7-1 大帝賞⑦
春の訪れは、大帝賞にて感じる。
春の大帝賞の開催は、萌芽月の最初の皆休日と決められている。
大帝賞は元々、葡萄月において、無事の収穫への感謝を示すために始まったとされている。それが、種蒔きの時期、つまり半年前の、萌芽月においても感謝するべきではないかという意見があり、春にも行うようになった――というのが建前で、アクセル号とアクセルテグ号の幻の決着を見るためというのが、本音なのだと思われる。
帝立第二競竜場。
大帝様がご覧になっている競技場を翔ける、十二頭の竜たち。
今年、大帝賞を飛ぶ五歳竜、986年生まれ世代の成績は、ファンディルサーガ号が四勝、ボンヴァルノン号が三勝、アフカード号が二勝、アウカタイサナー号、バーゲンレックス号、シヴァモンガ号がそれぞれ一勝であり、これら六頭がまず出翔権を得た。バーゲンレックス号などは、観客投票四位を受けながらにタルギタオス記念にて失態を演じ、今年の初めのアクセルテグ記念には出翔していなかったが、アクセル記念を勝利した竜として、出翔権は他の重賞勝利竜と同様に、優先的に付与されている。
十二頭立てということで、残りの六頭はこれまでの成績を基に選出される。重賞勝利竜が六頭に集中しているというのはなかなかない事態で、それだけ、実力ある竜が少ないという解釈もできるだろうが、重賞で二着を数度取ったことのあるジェディリネーク号やユークスレーバリン号、あるいはソスラン金杯勝利竜のレームフィデン号など。単純な重賞勝利数だけでは測れない強さの竜たちが、我こそは世代最強であると、勝利を狙っている。
あのアクセル号とアクセルテグ号が競った大帝賞も、そうであった。二頭に六冠ずつ獲られてしまっていたとはいえ、同世代には現代に血を残す名竜のサイネグエルダー号やアモンガ号がいたし、大帝賞で勝利したのは結局、アクセル号でも、アクセルテグ号でもなかった。
今回の出翔竜は以下の通り。
①番ボーバーファザー号。
②番レームフィデン号。
③番アウカタイサナー号。
④番バーゲンレックス号。
⑤番ボンヴァルノン号。
⑥番マカアーガル号。
⑦番アフカード号。
⑧番シヴァモンガ号。
⑨番ファンディルサーガ号。
⑩番カージュテン号。
⑪番ジェディリネーク号。
⑫番ユークスレーバリン号。
ベレー様が乗られるボンヴァルノン号のこれまでの勝ち鞍は、オリヴィエ記念(9フェレン)、ロット記念(15フェレン)、ダノワ記念(10フェレン)。長距離のロット記念を勝てているというのが大きな有利点で、16フェレンの春の大帝賞も、距離的不利感は全くないのである。
ただし、ボンヴァルノン号の最大の好敵手と思われる四冠竜ファンディルサーガ号は、ロット記念にて二着だった上、12フェレン半のタルギタオス記念を勝っているため、充分に警戒すべきだろう。まあ距離適性だけで勝敗が決まることはなく、結局はどう飛ぶか、どう差すかといった戦術の優劣で雌雄は決されることにはなるのだが。
今回のボンヴァルノン号の⑤番という位置は、逃げ竜にとって、真ん中寄りの無難な位置といえよう。16フェレンという長丁場になるため、最初から先頭を意識する必要はそれほどなく、そうなると内側にいけばいくほど、後から抜け出すのが困難になる。真ん中と外だと、どちらがいいのかというのは難しい話だが、十二頭という頭数を考えると、⑤番の枠の位置のまま、まっすぐ飛ぶのと、外から内側に寄せていくというので、その後に飛ぶ翔路はあまり変わらなそうに見える。
⑧番のシヴァモンガ号や⑨番のファンディルサーガ号――外からの差し竜のことを考えれば、もう少し外側でもよかったとは思うが。
シヴァモンガ号。アーラム・ロット様――我が国の騎士団長様が乗られる竜だ。騎士団長ということからして知らなかったのだが、昨年はかなり、彼のことを誤解していたようである。ボンヴァルノン号がロット記念を勝利したのが一昨年。その余波で、マーファハーブ号が、昨年の大帝賞にて、ロット家の騎士様の乗る竜に厳しく注視された。それはてっきり、アーラム様が指示された、家ぐるみの企みであったと考えていたのだが、その実、それぞれの騎手の独断専行であったことが明らかになった。
