第九話 逃れ得ぬ運命 7
「あんた、また来たの」
修道女カリーナが、教会の建物の脇で猫と戯れるアルカに声をかけた。
猫の両手を持って、にゃっにゃっと遊んでいたアルカが顔を上げる。
相変わらず豊満な肢体を、清楚な修道服で包む彼女は、かえって色気が引き立って見えた。
邪魔者が入って不快になったのか、ふいと顔を背けた猫が、アルカから離れていく。
猫は去り際に一度振り返ってから、角を曲がって姿を消した。
「前に視た通り、学院で見つかった奴以外にも魔獣がいたとしても、私には分からないわよ。
気になるから数ヶ月ごとに調べてるけど、少なくとも教会の周りに現れる事は無いはず」
「いやまあ、なんというか。
ここで見かけた野良猫が気になってな」
「ただの猫好き?」
「別に好きでも嫌いでもねーよ」
目の前の彼女が、ジャガーノートに操られて、自分を呪い殺そうとするかもしれないからだとは、アルカにも言えなかった。
証拠も無いし、何をどう言おうが到底信じられないような話だからだ。
そう考えると、ニーナやピートは得難い存在だった。
出会って一月やそこらで、胡散臭い話でも聞いて貰えるような信頼関係を築けたのは、幸運だっただろう。
カヤや理事長のように、立場や持っている情報から、時間遡行もあり得ると考える知人もいるが。
もしニーナ達に嘘や冗談だと片付けられていたら、アルカは他の人間に話そうとは考えなかったに違いない。
「うちの村にはいなかったから、多分それでじゃないか」
「へえ、意外。
猫の扱いに慣れてるから、てっきり飼ってたんだと思ってた」
「そうなのか?」
「あんまり構い倒すと、嫌われるのよ。
あと猫の場合、顔をじっと見るのは、敵意がある証拠らしくて。
猫が好きな人が嫌われるのは、まじまじと見ながら撫でようとするかららしいわ。
どんな相手も、適切な距離感が必要ってわけね」
「流石にお嬢育ち、そういう機微に関しては実感がこもってるな」
「まあね。
兵隊さんと違って、商家は年中無休で戦争やってるようなものだから。
家政婦が商売敵に籠絡されるとか、珍しくもなかったもの」
「事前に調べないのか?」
「勿論調べてるわよ。
でも真面目で堅物な才媛に限って、悪い男にころっと騙されるのよねえ。
詐欺とかもそうだけど、誰がどう聞いたって怪しい誘い文句で、被害者は簡単に引っかかるじゃない」
「お前はそういう心配はなさそうだな」
「それはどうかしら。
ねえ、試してみる?」
カリーナが唇に当てた人差し指を、ぺろりと舐め上げた。
明らかに騙す側というか、食虫植物めいた迫力のある少女だ。
「遠慮しとく。
俺の手には余りそうだ」
「あら残念」
口ではそう言うものの、浮かべた笑みは邪気の無いものだった。
この切り替えの早さが、カリーナを付き合いやすい相手にしているのだろう。
手招きするカリーナに従って、木陰へと場所を移す。
わりと大きな楡の木には、太い枝から縄が伸び、板が吊るされている。
子供用の遊具に腰掛けた彼女と向かい合う形で、アルカは塀に背中を預けた。
「修道院以外にも、留学を選ぶって道もあったんだけど。
もしそうしてたら、ルカと会う事も無かったのよね。
こういうのも主のお導きなのかしら」
「いくらなんでも大袈裟じゃないか?」
「じゃあ運命?」
「更に大袈裟にしてどうする」
「でも、変えられないのが運命だとしたら、あらゆる全てが運命じゃないかと私は思うわ。
過去を変えられるんでもなければ、決まった事かそうでないかなんて分からないでしょ」
「仮に過去に戻って何かを変えても、その過去に戻った人間がいる限り、過去は何も変わってないらしいぞ」
「哲学?」
「理論物理学だ」
今こうして、カリーナは目の前で話しているが。
彼女がジャガーノートに操られ、呪詛返しで死んだ過去は何も変わっていない。
アルカが死んだ後、周囲一帯が毒で滅んだ事実も、消えて無くなったわけではないのだ。
時間を遡って危険の芽を摘もうが、過去は何も変わらない。
かつて死んでしまったカリーナやサラが、今は生きて話せるからといっても。
それを自分が救ったなどと思い上がれるほど、アルカは厚顔無恥ではなかった。
「過去に戻って何かを変えようが、変えたと思い込んでいるだけ、薬で幻覚に溺れるようなもので。
かつて起きたという事実がある限り、何も変えられないし、変わってないって話なんだけど」
「誰しも目の前の事しか分からない。
つまり、人間の限界についてかな。
それ、うちの商売道具じゃない」
「商売道具とか言うなよ、尼さん」
まあまあ、と手を振ってカリーナは言った。
「その辺りは適当に折り合いをつけて、やっていくしかないよね。
後悔してもしきれない過去を抱えてる人なんて、山のようにいるもの。
大事なのは、しっかり覚えておいて、二度と同じ過ちを繰り返さないように反省する事なんじゃない?」
「悔い改めよ、か。
らしい事も言えるじゃねーか」
「おお、そう言い直すと尼さんっぽい。
やるね、ルカ」
「やるね、じゃねえだろ」
アルカは半眼で見返しながらも、カリーナは意外に聖職者に向いてそうだと思った。
意外も何も、現役の修道女だったりするのだが。
世俗に塗れた、色気の溢れる少女というのは、どうにも修道女の印象からかけ離れていた。




