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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
9 表と裏
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【Bonus track】

 少し、怒られた。


「そこのお前。名前はなんだ」

 曰く付きのお顔合わせのお席。シェフと二人でお見送りに出たところで、車に乗り込んだ「フェニックスのボス」が助手席の窓を全開にして聞いて来た。蜷川(にながわ)です、と答えた。

 瞬間的に、隣に立つ岩清水由春(いわしみずよしはる)が殺気立ったのを感じたが(お客様の前だぞ)と、軽くつま先で足を蹴とばして頭を下げた。言いたいことをひとまず飲み込んだらしく、由春も頭を下げた。


 車が出て、しばらくして揃って頭を上げたところで、怒られた。


「『鈴木』で通せと言ったはずだが?」

 893と政治家は、とにかく人の顔と名前を覚えてくるぞ、と事前に言われていた。極力幸尚(ゆきなお)と名前で呼び合うな、とも。

 眼鏡の奥の目に、混じりけない怒りが閃いている。その瞳をまっすぐに見つめて、伊久磨(いくま)は唇の端に笑みを浮かべた。


「佐々木さんを絶対にホールに出さなかったのって、そもそも『ボナペティ』で何かあったからですね」

 女性だから、体調に不安があるから、だけではなく。

 勢いこんで何か言おうとしてから、由春は大きく息を吸って、吐いた。


「『フェニックス』には、『ボナペティ』のスタッフそのまま雇用して店を出させてやる、と言われていた。だけど俺は元々日本に残るつもりはなかったし、佐々木は学生で、就職も決まっていた。断るのは当然だし、禍根を残したとも思わないが、念のためだ」


 顔と名前を覚えられている。

 この街で働いていると知られれば、どんなルートから声がかかるかわからない。

 この先、佐々木心愛(ここあ)を会社として支える心積もりの由春だけに、余計な繋がりを持たせたくないと考えたに違いない。かつてのように飲食業のスタッフとして声がかかるのではなく、事情を抱えたシングルマザーであれば違う職種での誘いがあるかもしれないと。


「お前も……。ただでさえその身長で目立つんだ。腕っぷしもないくせにSPにスカウトされたら飛んだお笑い(ぐさ)だぞ。馬鹿正直に名乗る必要なんかねーって言っただろうが」

 ぶつぶつと言っている由春を置いて、伊久磨はさっさと戸口に向かう。

 おい、と言いながら後ろからまだ言い足りない由春が追いついてきたので、仕方なく振り返った。


「良いじゃないですか、べつに」

「なんだ。反抗期か?」

 片眉を上げてどやしつけるように言われて、伊久磨は噴き出した。

「『岩清水』が俺の盾になるっていうんですか? 自分だって『水沢』に守られたくせに」

 過保護ですよ、と言い添える。

 思い切り機嫌を損ねた由春の顔がおかしくて、見ているうちに笑いが止まらなくなってしまった。


「……お前。笑い過ぎ。水沢が来なくてもどうにでもなったっつーの。佐藤家ご両親は助かっただろうけどな。祝い事仕様で水沢が詰めた菓子折りなら間違えようがないというか」

「『魔王』は仕入れに多少色をつけた程度で、手加減して売りました。もっとのせても良かったかな」

 幸尚の友人ということもあり、仕入れ価格やラッピング実費程度で支払いを頂いていた。親切にしすぎたでしょうか、ととぼけて言うと、由春には呆れられた。


「最近、しっかりしてきたよな。今日も特別コースで予約取って、ワインも価格帯合わせて入れてたし」

「民間企業として当然のことをしたまでですよ。金に糸目をつけず楽しみたいというお客様がいるなら、こちらも出来る限りのことをします。お祝いのお席ですし、派手にして差し上げた方が良いでしょう」

 言って、ドアに手をかける。

 視線を感じて、由春の方を見た。


「なんですか」

「いや、笑うようになったなぁ、と」

 言いながら手を伸ばしてきた。頬に指が触れるぎりぎりで止めて、まっすぐに見上げてきながら、溜息をつくようにしずかに呟いた。


「口の形かな。お前の笑い方、嫌味がないっていうか。表情として悪くない。接客に抜擢した俺は冴えていたよな。うん。才能を見抜く目があるよ、俺が」

(俺を褒めてるのか、自画自賛をしているのか)

 よくわからないことを言い出したぞ、と思いながら伊久磨は身長差から由春を見下ろして、ふっと笑みこぼした。


「この口の形が好きなんですか。わかりました。今度酔ったふりしてキスしてあげますよ。どこがいいです?」

 絡めた視線を目から唇に落とすと、見られたことに気付いてぎょっとしたように由春が色めきたつ。

「はあ!? 誰もそんな話はしてねーだろ!!」

 即座に否定された。そのままぎゃーぎゃー言い出しそうなうるささだったので、「寒いので早く」と言い捨てて先にドアを開けて中に入る。


 幸尚と心愛が片付けをすすめているはずだ。早く終わらせよう。どうせオーナーシェフが打ち上げでもしようと言い出すはずだから。

 納得がいっていない由春が後ろから騒ぎながらついてきたが、面倒だったので黙殺した。


 なお、デキャンタが下手だと指摘された一件を由春に意趣返しのように蒸し返されるのは、この少し後のことである。


※この一つ前の「第9話 表と裏 兄弟の契り?」にて、感想欄にて岩清水由春の過去に言及頂いたので、返信にて解説するよりSSにしてみた方が? ということで急遽その辺の事情を追加して書きました。

ご感想ありがとうございました!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 893さんの来店、めっちゃ緊張しました! そして堪さん、男前。 なんでしょう、貴腐人じゃない(はず)のに、この萌えは……(n゜O゜n)! 心愛さんを懐に(会社の)入れた由春さんもカッコイイ…
[一言] 来た! ついに伊久磨さんと由春さんの関係が変わる伏線が! 関係が悪化する伏線のような気がしないでもないですが、そういうのを恐れていては前に進めませんからね。 ところで、職場恋愛で面倒(?)…
[一言] 伊久磨さんwwww 草食系だと思ってたのに、とんだ肉食だったぜこいつは!!!www もうただのバカップルにしか見えないんですが( ˘ω˘ )
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