とけあう
スルグは、まず事件を鎮めるために動いた。事態の説明に努め、犯人は自分の力を独占しようと企んでいたことと、それを闇の女神が防いでくれたということを、なるべくレイヌの名誉を守る形で民衆に伝えた。
純粋にスルグを慕う人間が大多数である街の人間たちはその説明に納得し、むしろレイヌを讃える者も現れ……事態は収束した。
そこまでの仕事を最短でこなしたスルグは、ようやく闇の領域へ……レイヌの元へ向かった。改めての謝罪と、春乃の安否の確認のために。
動き始めれば、移動など一瞬。レイヌの神殿にまで移動したスルグは、ある違和感を覚えた。《《この地の闇が薄れつつあった》》のだ。何かしらの理由でこの地へのレイヌの加護が弱まっているのが原因だと推測したスルグは、ついにレイヌと春乃のいるであろう神殿の上層へ足を踏み入れる。
あまりに質の良すぎる家具と謎の機械がひしめくその場所に面食らう……余裕もなく、スルグは神殿に漂う異様な空気に息を呑んだ。
意を決して、レイヌの気配のする部屋へ、スルグは足を踏み入れる。
「レイヌ、春乃……良かった」
ベッドに腰掛け、眠る春乃を抱いているレイヌがそこにはいた。眠る春乃に怪我はなく、まずは無事で済んだことに、スルグは安堵する。
「……スルグか」
ただの事実確認でしかない、レイヌの声。スルグを呼ぶレイヌの声にいつも込められていた忌々しさも、春乃の件を糾弾する怒りの色も、そこには含まれていなかった。そのことに、スルグは途轍もない不気味さを感じた。
「その、すまなかった。私のせいで、関係のないハルノが傷ついてしまった」
「そうだな」
無感情な肯定。スルグの困惑が深まる。
「だが、我も悪かった。貴様なぞへの下らぬ意地に囚われ、春乃の願いを無下にしてしまった。我がさっさと春乃の望み通り貴様を助けていれば、こうはならなかった」
「……」
いよいよ、スルグは自分が誰と話しているのか分からなくなった。出てくる言葉が、スルグの知るレイヌとあまりに噛み合わない。
「……ともかく、私に償えることがあれば──」
「時に、スルグ。貴様とは人間との関わり方について、散々言い争ったな」
「は……? そ、そうだね……」
言葉を遮られ、唐突に昔話を切り出すレイヌに、スルグは言い知れぬ類いの恐怖を感じ始める。
「思えばあれは──《《すべて貴様が正しかった。我の意見はすべて撤回しよう。》》」
「──は?」
いよいよ、分からない。お互いの性質を理解し、大体のことは想像できるのがスルグとレイヌであった。しかし、今のレイヌのことを、スルグは何一つ理解できない。レイヌは、自分に対して簡単に負けを認め引き下がるような存在ではなかった、と。
「だから──この下にいる、村の者ども。すべて貴様にやろう。もう要らぬ」
「何を……言っているんだ?」
言葉の意味は分かるはずなのに、理解ができないという感覚を長いときの中でスルグは初めて抱いた。
「分からぬか? 気づいたのだ。倒れようとする春乃を見たとき、その命が喪われようとしたとき、嫌だと思った。すべてをなげうってでも取り戻したいと思った。ようやく貴様の気持ちが分かった気がした。つまりは──《《我にとっての『人間』とは、春乃ただ一人のことを指していたのだ》》」
「──」
今度こそ、スルグは言葉を失った。そして同時に理解した。自らの罪は、春乃の命を脅かしたことだけではないと。自分のせいで、レイヌを壊してしまったのだと。
だが、そんなスルグでも、次に起こしたレイヌの行動は見過ごせなかった。
「ようやくそのことに気づけた我は……喜んで、貴様と同じことができる」
「何を……」
徐に、レイヌは眠る春乃に口づけする。それがただのキスではないことは、スルグの目には明らかだった。
「っ! まさか……」
「貴様が、人間に力を与えたのと同じだ。今から我は力の半分を、春乃一人に注ぎ込む」
「じゃあ、この地の加護が薄れていたのは……」
「言っただろう? 他の加護などもう必要ない。すべて春乃に注ぐため、回収していたのだ」
「無茶だ! そんなことをすればハルノは……!」
スルグの危惧は、正しかった。
「ぁ……あぁ…………ああアああアアアァッ!!」
眠っていた春乃が目を見開き、痛ましい叫びをあげる。
「ハルノ!」
