生贄にされました
異世界に来たら生け贄にされた。
「ごめんなさいっ……! わたしの……わたしの役目だったのに! 春乃さんは関係なかったのに……っ!」
「あはは、だーいじょぶだいじょぶ。まだ死んじゃうって決まったわけじゃないし、ね?」
泣きじゃくる十二歳くらいの女の子を宥めながら、あたしは自分の命運を思い返す。
そう、生け贄にされたのだ。何を言っているのか分からないと思うけど、実際あたしも分かっていない。
「でも……レイヌ様が生け贄を返してくれたことなんて、一度も……!」
「レイヌ様……ね」
闇の女神レイヌ。それが、生け贄としてあたしが命を捧げる相手らしい。
着の身着のままこの世界に投げ出されたあたしを保護してくれた村は、その闇の女神様の加護によってすべてが成り立っているといっても過言ではないくらいで、そのお礼として少女を生け贄として捧げている。
その生け贄に選ばれていたのが、今あたしの胸で泣いているミナちゃんという女の子……だったのだが、そこにちょうどよく現れたのがあたし、現役JKの柊春乃。これ幸いとばかりに生け贄役を押しつけられてしまったというわけだ。
「……ミナちゃん。あたしの為に泣いてくれてありがとね。自分が助かったのに泣くなんて、なかなかできることじゃないよ」
「それは……っ」
あたしはミナちゃんの頭を優しく撫でて安心させようとした。付き合いは短いけれど、まるで妹みたいに思えてしまう。そう、ミナちゃんは良い子なのだ。まだ生け贄にされるということに現実感がないってのもあるけど、あたしの犠牲でこの子が生きてくれるなら、意味はあると思える。いや、もちろん死にたくはないんだけど!
……こんな小さい子が自分のために泣いてくれているのを見ると、逆に落ち着くというか。
「春乃さんこそなんでそんなに余裕なんですか……!」
ミナが涙をこらえながら言った。あたしは彼女の背中を優しくさすりながら答える。
「まぁ、なるようになるさ」
実のところ、あたしが冷静……というか、いまいち自分の境遇に気が向いていない理由は他にもある。
闇の女神レイヌは、あたしが密かにハマっていた乙女ゲームのラスボスなのである。
ただし、ゲーム本編の頃には世界に呪いを振りまく亡霊みたいなものになっていて、人間に加護を与えていたとされるのは五千年前の伝承の中の話だ。
つまりあたしは……乙女ゲーム世界の原作開始五千年前に転移してきたのだ!
☆
乙女ゲーム『コントラスト』。光の男神に選ばれた主人公が貴族の学校に通うことになり、多種多様なイケメンたちと恋をするという、一見よくあるタイプの乙女ゲームである。あたしは特に闇の呪いに苦しむ公爵令息アルフォードがお気に入りで……という現実逃避をしながら月夜の下を歩く。
あたしは今、村人たちに案内……というか連行されて、女神のいる神殿へと向かっていた。
「ここからの階段は一人で行け。大勢で押しかけるのは女神様に失礼にあたる……逃げるなよ」
村の男性が念を押すように言った。言われなくても逃げる場所には当てがない。あたしは大人しく見るだけでげんなりするような長さの階段を進む。
一人になったあたしは無心で歩きながら空を見上げる。そこには、澄み渡るような星空に浮かぶ美しい二つの月が見える。
あれは、『コントラスト』のキービジュアルにも描かれていたこの世界の象徴みたいなものと瓜二つ。あたしがここをゲーム世界だと考えるきっかけになったものだ。ゲームと違うのは、空模様。ゲームの中の伝承の時代……つまり現在は、闇の女神と光の男神が世界を二分していて、ここ闇の領域では昼が来ない。人々は常闇の中月明かりを頼りに暮らしているのだ。
……なんてことを現実逃避気味に考えていたら、階段を上りきってしまっていた。
いよいよあたしの人生もここまでなのか……と思いつつ、声をかける。
「あの、レイヌ様……? いらっしゃいませんかー……?」
返事はない。おそるおそる神殿の内側を覗き込んでみると、内部はもぬけの殻というか、女神様はどころかそれらしい祭壇とかも見当たらない。
拍子抜けして緊張が揺らぐ……その瞬間だった。突如、視界が闇に染まる。
吹雪が過ぎ去ったかのような感覚の後、目を開けると辺りの光景は一変していた。闇色の異空間、その中心には灰色を思わせる美女。
レイヌだ。『コントラスト』の設定資料集に描かれていた、伝承の時代の闇の女神レイヌだ。
