未来へ翔ける
すっきりと目が覚めたのは、すでに外が白み始めてからだった。ちゅん、ちゅんと鳴く、雀の鳴き声が聴こえる。昨夜は、いつの間にか眠ってしまったらしい。しかも、ここは用意された部屋ではなく、彰隆の部屋らしい。だが、その部屋には彰隆の姿はなかった。
和々は、ちゃんと寝床に寝かされていた。彰隆が運んでくれたのだろうか。
彰隆どのは、どこで寝たのだろう。
身体を起こし、襖を開けて隣の部屋を見ても、彰隆はいなかった。そこは案の定、彰隆の自室だった。廊の面した障子が開けられていたので、そちらに近づく。まだ、朝は早く、人が起きて動いている気配はない。まあ、下働きの女達は朝早いのだろうが、彰隆の部屋は他の部屋からは離れているので静かだ。
廊まで出ると、昨日の雨で濡れた庭の木々が目に入った。そして、その中に一人立っている彰隆を見つけた。すでに着替えを済ませ、木刀を持っている。朝から鍛錬していたのだ。背中も逞しくて、胸がどきりとさせられる。声を掛けようとすると、彰隆は気配を感じたのか振り向いた。
「おう、おはよ」
朝から彰隆の顔を見られるなんて。夫婦になったら、こんな風な感じなのだろうか。想像すると嬉しかった。男らしくて、つい見惚れてしまう。
「おはようございます」
「もうそろそろ、起こそうと思ってたんだ」
彰隆は廊に立つ和々に近づいてきた。木刀を置き、廊へと上がる。
「早起きなんですね」
「ああ、ま、そうかな」
実は、それほど眠れなかったのだ。和々の隣で横になっていても、気になって寝つけなかった。だが、身体は完全に目覚めていて、眠気など感じなかった。そんな事は言えないので黙っておく。
彰隆は、取りあえず和々を促して部屋へと戻った。和々は白小袖一枚なので、肌寒いだろう。二人は、向かい合って座った。
「昨夜は、どこで眠ったのです?」
和々は布団を占領してしまったのかと思って、申し訳なく思い聞いてみた。
「和々の隣だけど」
あっさりと言ってのけた。
「え?」
「和々の隣だって。安心しろよ、何もしてないし」
確かに。特に自分に異常はなかった。だが……そういう問題ではない。寝顔を見られたりしていたのかと思うと恥ずかしい。
寝言なんて言っていないよね?口を開けて寝ていない?
自分の無意識の出来事なので不安だ。いたたまれず、両手で顔を覆った。
「なんだよ、急に顔なんて隠して。寝顔は可愛かったぞ?恥ずかしがることないさ」
「そういう問題じゃないの!」
寝ている自分の姿もそうだが、彰隆の布団でのうのうと寝ている自分にも腹が立つ。
「いいんだよ、可愛かったんだから。さて、皆が起きる前に部屋に戻れ。見つかると、うるさいからな」
うんざりという顔をした。弟と妹に責められる昨日の彰隆を思い出した。家族が大事なくせに、面倒という言い方をする。きっと、彰隆なりの照れだろう。
和々はそっと両手を外して、彰隆を見た。煩わしそうな表情が可笑しかった。
「和々、嬉しかったよ。一緒に暮らせるようになったら、こんな感じなんだろうなと思ったら嬉しかった」
「私も……。私も嬉しかった。朝から彰隆どのの姿を見ることができて。一緒に住めたら、こんな朝の挨拶もするのだろうなって……」
些細な事なのだろうが、互いがいるという事で幸せを感じる。和々も正直に感じたままを話した。彰隆は微笑むと、目の前にいる和々を引き寄せた。
「っ!」
突然の事に驚いて、声を上げそうになった。彰隆は、力強く抱きしめる。瞼を閉じて、腕の中の和々を感じていた。
「早く一緒になれるといいな…」
同じ事を考えている。互いの気持ちを確かめ合った後は、すぐにでも一緒になりたいと思ってしまう。人の欲とは限りが無い。昨日までは、顔を見られればと思っていたのに……。
「はい」
もう部屋に戻らなくてはならない。名残惜しい。もっと一緒にいたい。和々も今日は帰らなくてはならない。まだ婚礼まで日にちがあるので、こんな一晩を過ごすなんて事は、もうないだろう。そう思うと離れがたい。
彰隆は和々の背中に腕を回して、狂おしく抱き寄せる。
