表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/21

18.そのとき柏崎仁は……

 柏崎仁もまた、偶然、そこを通りかかっていた。




 六時限目の授業を終えた柏崎仁は、高校の制服のまま、ひとりで渋谷に出た。

 目的は特にない。

 ただなんとなく。


 ウソ。


 早妃さんが勤めるワイズデザインっていう会社を見てみたい。

 別に理由なんてない。単なる好奇心だ。だって、あの人のことなら何でも知りたいんだもの。


 住所は、夕べのうちにマップアプリに登録してある。

 なのになぜか、どうしても見つからない。

 道玄坂を登り切った左側、ていうことは間違いないのにいくら捜してもそれらしき看板はないし、そもそもその住所にテナントビルがない。建っているのは、どこか浮ついた感じがするマンションと、あの有名な進学塾。


 電波が弱いのかな、それとも……、と仁がスマホを再起動させようとしたとき、道路を挟んだ斜め前のカフェから何かが飛び出してきた。

 咄嗟に『喧嘩だ』と思った。何しろ飛び出してきたのはビシっとスーツを着込んだ険しい顔のおっさんで、どっからどう見ても堅気には見えない。思わず、銃撃戦から身を隠す場所を捜したくらいだ。


 でも違った。


 このおっさん、完全にビビってる。

 で、おっさんと話してた女の人が慌てて店のなかに入っていった。

 ……てことは。

 銃撃戦の心配はないってことか。



 あれ、今の人。

 昨日ハンバーガーショップで貴大(たかひろ)と一緒にいた人に似てたような気が……。


 いや、んなわけないな。


 とりあえず安全だとわかったら、急に、何が起きてるのか知りたくなった。

 カフェの入り口からなかを覗こうと人だかりの後ろに立って目を凝らすと、さっきの人が誰かを抱き寄せて『動画を撮るな』って叫んでる。

 なんか緊迫してるな、映画の一場面みたいだ。でもどこにもカメラはない。てことは、やっぱり現在進行中のリアルなんだ。


 女の人と目が合った。

 ……あ、やっぱそうだ。あの人、貴大と一緒にメシ食ってた人だ。確か、梨田、なんとかさん。何で?


 「仁君! 仁君だよね、こっち、こっちきて」


 突然名前を呼ばれて心臓が破裂するくらいにバクった。

 周囲の人が一斉にこっちを向いた。


 「早く! 何してんの、早く、こっち」


 手招きに反応するように人垣が割れて道ができた。その中心を駆け寄ると、梨田さんが女の人に話しかけた。


 「ヘタ子、仁君だよ仁君、ねえ、ちゃんと見て」

 ヘタ、え? えぇ! 


 「早妃さん。どうしたんですか」

 早妃さんを見つめたまま、声だけで梨田さんに訊ねた。


 「発作起こした、いつもより長いの」

 発作。

 そうだ、早妃さんには過呼吸の発作を起こす持病があるって、貴大から聞いた。普段は平気だけど何かのスイッチが入ると発作が始まるって。


 念のためと思って応急処置はチャットGPTで学習してある。でもこの状態って……、ヤバいなんてもんじゃない。

 どうしよう、顔が真っ白だ。なのに汗が浮いてるし足は震えてるし、どうなってんだ。たぶんこれ、自律神経がめちゃくちゃだ。


 だめだこのままじゃ、早妃さんが壊れる。

 死んじゃったらどうしよう。

 どうしよう、このままだと、


 早妃さんが!


 死んじゃう!



 「呼吸、呼吸を整えるんですよね」


 「うんそう、それと不安を取り除くの。だからこうやって」

 抱き締めてるってこと?

 だめだよ、そんなんじゃ。


 仁は、戸田嶋を玲夢から引き剥がしにかかった。

 「何すんの」


 「早妃さん死なないで」

 考えるより先に身体が動いていた。


 仁は左手を戸田嶋の背中に回し、右手は大きく広げて後頭部を掴んだ。両手が塞がった仁は、半開きで喘ぐ戸田嶋の口に、しっかりと自分の唇を押し当てて呼吸を止めた。


 その瞬間、戸田嶋の震えが止まった。と同時に目が大きく開き、身体からは空気が抜けるように余分な力が抜けていく。


 店内を、音のない時間が流れた。


 野次馬たちも物音ひとつたてずに状況を見守っている。

 仁がそっと口を離すと、しばし呼吸を忘れていた戸田嶋が、また空気を求めて喘ぎ始めた。

 仁は、戸田嶋が三、四回呼吸をするのを待って、再び戸田嶋の口に自分の唇を重ねた。できるだけ隙間ができないように、しっかりと。

 そしてまた口を離し、最低限の空気を取り込ませると再び……。


 いつしか、戸田嶋の目は閉じられていた。血色も少しずつ戻り始めた。


 店の外からウェイターが叫びながら走ってきた。


 「救急隊、到着しました」


 「こっち、こっちです」と玲夢が手を挙げて救急隊員を呼ぶ。


 「いつもの発作なんです。梅木クリニックが掛かり付けなんで、搬送お願いします」


 クリニック?


 「梨田さん、そこって遠いんですか」


 「えっと、歩いて五、六分」


 「僕、運びます。先導してください」

 細い路地だ。救急車なんかよりぜったい早い。


 仁は、ストレッチャーを組み立て始めた救急隊員を後目(しりめ)に戸田嶋を抱き上げた。お姫様抱っこというやつだ。


 「さあ早く、梨田さん、案内してください」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