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刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第四部 天下人の時代——統一と終わりの始まり / 第一章 信長——武士の慣習を壊した男

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第11話:海の楯

 ――天正四年(一五七六年)七月、摂津・木津川口。

 大坂の海に、戦があった。

 摂津の石山に、本願寺があった。一向宗の、総本山である。堀をめぐらし、塀を高くし、寺というより、巨大な城だった。全国の信徒が、この石山本願寺を支え、信長に対して、十年にわたり、抗い続けていた。長島の信徒を焼いた信長にとって、この石山こそ、最後の、そして最も手強い、仏の敵の本拠だった。

 信長は、石山を、囲んだ。

 陸の道は、断った。でも、石山は、落ちなかった。海が、あったからだ。大坂湾から、淀川をさかのぼれば、石山の喉元まで、舟で兵糧を運び込める。その海の道を、握っていたのが、毛利だった。

 毛利の水軍が、兵糧を満載して、木津川の口へ、現れた。

 その水軍の主力が、村上の水軍である。

 瀬戸内の海に、何代も根を張った、海の武士たちだった。二十年前、厳島で、毛利元就のために、陶晴賢の大軍を、海の上から打ち破ったのも、この村上水軍だった。潮の流れを読み、舟を自在に操り、敵船に取りついて焼き払う――海の戦に、かけては、当代に並ぶ者のない、精鋭である。

 織田の水軍が、その村上を、木津川口で、迎え撃った。

 結果は、織田の、惨敗だった。

 村上の水軍は、安宅船(あたけぶね)という大型の軍船を操り、小回りのきく小早を群がらせて、織田の船団を、囲んだ。そして、焙烙火矢を、雨のように、撃ち込んだ。焙烙とは、火薬を詰めた、焼き玉である。投げ込まれれば、船は炎に包まれる。木の船は、火に、弱い。織田の船団は、つぎつぎと燃え上がり、海に沈んだ。

 信長は、海では、勝てなかった。

 陸で、いかに鉄炮を揃えようと、海の上では、村上の焙烙の前に、なすすべがなかった。兵糧は、石山へ運び込まれ、本願寺は、息を吹き返した。海の道を断たねば、石山は、永遠に落ちない。信長は、そのことを、思い知らされた。

 信長は、海の戦に、新しい船を、投じることにした。



 ――天正六年(一五七八年)十一月、木津川口。

 二年後、木津川の口に、見たことのない船が、現れた。

 九鬼嘉隆(くきよしたか)という、志摩の海の将が、信長の命で、造った船である。後の世は、これを、鉄甲船と呼ぶ。船体に、鉄の板を張ったと、伝わる。村上の焙烙火矢が、いくら撃ち込まれても、鉄の楯が、炎を、防ぐ。木の船を焼く焙烙が、効かない船だった。

 その船の、本当の姿は、わからない。

 どれほどの鉄を張ったのか、何隻あったのか、大筒を載せていたのか――後の世に伝わる話には、大げさも、混じっていよう。確かな絵図も、残ってはいない。ただ、これまでの船とは、まるで違う、大きく火に強い船が、木津川口に現れた――それだけは、確からしい。

 村上の水軍が、その船に、襲いかかった。

 いつものように、小早で囲み、焙烙を、撃ち込んだ。でも、火は、船を焼かなかった。鉄の楯に、阻まれた。そして、その大船から、逆に、大筒の弾が、撃ち下ろされた。海の戦の名手・村上水軍は、初めて、自分たちの戦法が、通じぬ敵に、出会った。

 村上の小早の一艘に、年老いた楫取りがいた。

 少年のころから、潮だけを読んで生きてきた男である。厳島の夜も、二年前のこの木津川口も、この男の腕は、潮の変わり目を外さなかった。その楫取りが、投げた焙烙が鉄の船腹で砕けて、火の粉のまま海へ落ちるのを見て、初めて、楫を握る手を、止めた。

 潮は、読める。でも、鉄は、読めない。

 海の武士たちが何代もかけて磨いた技の、外側から、その船は来ていた。楫取りは、燃えぬ船を、ただ、見上げていた。

 村上は、退いた。

 厳島で陶の大軍を屠った海の武士が、新しい船の前に、引き下がった。海の道は、断たれた。石山本願寺へ、兵糧は、もう、届かなくなった。

 兵糧の尽きた石山本願寺は、二年後、ついに、信長に降った。

 十年続いた、信長と本願寺の戦は、海の上の、鉄の楯で、決した。

 長篠で、馬を駆る武士が、鉄炮にふるい落とされた。

 木津川口で、海を操る武士が、鉄の船にふるい落とされた。

 陸でも、海でも、同じことが、起きていた。長年かけて磨き上げた技と勘が、新しい技術の前に、無力になる。一騎当千の騎馬武者も、潮を読む海の武士も、その積み重ねごと、過去になっていく。厳島で勝った村上の海も、長篠で散った武田の騎馬も、ふるい落とされる側へ、回った。

 信長は、そのふるい落としを、起こす側に、立っていた。

 古いものを、壊し、過去にする。それが、この男の、やっていることだった。武士の慣習も、海の武士の技も、仏の権威も、将軍の血も、役に立たぬものから順に、道具棚から外されていった。

 そして、壊した跡地に、信長は、新しい秩序を、築こうとしていた。

 その秩序の中心に、一つの城が、湖のほとりに、立ち上がろうとしていた。

 安土である。


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