犀河原慧十郎の初恋(3)
「高い……高い知性……?」
思わず声に出してしまったら、お義父さまは笑った。
「それは……まぁ。人並みであるということは、昔に比べたらずっと高いんだよ」
人並みは否定しないらしい。
ですよねー。高くはないですよねー。
それは納得として、あとはなんだっけ。
人の心の柔らかさと……肉体を苦しめる異能の力に打ち勝てる者だっけ。
人並みの心はあると、ひとまず信じることにしよう。
残るは肉体を苦しめる異能力。苦しんでないなら、打ち勝ってることになる?ってことかな?
なんにも……特別な能力持ちではないけれど……。
それでも、だからこそ、特別だと言うのかな。
「鬼については聞いている?」
鬼。
何度か聞いている。それは彼から。
「はい。小さな頃と最近、若君様から」
そうか、と頷く。
「私たちはね、鬼、と呼ばれた、異形の者の子孫なんだ」
異形の者、ミズナは鬼と呼ばれていたのだと、お義父さまは穏やかな口調で語る。
「鬼は人より強く、異能の力が使えた。サイキの力の元になる力だ。今我らが使える力よりずっと強いものだった。強いが故に、人の肉体では抱えきれなかった。それはうちから溢れるサイキとして、また形を変えて妖鬼の姿となって、今でも我らの身体を蝕むように襲う。サイキの力は一見万能であるようでいて、力の強さは肉体の脆さと比例しているんだ。猪瀬の息子を襲ったようにね。分かるかい?」
「はい」
何より私の肉親が、妖鬼に襲われ亡くなったのだから。
「一族の中には、力に驕る者も力を崇める者も出てきたが、その度に、彼らは自らの力に飲まれて苦しんだ。我らは歴史から学び、次世代へと語り継いで生きて来ている。力と心を制御しない限り、長くは生きられない種族なのだと。子供たちにそれを学ばせる場があの学園だ」
陽奈のために、一緒に一族の高校に通い出しただけだったけれど、あそこはそんな学びの場所だったのか。
「時に社会のために力を使い、人と共存できるよう、我らは助け合いながら生き延びて来た。いつか、力に苦しめられることなく、完全なる人と鬼の合いの子になれるようにと願いながらね」
犀河原家の当代ご当主さまは、そっと私の頭を撫でる。
そしてその端正なお顔を破顔させる。
「君のような子が生まれる未来が来ることを願ってね」
慈しむようなその眼差しがとても不思議だ。
「サイキに苛まれず、妖鬼に惑わされず、人と同じように生きられるもの。それが君だ」
キラキラとした魅力的な笑顔を向けられる。
そのお顔の眩しさに目を細めてしまうのだけど、頭の中は疑問でいっぱいだ。
「あのぉ……」
ん?とお義父さまは私の顔を覗き込む。
「人と同じように生きる……」
「うん」
「だけですか?」
「うん」
「それって、普通の人ってことですか……?」
さっきから何かおかしいと思いながら聞いていたけど、要約するとこういうこと?
「うん。そうだよ」
ああ、やっぱり。
「我らの血族が、やっと……人と一つになれた」
大層な響きに聞こえるけれど、私の立場にしてみれば、普通の人だよってことだ。
「普通の子供なんですよね」
「うん。そう。君は普通の子だ」
私は普通らしい。
「正確には違うのだけどね、うちなるサイキは無限大だしね」
ニコニコととても嬉しそうに語られるので困惑してしまう。
サキとミズナの記憶は朧げながら私の中にも引き継がれている。壮大な物語のような記憶だったけれど、映画を観たような感じ。私の中にも同じ血が流れているというのは、なんだかピンと来ない。
「やっと……君に伝えられた」
肩に添えられた大きな手に力がこもる。
「私と妻はこの日を待っていたんだ。君たちが10歳のあの頃から、ずっとね」
それはつまり、私が全てを忘れたあの時から。
「子供の頃、楽しそうに寄り添う二人の姿は、幸福な一枚の絵のようだった。一族待望の子供と、先祖返りの子供が笑っている。まるでかつての鬼と人の姿のように思えた。過去を背負い、血を繋ぎ続けた我らが、苦しむだけではなく当たり前のように笑顔を生み出せる生き物であると、思い出させてくれるように」
私はいつも胸が詰まる想いで見守っていたんだよ、と言う。
「君が望まないならば、何も伝えないつもりだった。だが君が望んでくれるのなら、私は君の力になりたい。ただの親代わりとして、これからもずっと、頼って欲しいと思っている」
「お義父さま……」
「うん。また、そう呼んで欲しいんだ」
「ありがとうございます」
何もかも忘れた私を、父親代わりだったこの人は、ずっと見守ってくれていたんだろうか。
「本当はね、慧十郎があの日ほどこした私たちのことを忘れる暗示は、すぐに解けてもおかしくないものだったんだ」
「……え?」
暗示?サイキの能力じゃないの?
