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大公ロザリアの領地運営録  作者: 白瀬 いお
第1部:接収領地の大公

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第1話:終わりと始まり

 何不自由のない、というわけではなかったけれど、恵まれた人生を歩んで来た方だとは思う。

 優しくはあっても甘くはない両親と、ちょっとシスコン気味な兄姉、孫全員に甘い両祖父母に守られて育ってきた自覚もある。

 仲の良い友だちもいたし、恋人がいたこともあった。進学も就職も、わたしの意志を尊重して貰えた。


 次期社長となる兄を支えるため、経営について実地で学び、その成果も出始めた──正に順風満帆、これから家族に恩返しをしていこうと思っていた時だっていうのに。

 雨水と泥で汚れたコンクリートの上で、わたしは、わたしの体は、頭から血を流し、倒れている。

 周囲の悲鳴混じりのどよめきと、駅員さんが警察と救急車を呼んでくれている声が、ぼんやりと聞こえた。何だか、水の中で聞いてるみたい。


 いつもより高い目線、自分の体を見下ろす視界。これって、幽体離脱ってやつなのかな。

 何でこうなったんだっけ。ああ、うん、思い出してきた。

 わたし、階段から落ちたんだ。背中を押されて、雨で濡れた階段じゃあ踏ん張れなくて──何度か階段にぶつかったけど、あれ、本当に痛かったな。


 階段の上にいる、青い顔をした……高校生かな? 多分、わたしを落としたのは彼女だ。

 故意じゃなかったのは、何となく分かる。掌で押された感じじゃなくて、不注意でぶつかられた時みたいな衝撃だったから。

 一瞬のことだったのに、我ながらよく覚えているものだね。記憶力の良さが活きたかな?


「近寄らないで! 写真撮影や動画撮影はご遠慮ください!」

「お客様、聞こえますか!? ……ダメだ、呼吸が止まってる!」

「動かさないで、頭を打って──」

「救急車──まだ──」


 ああ、声がどんどん遠くなっていく。視界も霞んで──幽体離脱してても視界って霞むものなんだ。

 何か、引っ張られてる感じがする。もしかして、体に戻れるのかな。

 目が覚めたら病院かなあ、家族に心配かけちゃったよね。お兄ちゃんなんて、再婚したばっかりの新婚家庭なのに、わたしが復帰するまで仕事が増えちゃうかも。


 頭を強く打つと、記憶障害が起きてしまう可能性があるんだっけ。

 それは嫌だなあ、家族のことも友だちのことも、忘れたくない。わたしの体、ちゃんと覚えていてね。記憶、残しておいてね。

 後遺症、残らないと良いんだけど。これからバリバリ働くつもりなんだから。



 ──って、思っていたけどさあ。

 記憶が残っていて欲しいっていうのは、あくまで病院で目が覚めたらの話なんだよね。

 生まれ変わっても前世の記憶を残していて欲しいなんて、わたし、誰にも頼んでないんだけど!

 しかも、死んだし! あれ、幽体離脱じゃなくて、マジで魂抜けてたんじゃん!


 いや待て、もう一回現状整理しよう。

 わたしは海端(うみはた)さくら、日本生まれ日本育ちの純日本人。海外旅行経験はあれど、海外居住経験はない。

 大学卒業後は、お兄ちゃんの補佐役として経営を学びながら、秘書として働いていた。

 死んだ日は、創業記念日だったから休みで、ええっと……ああそうそう、映画を観に行った帰りだったんだよね。

 敵の過去回想シーン、原作で何回も読んでたのに、映画館でもつい泣いちゃって──じゃなくて。


 うん、ちゃんと覚えてる。ばっちりはっきりくっきり覚えてる──前世の記憶を。

 この際、死んだのは仕方ない。めちゃくちゃ出血してたし、駅員さんの一人が「呼吸してない」って言ってたから、治療は間に合わなかったんだろうね。


 でもさあ、死んだら普通天国か地獄じゃないの? あ、その前に三途の川か。

 少なくとも、明らかにヨーロッパ系の内装をした室内は、あの世とは違うんじゃないかな。

 しかも、何かすっごい眩しい! 夜中に真正面から、車のライトをピカーッて当てられたくらい、まっぶしい!


 頭は動かしにくいし、視界の端に見える手はぷくぷくの赤ちゃんハンドだし、部屋の中にいるお仕着せ……メイド服かな? それを着てる女性たちは、わたしのことガン見してくるし。

 母乳くれる人は、お母さんではないっぽい。一日に一回は必ずやって来る若い男女が、わたしの両親にあたるのかな。


 うーん、何か言ってるのは分かるんだけど、何て言ってるのかは分からないんだよね。

 使われている言葉、日本語じゃないし、英語とも少し違う。でもちょっと聞き覚えがある単語が──あ、思い出した。

 英語とラテン語が混ざっているんじゃない? しかも、アメリカ英語じゃなくて、イギリス英語の方。


 ありがとう、言語オタクの友だち。貴方に付き合ってラテン語学んだのが役立ったよ。

 でも所々聞き覚えのある単語があるってだけで、何言っているのか分からない現状は、全く変わってないんだよね。

 いや、言語について考えている場合じゃないわ。


 結局、わたし、生まれ変わったってこと? ここ、言語的に日本じゃなさそうなんだけど。

 しかも、室内のどこもかしこもアンティーク調だし、お母さんっぽい人は毎日ドレスを着てるし。

 お父さんっぽい人も、貴族男性といえば、みたいな格好してるし、自分の赤ちゃんに対してスマホ構えたりもしないんだよね。


 でも、明かりは電気っぽい? 蝋燭とかではなさそう。

 わたしが眩しくて目を細めていたら光量を調整してくれたし、室内の照らされ方も炎じゃなくて蛍光灯とか電球みたいな感じ。

 テレビはなさそうなんだよねー、別な部屋にあるのかな。地図とか見れたら、ある程度場所の予測はできそうなんだけど……赤ちゃんが急に「地図が見たい」とか言い出したら、ちょっと怖いか。


 そもそも、わたしって何歳なんだろう? 享年は二十八歳、転生して生後──うーん、分かんない。

 部屋に控えてる女性たちの顔立ちは、少なくとも日本人系統じゃない。でも、完全なヨーロッパ系でもなさそう。

 視界の端に見える自分の肌は、お風呂上がりの手みたいな、ピンク色がじわっと滲む白っぽい? 赤ちゃんだからか、まだぼんやりとしか周りが見えないんだよね。


 あー、ダメだ、眠い。すっごい眠い。

 赤ちゃんの体って、こんなに眠くなっちゃうものなの? それとも、あれこれ考えた所為?

 窓から明かりが入ってきてるから、今は昼だってことは分かるんだけど、この部屋って時計の類いがないから、正確な時間は分からない。

 寝て起きたら、全部忘れた、なんてことが起こらないかな──起こらないよね、知ってる。


 眠過ぎて、何も考えられなくなってきた。

 続きは目が覚めた後のわたしに任せよう、今のわたしはもうキャパオーバー。これ以上は知恵熱出そう。

 ああ、もう無理。おやすみなさい。

お読み頂きありがとうございました。

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