「和々、婚礼まで、もう少しだけ待っていてくれ」
「はい、でも……また会いに来てくれなかったら、私が来ますからね」
彰隆は、くすりと笑った。
「大丈夫だ、和々に無茶はさせない。俺から会いにいくよ」
「約束ですからね?」
和々は彰隆から離れて、顔を覗き込む。もう、あんな思いをするのは嫌だ。でも、彰隆の屋敷まで来たことで自分でも自信が付いて、また何かあっても一人で出来る気がする。
彰隆は睨んでいる和々の頬を撫でた。こんな思いをさせたのは、自分のせいだ。
「ああ、約束な?分かってる。もう、あんな思いはさせない」
和々は大きく頷いた。すると、彰隆は顔を近づけ、一度だけ軽く口づけた。すぐに唇を離したが、満たされるものだった。お互いに顔を見合わせて笑顔を見せる。
「戻りますね」
和々は立ち上がって彰隆を見下ろす。
「分かった」
彰隆は笑顔で送り出した。
その後、和々は着替えて、朝餉を皆と共に取った。もちろん、彰隆も一緒だったが、二人して何食わぬ顔をしているのだが、弟と妹達はともかく両親は気が付いているのではないか、と内心気まずい思いをした。
朝餉の後、彰隆は昼前まで城で仕事があるので、帰ってくるまで藤堂の屋敷で待っていた。一人では、まだ危ないと分かっているので、送ってもらう事にためらいや、遠慮はなかった。妹達と一緒に遊び、家事の手伝いもした。歌には、そんな事をしなくても良いと言われたが、色々と世話になりっぱなしというのも悪い気がして、何かしないといられなかった、
そして、彰隆が帰宅した。
「悪いが夕方になったら久世家まで送る」
と言われた。別に何の用事もないので帰りが遅くても問題はないのだが、彰隆は忙しいのに煩わせてしまったのかと思うと申し訳ない。だが、彰隆の方もこれといって用事などないらしく、和々と一緒にいるだけだ。
なぜ、明るい内に帰らないのか分からない。それでも、彰隆と過ごすのは楽しかった……だから、何も聞かなかった。
そして、夕刻。自分の汚れていた着物も、洗ってすっかり乾いて着替えた。
彰隆の両親と弟、妹に別れを言って屋敷を出た。陽は沈み始め、夕闇が東の空から迫っていた。前にも彰隆と夕日を眺めた事があったな……白金の屋敷で彰隆が訪れた時の夕日を思い出した。群青色と茜色が混ざり合う不思議な刻。
人が多い町を出るまでは歩いていた。夜が来るというのに慌てていない。こんな時間に出立するので、馬で帰ると思っていた。だが、彰隆は何も告げることなく、町を出るまで歩いた。だが、彰隆は町を出た途端に和々の腰に手を回し、もう片方の手で和々の手を取った。
「いくぞ」
にやりと笑うと、彰隆は走り出した。
「きゃあ!」
速い!出会った時のように走る。羽はないが、飛んでいるようだ。時折、片足を着地して地面を蹴り上げる。すると、勢いよく空を飛ぶように進むのだ。空を翔けるとは、この事なのだろう。景色が流れるように、後ろへと消えていく。風を受けて髪や袖が揺れる。
彰隆がしっかりと腰を抱えてくれているので、怖いとは思わなかった。初めて会った日にも抱えられて、このように走ったことはあるので、身体が速さに慣れたのもあるのだろう。和々は片方の手を彰隆の腰に回して、振り落とされないようにしがみ付く。彰隆の胸に顔を寄せていたのだが、ふと彰隆の顔を窺うと、満足そうな笑みを浮かべていた。黒い髪が後ろへ流れ、精悍な顔立ちに目を奪われる。
「どうした?」
和々が顔を動かすのを見ずとも分かったらしく、前を向いたまま聞いてきた。
「なぜ、こんな……、彰隆どの自ら……。てっきり馬で帰ると思っていたのに」
「これ、これを見せたかった」
彰隆が顔をくいっと動かして、前を差した。和々は彰隆に促されて前を向く。
「わあ!」
感嘆の声を上げた。
そこは、町から離れると田んぼが広がっている。水の張られた田んぼには、赤く燃える夕日が映っていた。
輝く夕日。傍に流れる川の水面にも夕日が映る。黒い影となっている山々と茜色の空。水面に映る夕日。 地上にいても美しい景色は、高い所から見ると格別だった。神秘的で美しいとしか言えないような光景だった。
