犀河原慧十郎の初恋(2)
んんん?
ご当主様はなんとおっしゃった?
「他に誰も……いないんですか?」
「そうだよ」
誰もいないと言うことは、私しか居ないってことだ。
そんな馬鹿な。あの麗しくも尊い若君様にお相手の候補すらいないとは。
「ご冗談を……」
ハハハと笑って言うと、ご当主様はにっこりと笑う。
嘘をついている様子は微塵もない。まさか。
「候補になったのは、君だけだ」
いやまさか。そんなそんな。
「本当だよ」
……。
「――なにゆえ!?」
素っ頓狂な声を上げると、ご当主様はふふと笑う。
「美月ちゃんは、本当に素直だね。あの慧十郎が一瞬で懐いただけのことはある。分かりやすくて、安心するよ」
「……」
懐く……ってなんだっけ?
「さて。本家の話をしよう。慧十郎が18になるまで公にはされないが、後継者には、次男の誠が指名される予定になっている」
「え……?」
後継者は……若君様の弟さん?
「どうしてですか?若君様に何かあったんですか?」
ずっと体調が悪そうに見えていた。もしかしてご病気とかなのだろうか。
「いや、平たく言えば……本人の意思かな。資質としては、慧十郎の方が優っている。兄の補佐を願っている誠も、慧十郎が継ぐことを望んでいる。だが本人が、10の誕生日に決めてしまったんだ」
10歳の誕生日。あの日のことだ。
「先祖の血の色濃い自分には、この血を残すことを許したく無いと」
血を残すことを許したく無い……?
子供が語るにはなんだか物騒な台詞だ。
「慧十郎は、始祖そのもののように生まれ持った能力が高い。高過ぎるんだ。それを良きものとして崇拝するものもいれば、一族の念願とは異なるものだとして排除しようと思うものもいる。一族の中でも意見が割れているところに、本人が宣言してしまった。色濃い血は自分が絶やすと」
子供の彼も言っていた。自分は先祖返りだって。
だけどそんなに大袈裟な話だとは思ってもいなかった。
「俺と妻は、それを望んではいない。だが慧十郎は一族を味方に付け、代替わりは弟に任せることに勝手に決めてしまった」
つまり、次期ご当主様は若君様の弟になるのか。
「けれど、意見は割れている。決定を先延ばしにしたままだから、知らぬものの方が多い」
「……」
学校でもそんな話題を聞いたことがなかったから、きっと子供たちは知らないことなんだ。
「若君様は……継がれずにどうされるのですか?」
あんなにも一族のことに心を砕いている彼が跡を継がないなんて。
「海外の支部を回ると言っていた。もちろん、生涯結婚もしないと。だからね、慧十郎には新しい婚約者が現れることもなければ、君以外とは結婚することもないんだよ」
突然の私との結婚話。
なぜ、跡継ぎの件と私の結婚が繋がるのか。
「私以外とは、ですか?」
「うん」
「……どうして私ですか?」
小さな頃に、子供のおままごとのように将来を誓ったことがある。なのに、高校生になった今でもあの約束が続いているかのような話をされる。
「美月ちゃん」
「はい」
一族を統括するご当主様からの、厳しい眼差しが注がれる。
「部外者には、これ以上は話せないんだ」
「……」
「もう一度聞くよ。君は、慧十郎のお嫁さんになる気はあるかい?」
ご当主様は、再度同じことを私に聞いた。
最初のからかうような口調ではなく、私の覚悟を問うている。
何も分からない。自分のことも。彼のことも。
犀河原家の長男の嫁なんて非現実的だ。
普通の家庭で暮らしながら、普通に就職して、いつか誰かと出逢えたならばささやかな結婚をするんじゃないかと思っていた。
なのに。
「あります」
私は即答してしまう。
子供の頃の私の気持ちは、今も生々しく残ってる。愛することがわからないと言う彼に、それでも優しくしたいと願ってしまった、小さな私。
高校生の私が、もう一度彼に優しくしたいと思うならば、きっとあの時と同じ立場にならなくてはいけないんだ。
もしかしたら今の彼には、私がこう思うだけでも迷惑になるのかも知れない。
それでも私は。
「慧十郎様の力になりたいんです」
今の私たちは、結婚も婚約も程遠い関係。
彼が何を考えているのかも分からない。ならばせめて、お気持ちを聞かせてもらえる立場になりたい。
今にも倒れそうなあの人の力になりたい。
瞳を翳らす彼に、子供のときのように優しくしたい。その気持ちの延長が結婚することになるのなら、私は、自然な気持ちで受け入れることが出来てしまう。
ご迷惑になるなら、近付くことを彼が望まなかったならば、お気持ちを聞いた上で遠くから見守らせてもらえればいいだけだ。
私の返事を受けて、ご当主様は花が咲くように微笑んだ。
そして腕を伸ばすと私を抱きしめる。
「美月ちゃん」
「はい」
「君に、直系一族に伝わる記憶を授ける」
「……はい」
記憶?
