第十話 眠り姫 3
「皆さん、わざわざドルンの為に、よくもまあこんな遠いところまで」
「ええまあ、僕らは直接は知りませんが、ルカ君のお姉さんの事ですからね。
多少の骨折りで良ければ、喜んで引き受けますよ」
アルカの家の居間で、ピートは彼の母親の相手をしていた。
魔晶石が現実的な値段まで下がったので、彼らは満を持してアルカの姉を直しに来たのだ。
当人のアルカよりも、ヒルダの方が乗り気だったのはともかく。
彼らはこのまま、年末年始をアルカの実家で過ごしてから、学院に戻るつもりだった。
順調に運べば、眠りから覚めたアルカの姉、魔法人形のドルンとも話せるはずであり。
彼女の持つ知識には、ヒルダのみならず、ピートも強く興味を惹かれていた。
屋根裏部屋で、アルカとドルンは作業中だが、気になるのだろう。
何かとやってきては、うろうろとするアルカの母が邪魔だったので、作業の役に立たないピートが相手を引き受けていた。
「ところで」
アルカによく似た彼の母親は、息子の友人を迎える笑みを浮かべていたのだが。
世話焼きおばさんじみた顔になると、少し身を乗り出してきた。
「一緒に来た娘さん。
もしかして、うちの息子の恋人だったりするの?」
「違いますよ」
ニーナが来られれば話は早かったのだが、と思いながらピートは説明した。
あくまで、アルカとヒルダはただの友人なんだと強調しつつ。
ジャガーノートの一件を報告する必要もあって、この冬、ニーナは実家に帰省している。
彼女も残念がっていたが、アルカとの仲が進展すれば、ピートなどよりもよほど彼の家に来る機会はあるだろう。
あいにく、ピートに絵心は無いので、口で説明するしかなかったが。
とにかく凄い美人なんだというのは、なんとか伝わったはずだ。
似顔絵を描いてみろと言われずに済んだ事に、ほっと胸を撫で下ろしつつ、ピートが珈琲を飲む。
彼の首から下は、自他共に認める役立たずである。
もし絵なんか描こうものなら、邪神にしか見えない代物が出来上がっていたであろう。
「なるほどねえ」
ちゃんと伝わったのか、うんうんと頷きながらアルカの母親は言った。
「ピート君も大変だ。
頑張らないといけないね」
「何の話ですか?」
「別に隠さなくたっていいじゃない。
おばさんも、女をやって長いんだから分かるわよ。
好きなんでしょ、ヒルダちゃん」
あっさり見抜かれたピートは、苦笑しつつ頬を掻いた。
「そんなに分かり易いですかね」
「まあねえ。
向こうには伝わってないみたいだけど、ああいう娘には粘り強くいかないと駄目よ? 今は彼女、自分の興味のある事しか頭に無いけど。
ちょっと恋愛したくなったら、あっという間に相手を見つけてきちゃうから」
粘り強い努力とそれに、どんな関係があるのかとピートは思ったが、口には出さなかった。
論理の飛躍は女性にはありがちだし、詳細に聞いても彼には理解出来ない事の方が多いのだから。
「うちの子ったら、ろくに手紙も出さないんだから。
子供の頃から、お姉ちゃん子でねえ。
いつもドルンの後をついて回ってたわ」
「何言ってるんだよ」
階段を降りてきていたアルカが、半眼で睨む。
対して彼の母親は、まるで動じもせずに言い返した。
「本当の事じゃないの。
あんた、ドルンが寝てるから手紙も寄越さないんでしょ」
「別に報告するような事が無いだけだろ。
元気でやってるって」
「勲章を貰ってから手紙を出すんじゃなくて、戦場に行く前に連絡なさい。
母さんだけじゃなく、お父さんもどれだけ驚いたか」
「いや、それは本当、申し訳ありませんでした」
ピートにまで呆れたような視線を向けられ、アルカは半笑いで誤魔化した。
色々あって忙しかった上に、精神的にも余裕が無かったのは分かるが。
いくらなんでも、戦場に行くのを事前に家族に報せないのは配慮に欠けていた。
まだまだ説教し足りなさそうな母親から、逃げるようにしてアルカが上の階に向かう。