「すごいだろ?和々のトコから帰る時に見かけて、いつか一緒に見たいと思ってたんだ。それに……まあ、この時間だと人に見られずに速く動けるしな」
そんな理由で、帰りがこんな時間になったのか。でも、すごい。こんな光景は一緒に見ないと、感動を共感できない。
「すごいです……」
ぼそりと呟いた。しかし、風の音で聴こえないと思ったのに、ふふっと満足そうな笑い声を漏らした。
共に同じ風景を見て、同じ感動を味わう。それは、とても幸せなことだった。そして、いつの日か「あの時は……」などど、二人で笑い合うのだろう。
もっと一緒にいたい。
だが、幸せな時は過ぎるのが早い。もっとも、彰隆の翔ける速さは馬の比ではない。すぐに久世家の傍まで着いてしまった。
彰隆は、久世家の屋敷の近くの林に降りた。すでに陽は落ち、山の端だけが赤く染まっているだけで、東の空から迫る群青色の空が、天上までを覆っていた。林と言っても、田畑の中にある木立だ。さわさわと、草や木の葉が風に揺られて音を立てていた。林から少し離れた集落の家々には、薄ぼんやりと暖かな明かりが灯る。そして、その中でも一際大きな屋根があるのが、久世家だ。二人は一度、そちらを見た。帰らなくてはならない。
「屋敷の中まで送って行くが、抱いていられるのは、ここまでだな」
彰隆は腰に回していた手を離した。この先は人家が多い。抱かれている所など、人に見られていいものでもない。和々は分かっているのだが、仕方なく頷いた。
「そんな顔すんな、離れがたくなる」
彰隆は顔を歪めた。そして、一度は手放した和々を再び抱き寄せた。腕を取られ、彰隆の胸に飛び込んだ。
「初めて、和々と長い時間を過ごしたんだ…名残惜しいよ」
「彰隆どの……」
嬉しかった。別れ際に、こんなに惜しんでくれたことなどない。いつも、彰隆はあっさりと帰ってしまう。自分だけが、離れがたいと思っているのではと。寂しい……いや、不安な気持ちでいた。二人きりの時が終わる。いくら、夫婦になるとしても、一緒に住むのは、まだ先の話だ。
「いつも、さっさと帰ってしまうのに……」
彰隆を見上げて尋ねた。二人で一晩過ごしたと言っても、いつもと態度が違うではないか。
「いつも、我慢してんだよ。和々と別れを惜しんだら、俺、帰れない……いや、和々を連れ帰るかもな。それに、和々が俺を好いているって自信もなかったしなあ」
彰隆は、気まずそうに白状する。
「それで、後ろ髪を引かれないように、さっさと帰んだよ」
そんな理由で……。だが、自分の本心を表に出さないのが彰隆だ。だから、いつも飄々としているのだ。
彰隆は、以前よりも少しは本心を出してくれていると思う。昨夜と今朝、彰隆と話して気持ちが通じ合った事もあるが、彰隆を近くに感じる事が出来た。この満たされて幸せな感情は、きっと、そうなのだろう。
「愛してる」
彰隆はぎゅっと、腕に力を込めて和々を抱きしめた。
「彰隆どの……私もです」
和々も彰隆に縋り付き、離れるのを惜しんだ。そして、どちらからともなく口づけを交わした。愛おしさが、溢れるように込み上げてくる。
彰隆は名残惜しく、ちゅっと音を立てて唇を離した。目を細め、頬を指がなぞって彰隆の温もりが遠ざかる。寂しい気持ちがあるが、しかし、幸せでお互いに顔を見合わせ微笑んだ。もう大丈夫。彰隆は少しずつ、和々に影響されながら心を成長させていくのだろう。そして、和々も彰隆を支えるはずだ。
そして、彰隆に寄り添いながら、和々は久世家の門をくぐった。
「父上……」
戸の前に父が立っていた。和々は、黙ったままこちらを見ている父・清和の顔が目に入り、身構えてしまった。送り出してくれた時は、結婚を認めてくれていると思ったのに……不安がよぎる。彰隆と想いが通じ合った今、離れるなんてできない。和々は、自然と手に力が入ってしまった。
「彰隆」
父が一歩前へ出て彰隆の目を見た。ちらりと隣に並び立つ彰隆を窺うと、緊張しているようで、口を引き結んでいた。
「和々を頼む」
