その23
僕はパニックに陥った。鉛筆も消しゴムも、前の問題を解いていた時には確実にあったはずだった。それが何故ない? 気づかない間に落としたのかと下を見回したが、見える範囲には何も見当たらない。
途方に暮れた。試験官は、厳しい顔で教卓の前に座っている。鉛筆をなくしたといえば貸してくれるだろうか? でも、さっきまでは確かにあったのだ。何て説明すればいい?
頭の中にいろんな思考が渦巻いて、冷静な思考ができなくなった。全身から血の気が引いて、意識が遠くなりそうになる。そうしている間にも、試験時間は刻々と失われていく。
僕の目を覚ましてくれたのは、机の上にある1本の鉛筆だった。見慣れない鉛筆だった。薄紫色の、先の尖った鉛筆。見慣れないけれど、その薄紫色には記憶を刺激するものがあった。薄紫色のシャーペン。葉月さん。
それが本当に葉月さんの鉛筆であるかは分からなかったが、僕はとにかくその鉛筆を手にとり、試験問題に取り組んだ。いくら得意の国語といっても、無駄な時間を過ごす余裕はなかった。それからの残り時間は、ひたすら集中して試験に取り組み、最終試験終了を告げるチャイムが鳴った時には、確かな達成感と共に合格を予感していた。
他の受験生たちの試験終わりの緊張の解けた声が響く中、僕は机の周囲を隈なく探したが、どこにも元々持っていた鉛筆3本と消しゴムは見当たらなかった。
試験の途中、突如机の上に現れた薄紫色の鉛筆を手に取り、くるりと回してみる。何の変哲もない鉛筆。でも、その薄紫色の感じは、普通の文房具屋に置いてあるようなものでもなかった。
僕は葉月さんのことを思い出していた。これは葉月さんの鉛筆に違いない。そう確信していた。他にどんな可能性が考えられる?
受験勉強も終盤の頃は、勉強のことで頭がいっぱいで、葉月さんのことはほとんど思い返さないようになっていた。久しぶりに葉月さんのことを思い出して、胸が温かくなった。
そしてそれから1ヶ月ほどが経ち、僕はその高校で入学式を迎えることになる。
その後、もう葉月さんのものと思われるものが僕の所に移動してくることは2度となかった。
高校に入って、僕は同じクラスのやはり隣の席に座る女の子に恋に落ちた。彼女の髪をかきあげる横顔に一目惚れした。
彼女の持ち物が僕の机の上に移動してくるのに時間は必要なかった。僕は心のどこかでそれを予感していて、それを心待ちにしてさえいた。
彼女が授業中シャーペンのないことに気づき、机の周りを見回す。僕は自分の机の上に移動してきた彼女の薄桃色のシャーペンを手にとり、こっそりと渡す。
「これ、君のでしょ」
彼女の驚いた顔。
そして、それから彼女との長い物語が始まり、そしてそれも高校生活の終了と共に終わり、その後膨大な長い物語が始まるのだが、それはまた別の話。