一緒に階段を昇っていたピートは、空気を変える為に話題を振ってみた。
「魔力の供給というのも、不便なものですね。
魔晶石を媒介せずに、直接やり取り出来るなら、経費や手間の節約になるでしょうに」
「直接って、魔晶石に魔力を込めるって事か? 流石に無理じゃねーかな」
「教会なんかが貯め込んでいるのは、人々の魔力を集めているわけでしょう?」
「ああ、そういう事か。
ドルンから核になってる魔晶石を取り出せば、やれない事は無いだろうけど。
流石に、元に戻せるか分からないのに、家族を分解させるつもりはねーよ」
「魔法の行使では、もっと多くの魔力を操っているのですから。
研究が進んで解明されれば、その辺りも可能になるかもしれませんね」
生物も魔力は持っているが、微々たるもので、魔導具を動かすには到底足らない。
そもそも魔法を使う時も、周囲の魔力に働きかけているだけで、術者が貯め込んだ魔力を魔法にしているわけではないのだ。
術者の周囲に魔力光が見える事もあるが、あれは溢れた分や残り滓であって、ほとんどは術者の持っていた魔力ではない。
なので、魔法が使えないほどに疲労困憊した場合には、休む以外に回復する方法は無かったりする。
要は肉体的な疲労と同じで、精神的疲労にも、飲んで即座に回復する薬のような便利な物は無い。
では使った分だけ周囲の魔力が消費され、その場では魔法が使えなくなるかといえば、そういうものでもない。
魔法とは、水を揺らして、水面に立つ波の形を変えているようなものだ。
大きな波が起きようと、波が連続して起きようと、それだけで水が減るわけではないのと同じである。
水晶などには魔力を蓄積する性質があり、宝石や鉱石なども、魔力を貯め込んだ物を魔晶石と呼称していた。
魔晶石は魔法を使う際の補助や、魔導具を動かすのに利用されている。
言ってみれば氷のような物で、魔力という水をかき回すのに、手でやるよりも氷の板の方が早いというわけだ。
使えば使っただけ溶けてしまうし、その氷よりも大きな手をした人には意味が無い事からも。
魔力が水で魔晶石が氷というのは、例えとしてよく使われていた。
屋根裏部屋に入ると、揺り椅子で眠るドルンの周りを、ヒルダが動き回っていた。
眼鏡をかけた小柄な体が、あちこちから魔法人形を覗き込んでいる。
ドルンの各部からは無数の導線が伸び、検査装置や、魔導器用の充電装置につながっていた。
「あ、来たね」
「どうかしたのか?」
「うーん。
先に検査だけさせて貰ってたんだけど、ちょっと問題が……あったというか、無かったというか」
計器を見るアルカの横から、ピートも覗き込む。
ただ、彼の場合は格好だけで、数値の意味どころか、どこを見ればいいかもよく分かっていなかった。
「あれ?」
「でしょう?」
「すみません、門外漢の僕にも分かるように言って貰えませんか」
つまみをいじったり、接続を確かめているアルカに代わって、ヒルダが説明役を買って出た。
「なんというかさ、何も問題ないんだよね。
分解して中を見たわけじゃないから、まだ修理中なのかもしれないけど。
少なくとも起動に必要な魔力を、彼女は持ってるんだよ」
「自己修復機能があると聞きましたが、それですか?」
「どうだろう、まあ多分それだろうね。
壊れた部分を直したように、魔力も貯めたんだと思う。
この村の規模でも、数年あれば充分足りるだろうし」
魔力には、人の精神に感応する性質がある。
なので生贄は、人を殺す事そのものではなく、殺される側の恐怖と、殺す側の罪悪感や倒錯した快楽などによって、魔力を生み出している。
生活しているだけで、人は様々な感情を抱くものだ。
数十人、数百人といった人間のそれを、数年がかりで集めれば、それなりの量の魔力になる。
軍で使われている魔導甲冑を起動するにも、充分なものだろう。
「それは流石に、予想外でしたね」
「無理に起こそうとすると、警告があるだろうな」
