わたしの役目だったのに (ミナ視点)
私は、この里の一員だという自覚が希薄です。
「ミナ。お前は、生け贄として生まれたのだ」
私たちに、この地に加護を与えてくださる神、レイヌ様。古き時代にレイヌ様は、五年ごとに若い命を献上する約束を村と結んだとされています。その起源はもはや残っておらず、どういった経緯でその約定が生まれたのか定かではありませんが……それを反故にした結果、恐ろしい厄災が村に降りかかったという話だけは痛みと共に村に伝えられています。
そして、幾年も生け贄を捧げレイヌ様と付き合ってきたこの村ではある掟が生まれました。いざ生け贄を捧げる段階で争うことのないように、家単位で順番に生け贄を排出すること。生け贄は生まれたときから生け贄として育てること。
それはたとえ村長の家でも例外ではなく、私、ミナは村長の孫という立場でありながら、生け贄となる未来が最初から定められていた存在でした。
レイヌ様に捧げる前に何かあってはいけないので、生け贄は大切に育てられます。しかしそれは、愛情を向けられるという意味ではなく、危険のないよう仕事から遠ざけられ、同年代から引き離され、儀式の日まで軟禁される。それが生け贄の人生です。
「ミナ……また勉強かの?」
「おじいさま……はい。他にやることもないので」
勉強と言っても、生け贄に先生がついてくれるわけもなく。私はおじいさまが戯れに教えてくださった知識をもとに、ひたすら独自に算学を発展させていくだけ。それだけが、私の唯一の楽しみでした。
「独学でここまで……本当に賢い子じゃ、ミナ」
「そう……なんですか?」
おじいさまは時折、私のことを賢いと褒めてくださります。私は他の子供のことをよく知らないので、私が賢いかどうかもよく分かりませんが、その度におじいさまはある言葉を漏らします。
「全く……なぜよりにもよってお前なのじゃ……お前のような聡明な子が生まれる時に限って、なぜ生け贄の番が……」
私が生け贄であることを嘆くような、憐れむような言葉を漏らすおじいさま。
「済まないな……ミナよ……」
「なぜ謝るのですか? こうしておじいさまが時折会いに来て下さって、私は幸せですよ」
「っ……!」
私の運命は定められたもので、仕方のないことだし、おじいさまが気に病むことでもない。終わりの時まで、こうして閉じた世界で過ごすことに不満はありません。
「何か……何か手を……」
私よりも私の命を諦めきれないのか、苦々しい顔で思い悩むおじいさま。その気持ちだけで、十分だったのに。
☆
「キミが、ミナ君か」
「あなたは……?」
ある時。私のもとに只ならぬ雰囲気を纏った少年がおじいさまと共に訪ねてきました。
「この方は……レイヌ様の片割れたる、スルグ様だ」
「! あ、あなた様が……」
私たち闇の領域と対をなす、光の領域を統べる神スルグ様。私たちに直接加護を与えてくれる存在ではないものの、敬うべき立派な神様だと聞いています。私が慌てて頭を下げようとすると、スルグ様はそれを手で制しました。
「頭を下げる必要はない。キミ一人救えない神なんかに、敬意を払う価値などないよ」
「……」
そう言ったスルグ様の目にあったのは、溢れんばかりの憐れみの情。それだけで、彼がおじいさまに聞いていたとおりの善い神様であることが伝わってきました。けれど。
私は、そんなにも可哀想な存在なのでしょうか。
「ミナ君。キミが次の代の生け贄だそうだね」
「はい」
「そのことについて、キミはどう思っている? 逃げ出したい、そう思ったことはあるかな?」
「ありません。決まっていたことですから」
「……そうか」
私の率直な答えに、スルグ様は少し目を閉じ黙った後に、誰もが安心するような笑みを浮かべます。
「何か悩みがあれば、キミの助けになりたい。その時は言ってくれると嬉しい」
「身に余る光栄です」
親切だけれど、相手は神様です。失礼のない対応をこころがけて、スルグ様との対面は無事に終了しました。そうしてスルグ様とおじいさまが部屋を出て行った後に、扉越しに話し声が聞こえてきます。
「どうにか……どうにかミナを連れて行っていただくことはできないのでしょうか……!」
「……いくらキミの頼みでも、救われる準備のない子供を連れて行くことはできない。そもそも、レイヌにはもう三百年はこんなことはやめるんだと伝えているんだがね……」
その声を聞いて、私はおじいさまがスルグ様を連れてきた意図を察しました。スルグ様が無理に私を光の領域に連れ去ってしまえば、村もレイヌ様も簡単に手出しはできない。結果として私の命は助かるかもしれません。