実物は暴力的な美しさをたたえていた。腰まで流れる銀灰色の髪、陶磁器のように白い肌、そして深い紫の瞳。まるでゴシック調の人形のような、儚くも荘厳な美しさ。思わず見惚れてしまって、言葉が何も出てこない。
「おまえ、何者だ」
だが、その口から発せられる底冷えする声に否応なく現実に引き戻される。
「あ、えっと、生け贄に選ばれたんですけど……」
「村の者ではないな」
レイヌはあたしにまるで興味がなさそうな声でそう呟くと、不意に右腕を天に向けた。その手を中心に、闇っぽいオーラが蠢き始める。
「舐められたものだ……」
「ちょちょちょっと、何を……!」
苛立ちを露わにしたレイヌのあれは間違いなく攻撃の……いや、神罰の構え。しかし、それはどうもあたしに向いたものではなさそうだった。それが分かるくらいに、あたしは興味を抱かれていない。
「罰を与える。村のものに」
「なっ、なんで! 生け贄ならあたしが……」
「おまえでは意味がないのだ」
「意味がない……?」
意味がない、とはどういうことだろうか。
「生け贄とは痛みだ。人間共がつけあがることのないように。我の恩寵を当然のものだとつけあがることのないように。他所の人間を身代わりに、では意味がない」
「じゃ、じゃあ……生け贄そのものに意味はないってことですか!?」
「意味ならある。我への忠誠を示すという意味が」
つまり、この女神は。生きるためとか、力を維持するためとかそういうやむを得ない理由じゃなく、ただ村の人たちに恐怖を与えたいが為に生け贄を要求していたってこと……!?
なんて、今は考えている場合じゃない。レイヌは今にも村に対して制裁を与えようとしている。
あたしを生け贄に仕立てたあの村に思うところはある。だけど、このままじゃミナちゃんにも被害が及ぶ。それは嫌だ。何か、何か手を……!
「ま、待ったぁ!」
「っ……!?」
どうにかして止めなきゃと破れかぶれになって覆い被さるようにレイヌに抱きつく。どこか頭の冷静な部分がおそろしく冷たい身体だと心の中で呟いた。
「貴様……覚悟は良いな?」
案の定というか、レイヌのあたしへの感情が無関心から強烈な敵意と怒気に塗り変わる。恐ろしく鋭い眼光と、初めて感じた殺気らしきものに身が竦む。だけど、ここで折れたら意味がない。
「あ、あの! レイヌ様はもっと人を信じた方が良いと思います……!」
「なんだと?」
血の底から響くような声。楯突いたことを後悔しそうになるほどの重圧を感じるけど、こうなったらもう破れかぶれだ。
「村の人たち、みんなレイヌ様のこと尊敬してました! 今の生活があるのも、みんなレイヌ様のおかげだって!」
実際、あの村で女神レイヌはちゃんと崇められていた。「だから生け贄は名誉なことだ」とか言われたときはその名誉な役目を押しつけてきた身で何を言ってるんだとも思ったけど、彼女が慕われているのは確かなはずだ。
「だから、生け贄なんかなくたってちゃんと……ごふっ!?」
ちゃんとやっていけると、そう言いかけて……言葉が、いや呼吸が詰まる。同時に、強烈な首への圧迫感。
見れば、あの闇があたしの首に纏わり付いている。そして、レイヌに覆い被さっていたあたしの身体は私の意思を無視して宙に浮き、見えない壁に磔にされたような形になる。
「黙れ。大した付き合いもないおまえにあの村の者たちの何が分かる? 我の前で根拠のない妄言を吐くな……!」
苦しい。視界が霞む。このままでは……死ぬ。
いよいよ意識を手放しそうになったところで、不意に首への圧迫が緩んだ。
「がはっ……はっ……はっ……」
「どうだ? 間違いを認める気になったか?」
空気を求めて必死に呼吸をするあたしを見て、狂気的な笑みを浮かべるレイヌ。屈服を求められているのは分かるけれど、ミナちゃんのために頷くわけにはいかない。
「……ふん、そうか」
レイヌはあたしに折れる気がないことを悟ると、つまらなさそうに鼻を鳴らし、あたしを宙に縛り付けていた力を解いた。
「え……」
闇の中、地に投げ出されたあたしは拘束を解かれた理由が分からず、困惑した。端から見れば、ぽかんと間抜けな顔をしていただろう。そんなあたしがおかしかったのかどうなのか、レイヌが唇を吊り上げる。
「おまえに間違いを認めさせてやりたくなった」
「どういう、ことですか」
「痛みを忘れた人間は、いずれ感謝を忘れ我を裏切る。おまえを殺すのは、その様を見せてからにしてやろう」
そう言ってレイヌが浮かべた笑みは、正にラスボスそのものといった様相だった。