あちこち見ていたアルカが、顔を上げて言ってきた。
その横に座り込んだヒルダが、眼鏡を光らせながら口の端を上げる。
「なら、やってみよっか」
「あ、おい」
アルカが止めようとしたが間に合わず、ヒルダが充電装置を動かした。
眠る魔法人形に魔力が流れ込んで、辺りに警告音が流れる。
喜悦の笑みを浮かべたヒルダの脇で、アルカが顔を引きつらせ、ピートが心配そうに二人を見る。
しばらくすると低い音がドルンから響き、目を閉じたままの彼女が、口も動かさずに話しだした。
「これは自動再生の伝言文よ。
警告するわ、誰だか知らないけど私を起こすのは止めなさい。
理由は簡単、竜が起きるから」
淡々とした事務的な口調だったが、久しぶりに聞いた姉の声にアルカの目頭が熱くなった。
目元を押さえる彼を見つつも、ヒルダは技術者としての興奮を漲らせ、ピートは話の内容に真剣な顔になっていた。
「村を襲った竜の事は、当然知っているわね? どう聞いているかは知らないけど、私には何も出来なかった。
寝起きの鼻っ面に一撃入れて、追い払っただけ。
いずれ必ず、報復に来るでしょうね」
想定よりも敵が強過ぎた上、対処出来た魔法人形が彼女一体だけだったので、倒しきるのは到底不可能だったそうだ。
それでも、癒やすのに数年はかかる痛手は与えたはずだと、彼女は言った。
どうも竜は脅威の排除を優先しているようなので、ドルンが起きると、彼女を目指して襲来するらしい。
「竜が活動を再開したら、私が目覚めるつもりでいるように、あちらもこちらを見張っているでしょう。
私の自己再生が間に合えばいいのだけど」
さらりとした金髪を持つ、整った造形の魔法人形は、眠り続けたまま話している。
その声が人形というよりも、人間らしく情感に溢れたものだからか、口を動かさずに話す姿は、見る者に強い違和感を覚えさせた。
「だから、起こしては駄目よ。
無理に起こそうというのであれば、私はお前達を速やかに排除して、再び眠りに就くわ」
そこまで話したところで、ドルンの口調が切り替わった。
連絡事項を伝える事務的なものから、弟を心配する姉のものに。
「もしそこに居るのがルカなら、よく頑張ったわね。
やれば出来る子だと言っていたのが、私の欲目じゃなかったと証明してくれたんですもの。
姉として、誇らしく思うわ。
以上よ」
再び沈黙した彼女は、揺り椅子の上で静かに眠り続けた。
嗚咽をこらえるアルカに笑いかけつつも、ピートは今の話の内容を振り返っていた。
国も対処しているし、目の前で眠る華奢な少女一人で戦えたのだからと、竜については楽観視していたが。
どうも彼女の口ぶりからして、健闘出来たのは多分に幸運に恵まれたかららしいと。
計器を見ながら、あちこち弄っていたヒルダは、首を振りながら二人に言った。
「うん、これ以上は無理だね。
本当に襲ってきかねないし」
相手が誰かというのは認識せず、ドルンは寝たまま攻撃してくるだろう。
高難度の魔法を自在に操る術者だけに、それで大抵の相手は追い払えるはずだ。
「充分だって」
目元を乱暴に拭ったアルカは、ヒルダとピートに満面の笑みを見せた。
「お前らのおかげで、ドルンが起きるって分かったんだ。
なんというか、こう、上手く言葉になんねーけど。
ありがとな」
「いえいえ。
僕は大してお役に立ってませんから」
「それを言ったら私もだね。
まあ、感謝は素直に受け取っておくよ」
村が竜に襲われてから何年も経ったが、魔法学院に入った目的が叶うと知り、アルカは一つ重荷を下ろせていた。
姉に関しては、放っておいても勝手に解決していたと、分かっただけに過ぎない。
だがそれすらも、魔導工学について学び、ヒルダと知り合っていなければ分からなかっただろう。
後は、姉に頼らずとも、竜を倒してしまえば良いだけだ。
穏やかに眠り続けるドルンを見ながら、アルカは竜と戦う決意を固めていた。