そう言って、父が頭を下げた。驚いたのは、和々と彰隆の方だ。二人とも息を飲んで、言葉を失くしてしまう。だが、彰隆は次の瞬間、義父に頭を下げさせているのに気が付いて、大きく手を振って慌てた。
「頭をお上げ下さい!」
その言葉に、父は頭をゆっくりと上げる。安堵から、彰隆はふうとため息を漏らした。そして、凛々しい顔を父に向けた。自信に満ちた、堂々とした態度だ。
「和々どのを生涯、大切に致します」
その彰隆の声には、揺るぎないものを感じた。涙が出そうなほど嬉しさが込み上げる。父が和々と彰隆を認めてくれたこと、彰隆がその父の前で生涯を共にと誓ってくれたこと。自然と目が熱くなる。
「そうか、分かった。気を付けて帰れよ」
父はそう言い残して、戸を開けて屋敷の中へと入って行った。取り残された和々と彰隆は、顔を見合わせた。どちらからともなく、ぷっと吹き出す。嬉しいのは、和々だけではない。彰隆も同じだった。
「じゃあ、和々。また、会いに来る」
見送る際、彰隆は和々の頬を撫でながら言った。愛おしくて仕方がないという様子で、口の端を上げて微笑む。大きな掌が安心を与えてくれた。
彰隆の言葉に不安は感じられない。信じられる。
「はい」
和々も笑顔で返事をした。すると、彰隆は、ゆっくりと手を外す。
すでに辺りは、日が暮れていた。空には昇りはじめた大きな月が輝いている。彰隆は「灯りを」と勧めても、「走るのに邪魔だ」と断った。あれだけ明るい月ならば、彰隆の帰り道を照らしてくれる。
門の前で別れを惜しんでいたが、彰隆は一つ頷いて歩き出した。このままでは、いつまでも帰れない。どこかで区切りを付けなくてはならない。振り向いくと、和々は袖を押さえて手を振っていた。
「じゃあな!」
彰隆は大きな声で言った。夜なのに迷惑な大きさだ。
「お気をつけて!」
和々も必死な声で言った。ふっと笑いが込み上げる。その笑いを噛み殺しながら、彰隆は走り出した。地面を強く蹴ると、人では真似できない高さまで跳ぶ。すごい速さで移動し、途中で木や屋根を足場に跳びながら帰って行った。
いつも振り返らずに帰っていたが、あんな必死に言われると嬉しい。自分を想って見送ってくれていたのだと思うと、自然と顔が緩んでしまう。和々は、本当に可愛い。
和々は彰隆の姿が見えなくなるまで見送った。今度はいつ会えるだろうか。今から、楽しみで、屋敷の中に向かいながら笑みを零した。
彰隆との出会いは、春だった。それから初夏には気持ちが通じ合った。そして、季節が過ぎて秋に入った頃だった。
和々と彰隆は婚礼を上げた。
二人の腕には、互いに作った腕の飾りが増えた。和々の腕には、彰隆が生まれた時から付けていた飾りと、婚礼のために、和々を想って作った飾りが嵌る。一方、彰隆の腕には、元結を編んだ飾りと、和々が彰隆を想って作った飾り。お互いの気持ちがなければ、成り立たない天狗の結婚―それを、二人は無事に迎えられた。
二人の住まいは、藤堂の屋敷の別棟だった。今まで、彰隆が使っていた部屋の先にあるのだ。静かで良いだろうという事で、彰隆と彰隆の両親が決めた。
秋も深まり、庭の木々も色づき始めた。吹く風も日に日に冷たく感じる。
和々が藤堂家に嫁いで、一月が経とうとしていた。ここでの生活にも、徐々に慣れてきた。彰隆の両親とも仲良くしているし、弟も妹も、一緒にいると楽しかった。
夕暮れ時。そろそろ彰隆が城から帰ってくる。部屋にいると、廊を歩く足音が聴こえた。
「和々!戻ったぞ!」
彰隆は相変わらず、元気な声で嵐のように帰ってくる。手を付いて、頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
和々は、ゆっくりと頭を上げて笑顔で迎えた。そして、立ち上がって、彰隆の着替えを手伝う。
「和々、今日はなぁ――」
息せき切って、今日の出来事を話し始める彰隆。和々は、それを笑顔で聞いていた。
共にいられる幸せを、二人は感じていた。きっと、これからも他愛のない事で、幸せを感じていけるのだろう。
その幸せは、この先もずっと続いていく。




