第八話 呪いと毒 6
とりあえず、二人は校庭脇にある水飲み場へ向かって歩き出した。
ややふらつきながら歩くアルカは、冷たい風に気持ち良さそうに目を細めた。
「そういや、ジャガーノートの件なんだが。
先週、地主の依頼で、街の近くの山にある洞窟を調べた時に、妙な魔導器を見つけたんだわ。
周りもちょっとあれだったし、関係あるか見てみねえか?」
「あれって?」
「ガキが山ほど生贄にされてやがった」
苦く言うカールに、アルカも嫌そうに頷き返した。
多くの魔力を必要とする術式に、生贄が使われる事はままあった。
勿論、帝国でも厳しく取り締まられているが、こういった事件は後を絶たない。
ジャガーノートを生物兵器に変えるのに、大掛かりな儀式を行った可能性は充分にあった。
「分かった。
そっちの予定がつき次第、連絡してくれ」
しばらく待っても返事が無かったので、不審そうにアルカが隣を見る。
無言で立っていたカールは、突然、口から血を吐いて倒れた。
「な!」
わけが分からず、アルカは周囲に目をやる。
怪しげな人影は無いし、呪いなどの兆候も無い。
だが何の音なのか、周りの草むらや植木の方から、どさどさという雨のような音が聞こえてきた。
気にはなったものの、カールを放っておくわけにもいかない。
近くに膝をついて容態を見ようとしたアルカの腕を、必死に手を伸ばしたカールが掴んだ。
何か言っている彼の口元に、耳を寄せる。
泡の混じった血に塗れた口で、カールは回らない舌を必死に動かしていた。
「ど、くだ」
そのまま息を引き取った彼を、戦慄しながらアルカは見た。
一応は脈と呼吸を確かめたものの、やはり死んでしまったようだ。
混乱して考えがまとまらないが、毒と聞いて真っ先に思い浮かぶのはジャガーノートである。
過去の記録通りなら、あれの毒にやられて助かった者はいない。
そこまで思ったところで、アルカは自分が何に一番混乱していたのか理解した。
どうして、自分より体格の良いカールが、先に死んでいるのだろうかと。
何気なく口元に手をやったアルカは、『水中呼吸』の魔法が発動している事に気がついた。
訓練が終わった後も、うっかり解除し忘れていたらしい。
おかげで助かったのだが、これは外部の空気を遮断する魔法ではない。
ここから早く離れなければ、彼もカールと同じ運命を辿るだろう。
立ち上がったアルカは、まず真っ先にやるべき事をやる為、『風の声』の詠唱に入った。
場所を指定せず、声の拡散だけを目的に術を組み立てる。
「毒だ! 逃げろ、死ぬぞ!」
学院周辺に居る者になら、誰もが聞こえるように魔法の補助を使って叫んだ。
長々と事情を説明している暇は無いし、聞く方だってそんな余裕は無いだろう。
どこまで効果があるかは分からないが、何もしないよりは助かる人間は増えるはずだ。
自分も避難すべく駆け出したアルカに、さっきの叫びへの応答があった。
『ルカ? どうしたの?』
「フレデリカか? 今すぐ、魔法学院から少しでも遠くに離れろ!」
『えっと……今、学院に居るの。
ごめん、勝手に入ってきちゃったんだけどね。
ほら、前に言ってた猫がいるじゃない? あの子を見かけたから、追いかけてきたんだけど』
それか、とアルカは頭を抱えた。
どうする、どうする、と思考を巡らせながら走る彼の周りでは、どさどさという音が続いている。
木の近くを通った時、根本に山積みになっている物を見て、ようやくその正体がアルカにも分かった。
虫だ。
思っていたより、植木には多くの生物が暮らしていたらしい。
他にも鳥や野良犬、そして人間も。
目に映る場所に居る、ありとあらゆる生き物が死に絶えようとしていた。
校舎の角に居た教師や、校庭から走って逃げようとしていた学生が、次々に倒れる。
折り重なった死体が続く様子は、まるで地獄の道のようだ。
悲鳴が聞こえているのは、まだ生きている人間がいるのだろう。
見ると、死の領域から必死に遠ざかろうとする背中が、死体の向こうにいくつもあった。
そちら側へ逃げ込もうと足を動かしながら、アルカはどこかに居るフレデリカに向かって叫び返す。
「フレデリカ、いいから逃げろ!」
『あの子はカリーナを殺したりしないよ。
なんとかって魔獣じゃなくて、ぜったい、ただの猫だもん』
「そいつは魔法を使うと、菫色の魔力光を出すんだ。
話は後で聞、くから……」
『え?』
迎えに行こうか、そもそも自分に彼女が見捨てられるのかと、迷いつつ走っていたアルカが倒れた。
どうやら限界だったらしい。
押さえた口元から、ぼたぼたと血を流しながらも、なんとかフレデリカだけでも助かる方法を考える。
何か驚いたような声を出していたが、ここにある死体だらけの光景でも見たんだろうか。
自分で気づいて逃げてくれるなら、それに越したことは無いのだが。
『あ、ああ。
嘘だ、嘘だ……やだやだやだっ!』
「フレ、デリカ……」
『ルカあ……こんなのやだよう。
ごめんね、私、そんなつもりじゃなかったのに。
なんでだろうね。
どうして、せめてもっと早く気づけなかったんだろう』
震える腕では体を起こせず、足はろくに動かす事も出来ない。
泣きじゃくるフレデリカに、慰めの言葉一つかけてやれず、アルカは自分の無力さに歯を食いしばった。
『ルカ……助けて』
絶望に満ちた少女の声を聞きながら、アルカの意識は途絶えた。
目の前にある古い鏡には、ぼんやりと自分の顔が映っていた。
何も出来なかった無力感だけが、アルカの全身を包んでいた。
どうなるか分かっていたくせに、もっと何かやれる事はあったはずなのに、という後悔の念ばかりが押し寄せてくる。
「……あれ? 終わりですか?」
ピートが拍子抜けしたような声を出すと、呆れたようにカヤが説明した。
「いえ。
ルカさん、今、遡行されてきましたよ」
「え?」
全然分からなかったらしく、アルカを見たピートが、申し訳なさそうに片手で顔を覆う。
気にしていないと手を振りつつも、アルカには声を出す気力も湧いてこなかった。
その顔を覗き込んだニーナが、気遣わしげに眉間に皺を寄せた。
「大丈夫か? ひどい顔をしてるぞ」
「ああ。
悪い」
「少し休んだ方がいいな」
肩を貸そうとしてくれたニーナに謝絶して、アルカは先に祠を出た。
大勢の犠牲者だけなら、事態が大き過ぎて自分の手に余るのも仕方ないと、開き直れもしただろう。
しかし、あんなに悲嘆する子供一人、助けられなかったのは誤魔化しようもない。
今、ニーナの優しさに溺れたら、その厚顔無恥さに後で苦しむのは分かりきっていた。
穏やかに揺れる草を見るうちに、荒れ狂っていたアルカの心が次第に凪いでくる。
そこらを跳ぶバッタなんかも、おそらく全滅したはずだ。
いくら考えても、何をどうすれば良かったのかは分からない。
だからアルカは、黙って自分の事なんかを待ってくれていた友人達に、素直に頼る事にした。
「なんとか落ち着いた。
それじゃ、聞いてくれるか?」