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犀河原慧十郎の初恋(1)

 一晩中、思い浮かぶのは大好きな人のことばかり。


 小さな頃、一緒に眠っていた、無垢な寝顔の男の子。うなされると優しく抱きしめてくれた。


 その面影は、初恋の男の子に引き継がれる。明るくて、運動が出来て、頭も良くてみんなの人気者のその子は、いつか誰かを好きになるなら、私のような子がいいと言ってくれた。小さな頃の彼が言っていたのと同じ台詞だ。


 そうして高校になってから出逢った若君様。私は彼に一目で恋に落ちた。彼に出逢う度に、私はいくらでもはじめての恋に落ちられるみたいだ。


 寂しがりやだった小さな男の子の面影は、触れ合うことで安心するように眠りに落ちる……今の若君様の中に残っている。


 もうすぐ6年が経つ。小さな子供がもう高校生になった。お互いに違う恋人がいても、将来のことを決めていてもおかしくない年頃だ。彼は今、何を想って何を望む人になっているんだろう。

 

 どうして涙が溢れるのか分からないまま、私は溢れる感情を抱き締めながら眠りに落ちた。








 そして、お岩さんのように瞼を腫らして朝を迎えました。おはようございます。


「美月ちゃん……!?大丈夫?」


 階段から降りてきた私に、おばさんはぎょっとした顔をしてから言った。


「大丈夫です……」

「具合悪いの?」

「ううん。泣いただけ……」

「ちょっと座って待ってなさい。タオル持って来るから」


 台所の椅子に腰掛けて待つ。

 テーブルの上には朝食の用意がしてあって、たてられた珈琲の良い匂いが漂っている。


「ほらほら、これで冷やして」


 おばさんは冷たいタオルを私の顔に宛ててくれる。

 おばさんは、私の本当のお母さんの弟のお嫁さんだ。つまり叔父さんの奥さん。


 ずっと、父親と母親の代わりに育ててくれた。


「そろそろ出勤時間だけど、今日はどうする?」

「休んでもいい?」

「その顔だもの、ダメとは言わないわよ。学校に電話しておいてあげる」

「ありがとう。今日は寝てる」

「本当に大丈夫?」

「うん」


 おばさんは苦笑しながら私の頭をポンポンと叩いて仕事に出掛けた。彼女は訳ありの私を引き取っても、いつでもサバサバと笑って育ててくれた人だ。


 おかげで私は、平和な日常をぬくぬくと生きることが出来たのだ。


 そう。


「平和だ……」


 今日はいい天気で、明るい日差しが差し込んでいる部屋の中にはテレビの天気予報が流れている。


「夢みたい」


 椅子に座って、ぼんやりと考える。思い出したこと全部が、今でもやっぱり、非現実的。


「若君様の婚約者って……」


 ないないないない。剣くんじゃないけど、なんでお前が!?と言いたくなる。いやむしろ、言われたい。


「無理だって……」


 家でゴロゴロ寝転がって漫画を読んでるのが好きなこの私が、あのお屋敷で若君様の隣に立ってそそとお上品に振る舞っている姿など想像も出来ない。子供の頃の私は何にもわかってなかったからあそこにいられたのだ。


 冷静になればなるほどありえない。都合の良い妄想をしているんじゃないかと自分の頭が心配になる。


 でももしも。妄想じゃなかったら、現実だったら、時系列的には、両親の事故の後犀河原の屋敷に引き取られて、一度おばあちゃんちに戻ってから、この叔父さんの家に引き取られたってことだよね。もうずっと、普通の暮らししかしてなかったけど……。


 考え出すとキリが無い。私がここに来るのは誰が決めたんだろう。一族から離そうと誰かが言ったのかな。それは慧くんなのかな。とか。


 ぐるぐると同じことばかり考えていると、家のチャイムが鳴る。宅配か。


 開けた扉の向こうに居たのは、黒いスーツを着た背の高い男性だった。艶やかな長い黒髪を後ろで一つに束ねている。


 目を丸くしていると、整った顔立ちに余裕のある笑みを浮かべ彼は言った。


「……久しぶりだね。美月ちゃん」


 親しい女性に向けるような魅力的な笑みは、だけど慈愛に満ちている。


 全然変わっていない……。


 お若い頃から、まるでほとんど歳を取っていないかのように若君様そっくりなその人。


「お義父さま……」


 小さな頃、若君様と婚約する時には本当の父になれると喜んでくれた犀河原家のご当主は、私の返事に嬉しそうに微笑んだ。そして大きく両腕を開くと、柔らかく私を抱きしめた。


「思い出したんだね。約束通り……16歳になる前に会いに来たよ」









 日常空間に突然の非日常。


 我が家に不釣り合いなくらい美しい人がソファに腰掛け、私の出した粗茶を飲んでいる。彼はカップを置くと笑顔を私に向けた。


「猪瀬家と小石家から連絡が、一応あってね」

「はい」


 一応ってなんだろ。


「それぞれの息子と娘を婚約させたいとね」

「はぁ……」


 ん?


「え?猪瀬くんと陽奈ですか?」

「そう」

「……本当ですか!?」

「うん。もう了承してあるんだけど、本家の許しが必要なことじゃないんだけどね」


 ええーー、陽奈たち行動早い!


「勘違いされているみたいだけど、そもそも陽奈さんは、慧十郎の婚約者候補でもなかったんだ」

「……」


 陽奈が候補じゃなかった?

 学校の人たちも、猪瀬くんもそう思っていたし、おばあちゃんもそう言っていた。


 私の視線を受けて、ご当主様は楽しそうに微笑む。


「美月ちゃんの報告も受けて、ピンと来てね、会いにきたんだ。それでね、美月ちゃん」

「はい」

「慧十郎のお嫁さんになりたい?」

「……え!?」


 ぱちくりとご当主様をみつめる。


「な、な、な、何故ですか?」

「何故って……約束したじゃないか。16歳になる前にもう一度聞くよって」

「……約束ですか?」


 した覚えなど微塵もないけど、あれかな。婚約発表の前に、今は子供だから大きくなったらもう一度聞くよと言ってたやつかな。


「もう一度……聞く必要があるんですか?」

「うん。もちろん」


 当然のように答えられて困惑する。


「何故ですか?」

「なんでだと思う?」


 質問返し!若君様とご当主様はよく似ている。考えろというのだ。


「私は、もう犀河原のお屋敷を出ました。今は彼の友人でも、婚約者候補でもありません。もう一度聞く必要がありません」

「ふむ」


 考えるようにしてからご当主様が言う。


「そう思ってるのは、慧十郎と君だけかな」

「……え?」

「僕と妻と、そして一族の意向は何も変わっては居ないよ」

「どういうことですか?」


 ご当主様は困ったように笑った。


「君はずっと、慧十郎の婚約者候補のままなんだよ。そして候補は他に、誰もいない」









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