「他の者にはともかく、君には、本来ならばサイキの力は通用しない。だがかかってしまった。おそらく、君が慧十郎に信頼を置いていたからかかりやすかったのだろう。もしくは……君自身にかかりやすくなる要因があったのかもしれない」
「……」
あの時、子供だった。心のどこかでは、忘れたいと望んでいたのかもしれない。
「小石の家に帰した後も……私たちは把握していなかったんだが、君の祖父母は、君に思い出させようとして厳しく教育していたらしいね。気が付いた時にはやめさせて、君を親戚の家に向かわせたんだが」
「え?ええ?」
おばあちゃん私に思い出させようとしてたの!?
「我らの掟があるんだ。いつか『その子』が現れたときには、我らの中には縛らず、一族のしがらみから抜けることを許すと。当初犀河原家に置けたのは、君の意思があったからだよ」
えっと、私の意思があったから犀河原の本家に行くことが出来たし、出てくのも自由だったと……。一族を抜けて叔父さんちに引き取られた流れも分かってしまった。
「……」
なんというか、絶句だ。
いろんな謎が解けていく。
何もできない私が、若君様の婚約者になれたのは、一族待望の完璧な子供だったから。けれどその実、何にもできない普通の子なので、一族の守りから抜けさせてもらうことができてしまったんだ。
でもでもでも。
それでもやっぱり、一言で言うと。
「つまり、私は普通なんですよね?」
「そうだね」
「……」
普通だった。
複雑な気持ちが表情にも出ていたのか、お義父さまは私の頭を撫でて言った。
「君は、君で居てくれるだけでいいんだよ」
「……」
「普通に生きて、学び、社会に出て、暮らしていく。君の普通の暮らしは、まだ生まれていない、これからの子達への希望となるんだ。ずっと諦め掛けていた我らの理想は、確実に訪れるのだと」
ぽんぽんと優しく頭を叩かれる。
子供の頃あやしてくれたのと同じように。
だから私は安心して、思っていることを伝えることが出来る。
「戻ってもいいんですか……?」
「え?」
「私が犀河原に戻って、血族の中の誰かとの子を育んでも、いいんですか?」
私の台詞にお義父さまは動きを止めて、私を見つめる。
そして低い声で、うん、と言った。
「私と妻は……ずっとそれを望んでいる」
嬉しそうに笑う。
「だが君は自由だ。君がこの先、どんな血を残そうとも、一族の誰も干渉しない。またどう生きようとも私は力になり続ける」
「ありがとうございます、お義父さま……」
お気持ちが嬉しくて、それにご当主さまを頼りにしても良いのなら、力強く思える。
「戻ることに反対する人はいますか?」
「うーん、一番には、慧十郎だろうけど……。一族が君を受け入れないと言う選択肢はないよ。どんな派閥でもだ。本来は近くに置いておきたいくらいなんだ」
「そうなんですね」
何もできない私だけど、一族の中には受け入れられるらしい。
「あとはまあ、慧十郎に近付くのならば、若い女の子たちは反対するかもしれないけれど」
それは存じてます……!
「とは言ってもねぇ」
ふふ、とご当主様は笑う。
「はい?」
「噂になってたんだってね、学園で。次期当主、まぁ今は慧十郎って思われているんだけど、その花嫁が選ばれるんだって」
「……はい」
当代ご当主様は楽しそうだ。
「花嫁など、最初から決まっているのだとしたらどうする?」
「……はい?」
にんまりとした笑顔で言う。
「慧十郎が花嫁をもらう気になるのなら、それは君しかありえないんだよ」
はい?
私しかありえない? WHY?
「慧十郎は、先祖の色濃い血を絶やすと誓い、それに賛同する派閥を味方につけてしまった。だから誰かを花嫁に選ぶことはありえない。だがそもそも、君との婚約を反対するものなど居なかった。それはなぜか分かるかい?」
「……?誓う前だからではなく?」
「君が特別だからだ。先祖返りの血さえ、君の身体なら中和させるだろうと考えた」
血を……中和させる?
「君が伴侶になるのなら、先祖返りの血も薄まると……一族皆が納得出来たからなんだ」
え、私そんな存在……?
ん?……あれ?だから婚約することになったの?
「若君様に望まれたんじゃなかったんですか!?」
これはかなりのショックだ。ががーんという効果音が響いてきそう。
今更ながらに、血の問題で選ばれただけだったとは。
「ああ……違うよ。婚約は、慧十郎の意思だ。君が良いと、彼が望んだ。あの子は、人間を遠ざける性格をしているだろう?よほど好いた人間しか側には置かない」
そこまで好かれた覚えもないので、なんだか居た堪れない気持ちになる。
「時が経っても変わらないよ。慧十郎が君と結婚することを反対する者などいない。そうすることで、もともと能力が高いあの子が当主の座につくことに反対出来るものもいなくなる。花嫁に選ばれる者がいるとすれば、それは君しかいないんだ。まあ、本人が一番手強く反発しそうだが」
若君様自身が、当主になることを望んでないんだもんね。
「私も妻も、君を娘のように思っている。ずっと力になる」
だけど、とご当主さまは続ける。
「息子の嫁に来てくれるのだとしても、歓迎する。頑固者を説得するのは骨が折れることになるだろうけれど、頑張ってみるかい?」
ご当主様は、何度も何度も、私に覚悟を問うようだ。
「もちろんです!」
覚悟なんて、本当は分からないのだけど。
若君様に恋に落ちたときには、私の道は決まっていた気がするのだ。




