第3章 遭遇、逃亡(2)
少年は俺の腕を強引に引いて出口までくると、慎重に出口から顔を出し、辺りの安全を確かめた。彼にはあの人魚が危険なものに見えているのだろうか。あの人魚ならすべてを知っている。こんな頭のおかしいやつなんか信じられない。俺の意見を聞こうともしないし。もしかしたら、昨日のことは自作自演なのかもしれない。笠野さんを連れていったのはこいつで、俺のことも何かする気なのかもしれない。と、なると、こいつについていくのは危険だ。なんとかして撒かないと。笠野さんはどこに連れていかれたんだ? 突然の理解不能な少年の登場にすっかり恐怖は薄れていた。 内心どこでこいつを撒いてやろうかと考えながら、少年の後ろをついていく。
樹の中から出て、少年は森の方へと歩き始めた。辺りは明るいが、不規則に立ち並ぶ細く高い樹が、頭上10メートルに枝葉を伸ばしているので少し薄暗い。それに、その木々は笠野さんと来た食べ物の生る樹ではなく、足元の根、樹の幹を登る蔓がゆっくりと蠢いていた。樹の幹自体は太くない。
「笠野さんは、一体どこに行ったんだ?」
「連れていかれたんだよ。でも、まだ、間に合うかもしれない」
少年は前を歩きながら言った。
「なんで連れていかれるんだ? 笠野さんが一体何をしたんだ?」
「なぁ、知ってるか?」
唐突に少年が言った。
「タソガレ島にはルールがある」
眉間にしわを寄せてその続きを聞いた。
「だけど、そのルールを知っている人はいないんだ」
そんな秘密を俺が聞いていいんだろうか。いや、笠野さんがどうなったのかを知るためにも必要なのか。一体、どうなってしまったんだろう。
「それは、食事に居合わせた者も食事になるからだよ」
よく分からず少年を見ていた俺は、少年の頭が真っ二つに裂け、その間から2つの頭が出てくるのを見た。目玉はなく、鋭い牙がびっしりと並んだ口が各頭の面積の8割りを占めている。肩からは巨大な腕が6本、皮膚を突き破るように生え、指は各腕に3本。元々の人間の腕は、片方は落ち、もう片方は繋がったままで、胴体は膨れ上がり、そこに巨大な目玉が1つ皮膚を押しのけて出てきた。人間の脚はそのまま引きずられている。
目の前で完全に変体しきってから、俺はようやくそれが危ないものだと気がついた。2メートルほどの高さのそいつは、歯を2つの頭で交互にならす。その音は昨晩部屋の中で聞いていた音と同じだった。そいつが近づいてきても、体が震えて動けなかった。目玉は俺を見ていて、頭が動き始める。食事って言ってた。動かないと、早く逃げないと、食べられる。逃げなきゃ! 逃げなきゃ!
気持ちだけが焦り、体はまるで金縛りにでもなったように固く動かなかった。
化け物が俺に食らいついてくる、そう思った瞬間、頭上から巨大な何かが落ちてきた。
5メートル以上もある巨大なもので、上半身は女性の体だった。腕は普通の人間の倍以上もあるほどの異様な長さで、胸、腹からびっしりと他の女性の顔や体が飛び出すように出ていた。下半身は魚のようで、鱗があるものの、その1枚1枚がナイフのようだった。その魚の下半身の至る所から腕が何本も生え、巨体を支えていた。最も特徴的なのは、腹から生えた一角のような角だった。これもまた異形の化け物であるのだ。
俺の頭上で後から現れた化け物が顔を2つもった化け物に体当たりし、体を引きちぎっているのが見えた。あまりにも気持ち悪くて吐きそうになるが、とにかくその場から逃げだした。逃げないと! 早く逃げないと喰われる!
走っていく俺の目の前に、突然巨大な物が下りてきた。地面が若干揺れて、俺はまた動けなくなった。数メートルもない場所に後から出てきた化け物が立ちはだかっているのだ。
その時、突然後方から何かが飛んできた。それは目の前に迫る化け物の目玉に直撃し、耳を塞ぎたくなるような甲高い悲鳴が響いた。
「逃げるよ! 早く!」
そう言って俺の手をつかんだのは雪のように白い肌をした少年だった。
「やっと、見つけた」
とにかく手を引かれるがまま走った。後方ではさっきの化け物が悲鳴をあげながら暴れ、樹をなぎ倒す音が聞こえる。パニックになりかけている俺に対し、少年は真逆だった。
「よかった。なんとか間に合って」
話し方は落ちついていてかなり優しく、俺を安心させようとしているようだ。その一方で、今この少年についていけば今度こそ食べられる気もした。安心してしまっている自分が、またさっきみたいに騙されている気がしていて、この少年から逃げなければと思いつつも、ただ安心できるものにすがっていたくて、ついて行ってしまう。
少年は急に足を止め、波打つような葉を宙に舞わせた。笠野さんと空を飛んだ、あの葉だ。
「さぁ乗って」
少年は巨大になって宙に浮く葉に肩膝をつくように乗ると、盛り上がるようにして出てきた取っ手を掴んだ。今ついていったら今度こそ食べられるかもしれない。迷ったが、後方からは細い樹をなぎ倒しながら走ってくる化け物がいる。
「早く!」
少年に急かされて、化け物が接近してきて、もう乗るしか選択肢がなく、俺は少年の後ろに同じ姿勢で乗った。