スルグは自分の力を人間に与えるために、力を十分に薄めた水を何世代にも渡って与え続けた。少しずつ、少しずつ。親が取り込んだ力は子供にも引き継がれ、世代を経るごとに蓄積されていく。今のように人々が魔法を使えるほど力をつけるまで、要した時間は二百年ほど。
それを、たった一人の身体に、レイヌの力の半分をなど、人間が耐えられるはずがない。今頃、過剰な力が春乃の中で暴れ、身体の節々を破壊しているのだろう。そんなもの、普通は命がない。だが、それに対してレイヌは絶えず懸命に春乃の身体を再生させていた。壊れるたびに、治していく。それならば、いつかは力を注ぎきることができるかもしれない。だが、それまでずっと、春乃は耐えがたい苦しみを味わうことになる。
「やめるんだ、レイヌ!」
「……すまぬ。すまぬな、春乃。本当なら、おまえを苦しませたくはないのだ。だが、おまえも悪いのだぞ? 我との約束、我の手の届かぬ場所へ行くことを許さぬと、そう約束したろうに……おまえはスルグの為、命を張り、結果死にかけた。死によって、我らは分かたれかけたのだ。あぁいや……スルグの為に動いたこと、そこにはもう怒ってはおらぬ。腹立たしい気持ちがないではないが、ああいったことができる春乃をこそ、我は愛している。問題は、だ。人の身でそのような勇気ある行動を取れば、命がいくつあっても足りぬということだ。春乃には丈夫になってもらわねばならぬ。それに、今まで目を背けていたが、このままではおまえは数十年で命を落としてしまう。いや、もっと早いかもしれぬ。病に冒されるかもしれぬ。何かもしもがあるかもしれぬ。耐えられない、許せない……! だから、そうだ。これは早いか遅いかだったのだ。どの道、春乃には我と同じ存在になってもらわなければならなかったのだ。だって、おまえは我を選んだだろう? ならば我の伴侶として相応しい存在になるべきだ。嗚呼、そうか……人の身に生まれたことこそ、おまえの唯一の欠陥だったのだ。我の愛で、直してやらねばな? 痛いのか? 苦しいか? 我もだ。おまえが悲鳴をあげるたび、心が軋む。引き裂かれそうだ。だから……お揃いだな、春乃。我らは今、苦しみを共有しているのだ。そのことは嬉しく思うし、数少ない救いのように思える。おまえもそうであろう、春乃? ふ……ふふっ、嗚呼愛しいなぁ! 泣き叫ぶおまえも愛らしい! いつか言っていたな。我はおまえの命も心も思うままに扱える立場にあると。その度に、徹頭徹尾自らをモノとして扱うおまえに一抹の寂しさを感じることもあったが……こうして掌の上で春乃の命を預かり、慈しみ、愛で、思うままに我で染め上げるというのは、確かに良い。おまえが正しく我のものであり、離れることなどないのだと実感することができる。怖いか? 見損なったか? だがな、春乃。申し訳なく思わないでもないが、もう遅いのだ。もう止められぬ。我はとっくのとうに、おまえに狂わされていたのだから。今更拒んでも、嫌だと言っても変わることはない。ずっと……一緒だ、春乃」
「…………レイヌ……っ」
もう、レイヌに自分の言葉は届かないのだと、スルグは嫌でも理解させられた。後ずさるスルグに、これで最後とばかりにレイヌが視線をスルグに向ける。
「分からぬか? 分からぬだろうな、博愛以外の愛を持たぬ貴様には。我らが分かたれたとき、“善きもの”はすべて貴様に持って行かれたと思っていたが……この執着は、身を焦がす愛情は、我の領分だったのだ!」
「っ! 愛する人を苦しめるのがキミの……!」
「止まれ、殺すぞ」
「……っ」
足を踏み出したスルグに、レイヌは無機質な殺気を飛ばす。本気であることを、スルグは嫌でも分からされた。
「それより、良いのか? 加護を剥奪したこの地に住む者が、どうなるのか分からぬぞ?」
「なっ……まずい!」
闇の領域全域から加護を引き払う。レイヌの取ったその選択の影響が、住まう人々にどんな影響をもたらすのかは未知数。何かがあったとき、救えるのはスルグのほかいない。
「……くっ、すまない……!」
スルグは、春乃の悲痛な叫びに後ろ髪を引かれながら神殿を後にするのだった。
やがて力の浸透の峠を越えて、春乃の叫びが収まると。
「──これで、一厘ほどか。頑張るのだ、春乃。あと千度繰り返せば、それで済む──」
女神は、少女に再び口づけをした。




