第九話 逃れ得ぬ運命 6
後期入学の学生が学校に慣れ始めた頃、魔法学院では体育祭が開催された。
他の大学などでは、体育祭はやらず、せいぜい簡単な競技会をやるぐらいのところが多いが。
魔法系の学校では、ほぼ例外なく体育祭は行われている。
魔法の使用に制限がかけられていないので、見た目にも派手なのだ。
観客受けも良く、新入生を集めるには文化祭以上に適していた。
当日は学生の家族以外にも、よその街から見物に来る客までいるほどだ。
倶楽部や同好会にとっても学祭と並ぶ稼ぎ時で、学内のあちこちに屋台や売り子の姿が見られた。
他にも、卒業生が軍の予備役扱いになる事でも分かるように、軍事教練の一環として体育教育が欠かせないという事情もあった。
とはいえ、流石に参加は強制されない。
出なくても成績に影響しないので、当日は欠席する者も結構な数がいる。
だが、ここで活躍すれば学内の評価が上がる為、思春期らしく鼻息を荒くする男子学生も多かった。
格好いいところを見せて、女の子にモテたいというのは、健全な青少年の姿だろう。
実際にモテるかどうかは別として。
今は校庭の内側で、精密さを競う魔法の的当てが行われる一方、外周を徒競走の参加者が走っていた。
人気のある男子が出場しているらしく、黄色い歓声が上がっている。
一緒に走っている他の男子には、負けじと野太い声援が飛んでいた。
「流石に一回生では厳しいか」
開始直後に飛び出した男子学生が、前半で他の生徒に追いつかれたのを見て、ニーナが呟いた。
知らない相手だが、周りの歓声を聞けば一回生なのは分かった。
「足は、あの中で一番速そうですけどね」
「それだけでは、予選は勝ち抜けないだろうな」
ピートとニーナが感想を言い合っていると、背を伸ばして見回していたフレデリカが二人に尋ねた。
「ルカはどこにいるの? 私、救護班の手伝いがあるから、長くは抜けていられないんだけど」
「もう次か、その次ぐらいですよ。
ほら、あそこで順番待ちしています」
ピートの指差した先を、目の上に手をやってフレデリカは見た。
校舎脇に集まっている者のうち、前で準備体操をしている中の一人に、アルカの姿もあった。
「あ、本当だ。
おーい! ルカ、がんばれー!」
「ちょっと気が早くないですかね」
「私達も後で応援するが、今の競技者にも失礼だし、始まってからにしておけ」
「それもそうだね」
他の二人に宥められ、フレデリカは大人しく待つ事にしたようだ。
ただ、伸び上がって手を振る少女は、校舎脇からでも見えていたらしい。
柔軟体操をしているアルカに、一緒に予選を走る予定のカールが声をかけた。
「おい。
ルカ、見てみろよ。
いつだかのお嬢ちゃんが応援してくれてるぜ」
「ん? あ、本当だ。
フレデリカの奴、用事があるから応援に行けないかもとか言ってたのに」
「慕われてんだから喜んどけよ」
反対側から、同じく準備をしていたダンが会話に混ざってきた。
彼は戦場の帰りに馬車で同乗しただけのアルカを、戦友と思ってくれているらしい。
もっとも、誰に対しても馴れ馴れしい少年なだけに、他との違いは分からなかったが。
「理事長の使いとか、用務員の手伝いみたいな事やって、学院中を走り回ってるだろ? 結構、人気あるみたいだぜ、腹ペコ少女」
「その呼び名には不安しかねーけどな。
ちゃんと食わせてないみたいじゃねえか」
アルカが顔を顰めると、堪えきれないようにカールが笑いだした。
「童貞のくせして、父親っぷりが板についてやがるな」
「うるせえよ」
彼らの会話が聞こえていたのか、係員をやっている生徒会の短髪の少女が、笑みを見せながら声をかけてきた。
「そろそろ、あなた達の番よ。
準備はいい?」
「任せとけ」
「ああ、大丈夫だ」
予選は八人で走り、上位二名の勝ち抜けとなる。
基本的には各年度生が二人づつで分けられているが、アルカ達の組は二回生が三人だった。
この時期の上級生は、研究室と就職活動で忙しいのもあるが、単純に人数が少ないのだ。
単位が取れず、専門課程に進む前に学院を去る学生は多い。
学院側も落とそうとして試験を行っているわけではないが、卒業時には、入学した時の半分ぐらいはいなくなっていた。
「位置について。
よーい……」
生徒会の女子が、空砲を構えて選手達を促す。
彼らが開始線に並んだのを見て、空に向けて引き金を引いた。
火薬の爆ぜる音と同時に、選手が一斉に走り出した。
一回生の二人を除いて、他の六人は呪文を唱えながら走っている。
カールやダンのように身体強化の魔法を使う者が多いが、『水中呼吸』で呼吸を保とうとする者などもいた。
魔法の使用が許されているといっても、ほとんどは体のどこを強化するかの違いしかないが。
たまに変わった事をする者がいて、アルカもそのうちの一人だった。
「雹の盾を持ちし、髭の偉丈夫よ。
禍々しき風を、我が示し先に吹かせよ」
何の呪文を唱えているかに気づいたダンが、ぎょっとしてアルカを見た。
この詠唱は『風の刃』のものである。
