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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
9 表と裏
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御来店

「落ち着きましょうか」

 エントランスで行ったり来たりする佐藤家ご両親とご本人様に向かって、伊久磨は何度目かの声掛けをした。

 ごく普通のご家族、といった印象である。五十歳手前と見られる父親は地味な灰色のスーツ、母親も紺色のスーツ姿。顔色はあまりよくない。そわそわとして、とにかくどうして良いかわからないといった様子だ。

 

 ――少し早めに来て、席に着かずに待って、お出迎えをしたらいかがですか。お相手のご家族をお席にお通しするときに「上座にどうぞ」と、こちらで「上座に案内する」のはアピールすることもできますよ。


 伊久磨が提案した結果、佐藤家は予約の一時間前に到着した。少しどころかだいぶ早い。

(普通は支払いをする側が「もてなす」わけだからホストとして下座に着くのがセオリーだと思うんだけど。ついでに結納的意味合いがあるなら女性側が下座なのも変じゃない。そもそも田中家側にホストの意識があるなら、店側が佐藤家を席に着かせないで待たせているのも「ゲストに失礼」という意味で心証が悪いよな)

 気を遣う難しい席らしく、想定することが多い。何が正解かわからないというのが始末に負えない。

 幸尚は、ひたすら友人である佐藤本人を小突き回したり、励ましたりしていた。


「何か準備するものとか、本当にないんでしょうか」

 父親から声をかけられ、伊久磨は一瞬考えた。様子を見に来たらしい心愛がひょこっと横から「いらっしゃいませ」と言いながら、両親の様子をすばやく視界におさめる。

 それから、控えめな笑みを浮かべて言った。


「たとえばなんですけど……。確実に相手方がお支払いになるのがわかっている状況でしたら、御手土産なんて用意しておくのも良いかとは思うんですけど」

 途端、父親ががばっと息子に向かって「何もいらない、何か用意して相手が気に入らない方がまずいって」と悲鳴のような声を上げた。

(やばい。内紛が始まる)

 こういうときに缶に詰め合わせた焼菓子なんかの販売があれば慌てずに済むのに、と思いつつ、伊久磨はひとまずの提案をすることにした。


「もしよろしければなんですが。田中様がお好きだという焼酎の『魔王』の桐箱入りを仕入れているんですけど、お包みしましょうか。それと、ときどき『海の星』でも使う和菓子屋があるんですけど、五千円くらいで今から菓子折りを用意できるか聞いてみます。市内の百貨店にも商品を卸している『椿屋』ですし、ご進物関係は得意ですよ」

「お願いしますっ」

 一も二もなく言われ、「すぐに」と微笑んでからカウンターに向かう。心愛が「包装紙あるの?」と聞いてきたので「『和かな』を贈り物用に購入される方もいますので、ラッピングは多少勉強しました。包装紙には和紙をいくつか揃えてます。無地の紙袋もありますから」と説明すると、なるほどと頷かれた。


「『魔王』は私が包んでおく」

「キッチンは」

「今は大丈夫。準備は終わっているから」

 そう言ってから、ちらりとホールにセッティングされたテーブルを振り返る。

「上座下座も面倒そうよね。もう円卓にしたら?」

 椿屋に電話すべく、受話器に手をかけていた伊久磨は心愛の提案に軽く目を瞠った。

「名案」

「でしょ。ハルさんに今から中華に変更できるか聞いておく」

「良いですね。この間モッツァレラチーズの入った餃子作ってましたけど、美味しかったです」

 悪乗りして会話を終え、電話をする。

 食事の開始に間に合わなくても、別れ際にお渡しする形にするからそこまで急ぎじゃない、と詫びながら告げると、電話口に湛が出て「わかった」と請け負ってくれた。


「やっぱりプロの人がいると安心ですね」

 父親から完全に信頼しきったまなざしを向けられ、伊久磨は(プロとは)と真顔になりかける。


(ただのレストランのスタッフです。893のプロは警察とかもっと別にいると思いますけど)