「俺は、俺たちは、君と慧十郎の二人に、これを託したいんだ」
ご当主様の言葉と共に、私の視界は暗転した。
意識が遠のく。
虹色の光の中に、私は包まれる。
――ああ、これは、サイキの力の中だ。
無数の光の渦を見守っていると、次第に光の中に一組の男女の姿が映し出された。
女の名は、サキ。
男の名は、ミズナ。
山に囲まれた農村の風景が広がっていた。
サキは貧しい村に生まれたけれど、明るく優しい娘だった。だから山の中で血だらけで倒れていた『異形の者』を放っておくことが出来なかった。
『異形の者』の体躯は大きく、人にない力を使う者だった。また人を惑わすほどにとても美しい顔をしていた。人は自らより力強い『異形の者』を恐れ、迫害し、討伐していた。
サキが介抱した『異形の者』の名はミズナ。ミズナは異形の一族の、最期の王であった。人に滅ぼされていく一族を率い、戦いぬき、ただ死を待つのみの男であった。
山の中に瀕死で倒れ、いずれ訪れる死を待っていたけれど、女の手厚い看病で体を癒していく。ミズナは初めて、人の優しさや、細やかな感情に触れた。それまでただ外敵であった人に、彼は少しずつ心を開いた。
二人が心を通わせるのにそれほど時間は掛からなかった。二人は共に生きることを約束し、女は男と共に山に消えた。
二人は愛し合っていた。
けれどたった二人きりになっても、共に生きることは難しかった。
生まれ育った環境も、考え方も、出来ることも何もかもが違う。日々喧嘩を繰り返しながら、試行錯誤を続ける。
何度も共に居られないと思いながらも、二人は離れることはなかった。何年も時間をかけて、受け入れることや、分かりたいと歩み寄る心の大切さを知っていく。
子を産み母になったサキは言った。
いつか、この子が人と共に暮らせますように。
父となったミズナは言った。
いつか、叶うだろう。我々は争わずとも共に暮らせる。
そんなミズナにサキは言った。
その時には、あなたはもう人を殺さなくてもいいのね。
転機は、数年後に訪れた。
新たな『異形の者』が人に見つかってしまった。サキの産んだ子が村に降りてしまったのだ。
村人たちは子を追い、子を迎えに来た母を見つける。
サキは人であったけれど、人に『この鬼め!』と罵倒され殺された。
二人の子は間一髪ミズナにより助け出されたが、サキの亡骸を見たミズナは激情に駆られた。けれど彼は耐えるように一粒の涙をこぼすと、子と亡骸を抱きかかえ山に消えて行った。その後、村人に彼らの姿を見たものはいない。
時が経つ。
子はすくすくと育ち、成人すると、役目を終えたように父親が亡くなった。
子は気付いていた。
自分は人と『異形の者』の合いの子だと。
人は肉体は弱いけれど、しなやかな心と高い知性を持っていた。
『異形の者』は強靭な肉体と異能力に優れていたが、心はとても脆かった。伴侶を失った父が跡を追うように亡くなったように。
そして合いの子である自分は、見目麗しかったけれど、肉体は脆弱で、異能力を使えば体を疲労させる半端者だった。
『異形の者』の力は、人の肉体では耐えられないのだろう。
子は力を隠しながら、人の里に降りて暮らした。人に紛れながら、子は伴侶を得、また子を成していく。そして、合いの子であるが故の、自らの寿命の短さを、若くして知った。
父と母の言葉を子は覚えていた。
――いつか、この子が人と共に暮らせますように。
――いつか、叶うだろう。我々は争わずとも共に暮らせる。
そして子は思う。
――いつか、人と異形が望み合い結ばれた証拠である合いの子が、完璧な子供として生まれて来ますように。
彼は死の間際に、きっと自分の子も、制御出来ない力と弱い体に同じように苦しむだろうことを憂いていた。
――人の心の柔らかさと、高い知性を持ち、肉体を苦しめる異能の力に打ち勝てる者が現れたとき。きっと、我らの争いは真に終わるのだろう。
――いつか。
想いは引き継がれる。子の子に。またその子に。
人に紛れて暮らし、『異形の力』よりはずっと弱くなったものを、まれに人を助けるために使った。異能の力を制御出来ないことに苦しみ続けた。けれど人とは争わない。
最後の『異形の王』が、激情に駆られながらも人を殺めなかった、その想いは、未来に継がれていく。
――いつか未来に。
――いつか、あなたに。
じんわりと汗をかいている。
肩に置かれたご当主様の手が熱い。
「美月ちゃん」
呼びかけに応えるように目を開けると、そこはいつもと変わらない我が家のリビングで、だけど美しい人が私を見下ろしていた。
「お義父さま……」
「うん」
彼はにっこりと笑うと、私の頭をぽんぽんと撫でた。
頭が混乱する。
映画のように、頭の中に映像が流れ込んできていたのだ。
目がチカチカする気がする。
「君は、我らの待望の、完璧な子供だ。どんなサイキも、君には影響を及ぼせないし、君も、その力で人を傷付けることが出来ない。誰よりも高いサイキの持ち主なのにだ。そしてその肉体のうちでは、あらゆるサイキを中和させることが出来る。君自身の中にある、万華鏡のように輝くサイキの中に溶かし込んでしまうんだ」
「はぁ……」
ぼんやりと相槌を打つ。
「人の心の柔らかさと、高い知性を持ち、肉体を苦しめる異能の力に打ち勝てる者が現れたとき。きっと、我らの争いは真に終わるのだろう。そう、二人の子が言っていた言葉を聞いていたかい?」
「はい……」
ご当主様がにこりと笑う。
「それがね、君だよ。美月ちゃん」
……高い知性などどこにも持っていませんが!?