屋外では殺傷力が落ちるとはいえ、敵を切り刻んで吹き飛ばす、攻撃的な魔法だ。
この短距離走では、競争相手に対する妨害は禁止されているのに、何に使う気だとダンは眉を顰めた。
詠唱を終えたアルカは指を五本立て、そのうちの二本を折りながら成句を唱えた。
「『風の刃』」
アルカの目の前に、渦を巻いた風の魔法が現れる。
少し遅れて、二つ目の同じ魔法が、彼を後ろから吹き飛ばした。
前方の渦の中心を通り、押し出されたアルカは、地面に叩きつけられそうな急加速で、前を走る者達を抜き去っていった。
手を使った水鉄砲と、原理は同じだ。
風の魔法で壁を作り、勢い良く水を飛ばすように、アルカ自身を前へ飛ばしたのだ。
足で地面を蹴る事によって、危ういところで姿勢を保っているが、少し間違えれば盛大にすっ転ぶのは目に見えていた。
まだまだ試行錯誤の段階で、色々と問題が山積みなのは、おそらく本人も分かっているだろう。
「おいおい。
体育祭でそこまですんのかよ」
「無茶苦茶しやがんな、あいつ」
ダンと同じように、カールも呆れたように口にしたが。
カールの方は、次第に口の端を吊り上げていった。
「だが、そうこなくっちゃ面白くねえよなあ!」
喜々として、カールが身体能力強化の魔法を重ねがけする。
いくら体の保護もやってくれる魔法とはいえ、限界というものはある。
そのぎりぎりのところ、いや、多少踏み越えたところまで、カールは自身の力を高めていった。
更に二つの『風の刃』を使って、加速を増しながらアルカが曲線を抜けようとしたところで、カールが追いついてきた。
「なっ、カール!」
「出し惜しみは無しだ! 行くぜ、ルカ!」
「ああもう、ふざけんな、この野郎!」
怖い顔になりながらも笑っているカールとは違い、アルカの方に余裕はほとんど無かった。
顔で受ける風圧と、今にも転びそうな恐怖で、なんとか姿勢を維持するので精一杯だったのだ。
しかし、ここまでやって負けたくはないのだろう。
躊躇いを振り切り、最後の指を折りながら、成句を叫んだ。
「『風の刃』!」
倒れるなよと、一歩一歩祈るような心境で、アルカが直線を駆け抜ける。
なんとか彼の体は前へ進み続けたが、後少しで終着点というところで再びカールに追いつかれた。
最初の勢いこそアルカが勝っているものの、後は自力で走っているだけだ。
元々身体能力の高いカールが、それを強化すれば、時間が経つ毎に彼が有利になるのも当然だった。
だが、勝負は短距離走である。
後はアルカの初速が、カールの強化された足から逃げ切れるかの勝負だ。
雄叫びを上げながら、終着地点を走り抜けた二人の後ろで、見届けた審判員の空砲が響く。
息を弾ませたカールと、膝をついてへたりこむアルカが結果を待っていると、一位の旗を持った係員がカールの方へ近づいていった。
「ふう……なんとか勝てたな」
「だあ! くそっ、あれでも勝てねえのかよ」
汗だくの黒髪を掻き回して悔しがるアルカのところにも、近寄る者がいた。
気配に目を向けたアルカが、思わず一歩後退る。
そこに立っていたニーナは、怒っているようには見えなかった。
欠片も笑ってはいなかったが。
「いくらなんでも無茶し過ぎだろう」
「えっと、その、すみません。
なんと言いますか、つい」
「つい、じゃないでしょ!」
一緒に来ていたフレデリカが、両手を振り上げてアルカを怒鳴りつけた。
「あんな危ない真似して、怪我したらどうするつもりだったの!」
「僕も今回ばかりは擁護出来ませんね。
さっきの、明らかに未完成だったでしょう?」
「練り込むには時間が足りなかったからな。
自分でも、ちょっと危ないかなとは思ってたんだけど」
「ルカ!」
がーっと吠えるフレデリカの隣で、ニーナも痛いほど真剣な目で射抜いてきている。
だらだらと汗を流しつつ、深々と頭を下げてアルカは全面降伏した。
「申し訳ありませんでした」
「本当、反省しなさいよ」
フレデリカが怒りながらそっぽを向いて、目の端に滲んだ涙を拭った。
よほど、見ていて危なっかしかったのだろう。
アルカが心から悪いと思っているのは伝わったのか、ニーナも軽く息を吐いて視線を逸した。
負けた悔しさはあるが、今回の勝負を経て、アルカからはカールへの劣等感のようなものは拭い去られていた。
あれは英雄の類いだ。
カールは窮地に陥っても、どれだけ不利になっても諦めないどころか、楽しめる人間だ。
とてもではないが、アルカはそこまでの心境には至れそうもない。
以前カヤが言っていたように、未来において竜を倒す英雄となったのも頷ける。
あれに勝つのは無理だ。
例え殺す事が出来たとしても、負けを認めさせる事は不可能な相手なのだから。
どんな苦境も逆境も、不利も絶望も、何もかもを精神力でねじ伏せられる化け物だ。
身の丈に合った小さな幸せで、充分満ち足りてしまえるアルカでは、そもそも勝負になりようがない。
居るところには居るものなんだな、と呆れ半分に感心するだけで。
アルカの中にあった対抗心は、綺麗さっぱり消え去っていた。




