その20
葉月さんが、何が起きたのか分からない、当惑した表情で座っていた。本来そこには、高梨理恵菜という、ポニーテールのおしゃべりな女子生徒が座っているはずだったのに。
葉月さんは、僕の方を見た。僕らはどよめき溢れる教室の中、しばしの間見つめあった。僕も、彼女も、何があったのかすぐに理解した。信じられないことだけど、信じられないことなら、今までだってたくさん起きている。葉月さんは、瞬間移動したのだ。D組の教室からA組の教室の僕の隣の席まで、瞬間移動したのだ。
葉月さんは、突然、笑いだした。腹を抱えて、お腹の底から笑いだした。
周りの生徒や英語の先生があっけにとられる中、葉月さんは1人、堪えきれないというように笑い続けた。それを見ていたら、僕も何だかおかしくなってきて、笑ってしまった。いったん笑い出すと、抑えることができなくなった。おかしくておかしくて、馬鹿みたいに笑った。
葉月さんと入れ替わりにD組の教室に瞬間移動していた高梨理恵菜がA組の教室に戻ってきた時も、僕らは笑い続けていた。笑い過ぎて、お腹や身体のあちこちが痛かった。
葉月さんと高梨理恵菜が入れ替わった事件は、その後1つの伝説のように語り継がれることになった。
他の生徒たちは、突然馬鹿みたいに笑いだした僕と葉月さんにその理由を尋ねたが、僕も葉月さんもまともな答えを返さなかった。何だか分からないけど、突然おかしくなって笑った、と曖昧に答えた。誰もその答えに納得するものはいなかったが、僕たちは瞬間移動については決して話さなかった。ただ1人、事情を知っている東村静子だけは、廊下ですれ違うときに何もかもお見通しよ、という意味ありげな笑みを浮かべてきた。




