ありえたはずの、お話
これは、本来ならあったはずの出来事。
もしも、柊春乃という少女がこの世界に来なかったら。
もしも、孤独な闇の女神に寄り添う者がいなかったら。
☆
──ある時、孤独な闇の女神は、何もかもが自分とは正反対の、明るく優しく人望に溢れた光の男神を貶めようとする愚かな人間の計画を、偶然耳にしてしまった。
女神は怒った。恩知らずな人間に。それ以上に、蛮行を甘んじて受け入れようとする自らの半身に。
「スルグッ! 貴様、本当にあの人間共の企みを許すつもりか!」
女神は、男神のもとへ赴き、警告をした。迎えるであろう末路を口にし、方針の転換を促した。
「たとえレイヌの言うことが本当だったとしても、私はそれを受け入れるだけだ」
けれど、男神の答えは変わらない。自らを害する計画の委細を聞かされても、決して怒りなど抱くことはなく、普段と変わらない、人々を安堵させるどこまでも優しい微笑み。だがその笑みも、女神の目には酷く歪で悍ましいものに見えた。
「私は人々を信じている。たとえ彼らが私に刃を向けたとしても、彼らがそれを正解だと信じたのならば──」
「なぜ分からぬ!? なぜ裏切りを許容できる!?」
女神の声が、怒りに震える。
「本当に貴様は度し難い……! 嗚呼、もう勝手にするがいい! 貴様の愚行が清算される時が楽しみだ……!」
どこまで行っても、話は平行線。その事実に嫌気がさした女神は、男神に捨て台詞を吐いてその場を後にするのだった。
──あんな奴のことは知ったことではない。望み通り人間に食い物にされてしまえば良い──
そう、女神は何度も自分に言い聞かせた。けれど、それでも。
この世界において、たとえ忌々しく思っていても、年に数度許可もなく訪問してくる迷惑な相手でも、それでも……男神は、女神にとって唯一の話し相手だった。
その義理か、あるいは真の孤独に対する恐怖が、彼女を動かした。
☆
男神の力を簒奪せんと計画する者たちが、決行準備のために集合したその場所で。
女神は、姿を現した。
神の欠片を身に宿し、我が物顔で力を振るう人間たちは、多かれ少なかれ力に驕っていた。
試すように力を振るい、更なる力を我が物にしたときの夢を語る。
そういえば、男神には対の存在がいるらしい。男神を制した次は、そちらを狙っても良い──そんな会話も、確かに聞こえた。
すべてが、女神にとって許しがたいことだった。
「なっ、何だ!?」
「ぎゃああああああっ!!」
悲鳴。次々と響く、断末魔の叫び。
闇の中から現れたのは、銀灰色の髪を靡かせた女神。その瞳は、冷たく、そして怒りに燃えていた。
「我はレイヌ。闇の女神レイヌ」
女神の声が、静かに響く。
「神に逆らう愚か者の末路、その目に焼き付けるが良い」
そして、女神は自らの裁決のもと、男神を害そうと画策した人間たちを身の毛もよだつような方法で殺し尽くした。
闇に飲まれ、引き裂かれ、消滅していく人間たち。その屍を、女神はさらし上げた。見せしめとして、光の領域のすべての街の中心に死体の山を築いた。二度とこのような愚行を犯さぬように。
結果として、男神を害する計画は頓挫した。
が、しかし──
光の領域の民衆には、女神への恐怖が蔓延した。そして、その願いは男神の元へと。
「あれは危険な存在です」
「あの邪悪な女神を滅ぼしてください」
「お願いします、スルグ様。私たちを、あの恐ろしい存在から守ってください」
嘆願は男神へ頼めば叶えてくれる。それが彼らの幾年に及ぶ文化であり、学習の結果だった。
もはやそれは、民衆全員の総意だった。
あれは、女神が自らのためを思っての行動であったと、男神は理解していた。
けれど、それでも彼は、どこまでも人の願いに寄り添う存在だった。
☆
「なぜ……なぜだ、スルグッ!」
女神の叫びが、虚空に響く。
彼女は今、光の領域の中心で、男神と対峙していた。いや、対峙というよりは──封じられようとしていた。
不意打ちも同然だった、力を人間に分け与えていた男神と女神では、もはや対等な勝負は望めない。それを分かっていた男神は、卑怯も厭わず女神を封じることを選んだ。
「すまない。すまないレイヌ」
男神の声は、どんな誹りも受け入れる覚悟が滲んでいた。その瞳には、深い悲しみが宿っている。
「これが、皆の願いなんだ。好きなだけ、私を恨んで欲しい」
「理解できぬ理解できぬ理解できぬ……!」
女神が、喚くように呪いを吐き出す。
「我を封印すれば、お前も……! 均衡が崩れれば、お前が暴走する! そんなことも分からないか!」
「私は……その前に、すべての力を人々に渡そうと思う」
男神が、静かに告げる。
「そうすれば、暴走の心配はない。人々は、私の力を受け継いで、きっと素晴らしい世界を作ってくれる」
「分からぬ……あぁ!」
女神の瞳から、初めて涙が零れた。
「もう貴様の言葉にはうんざりだ! あぁ、何もかも許せぬ解せぬ汚らわしい!」
そして、呪いが成った。
「決めたぞスルグ! 我はすべてを呪う!」
その声は、狂気に満ちていた。
「たとえ我が封印されても、我の力がこの世界のすべてを滅し続ける! 後悔するがいい! ハハ、ハハハハハ!」
「……レイヌ」
男神が、悲しげに女神の名を呼ぶ。けれど、もうどんな言葉も女神には届かない。
そして──光の男神は、闇の女神を封印した。
代償は大きい。封印されたとしても、女神の呪いは封印から漏れ出し、魔物を生み出し人々を闇に引きずり落とす呪いとなって世界に残り続けた。
男神は、すべての力を人々に渡した後、肉体を保てず世界を見守る力なき亡霊となった。
それでも彼は、人々を導き続けようとした。選ばれた少女に力を与え、世界を救うように導いた。
そうして、物語は──
五千年後、『コントラスト』というゲームで語られる世界へと、繋がっていくのだった。