 御用達になっても困りますし、と胸中で呟きつつ。


 * * *


 見ればわかる、と由春は言っていたが、たしかに見てわかった。

 予約十分前から店の門まで出て待っていた伊久磨であったが、明らかにそれらしい車が止まり、運転席から出て来たスーツの男を見て空気で理解した。

 車のドアを開けたほうがいいのだろうかと窺って見たが、それはドライバーがやるらしい。

(ドライバーなのかSPなのか)

 最初に飛び出てきたのが、茶髪のとにかく若い女の子、といった印象でお顔合わせの田中様ご本人様とあたりをつける。畏まった服装ではなく、夜遊びに行きそうなギャルっぽいコンパクトな上着とホットパンツにブーツだ。


「わーー、すごい、綺麗。こんなお店あったんだー!!」

 その後から、母親らしき女性が出て来た。正直、姉妹に見える。年齢がさっぱりわからない、ラメっぽいワンピースにショールを巻き付けた派手な美女である。

 続いて、暗い色合いのストライプの、仕立ての良いスーツを着た中年の男性。


「いらっしゃいませ」

 声をかけて軽く頭を下げてから、顔を上げる。

「お車は」

 駐車場はご案内しますかの意味で尋ねると、男が運転手を振り返りもせず「出せ」と言った。

 そちらは気にしなくて良さそうだと理解し、伊久磨は三人に微笑みかける。

「お足元、段差になっているところがございますので、お気を付けくださいませ。ご案内します」

 先に立って、歩き出す。


(思ったより、若いな)

 ボスと言うから、還暦くらいをイメージしていたが、もっとずっと若い。短い髪の毛は銀色だが、よく日に焼けた肌の印象はせいぜい四十代。体つきは引き締まっていて、粗削りながら俳優のように整った容貌をしており、目つきは、ちょっと見たことがないくらい鋭い。

「もう来てるのか」

 相手は、という意味だと理解し、伊久磨は肩越しに振り返って、穏やかに答えた。

「はい。先程お着きになりまして、中でお待ちです。お客様、そこに段差が」

 娘の足元を見て、声をかける。

「先に一杯やってて良いって言ってあったんだが」

 男がにやりと笑った。

(無理だろ)

 にこりと微笑み返して、伊久磨はドアを開けてエントランスへ三人を通す。


「いらっしゃいませ」

 幸尚が丁寧に頭を下げ、その横で佐藤も頭を下げた。

 その様を見て、男が明るい笑い声を弾かせた。

「なんだお前、この店に就職したのか?」

(確かに、いまの動きは完全にスタッフ側)

 気持ちの上で同意して、伊久磨も思わず唇の端に笑みを浮かべる。


 店内のアンティークを見て歩いている(てい)で席についていなかった佐藤家両親が、緊張した面持ちで揃って歩いてくる。


「このたびは、このような席をもうけて頂いて」

「いやあ、こちらこそご足労頂きありがとうございます。ふつつかな娘ですがよろしくお願いします」

 もごもごと喋り始めた佐藤家父の挨拶を吹き飛ばす勢いで田中家父が言って、恐ろしく鋭い目で相手をじっと見つめる。そして、頬に笑みを刻んだまま、明瞭でよく響く声で続けた。


「御子息、ここまで育てて頂いてありがとうございました。後はうちで一人前になるまでしっかり面倒みさせて頂きますので」

 佐藤家両親が笑みを浮かべたまま固まっている。


 今は全然一人前じゃないという圧を加えつつ、自分のところにもらっていくという宣言。

 立派な893にされてしまう、と親としてはまさに固まるしかない場面かもしれない。

(ファミリーに迎え入れられるんだな……)

 なるほどこれは893だ、と。

 口出しできる立ち場になく黙って立っている伊久磨に、佐藤家父がなぜか哀愁の滲んだ視線をくれた。

 頑張って下さい、と目だけで気持ちを伝えてみた。



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