった。

 あの日。顔合わせのために訪れたウェントゥス家の中庭でシオンを初めて見た時、その場で恋に落ちた。

 遠い、遠い、遥か遠くに感じる記憶。

 きっとあのままでは叶うことのない恋だった。

 アリアがアリアのままでは届くことのない想いだった。

 だから、あの日に生まれた恋心が実るなら。

 ――自分は、消えてもかまわない。

 好きだから。

 ずっと、ずっと、好きだった。

 だから。

 ――さようなら。

 だけど。

 ――また、会えるから。

 アリアは、アリアだから。

 自分の中の意識が、急速になにかを引き寄せていく感覚がした。

「アリア……?」

 少しだけ不安そうなシオンの呼び声が聞こえた。

 その声に、アリア、は目を覚ます。


「シオン……?」

 近すぎるほど目の前に、シオンの顔があった。

 状況がわからず困惑するが、瞳を瞬かせつつも、まずは告げなくてはならないことを言葉にする。

「ただいま」

 ほっと柔らかな気持ちになる。

 ――自分の居場所はココだから。

「心配かけてごめんなさい。もう、どこにも行かないから」

 申し訳なさそうに謝って、アリアは泣きそうな表情(かお)で微笑んだ。

コミックシーモア様にて、4話が配信開始になりました♪

お読みくださいますと幸いですm(_ _)m

(姫沙羅のXから飛べます→https://x.com/fleurs_KiSara/status/2049960624093040664?s=20)

(401話目にして、やっと2話の回収ができました……!ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!)

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