アーラム様と実際にお会いして、はっきりと分かった。彼は、そのようなことをする器の小さい人物ではない。何より、ベレー様は全く気にされていなかったのに、僕だけが勝手に苛立っていたことが恥ずかしい。
よく考えれば、ブルカモンガ号の飛翔に、何らおかしな点はなかった。それまで通り、中盤までは中団で控えておいて、終盤で差してくる力強い飛翔。僕の偏見が、視点を歪めていたのだ。
グィーベに倣うわけではないが、中立的な視点は必要である。敵の力量を見誤ることにも繋がるし、他の竜を歪めて見ていて、どうして自分の竜をまっすぐ見ていると言い切れるだろうか。
ロット家の騎手様は、今回は、当主のアーラム様以外に出場していない。いつもは、最低でもアーラム様以外に一人は出場していたはずだが、何やらあったのだろうか。ロラン家の騎手、ラハッド・ロラン様は、⑩番のカージュテン号に騎乗されている。ザラエグ様の乗られるファンディルサーガ号と隣どうしで、この籤運が吉と出るか凶と出るかは、まだ分からない。
〖――魔力提出が完了いたしました。各竜のゲート入りが完了するまで今しばらくお待ち下さい――〗
そんな感情を抱えながら、快晴の下、春の大帝賞の決着を観戦する。
共に観戦しているのは、昨年と同様、同期の調教助手であるグィーベとシャーラ――だけではなく。
「きゅう、じゅう――十二頭ね。たくさん飛ぶのねっ」
僕の左隣に座っているのは、競竜場内で出会った、七、八歳くらいの少女である。細くて色の薄い栗色の髪は、うねって可憐な華の輪郭を象っている。琥珀色の瞳は大きい一方で、鼻や口は小さく、人形のように整っている顔立ちだ。服はかなり高級そうな、布をたくさん使っているドレスを見にまとっていて、育ちのいい、大商人か、はたまた貴族様のお嬢様だと思われるのだが、ご両親やそれに準ずる保護者の存在は周囲には見当たらなかった。運営のほうに連れていきたかったが、競争が観たいということで、一応、保護というかたちで隣に座らせているのである。
「うん。もっと少ない時もあるし、もっと多い時もあるけど、今回は、十二頭」
僕は応じる。ちなみにシャーラとグィーベは、少女の更に左に座っていて、こちらに見向きもしていない。それにしても、口振りからして、競竜を観るのは初めてなのだろうか。
「えっと――あれ、名前なんだっけ」
そもそも、訊いていなかったのかも知れない――少女はきょとんとした表情をすると、勢いよく立ち上がって、
「失礼したわ。わたくしはヒルデガルト。貴方の名前も訊いていなかったわね」
スカートをつまみ上げて、恭しく礼をするヒルデガルト。そう言われて、そのことにも気づかされる。
「ああ、僕はエムリス。そっちのはシャーラとグィーベ」僕は小さく頭を下げる。「ヒルデガルトは、競竜観戦は初めて?」
「そうよ」彼女は座り直して、そう答えた。「本当は、前にも観たことがあるのだけれど、かなり遠くからだったから、よく分からなくて」
遠くからというのは、観客席のかなり上のほうに座ったのだろうか。そこまで前のほうが混むことはないし、わざわざそんなところで観たというのは不思議な話だ。
「そうか。あ、始まるみたいだよ」
僕は前に向き直る。
〖――新たな百年が幕を開けます、萌芽月の帝立第二競竜場、春の大帝賞、16フェレン。――発翔しました!
〖さァ発翔しました春の大帝賞、先頭飛び出したのは大外からユークスレーバリン、そのすぐ後には三冠竜、⑤番ボンヴァルノン! ⑥番マカアーガルはその後ろ、内からは③番アウカタイサナー、やや潜った飛行か! そして四頭が横並び、今回はいい発翔でした④番バーゲンレックス、⑧番シヴァモンガ、四冠竜⑨番ファンディルサーガはこの位置、外からは⑩番カージュテン! 九番手には②番レームフィデン、後方からの発翔となりました⑦番アフカード、①番ボーバーファザー、そして⑪番ジェディリネークが冷静に最後尾につけた!