けれど、そうなれば村はどうなるのでしょうか。レイヌ様に生け贄を捧げることができなければ、きっと天罰が下される。代わりの生け贄を選ぶために、村の中で争うことになるかもしれない。
私は、自分がスルグ様の誘惑をはね除けられたことに安心感を覚えました。
☆
そんな私の閉じた世界は、儀式の日の目前にしたある日、突然変化が起きました。
「初めまして! あたし、ここに居候? することになったんだけど……あ、春乃って言うんだ。あなたは?」
「……ミナ、です」
何の前触れもなく、私の世界に春乃さんはやってきました。
どこか遠いところからやってきたらしいその人は、他の村人のように私を避けることもなく、おじいさまやスルグ様のように憐れむこともなく接してきて、しかも他に話し相手がいないからなのか私とばかり話すようになりました。
「ミナちゃん、何してるの? これ……え、数学?」
「算学です。これぐらいしかやることがないので……」
「……なぜか文字も記号も分かる……あ、ここはこうした方が応用が利くよ」
「え……ほんとだ……春乃さん、すごいです」
「まぁ、これくらいはギリギリ中学の範囲だし……」
春乃さんは私が知らないことをたくさん知っていて、色んな疑問に答えてくれて、春乃さんでも分からないことは一緒に考えてくれて、私は……一人で考えるよりも春乃さんと一緒に考える方が何倍も楽しいことを知りました。
「あの……春乃さんには自分の部屋がありますよね?」
「あるけど、ミナちゃんと一緒の方が楽しいから。嫌だった?」
いつしか春乃さんは、就寝の時まで私の部屋に居座るようになりました。
「嫌では……ないです」
私も、春乃さんといると楽しいことばかり。けれど。
「少し……怖い」
以前の、口も聞いてくれずにただ食事を持ってくるだけの侍女と、来るかも分からないおじいさまを待つだけの日々を、当たり前を忘れてしまいそうで。
「なになに? お化けとか怖かったり? 大丈夫、あたしが側にいるから!」
「わぁっ!?」
背を向けたところで、不意に春乃さんに抱きつかれ大きな声が出てしまう。
「あ、ご、ごめんね? やっぱり嫌だった?」
「嫌じゃ、ないです……」
慌てて放そうとする春乃さんの手を、無性に離れてほしくなくて引き留める。
「……私、なんで……」
自分の行動に疑問を持っていると、今度は視界が滲んでくる。何が何だか自分が分からないけど、春乃さんに変な勘違いをして欲しくなくて、必死に涙を堪える。
「そう? ミナちゃんが嫌じゃないならずっとこうしてよっかな~。あはは、なんか妹ができたみたい……って、烏滸がましいか。美少女すぎて」
「いもう、と……」
「いやあの、調子乗りました……ところでミナちゃん、ほんとのきょうだいいるの?」
「え、あ、弟が……」
弟がいるらしい。そう、おじいさまから聞いている。ここ……村長の家ではなく、息子夫婦の……おとうさんとおかあさんの家で、普通の子供として育てられている、会ったこともない弟がいるらしいと、そう聞いたことがありました。初めてそれを聞いたときは何も思わなかったはずなのに、なぜだか余計に涙が溢れてきます。
「そうかぁ弟が……そりゃあさぞイケメンに……」
「う……春乃、さん……ぐすっ」
「え!? な、なに!? なんか地雷踏んだ!? やっぱ嫌だった!?」
ついに堪えられなくなってしまった私に、慌てふためく春乃さん。申し訳なく思っても、もう止められませんでした。この温かみを欲していた自分に、気づいてしまったから。
その日は……いえ、その日から私は春乃さんに抱かれながら寝るようになりました。
けれど、そんな弱い自分に気づいても私の運命は変わりません。儀式の日が来なければ良いのに、と今まで考えもしなかった望みが芽生えもしましたが、春乃さんを天罰から守れるのなら、この身を捧げても良いとも思うようになってきた頃。
「ミナ……これでおまえを救える。おまえのためだ……」
おじいさまが、一方的に春乃さんを身代わりの生け贄にすると決定を下しました。
そうなって初めて、私は怒りというものを抱き、同時に自分の罪深さを知りました。
春乃さんがいなくなる。私が、春乃さんのいない世界に取り残される。そんなことは耐えられないし、許せない。
きっと、おじいさまも同じ気持ちだったのです。それを知りもせず、私は運命だ定めだと犠牲になることを受け入れていた。それに気づけなかったから、こんなことになってしまった。
春乃さん。許してください。私の役目を押しつけてしまって。私が、本当に辛いのは春乃さんの方なのに、のうのうと命を拾った側なのに、あなたの胸で泣くことしかできない愚かな子供で。本当に、ごめんなさい。




