42.これしかない
梨田玲夢は進退窮まった。
時間は刻々と過ぎていく。
『連中、時間指定してきたってことはそれまでは動かないと思う』と青木君に言ったのは、楽観的な憶測に過ぎない。
試しにもう一度、ヘタ子に電話してみた。
〈電源が切れているか、電波が届かないところに……〉
電話は切られたのではなく、自分で切ったと思いたい。
こうしてはいられない。
ひとりで行くか、この格好で、と自分の格好を見下ろして首を振った。
いや、ひとりでこれじゃ、コントだよ。
どうするか。
迷いながらも、玲夢の頭には『もう、これしかない』という考えが、実はあった。
実はあるのだが、ただ踏ん切りがつかない。
その考えというのは。
同郷の後輩で、今、上野の須藤建設で働いている海斗に頼ることだ。
芦原海斗。
このあいだ二十歳になったばかり。
一応、彼氏だ。一応。
あんまりぐいぐいくるので、少し冷ます意味もあって、本人には『仮採用だからね』と言ってある。
でも本当は……、ちゃんと男として見てるし、惚れてる。
体型は厳ついし、目つきもあれなんで誤解されやすいけどあいつ、本当は優しくて、いい奴なのだ。
はぁ~、と長いため息が漏れた。
どうしよう。
高校中退で、ど田舎の元暴走族、という暗ダサい過去を断ち切って上京し、定時制高校に編入して勉強しながらまじめに働いてる彼を、巻き込んでいいものか。
やっぱりだめだよ。
レディスで総長を張ったことに後悔はない。
微塵も。
でもいつまでも喧嘩してるわけにもいかない。
ヘタ子と違ってセンスも才能もないけど、これでも必死に生きてるんだ。目の前の仕事を全力でやってる。だって、失いたくないんだよ、居場所を。こんなブラックな会社だって、とりあえずは真っ当な社会人の地位だ。
それは、海斗だって同じはずだ。
彼のことを思うなら頼るべきじゃない。
そう思っているのに、手にしたスマホの画面には、既に、 “海斗♪” と表示されていて、さっきからその上で、親指が行ったり来たりしている。
だめ。
頼っちゃだめ。
ぜったい。
と心では思っているのに、気が付くと、玲夢の親指は音声通話の受話器マークの上に乗っていた。
呼び出し音が三回鳴って海斗が出た。
〈玲夢さん、珍しいっすねこんな時間に。空いてますよ俺、てか会いてぇっす〉
「……」
〈もしもし〉
「……」
〈もしも~し〉
「ごめん、やっぱいいわ」
爆笑!
一拍おいて、
〈何すかそれ。意味わかんねえんですけど〉
「……ふぅ」
〈何か困ったことですか。言っちゃってくださいよ〉
「海斗」
〈はい〉
「あたしさ」
〈うん〉
「海斗のこと、仮採用の彼氏っつってんじゃん」
〈はい〉
「あれ、やめる」
〈ちょっと待ってくださいよ、何か悪いとこあったら直しますから。今はまだ無理ですけど、ちゃんと資格取って稼げるようんなりますし、したら〉
「待って」
〈……はい〉
「違うの」
〈違う?〉
「仮採用の仮、を外そうと思って」
あたしは汚い女だ。こんなときに交換条件みたいにこの話を持ち出すなんて。
〈それって、本採用ってことですか〉
「うん」
〈……。玲夢さん俺、別に報酬なんかなくても。てか、そりゃあ本彼の話は飛び上がるほど嬉しいっすけど、困ってることがあるんなら、そっち先に言っちゃってください〉
「あのね、仮採用を外そうってのは、ずっと思ってたの。言うタイミングがなかったってだけ。それは本当。信じて」
〈はい〉
「で、困ってるってのも、ほんとなんだ。ごめん、あたし汚いよね」
〈きれいっすよ、玲夢さんは〉
「そういう話じゃないの」
〈わかってますよ。そうじゃなくって、八代目黒百合のれいなの美しき正義を、俺は誰よりも信じてるってことです〉
視界が涙で揺れた。
だめだこういうの、どうしよう、死ぬほど嬉しいんだけど。涙が止まんないよ海斗。よかった電話で。泣いてるとこ見られたら超恥ずかしい。
〈玲夢さん〉
声が震えないように、しっかり心を落ち着けてから返事した。
「ありがとう」