〖最初のコーナー、ユークスレーバリンを交わしてボンヴァルノン先頭! 魅せてくれるかボンヴァルノン、その戦術こそ最強だと! ――〗
「ボンヴァルノン、はすごい竜なの」
隣のヒルデガルトが尋ねてきた。
「そうだね」僕は応じながら、どうすればこの競竜初心者の少女に分かりやすく伝えられるかを思案する。「ふつうは、序盤は前に出過ぎず体力を温存しておいて、後半で一気に加速するんだよ。でもボンヴァルノン号は、最初から最後まで、先頭で全力で飛ぶ。それは、それができるだけの体力があるからなんだ。その戦術は、理想的ともいえる」
「どうして」
「体力を温存して、後半で一気に加速する、その戦術も正しいんだけど、それだと他の竜に邪魔されて、上手く前に出られなかったら、結局勝つことはできない。最初から最後まで先頭で逃げ続ければ、その心配をすることもなく、勝ち切れるっていうこと」
「分かったかも」
ヒルデガルトは頷く。あまり上手く説明できなかったとも思われたが、彼女自身の賢さで補正してくれたようだ。
「ま、サーガに後れを取ってる三冠竜だけどな」
聞こえよがしにグィーベが言う。
ぶち切れそうになったが子供の前なので自分をどうにか制止しようとしていると、
「全勝とはいかないのね。どうして体力充分でも、負けてしまうのかしら」
ヒルデガルトは、かなり鋭いところを突いてきた。
恐らくどこかの良家のお嬢様で、高い水準の教育を、もっと幼い頃から受けてきているのだろう、考える力が身に着いているようだ。
その質問には、調教師として、真剣に答えなければならない。
「敗北原因は、大きく二つ。引き離せなかったか、前を塞がれたか。前者は、主に距離の短い競争で起こることだけど、他の竜も体力充分で、逃げ策の利点が生かせなかった場合。後者は、他の竜が、終盤一気に出てきて、一瞬でも交わされた時、交わし返す翔路が塞がれてしまった場合。長く飛び続ける体力はないけど、爆発的に加速できる竜は、結構最後まで喰らいついてくるからね。後は単純に、気候条件とか翔路条件との嚙み合わせの問題とかもあるけど」
「つまり、逃げ竜は、前を気にしなくていいぶん、後ろにたくさん気を遣わなければならないわけね」
少女はやはり、理解よくそう返す。本当に、競竜に初めて触れるのかと驚かされる。
「そう。逃げ竜は竜群を怖がる、臆病な子が多いとはよく言われるけど、本当に強い逃げ竜は、むしろ大胆で、自信ある飛行だからこそ、勝利を掴めるんだ」
〖――二周目に入って先頭は依然ボンヴァルノン! 三竜身ほど離れて⑫番ユークスレーバリンは潜り気味に二番手につけている! 高度を上げてアウカタイサナーがその後ろ、続いて④番バーゲンレックス、⑧番シヴァモンガ、⑥番マカアーガル、①番ボーバーファザーと続きます! 外を通って四冠竜のファンディルサーガ、内からレームフィデンが前に出る! その空を取る⑩番カージュテンは高度を上げての展開、⑦番アフカードは苦しいか潜り気味にこの位置、⑪番ジェディリネークが追います!〗
話し込んでいる間に二周目に入ったが、先頭はボンヴァルノンが守り続けている。
春の大帝賞は16フェレンあるが、アクセルテグ記念等で使用される、一周8フェレンの翔路を二周飛ぶわけではなく。その外側の一周約10フェレンの翔路を飛ぶ。よって、二周目は一周に満たず、第2コーナー後の直線までで入線となる。
サルダット様の乗られているアウカタイサナー号は高めに位置取っていて、上から圧をかける作戦か。逃げるために高度を下げると、今度は二番手につけているユークスレーバリン号の低空飛行が気になるか。ファンディルサーガ号はまだ八番手だが間違いなく追い上げてくるし、今回は掛からず飛んでこられているバーゲンレックス号や、シヴァモンガ号、最後尾のジェディリネーク号も注意したい。
「一番後ろの竜は、敢えて後ろを飛んでいるの。出遅れていた様子ではなかったけれど」
ヒルデガルトが言う。ここに来て、作戦の種類にまで気づくとは、やはり学習能力が高い。逃げ竜とそれ以外、というふうな言い方しかしていなかったが、中団の竜たちと追い込み竜の違いに気づくとなると、しっかりとした解説が必要だろう。
「翼質と呼ばれる概念だけど。先頭で逃げ続ける策が“逃げ”と呼ばれるのに対して、最後方で追い続けて、最後に追い上げる策は“追い込み”と呼ばれるんだ。追い込み竜は、一番後ろを飛んでいるけど、勝つためには最後に先頭まで出てこられなきゃならないから、それだけの速力のある竜しか取れない戦術。敢えて後ろを飛んでいるというのはその通りで、利点としては、他の竜が前にしかいないから、他の竜たちの動きを監視しやすいこと。それと、追い込み策を採用する竜が少ないおかげで、位置取りが難しくなく飛びやすいことかな」
「つまり、あの⑪番の竜は、これから一番加速するわけね」
「うん。それが終盤の見どころの一つ」
とはいえ見どころの、一つに過ぎない。十二頭が飛んでいれば、十二頭それぞれに見どころがある。三年の戦いを終え、十二頭に選ばれたほどの実力ある竜たちなのだ。そして精鋭揃いの競争だからこそ、勝利竜はこの上ない讃辞と栄誉を受ける。
〖最終コーナー、ここでジェディリネークが外から上がってくる! ファンディルサーガは上から、先頭はボンヴァルノン、アウカタイサナーは空を取る! 外からジェディリネークだ、ここでバーゲンレックスを交わして三番手、ボンヴァルノンは――まだ伸びる! なんということだ、驚異的末翼! その翼は衰えを知らず、まだ伸びる、アウカタイサナー追いすがる、ジェディリネーク間に合うか、翼を閃かせ――入線!
〖春の大帝賞、一着は⑤番ボンヴァルノン! 明けの明星の輝きは深く歴史に刻まれた! 一着はボンヴァルノン、騎手はベレー・ハイジン=ハスト様です!〗




