50.小さな異変
企画を具体化する作業が始まった。
ここからは分担になる。
カテゴリーでもターゲットでも、際を狙った企画では、視覚や聴覚、手触りといった感覚、日常とは異なるインパクトが評価の流れを作る。
今回の場合でいえば内装、殊にそのビジュアルだ。
青木の初版は、あくまで社内用に作った仮版で、ストーリーでいえばプロットにすぎない。提出版にはその道のオーソリティー、三次元アーティストの飛島達也のセンスで作り直す必要があるだろう。
インターネットライブラリーで見た飛島先輩の作品には、奇抜と表されることを、むしろ誇りに思うような、いかにもアーティストらしい傲慢さがあった。
でも建築に興味を持ってからは、地に足の着いたセンスに変わったのではないか、と戸田嶋は考えている。
伝統建築や、実際に使われることで建物が育まれる図書館やホールといった公共施設に触れることで、何かが刺激されたのかもしれない。
すでに資料はずいぶんと集めているようで、今回の企画でも、さっそく青木と一緒に造形に取りかかっている。
一方の青木は、ゼロから何かを作り上げるのは苦手だ。でもその代わり、どんな奇抜なイメージからでも、それを実現可能と思えるプランに落とし込む頭脳がある。
飛島達也と青木光輝。このふたりは、創作に於ける最強のタッグになるかもしれない。
玲夢はさっそく、ワタナベエステートの社長に会いに行ってくれた。都心部の飲食業向け物件の現状について取材するのが目的だ。話の流れによっては、うちとグルーヴさん、そこにワタナベエステートを加えたトリプルウィンが実現するかもしれない。
☆
翌日の午前十時。
戸田嶋と小巻主査は、法的な問題についてのアドバイスを受けるため、御子柴ワイズに赴いた。
戸田嶋が企画についてのひと通りの説明を終えると、弁護士の川浪美智子先生は、
「こういうのって確かにないですよね。うちも飲み会ばっかりじゃなくて、たまにはこういうとこでパーティーやったら楽しそう」
資料を軽く指で突いて、苦笑いを浮かべた。
肯定と否定、どちらともとれるその反応より『飲み会』ということばが引っかかった。
何だか、イメージできない。
「御子柴ワイズさんでも飲み会なんてあるんですか」
「わたしは常勤じゃないから滅多に呼ばれないけど、あれで社長、炉端焼きとか民芸酒場とか、ああいう渋いとこが好きみたいで、幹事さんはいつも大変みたい」
小巻主査が大きく頷いた。
「そぉなんですよ。わたしも一回、炉端焼き屋さんでやったとき、何で掘り炬燵式じゃないんだってえっらい怒られて。座敷だったんですよね、そのお店。ズボンにしわが寄るじゃないかって、そんなこと言われたって、ねえ」
「あらあら、小巻さんも被害に遭われてらしたんですね。でも社長はねぇ、お召し物にはうるさいから。ま、ああいうお仕事なんでしょうがないですけど」
ご一緒したことはなくても、想像はできる。
御子柴社長は、とにかく服装が派手な方だ。それも普通の派手ではない。漫才師とマジシャンとロックスターを足して二で割ったような濃厚なギラギラ感がある。
しばし社長談義で盛り上がったあと、川浪先生が姿勢を正した。
「それで、どういったことでしょう、ご相談は」
これには小巻主査が答えた。
「まず、この材料持ち込みっていう部分です。何か問題があったときの責任の所在ですが」
「責任といいますと」
「食品衛生上の責任です」
「何かあったら無関係とはいえないですね。それに、戸田嶋さんから話を伺っていて思ったんですが、これって飲食業ですか、教室ですか。飲食業と料理学校では営業許可も変わってきますから、どちらでいくか、はっきりさせるべきです」
ここは自分が答えるべきだ、と戸田嶋は思った。どっちつかずこそが、この企画の魅力……、とはいってもグルーヴさんにとって軸足にしやすいのは、
「飲食業です」
迷いはなかった。
「なら、体験型のレストランということで企画を詰めていったらどうですか?」
「体験型、レストラン」
「そう、でも、あくまで飲食業メインで考えて、お客さんがリクエストした材料を店が仕入れる、という形にすればレストランの営業スキームがそのまま使えます。そうすると方向が見えてきます。飲食業なであれば、体験とはいえ衛生管理はきちんとしないといけません。手洗いやマスク着用は当然としてその他諸々、ありますよね」
「戸田嶋、そこまでお客さんに強要してビジネスとして成り立つの」
「今、ちょっと考えたんですけど、高機能でかわいいマスクとか男性用のエプロンとか……、売れるんじゃないかな」
「あっは、なるほど、それは確かに商機だわね」
小巻主査が納得したのを見て、川浪先生は続けた。
「材料持ち込みはやっぱりリスキーだと思います。釣り魚の持ち込みを受け入れていた料理屋さんがアニサキスを見逃して問題になった例もあります」
このあとも、営業許可のポイントとか、調理における重要管理点にはスタッフが責任をもつこと、調理師免許がない人に講師を依頼する場合は、事前に必要な教育を受けさせることなど、幾つもの有用なアドバイスをいただいて、一時間の面談は終了した。
小巻主査はこの後も社長と話があるというので、戸田嶋は川浪先生に礼を言って立ち上がった。
すぐにオフィスに戻って企画の手直しをしないといけない。
そのとき、あれ? と思った。
床がゆっくりと傾き出したからだ。
思わず、滑り落ちないようにと、高い方に向かって一歩踏み出したら小巻主査が慌てて立ち上がった。
反射的にその手に縋り、落ち着こうと唾を飲み込む。
すると、今度は部屋のなかが暗くなった。
だめ。
倒れてはだめ、絶対に、と必死に踏みとどまり、ゆっくりと床に腰を下ろした。
……無理のない姿勢をとって、そう、こういうときは深呼吸だ。
「どうした戸田嶋」
という小巻主査の声が心なしか遠く感じる。
そのあと掛けられた問いはよく聞こえなかった。
しばらくして、
「小巻さん救急車、呼びますか」
という川浪先生の声。
そのとき、それまで水底にいるみたいに遠くに聞こえていたふたりの会話が近くに戻ってきた。部屋の明るさも少しずつ元に戻っている。
大丈夫だ。
戸田嶋は、自分の意識と四肢の状態を確かめ、
「すみません、大丈夫です。お騒がせしてすみません。もう大丈夫ですから」
と救急車を断った。




